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  • 明日の決戦関ヶ原 一転可決の可能性も~今や完全に民主党議員は疑心暗鬼に~
    [ 2011-06-01 23:57 ]
  • 不信任案は否決の公算大だが、民主党にとってボディーブローになる
    [ 2011-05-31 22:16 ]
  • ある中国東北部の中国朝鮮族の歴史
    [ 2011-05-30 22:55 ]
  • 朝鮮族のあやとり遊び
    [ 2011-05-29 21:51 ]
  • 6月上旬不信任案提出 菅首相、小沢元代表、谷垣総裁それぞれの思惑
    [ 2011-05-28 23:54 ]
  • 東京下町地区1ミリシーベルトを超える~共産党都議団の調査より~
    [ 2011-05-28 05:07 ]
  • 何故、中小同族企業で成果主義は運用できないのか~鎌倉幕府崩壊に学ぶ~
    [ 2011-05-26 21:24 ]
  • サンカ、花火師、木地師等の漂泊の民と中国朝鮮族を追って
    [ 2011-05-25 23:35 ]
  • 名字は歴史を語る~群馬県・埼玉県の新井姓・小林姓が多い理由とは
    [ 2011-05-24 23:23 ]
  • さっぱりお金を無くなった時代~私の身辺雑記
    [ 2011-05-23 22:50 ]

明日の決戦関ヶ原 一転可決の可能性も~今や完全に民主党議員は疑心暗鬼に~

 今日の動きはあまりにも急であった。自民党・公明党の党首が激しく菅直人首相を党首討論で責め立て、不信任案を横路衆議院議員にたちあがれ日本の三党で提出した。ここまでは想像通りだったが、小沢派の副大臣3名・政務官2名が辞任を提出、小沢派に近い議員60名、前に会派離脱をして民主党に所属している議員16名も賛成することを表明、小沢一郎元代表、鳩山由紀夫前総理や原口一博元総務大臣も賛成を表明し、一転して可決の可能性もでできた。今日の小沢派の会合では最終的には71名集まった。もしこの議員が全員賛成票を入れれば、一大事だ。現時点ですら結構な数字である。一方、菅直人総理も「通年国会」を提案し、逆襲に転じた。
 しかし、今回、党首討論で分かったことは震災対策があまりにも遅れていることを谷垣総裁から指摘されたことだ。私は見ていて、うーんこんなに遅れているのかと驚いたものなのだが、そういう意味で菅直人下ろしにも大義がある。
 野党である共産党は棄権、社民党は欠席と表明し、造反議員のハードルは82名とより高くなったものの、最後に小沢元代表と鳩山元総理の大技を見せつけた。一方、自民党は岩屋毅氏が欠席する考えを示したが、最終的には党に従う意向を示した。
 民主党執行部は当初の反対者を少数に押さえ込むという戦術は完全に失敗し、こうなれば何としてでも可決を阻止したい意向。だが、説得するにあたり、岡田幹事長や安住淳国対委員長が恫喝まがいで脅すことは無論のこと、意味不明なポストを用意して必死に説得工作にあたっているがこれが逆効果というか相当な不快感をもたらし、逆に造反議員を増やしているのだ。明日の採決でどうなるのか中間派の議員は疑心暗鬼になって読み切れなくなった。
 そもそもこれだけ多くの賛成票を入れる議員がいるのに、果たして処分できるのだろうか。本当に除名すると過半数割れになる。
 自民党と狙いとしてはここでほぼ達したが、公明党の狙いは解散総選挙にある。
 私個人としては、仮に、不信任案可決したとしても、菅直人総理は、総辞職して解散総選挙をすべきではない。当然、民主党執行部は総退陣すべきである。自民党なども含めた震災復興内閣を作るべきだと思う。菅直人首相は、代表戦後、「ノーサイド」と言ったが、結果的には小沢派を排除した。今まで小沢派を排除していたことがおかしかったのだ。排除しながら党内一致を求めるのは虫が良すぎる。
 一番望ましいのは、採決前に首相を辞任することだが、菅直人首相には周囲をまとめるマネジメント能力がない。
 私も菅直人首相の復興対策をしばらく見ていたがあまりにも遅すぎる。菅直人首相では今の震災復興では無理だ。
 本当の「ノーサイド」で震災復興内閣で望むことを国会議員は決断すべきだと思う。



6月1日は中国の子供の日です。
正式名は「6.1国際児童節」

ミニバラ

2011年5月 堀切菖蒲園周辺にて



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by shinwa_2007 | 2011-06-01 23:57 | 社会 | Trackback | Comments(6)

