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2007.06.22 Friday

長嶋のバットは????

48年前の6月25日は
日本プロ野球にとって歴史的な一日となった。

何故ならば、プロ野球史上初めての
天覧試合が行われたからだ。

場所は後楽園球場
プロ野球伝統の一戦、
巨人対阪神の試合だ。



この試合を決めたのが
プロ野球ファンならば誰でも知っている
9回裏長嶋選手のサヨナラホームランである。

長嶋茂雄、
彼ほど奇想天外、破天荒
常識外れな男はいない。



その行動は
多くの人々を驚かせ、喜ばせてきた。

その中から
”いわゆるひとつの”
「長嶋語録」が数多く誕生する。

学生時代、

先生の質問、
「”I go to Tokyo”を過去形にしなさい」に対し

平然と”I go to Edo"と答えた彼である。

”ウソ!だろー!”と思いながらも
彼ならばあり得るなと納得してしまう。
長嶋がいかに破天荒であるかは
彼のバット選びにも表れている。

バットはいわば昔の武士の刀、
たいがいの選手は自分の愛用バットを
大切にそしてこだわりを持って使い続ける。

ところが長嶋の場合は
自分のバットに対して
こだわりというものが無いようだ。

例えば、彼は立教在学時
8本の当時六大学本塁打記録を樹立する。

記念すべき8本目は超難産、
彼の学生最後の打席で生まれた。

普通ならば、愛用のバットを拝むように
最後の打席に向うだろう。

それが、長嶋は同僚浅井選手のバットを一振り、
「これいいね!借りるよ」と
打席に持って行ってしまった。



聞けばこの8本目だけでなく
すべての本塁打が他人のバットから
生まれたとの話もある。

さて、天覧試合当日の朝
彼は珍しく夢中になって
バットを探していた。

当時、長嶋が普段使用したバットは
”アル・シモンズ”タイプ、
若干軽く中距離打者に適したバットだ。

ところが、長嶋が当日、
押入れの奥深くから
”ラルフ・カイナー”型のバットを取り出した。

このバットはアル・シモンズ型に比べ重たく
ホームランバッターに適したバットである。

普通は記念すべき天覧試合、
選手は愛用バットを小脇に
球場に向うだろう。

それも前の日の夜から
おこたりなく用意しているだろう。

ところが、長嶋は違っていた。

朝起きて、ピンときたのだろう。

いつもと違った長距離砲用バット、
明らかに今夜の試合、
一発を狙っていた。



この重たいバットを
投手の球威に負けずに振りぬければ・・・

気分良くベースを回る
自分の姿をイメージしたのだろう。

では、この日を迎え
長嶋は絶好調だったのだろうか??

とんでもない、
前日は無安打、
救援の村山のフォークボールにきりきり舞い。

ホームランといえば
ここ2週間ほど打っていない。

どちらかといえばスランプで
悩んでいたのだ。

とても、とても、いつもと違った重たいバットで、と
なれる状態ではなかったのである、
普通の人ならば・・・

そして結果は???
一発どころか二発、サヨナラのおまけつきだ!!

話はこれで終わっていない。

今、野球博物館に
天覧試合での長嶋が使用した
サヨナラホームランのバットが飾られている。

それが何と、”ラルフ・カイナー”型ではなく
”アル・ケーライン”モデルが飾られている。???

アル・ケーラインはデトロイト・タイガースで
活躍した攻守三拍子揃った名外野手だ。

さて、一体全体
長嶋はどのバットで
記念すべきホームランをかっとばしたのか??

打席に入る直前、
「これ、ちょいと借りるよ」と
いつもの癖が出たのか???

或いは、ラルフ・カイナーモデルと間違えて
アル・ケーラインモデルを差し出したのか???

もともと、自宅を出た時から
アル・ケーライン型を持っていったのか???

或いは何時もと同じ
”アル・シモンズ”型を使ったのか???

今となっては真相は藪の中である。
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