不信任案は否決の公算大だが、民主党にとってボディーブローになる

 今、一番解散総選挙望んでいる政党は公明党と予測している。何しろ、公明党は、2009年の衆議院選挙で現職が続々と落選し、一刻も早い失地回復を望んでいる。特に、公明党の太田昭宏元代表は創価学会の大票田である足立区・北区の地盤で青木愛氏に敗れ、面目を失っている。すぐ解散に追い込めと山口なつお代表にはっぱをかけている。
 一方の自民党は、解散したいことは山々だが、軍事金がないのがネックということは前に紹介した。先日の夕刊フジでは、自民300議席もありうるという記事も出でいたが、今の支持率を見れば、全く不思議ではない。自民党の谷垣総裁は、可決しない不信任案については、少し及び腰だが、自民党の長老たちや公明党の圧力によって出さざるを得なくなった。
 そして、政権政党の民主党は心底困っている。約80人の造反を出すと言うことは、ほとんど考えられない。実のところ、否決される公算が強い。自公が我々の知らない間に小沢氏や鳩山氏と秘密会議をしていれば話は別だが、どうもその気配がない。自民党、公明党、民主党も自党のみの根回ししかしていないのだ。普通、こういう情勢になれば、どちらかが妙手を打つものだが、どちらもそういう手を打つつもりがない。
 現在、民主党は305議席を衆議院で保有しているが、そのうち80強が賛成票を投じ、寝返るというのは相当難しいというハードルだというのはある意味理解できる。しかも、今回の不信任案の問題点は、麻雀で言うアガリ牌がない。次期首相の後釜がないということがこの不信任案で一番の問題点と言える。
 ただし、この不信任案は可決しなくても、自公にとってメリットがあり、民主にとってはデメリットが大きい。不信任案に反対票を投じたと言うことは、菅直人首相を信任したと言うことになり、民主党内の菅下ろしが一切できなくなる。今後、民主党は支持率が下落するだろうが、その時民主党全員で責任を取らなければならない。
 今、民主党の議員の多くは、政治パーティーの席では、「菅直人じゃだめです。今の内閣は機能不全」ということを支持者に話している。菅直人首相に対する批判から始まる民主党議員の政治パーティーはかなりある。政治パーティーは一人頭2万円の会費を取り、軽い食事をしながら、政治家や評論家の話を聞くのだが、私が側聞した民主党の議員は、今の菅直人首相に不満を持っていることは事実だ。
 しかし、不信任案提出で反対票を投ずることになれば、こうした政治パーティーでの話しもすごく軽い発言に変わる。
 今、解散総選挙しなくても2年後には任期満了で確実に総選挙になる。菅直人首相を担ぐ限り、民主党議員の半分近くが落選することも十分考えられる。
 仮にハードルが高いが80人以上が造反し、解散総選挙となると、民主党議員の多くが討ち死にしてしまう。自分の仕事を失うことになるのだが、果たしてそういう道を選ぶとも思えない。
 小沢氏や鳩山氏は、一定の支持層を集めて、民主党執行部に突きつけたい考えだが、何人賛同者がいるかわからない中では行動も不透明だ。岡田幹事長によると、「欠席しても賛成しても処分する」と語っている。
 だからこの不信任案提出は民主党議員をハムレットに追い込むことになるのだが、誰が造反して賛成票を投じて、そして民主党執行部がどう処遇するかが関心の的と言える。造反者が仮に70人となった場合、不信任案は否決されるものの、その70人を除名処分にした場合は、民主党は過半数割れし、一切の法案は可決されなり、少数野党になる。私は70人も造反者がいないとたかを括っているのだが、現実、大山鳴動して鼠一匹でないというのが本当のところではないだろうか。




バイクのある風景
昭和って感じしませんか?

2011年5月 堀切菖蒲園周辺にて



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by shinwa_2007 | 2011-05-31 22:16 | 社会 | Trackback | Comments(12)

ある中国東北部の中国朝鮮族の歴史

 私は、嫁の家の発祥がどういう形で、満州に渡来して、そして、どのように生活したかは分からない。嫁自身も分からないことも多いし、嫁の家の祖父と祖母がなくなったため、はっきりしたことは分からない。
 だから、断片的に聞いた話と想像を交えて書いてみたいと思う。
 祖母が今、生存していれば、90歳代である。そして義父は60歳代である。祖母と祖父が生まれたところは、朝鮮の平安北道である。平安北道は土地が痩せており、当時の朝鮮総督府も農地にあまり適していないと言うことなので、工業地域として活用した。かつては、罪人が流されたところでもあり、鴨緑江を挟んででの中国側で有名な都市は丹東市がある。
 私たち夫婦は丹東市のボートから、北朝鮮の平安北道を見ていたが、丹東市が発展している反面、対岸側の北朝鮮は碌に木々も生えていない。祖父も祖母も北朝鮮で貧しいと言われる地域で育った。
 そのため、中国朝鮮族の中には骨を生まれ故郷の鴨緑江に流した人もいる。
 そして、祖母と祖父がどこで出会ったかは不明である。瀋陽市か北朝鮮のいずれかだと思うがわからない。想像すれば、当時はお見合いでもなく、恋愛結婚は極端に少なかった。そのため、親同士で決めた可能性が高い。
 嫁一族の仕事は様々であった。ある人は通訳をしていた人もいるし、農民だった人もいる。嫁家は、戦後一貫して農家をしていたため、当時も農業をしていた可能性が高い。
 当時の満州では、いくらでも開拓する土地がある。開拓し放題だったという触れ込みだった。そして、それはある意味あたっていた。
 しかし、年齢的には開拓しながらもすぐ戦後を迎えたことで、嫁家は韓国、北朝鮮か中国のいずれかの選択を迫られたが、将来は中国が発展すると信じ、中国に留まり、中国国籍を中国政府から付与された。中国朝鮮族の誕生である。
 その後、嫁一族は大躍進や文化大革命で相当苦労したらしい。嫁家に限らず、当時の中国朝鮮族は朝鮮語と日本語と中国語を話すことができる人もおり、一時期は海外のスパイであると疑われた人も多かった。
 延吉市や図門市では北朝鮮との対立が深まり、当時の話では北朝鮮と銃撃している話やスパイと疑われた朝鮮族がピストルで乱射した事件もあったと聞く。それに、朝鮮族は優秀であっても中々出世は遅れていたため、不満も多かったという。この大躍進から文化大革命集結までは中国朝鮮族で最も不遇の時だったのだろうなと想像する。
 中国朝鮮族がしだいに台頭してくるのは、日中国交回復の時である。この時代に、日本語が割合に達者であった中国朝鮮族の子どもに日本語教育を集中的に行い、一気に中国朝鮮族の日本語能力はアップした。そして、中韓国交樹立により、韓国人がどんどん中国で商売しはじめ、韓国人に雇われた中国朝鮮族の収入も向上した。
 しかし、そのことは韓国人と中国朝鮮族の軋轢も生み、トラブルも多発した。少し昔の朝鮮日報を見ると、朝鮮族によって韓国人が殺害された事件も多く、その中には金銭にからむものや恨みによって起こされた事件もあった。
 ここで中国朝鮮族は再度移動を始める。現在の在日韓国人の多くは、済州島や慶尚道出身者が多く占め、逆に中国朝鮮族は、平安道等の北朝鮮地域の人々で占められている。朝鮮民族はある意味、跨境民族である。中国朝鮮族、朝鮮人、韓国人、在日朝鮮・韓国人も同じ民族という意識がありながらも、その習慣や生活態度も少しずつ変化が見られている。極端に言うと、同じ中国朝鮮族でも違うところは多い。瀋陽朝鮮族と延辺朝鮮族では、言語が同じ朝鮮語でありながらもお互いの方言がきついため、通ぜず、共通言語の韓国語を使って会話するのである。余談だが、延辺と瀋陽朝鮮族の違いは、延辺朝鮮族が、集中居住型で、瀋陽朝鮮族は少数点在型の居住方式である。
 跨境民族の問題点というか今後の研究課題と言うべきなのだろうか。各国の朝鮮民族の考え方や思考がその土地に影響されるためか、別の国に居住する朝鮮民族との仲がしっくりといかない点がある。これは他の跨境民族が同様なのかどうか分からないが、多くのサンプリングを見ると、各国の朝鮮民族に対する感情は芳しいものとは言えないのである。
当時の記録を見ると韓国や日本に不法就労するケースがあり、それで現金を稼ぎ実家に送金する話もあった。その際、不法就労している中国朝鮮族に韓国人が給料を支払わなかったりする話もある。しかし、そうした中で自然と中国朝鮮族もしだいに豊かになっている家も増えた。嫁家の親族の中では、工場を三つ経営する富豪も現れたりして、ここ10年間で富裕層と中間層がはっきりと区分された感じである。
 そしてそうした合法・不法問わず、中国朝鮮族は様々な形で移民をはじめる。
 嫁家やその周辺の人々も韓国や日本そして中国の沿岸部へ移動し始めている。嫁の義姉と義兄は韓国に出稼ぎに行き、嫁は日本に来ている。嫁の親戚も韓国に移民し、また沿岸部に仕事を求めている人もいる。
 ある意味こんな感じで中国朝鮮族の簡単な歴史を嫁家の話もちりばめながら書いてみたが、現在、中国朝鮮族は歴史の転換期に入っていると言える。






2011年5月 堀切菖蒲園にて



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by shinwa_2007 | 2011-05-30 22:55 | 朝鮮族とは? | Trackback | Comments(0)

朝鮮族のあやとり遊び

 あやとりというと日本独自の遊びだと思っていたのだが、世界中に伝播していて、もちろん、朝鮮族社会にも「あやとり」というのはある。
 どこが起源かというと現段階で判断するのは難しい。そもそも論で言えば「あやとり」について起源を突き詰めるのはあまり意味がない。日本では平安時代から始まったとされているが確たる証拠がない。江戸時代には「あやとり遊び」が文献に見られるが、こういう遊びは恐らく同時発生的に生まれる物なのだろう。どの国から見ても、自分たちの民族独自の遊びだと思うことが多い。
 基本的には、朝鮮族にとっても日本と同様女の子の遊びであり、私の嫁は祖母と母から習ったという。
 嫁は、日本に来てしばらくたつのだが、会社のパートの人と雑談し、100円ショップに行って、「あやとりの本」が売られているので、はじめて「日本のあやとり」を知ったという。
 その時、「へー日本でもあやとりで遊ぶんだな」と呟いた。
 そして、そのあやとりの本を見ると、日本と朝鮮のあやとりの仕方はほとんど同じでさらに驚いたという。
 冬の瀋陽市は非常に寒い。今は温暖化が進み若干暖かくなったが、昔は今よりもさらに寒かった。
 そのため、毛糸で服を自前で作ることが多かった。その余った毛糸で子どもが一人で遊ぶか母や祖母と一緒になって遊ぶことが多かったという。ただし、あやとりについては朝鮮族に限らず中国社会一般で行われていたことである。
 嫁が言うには、「一人あやとり」、「二人あやとり」、「複数あやとり」があったという。私は嫁に、日本語では「あやとり」というが朝鮮語では何というかと聞いた。
 すると、嫁は黙った。そして、「あれ。思い出せない」と言った。というのは嫁は母に、毛糸を持って行くと母は喜んで遊んでくれたため、特に独自の用語を思い出せなかったという。
 日本社会と朝鮮族社会は親和性が高いのだが、こうした遊びも、日本統治時代に影響された部分も大きいのだと思う。「あやとり」自体は日本でも朝鮮でもあったものの、その遊び方については日本と朝鮮で相互に干渉し合い、非常に近い「あやとり遊び」になったと推理している。
 そしてこうしたこどもの遊びは大人の儀礼や儀式を模倣した姿でもあり、何らかの形で大人の姿を投影したものと言える。
 だからこそ、朝鮮や日本でも何かの儀礼や儀式の投影した姿が「あやとり」になったものと言えるが、今となってはその儀礼や儀式がどういうものであったのかは不明である。
 ただ世界的に共通していることは、経済成長すると、「あやとり」のような子ども遊びが次々と廃れてしまう傾向にある。日本でも廃れてしまったが、中国でも「90後」世代は、ほとんどしない。
 中国における「あやとり遊び」の普及は、「80後」世代まででその世代の後半の遊びはゲーム等にとってかわられてしまった。




2011年5月 堀切菖蒲園にて



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by shinwa_2007 | 2011-05-29 21:51 | 二人の話 | Trackback | Comments(4)

6月上旬不信任案提出 菅首相、小沢元代表、谷垣総裁それぞれの思惑

 最新の報道によると、自民党と公明党は6月上旬に、菅直人首相に対して、不信任案決議をつきつける。普通であれば可決しないが、菅直人首相と対立する小沢一郎元代表の周辺は、「100人近くの不信任同調者が集まった」と不信任案可決に自信を深める。
 菅氏、小沢氏、谷垣氏の3者は不信任案提出を受けて、それぞれの夢を見ていて、興味深い。
 まず、菅氏の最良は、「不信任案を否決させ、党内の反対者を少数に押さえつければ成功」と言える。また、可決された場合、「衆議院解散」を選択することが出来るため、盛んに有力閣僚からは、「解散風」が流されている。解散すると小沢氏も谷垣氏も困る。小沢氏周辺の人は選挙に弱い人が多く、今、選挙をすれば、小沢氏周辺の議員も次々と討ち死にする。また、谷垣氏は、お金がない。今、選挙すれば、自公の圧倒的勝利は間違いないが、それでも借金を嫌う谷垣氏がその道を選ばれたときに、迷うのではないか。
 次に、小沢氏の最良は、「不信任案を可決させ、報道の通りに100人の同調者を集めること」である。そして菅内閣を総辞職させ、小沢氏の影響下にある人物を首相にすれば、満点である。しかし、不信任案が可決して、本当に解散させられれば困る。前述したように自分の仲間が次々と選挙で敗れれば、影響力は圧倒的に低下する。
 そして、自民党の谷垣総裁は、不信任案を可決させ、民主党を混乱させることが第一の目標である。同盟党の公明党は、前回の総選挙で敗北したため、「解散したい」のだが、谷垣総裁はそこは躊躇している。躊躇しながらも、公明党はうちと自民が連合すれば絶対に勝てると確信しているおり、谷垣総裁と連合して解散に持ち込もうと働きかけている。
 いずれにしても共通していることはそれぞれのシナリオを書きつつも、そのシナリオがその通りに進むことは誰にも分からないと言うことだ。
 野党は、「解散せよ」と与党に言うことは特権であるから当然そういうことであるが、実際に「解散する」のは内閣総理大臣の特権であるから、菅直人首相も当然、解散を考えている。小沢氏周辺が言うように解散が出来ないと言うことはない。
 昔の自民党の抗争はそれなりの芸術作品であり、綿密なシナリオを描きつつ、解散に持ち込んでいった。
今回の問題は、それぞれの登場人物が様々なことをイメージしつつシナリオを描きつつも、そのシナリオを実現しようと誰も努力していないことが問題である。
 様々なシナリオがあるが、もし万が一解散総選挙になった場合、どうなるのかといえば、民主敗北、自公勝利である。何しろ今は、自民党と民主党の政党支持率は、どこの新聞でも、倍くらいの乖離があり、さらに公明も加えると、トリプルスコアくらいの開きがある。
 そうなると、自公だけで300議席を越えるのは確実で、民主党は半分以下に抑えられる。小選挙区では第一党が総取りするシステムであるので、そういうことになる。
 しかし、原発でも、復興にしても自民党や公明党に解決策があるのかかなり疑問である。政権を寄越せと迫るのは、自由であるのだが、自公政権にどのようなビジョンがあるのか分からない。
 そもそも論でいえば、今回の原発問題でも、責任は第一義的には民主党にあるにしても、原発を進めてきたのは他ならぬ自民党であり、公明党であるのだが、何かいい解決策があるのか、分からない。そのため、本 当に政権が転がり込んできたら、自民党も公明党も困るのではないか。
 それぞれが皆霧の中で探りつつ、6月3日の決戦関ヶ原を目指していく。





アヤメ

2011年5月 堀切菖蒲園にて

アヤメ
文目(あやめ)科
5月11日、6月3日の誕生花
花言葉は「メッセージ、希望」
花300より



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by shinwa_2007 | 2011-05-28 23:54 | 社会 | Trackback | Comments(20)

東京下町地区1ミリシーベルトを超える~共産党都議団の調査より~

 記事を書くのに、このデータの意味を理解するために、時間がかかったので遅れて申し訳ありません。
 とりあえず文系人間が必死に理解しようとして、書いたものです。正確さに欠けているかも知れませんが、その際は是非、お前ここが間違っているぞとご指摘してもらえればありがたく思います。

 私もそうだが、東京下町に居住する人にとってはありがたくないニュースが流れている。
 今日、高木文部科学大臣は記者会見で、東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて、福島県内の学校で子どもたちが受ける放射線量を、今年度は、当面、年間1ミリシーベルト以下を目指すとし、一定の放射線量を超えた学校は、校庭の表面の土を取り除く費用のほぼ全額を国が負担することを発表した。
他方、日本共産党都議団が発表したデータによると、年間1ミリシーベルトを越えているのは、23区の中でも、葛飾区・足立区、江戸川区・江東区である。特に葛飾区水元公園の数値は異常で、年間3.4ミリシーベルトになる。足立区も、年間2.24ミリシーベルトと高い。
 また、茨城県では予想を超えて、県南の取手市が一番高く、約2ミリシーベルト。
 こうした共産党都議団や茨城県全市町村が独自に計算したデータを元に考えると、原発からの距離も重要だが、何かの理由で突然高い数値が出るのだろう。東京下町つまり城東地区が何故高い数値が出るのかは分からないのだが、東京都23区26市も茨城県と同様に全自治体で調査をすべきレベルである。
今日の報道ステーションでは地上高さ1mの場所で計測するのが望ましいと語っていた人がいるのだが、東京新宿の計測地は18mと高い。
 最近になってようやく東京都も千葉県も調査をすることを検討したが遅すぎないだろうか。実は、私が欲しかったデータは、共産党都議団が行ったものであるのだが、本来であれば国か地方公共団体が行うべき調査である。ただし、共産党の調査をケチつけるわけではないが、やはり多くのサンプリングが欲しい。それにはやはり国か東京都が動かなければならない。
 ところで、私は1ミリシーベルトも20ミリシーベールを浴びることにより、人体にどれだけのダメージがあるか分からない。学者によっては全く問題のないレベルという人も多い。
 ある学者は、「大人は100ミリシーベルト」、「子どもは20ミリシーベルト」までは、安全とする人もいる。
しかも今回の報道でわかりにくかったことは、高木大臣が1ミリシーベルト以下に抑えるとしたときに、では何故1ミリシーベルトなのか、説明がなかったため、仕方なく検索してみると、各国の専門家から構成される国際放射線防護委員会の基準に合わせたというところなのだろう。同委員会によると一般人が1年間に浴びても良い人工放射線は、1ミリシーベルト以下と設定している。
 では何故、同委員会が年間1ミリシーベルト以下と設定したかというと、委員会では100ミリシーベルト以上浴びると、健康に影響が出ることが分かっている。人生を80年と仮定すれば、年間1ミリシーベルトであれば一生浴びる人工放射線の値は80ミリシーベルトであり、一生涯影響はないため、年間1ミリシーベルトだと設定しているようだ。
 ただし、こうした放射線等の被曝により、どのような影響を及ぼすかと言うことについて、意見が様々あり、データにより大きく異なると言うことは原子力の専門家も本当のところは分かっていないのではないだろうか。
その意味でかなり良心的に物事を語っているのは中部大学の武田邦彦教授であり、今回のコラムを書く際に「原発 緊急情報(48)なぜ、1ミリシーベルトが妥当か?」はかなり参考になった。
 旧ソ連のチェルノブイリの事故以後、数年経てから癌患者が増大している。こうした原発事故は数年たたないとどのような影響を及ぼすかは分からないようで、その意味で、枝野官房長官の「ただちに影響はない」というのは正しいが5年後、10年後がどうなるか誰にも分からないと言うことだ。チェルノブイリの事故以降、旧ソ連は年間5ミリシーベルトの被ばくを居住禁止の基準とした。
 また、どうやら人によっても受ける影響も異なるらしい。ある人にとっては少量を浴びただけでも、影響があるし、タフな人であれば、一定期間受けていたとしても安全な人もいる。
 ただ言えることは確率論から言えば数値が高くなればなるほど人体への影響は拡大することであり、何々ミリシーベルトなら安全であるという言葉は、結構適当なものだ。
 文系人間の私から見ると放射線に関する学問はどうやら発展途上で確たることはわからないということだ。
では何故、今回、1ミリシーベルトが目標である一方、20ミリシーベルトの基準を撤廃しなかったと言えば、福島県で学校が成り立たなくなるからだろうと想像する。
 そもそも、前述したように東京下町地区でも年間1ミリシーベルトを越える場所は多い。もし、1ミリシーベルトを厳守すれば、東京城東地区の学校はすべて成立しなくなる。
 それならばどうすればいいのかという悲鳴が聞こえてきそうだが、それは私が言いたい。何故ならば、私も東京下町に居住し、引っ越すお金もないのでどうすることもできない。
 今回、共産党都議団の調査で分かったことは、城東地区の数値が高いのだから、足立区・葛飾区・江戸川区の首長が話し合い、めいめいで細かなデータを調査すべきだと思う。
 特に、子どもを持つ親御さんや妊婦さんも非常に懸念している。当然のことだ。1ミリシーベル以下であれば、とりあえず国際機関が安全であるとしているが、この城東地区はそれを越えている以上、何らかの手立てを打つことは首長としての責務である。
 
 


ツツジ

2011年5月 堀切菖蒲園にて



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by shinwa_2007 | 2011-05-28 05:07 | 社会 | Trackback | Comments(13)

何故、中小同族企業で成果主義は運用できないのか~鎌倉幕府崩壊に学ぶ~

  鎌倉幕府崩壊の遠因になったのは、元寇である。日本が元によって攻撃されながらも、鎌倉武士がこれを必死に防ぎ、また台風も来たため、元や高麗の海軍は致命的な打撃を受け、元、高麗の連合軍は撤退した。
  当時の鎌倉幕府の体制は、武士の土地を安堵してもらう代わりに何かあれば、戦い、そして褒美を貰う「御恩と奉公」によって成立してきた。しかし、元寇では相手は、元や高麗である。いくら、敵に追い出したと言っても、与える土地が無かったのである。
 このため、鎌倉武士は元寇によって出費したものの、褒美がもらえなかったため、困窮することになり、鎌倉幕府の滅亡を早めたこともよく知られている。そんなことはお前に言われなくてもわかっている。だからなんなんだと言われそうだが、今の日本の中小企業は、この鎌倉幕府の体制とそっくりなのである。
  どういうことか。日本の企業の大多数は、中小同族企業のため、私は常日頃、中小同族会社をウォッチングしている。そして、問題点を抽出し、改善できることがあれば、改善するべき事を書いている。
  最近の中小同族会社を丹念に見ていると、「成果主義」をやたらと強調している。成果主義の本来の意味は、頑張りに見合うだけの年俸やポストがもらえるということであるのだが、現実的には中小同族会社ではうまく運用されていない。
  営業であれば、売上を伸ばすことが仕事なのだが、それにそって本当に一定の売上を伸ばしたとしても、実際には、給料が大幅にアップするケースというのは歩合制度を取る不動産会社等を別とすれば、少ない。
  一般の中小同族会社で年俸が3割アップするということは凄く難しい。
 ある一点で突出した成績を収めたとしてもいざ、恩賞の段になると、様々な理由で、恩賞をけちる。また、成果主義は嫌なことであるが、トップやその側近の好き嫌いで評価が決まることが多い。
 そして、本来であれば給料が高ければ高い人ほどより厳しい成果が求められる。売上がもし、半分になれば、営業の最高責任者は、自らの責任を取って当然、給料を半分にカットするというのがわかりやすい基準であると言えるが、現実的にはそういう基準やガイドラインの作成は出来ていない。
  また、中小同族会社は成果主義の基準やガイドラインを作りにくい。もし、中小同族会社で本当に成果主義をしたいのであれば、同族経営者自身が責任を取るくらいの気概がないと上手くいかない。
 例えば、三期連続赤字であれば、同族役員総退陣の覚悟を持たなければならない。成果主義は同族とて例外ではないという強い意志があるのかどうかどうかによって決まる。
 そして、結果的には、「いくら頑張っても恩賞がない」という一般社員の泣き言も聞かれるようになるし、成果を上げられなかった一般社員は当然、給料がダウンするので、モチベーションも下がっていく。
  結果的に中小同族会社で、成果主義を採用しても上手くいかないのは、恩賞の段で大盤振る舞いできる年俸を払えないからだ。
  ここで鎌倉幕府崩壊に話を戻すと、元寇の恩賞の際、執権である北条一族がもし、身銭を切って自分たちの土地を頑張った人に分配していれば、どうであろうか。私はこの時、歴史は変わっていて、鎌倉幕府滅亡も一定期間遅れていたと思う。建武の新政が失敗したのも、鎌倉幕府を滅亡させた時に宮方に味方した武士たちの恩賞をけちったために、人心が離れてしまった。
  実際、元寇の後は当然のことながら、「恩賞をお願いします。これだけ頑張ったのだから」という要求は、武士からも祈祷をした僧侶から多々あった。
  しかし、与えられる土地がないことになると、「いくら奉公しても無駄だ」と思うようになり、「御恩と奉公」の体制が崩れてしまった。
  ある意味、昔の中小同族会社は、成果主義というよりも会社そのものが家族であり、チームで頑張り、成果をみんなで分け合っていたように思える。
  もちろん、同族会社が一番の成果を得ることは同族が株を持っているのであるから当然なのであるのだが、それもやはり程度問題で、あまりにも大きな成果を同族が独占すると、鎌倉幕府の二の舞になりやしないかと懸念している。
  本当に頑張った一般社員に対して、もし同族が身銭を切って恩賞を与えるくらいのことが出来れば、成功するだろう。
  その社員は同族のためにさらに必死に働くようになり忠誠心も高くなる一方、ただ単に給料を減らすためだけの成果主義であれば、社員のモチベーションは限りなく下がっていくようになり、会社は衰退してしまうのだ。




はとバス



2011年5月 東京駅周辺にて

初めてのはとバスツアーに参加したんだから
できたら黄色いバス乗りたかったな~
今回は少し残念でしたがはとバスの協賛会社のバスでした。
しかし、協賛会社のバス添乗員と運転手さんはとても親切でしたし
可愛らしいお姉ちゃんがいろいろ解説してくれたので
十分楽しませていただきました!
はとバスは乗れなかったので
東京駅に着いてから写真だけでもと思った私でした!




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by shinwa_2007 | 2011-05-26 21:24 | 社会 | Trackback | Comments(2)

サンカ、花火師、木地師等の漂泊の民と中国朝鮮族を追って

 日本にはサンカ(山窩)という漂泊民がかつて存在した。ロマンチックな話では、縄文時代から連綿と続く日本の先住民であり、山々を自由に闊歩し、団結心が非常に強く、箕作や竹細工、川魚釣りで生業を立てていて、一見貧しいように思えるが、共同基金であるシノガラ基金により、実はものすごく豊かであり、今でも政財界でも隠然たる勢力を握っていると語られることが多く、田中角栄や豊臣秀吉もサンカだったのではと密かに語られることは以前書いた
 現実的なサンカの話をすれば、江戸末期の飢饉により、田畑を捨てて逃散した人々の末裔だろうと言われながらも、現在もその末裔たちは静かに定住して生きている。
 そして、花火師の発祥の地といえば、今で言う奈良県界隈であり、忍者であったとも言う。そして忍者が失業したため、花火師になったのではという話も以前書いた
 また、日本には木の芸術家である木地師も漂泊民と言っていい。主に木のお茶碗を製作する人々のことだが、伝統こけしもこの木地師の生業の一つである。木地師の先祖は、滋賀県が発祥の地であり、そこから全国に伝播していったという伝説がある。
 いわゆる山の民と呼ばれる人々を紹介したが、こうした人々は、様々な場所に生々流転していった。
 伝統こけしは、創作こけしと異なり、東北にしか存在しないが、それを作る人々の先祖は滋賀県からやってきた人々である。そして不思議なことに木地師の墓の中には、天皇家の菊のご紋を使う墓を見ることが出来る。木地師、花火師等の漂泊の民には、南朝の伝説もちらつく。彼らは南北合一後も、南朝再興を夢見て、後南朝の皇子たちを匿っていった。戦後、熊沢天皇と称した人を除いては歴史上確認できるのは、応仁の乱の際、西軍に南朝の皇子が迎えられた話を最後に消えることになるのだが、後北条氏が南朝の子孫を匿った話もあるという。
 木地師の話では、自分たちは元が高貴な生まれであるから、里の人とは婚姻せず、中には、里の男性と山の民の女性の悲恋伝説もある。
 サンカはともかくとして木地師はすべての日本の山々の7合目以上の木々は切り取り勝手という特権を得ていると信じて、様々な地区に天皇からの綸旨を受けたと言うことで木地師文書が残されている。
 こうしたサンカを除く漂泊民で共通していることは自分たちが天皇家につながるということの文書を盛んに残していると言うことだ。
 しかし、一方で次第に定住するに従い差別もきつかったらしい。明治時代までは、こうした漂泊民は転々と山々を移動していたが、明治期から戸籍作成や徴兵制の整備、税金の徴収などで漂泊民に対する考え方も江戸時代とは異なり、山狩りも徹底的に行い、こうした漂泊民も戸籍を持たせ、定住化を促していった。
 サンカも同様で、彼らの多くは税金も払わず、徴兵も応じないと言うことで、明治政府としては腹立たしい存在で、しばしばの山狩りによってサンカも次第に定住化するに至った。
 柳田國男にしても、サンカ小説で著名な三角寛にしても警察からサンカ情報を得ている。
 そして、ここで大きな共通点があるのが、中国朝鮮族も移動進行中だと言うことだ。彼らの多くは朝鮮半島から出発し、旧満州へ移民してきたという歴史があるのだが、大躍進時代や文化大革命の時代にあっても遠くは西安までキムチ売りに行っていた。出稼ぎが多いのも中国朝鮮族の特徴である。
 しかし、木地師等と違い、家族全体が移動するというわけではないので、漂泊民とは言い難いものの、現在でもものすごいスピードで移動を行っている。
 ただ、こうした移動民というか漂泊民と定住民との対立はしばし、あった。
 農村のフィールドワークをしていると、村の人の誰々はどこからか来た流れ者だということを言われることがある。
 そして、流れ者に対する評価はかなり低かった。親は子どもに誰々と遊んではダメよと注意することがあるのだが、そうした話は流れ者の子どもに向けたことがあった。
 一方、昔の中国映画は抗日のものが多いのだが、朝鮮人は、日本人の手先として描かれることが多く、実際、日本軍や日本人の通訳として働くこともあったため、そういう評価を下したものと言える。
 今日、漂泊の民と定住の民との軋轢はほとんど無くなった。
 一つは時間が解決したとも言える。また定住の代償として漂泊民の固有民俗は薄れたと言ってもいい。
 一方、私はこれだけ移動を繰り返す中国朝鮮族は、いつの日か独特の習慣が無くなって、そのうち満族と同様に、満州語が消滅し、漢族と同化したように、漢族と同化してしまうのではと危惧している。
 20代の若い中国朝鮮族と話すとファッションは韓国人に近く、思考は次第に漢族に近くなっている印象を受ける。
 固有の民俗を大切にするか漢族に同化し、生きやすい人生のいずれかを選択するのであろうか。そして中国朝鮮族にとってどちらが幸せになるのであろうかと考える日々なのである。




房州びわ


甘くて美味しいですよ

2011年5月 千葉県館山市にて



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by shinwa_2007 | 2011-05-25 23:35 | 歴史・民俗 | Trackback | Comments(11)

名字は歴史を語る~群馬県・埼玉県の新井姓・小林姓が多い理由とは

 我々は、戦国時代や江戸時代の人の移動というものは非常に限られていて、ある一定の範囲以外それほど動きはなかったのではないかと勝手に思い込んでいたのだが、意外とそうでもなかったことは前に書いた。
 私は子どもの時、驚いたことがあった。朝早く北千住から上野に向かう途中、常磐線の一車両を行商人たちがほぼ占領している光景を見たのだが、その風景は非常にシュールだった。そしてその後、京成線でも同様な風景を見たが、実際、行商とか担ぎ屋とかは我々が想像する以前からよくある話だったのではないかと最近考えるようになった。
 常磐線や京成線が通る前は文字通り徒歩だったのだろう。
 越後の毒消しや富山の薬屋さんにしても、江戸や東京まで来て販売していたし、私の亡くなった母も口癖のように、「越中富山の薬屋さん」の歌を歌っていたところを見ると、富山の薬売りも思った以上に行動範囲が広かったのではないだろうか。
 また、私の知り合いは元を辿れば、富山で薬屋をやったという話をしていた。行商から出発してそのまま東京に居着くケースというのも少なからずあったように思える。
 だから、東京では少ない姓というものを調べて見ると、その先祖は、別の地域だったりすることがある。例えば、群馬県には、とても多い姓が「新井姓」である。「小林姓」も同様である。群馬県のある集落ではそれこそ「新井さん」だらけというところもある。
 そして群馬県下の「新井さん」「小林さん」に聞くといずれも南北朝時代に南朝に与した新田義貞に末裔かゆかりのある人が先祖であることを称することがある。
 これは都市化がまだ進んでいない埼玉県北でも「新井姓」や「小林姓」が多い事実もある。はじめのうち私は、どうせ根拠がない話だろうと考えていたのだが、どうもその考えは間違っているのではないかと思い始めた。
 というのは、「新井姓」や「小林姓」が多い群馬県と埼玉県北というのは、新田氏が勢力を伸ばした地域とかぶるのである。
 だからこそ、「新井姓」や「小林姓」が新田氏の家臣だったとか末裔と言われるのもあながち嘘でもないような気がしてきたのである。
 この事情は、東京も同じである。この間、芦川姓が足立区の旧内匠本町に集中し、それは伝説の通りに山梨県から移住したのではないかと指摘したのだが、東京江戸川区・千葉県市川市から浦安市にかけて、宇田川姓も多いのも戦国期や江戸時代の新田開発の名残であることも分かってきた。
 そして宇田川氏は関東管領の上杉氏の末裔と言われているのだが、室町時代や戦国時代の流れというものがいまだに生きていることが興味深い。
 一部の姓が特定の地域に集中していることは東京ではかなり少なくなってきたものの、まだ残っているところが多い。
 田舎ではもっと多い。一部の集落で同じ姓というのはよくある話だが、これは本家筋から枝分かれして、分家をして集落を形成したということもある。
 この間、仙台に行った際、ある珍しい姓の人と会ったのだが、その姓のことを調べて見ると、岩手県のある特定の集落から発生してそこから枝分かれしたことが分かった。しかし、それでもある特定の集落ではその姓の人が集中している。
 ところでこうした姓が一方で集中しながらも、少し離れたところにまるで飛び地のように同じ姓が点在し、もしくは集中するケースも少なくない。
 何故、こうした事が起きるのかと言えば、昔の人の行動範囲が思った以上に広かったからだと思う。
 例えば、これは推測になるのだが、行商人を介して婿取り・嫁取りもあっただろうし、今は市場と言えば、単に物を売る役割しか果たしていないが、昔は情報交換の役割もあった。例えば、何々家の息子は嫁探ししているとか、何々家の娘は婿を探しているとか、そういう情報交換の場でもあったようなのである。
 もちろん、こうした事は婚姻の情報交換だけではなく仕事の情報の交換でもあった。だから市場に行くというのはもちろん、物の売り買いも重要なのだが、情報を得たいと言うことがあったのである。
 さらには、足立区旧内匠本町のように、戦乱に敗れた一族が一族丸ごと別の地域に引っ越すケースがあっただろう。そうでなければ、芦川姓があれだけ特定の地域に集中していることは考えにくいのである。
 日本では個人情報の観点から、名字の研究はまだ確立されていない面がある。さらに言えば別の問題から少し語ることを憚ることもある。
 問題は日本の名字の調査を国がやっていないからなのだが、何故、国が名字のランキングを作らないかと言えば、役に立たないからだということだ。韓国では姓のランキングは国が作成しているのだが、日本でも是非やって欲しいものである。
 



城山公園

館山市指定史跡
館山城跡


館山城(八犬伝博物館)

別名:里見城
このお城は犬山城を模した模擬天守だそうです。

館山城については「埋もれた古城」の管理人のウモさんが
非常に詳しく紹介してくださっているので良かったらご覧ください。

南総里見八犬伝& 房総里見氏については
館山市立博物館のホームページをご覧ください。


城山公園にある小さな浅間神社

浅間神社(せんげんじんじゃ、あさまじんじゃ)は、富士信仰に基づいて富士山を神格化した浅間大神、乃至は浅間神を記紀神話に現れる木花咲耶姫命と見てこれを祀る神社で、中には木花咲耶姫命の父神である大山祇神や、姉神である磐長姫命を主祭神とするものもあり、それらを含めて日本各地に約1300社が鎮座するが、主として富士山麓を始めとしてその山容が眺められる地に多く所在する。
富士山南麓の静岡県富士宮市に鎮座する富士山本宮浅間大社が総本宮とされる。

wikipediaより

安房の『南総里見八犬伝』地図


館山城からの眺め


館山市立博物館本館


博物館内ロビー

2011年5月 千葉県館山市にて



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by shinwa_2007 | 2011-05-24 23:23 | 歴史・民俗 | Trackback | Comments(4)

さっぱりお金を無くなった時代~私の身辺雑記

  今日は、ネタもないので私の愚痴めいた話をしたい。
 本当に今の時代さっぱりお金がない。お金がないのはお前だけだというお叱りを受けそうだが、私の愚痴にしばらく付き合って欲しい。
 私が大学を卒業するときは、公務員になるか民間会社に勤務するか少し迷ったが、給料は当時民間会社の方がはるかに良かったので、国家公務員3種でもこの程度の給料なら、民間に勤めた方がいいよなと誰しもが思った時代である。
 私が四年生の頃には毎日のように分厚いリクルート雑誌が届き、いやーどうしようかなー困ったなと浮かれていた時代があった。
 お前いい大学なのかと聞かれればそんなことはなく、世間の評価では普通の大学だが、その大学でも引く手あまたの時代があった。
 そして、私は就職しなかった。バイトしても何とかなっていた時代だったからだ。その後、私は2,3の会社を経て今の会社に勤務しているが、思うことは年とともに、お金が無くなっていくなと感じることだ。
 No TVさんが「お金はどこいった」とコメントを寄せているのだが、私も「お金はどこだ」と思うことは多い。
 結構、贅沢していた時代は何万円とする朝鮮の骨董品やの古書を収集していたこともあったが、今は、サッパリだ。本も買わなくなり、もっぱら図書館を利用して、床屋も1,000円床屋、メガネも激安メガネで6000円のもので、背広は、ジャスコで1万円もしない。
 基本的に飲みに行くタイプでもないので、キャバクラやホステスさんのいるところにもいかないので、唯一つの贅沢と言えばせいぜい漫画や雑誌を買うことか煙草を吸うことくらいか。
 このブログに夜の世界が登場しないのはそのためで、建設業界なら遊んでいるんじゃないのかと思われがちだが、私はそういうことはサッパリだ。そもそも気が利かない性格なので、そういう女性とどうやって話したらいいか分からないし、若い女性が面白がる話題も出来ない。
 テレビはニュースしか見ていないため、芸能関係情報は嫁経由から知ることが多い。テレビのバラエティーも何が面白いのかも理解できない。
 考えてみれば昔からそうだった。若い時に先輩から何か芸をしろと言われたとき、気の利いた芸ができないため、いつも場を白けさせてしまった。
 家には車もないし、家は強い地震が来ればすぐ崩壊しそうな感じだが、立て直すことも出来ない。
 昔ならベースアップというものがあって、年々給料が上がっていた。しかし、ここ10年給料は下がることはあっても上がり目が全くない。
 若い時は、私も50歳くらいになる頃には1000万円行くかなと期待した時代もあったが、今そんなことを言ったら、何を夢見ているのだと叱られそうだ。
 ほぼ同じくらいの規模の会社で同世代の人がいるのだが、その人は、若々しい容貌をして、仕事もできるだけではなく、人望もある。そして出世頭である。人間性もしっかりしていることから、今でも出世しているが、まだまだ出世するだろうと思われる人だ。
 出世する人を見ていると仕事が出来ることは無論だが、気が利くということも大事だし、女性との接し方がとても上手い人が多い。
 その人の年棒を聞いたことがあるのだが、もちろん私よりもはるかに上で、私が後10年たっても到達できない年俸だろうなと思い、羨望の眼差しで見つつも、それでも思った以上に上ではなかったので少しガッカリした。
 そして、出世しても中々給料上がらないなと思った。
 私は、ある日、そうした心情を吐露して、親しい上司に向かって、「それにしても、私は出世しませんし、給料も上がりませんねえ。私の不徳と致すところとはいえ、もう少し、業界で有名人になりたかったし、みんなからよくやっていると言われたかったですね」と言った。
 その上司は慰めるように、「そんなことはない。今のポストはお前にとってはうってつけのポストではないか」と言った。
 ただ、最近、小学生の時から歴史好きだった私が思い起こす歌がある。
 前九年の役については、詳細は述べないが、源義家が安倍貞任と衣川の戦いでの中で和歌を交わしている。
 その時、源義家が、逃亡する貞任を追い「まて貞任。言いたいことがある。しばし引き返せ」と言った。そして、源義家は、「衣のたてはほころびにけり」と上の句を言った。衣川の柵の戦いでぼろ負けした安倍貞任に対して向けた歌であった。
 ちなみに、この時、衣川の柵(館)は敗れてしまった。貞任よ。これからどうするつもりなのかという意味である。
 この時、源義家は安倍貞任が歌を返せないと思っていたようである。解説すると、当時は上の句を言った後は、相手が下の句を返すのが礼儀だった。
 源義家は、辺境の人には歌の嗜みがないと思い込んでいたようである。ところが安倍貞任は、見事に、「年を経て糸の乱れの苦しさに」と即興で返したのである。この意味は、衣川の柵も何年もたつと役に立たなくなるし、統率力もすっかり乱れてしまった。また服の衣にかけたのである。
 義家はこの時、感動した。返せないと思い込んでいた下の句を見事に安倍貞任が返したのである。
 敵ながら素晴らしいと感動した義家は安倍貞任を追うのをやめたというエピソードである。
 そして、私(shinwa)も年を取った。若い時にはそれなりに青雲の志を持っていたのだが、「年を経て糸の乱れの苦しさに」の心境に近いものがあるのだ。
 


浜焼市場きよっぱち


2011年5月 千葉県館山市にて



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by shinwa_2007 | 2011-05-23 22:50 | 社会 | Trackback | Comments(4)


朝鮮族嫁が日常写真を公開し、私が中国朝鮮問題などの社会問題を執筆する日中コラボレーションブログです。※※迷惑コメントなどお断りいたします※※


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