新スウェーデンモデルに見る協同組合と政府──「転換X」にのっとる政策その3

第八回目となる連載『リスク・責任・決定、そして自由!』ですが、これまでのところで、次のようなことを確認しました。

 

1970年代までの国家主導型体制の行き詰まりを打開するために必要とされたことは何だったか。それはリスクのある事業は、その責任をもっぱらとれる人たちに決定をゆだね、政府は、リスクを減らして、人々の予想を確定する役割に徹するべきだということでした。これが本連載で「転換X」と呼んできた転換の正体だったわけです。前二回では、この転換にのっとる典型的な政策として、「ベーシックインカム」と「インフレ目標」をそれぞれ見てきました。

 

このことは決して、政府の財政支出規模を小さくすべきことも、政府の規制を緩くすべきことも意味しません。労働保護規制や環境保護規制が厳しいケースがあってもいいし、給付が巨額なベーシックインカムもあっていいのです。デフレ不況に落ちたら、中央銀行が作ったおカネで、政府が社会政策のために巨額の財政出動をしてインフレ目標の実現を目指す政策もあっていいわけです。

 

大事なことは、ルールが明確で、それ自体に行政権者の胸先三寸の判断の余地がないことです。それを実現するための政府による介入が否定されているわけではないし、ルールが企業の営利活動に大きな制約を課すことも否定されているわけではないのです。

 

しかし、この連載の初回でも述べましたように、この転換は世界中で「小さな政府」への転換と誤解されました。それで、1980年代のイギリスのサッチャー政権やアメリカのレーガン政権を皮切りに、財政削減や規制緩和を掲げる新自由主義政策が世界を席巻しました。そして、それが格差などの問題をもたらしたとなると、今度は1990年代から、イギリスのブレア政権の「第三の道」のように、多少それを手直しした政策路線が流行りました。しかしそれが労働者、民衆の境遇を改善することはなかったこともまた、連載初回に書いたとおりです。

 

 

連載『リスク・責任・決定、そして自由!』

第一回:「『小さな政府』という誤解

第二回:「ソ連型システム崩壊から何を汲み取るか──コルナイの理論から

第三回:「ハイエクは何を目指したのか ―― 一般的ルールかさじ加減の判断か

第四回:「反ケインズ派マクロ経済学が着目したもの──フリードマンとルーカスと『予想』

第五回:「ゲーム理論による制度分析と「予想」

第六回:「なぜベーシックインカムは賛否両論を巻き起こすのか――「転換X」にのっとる政策その1

第七回:「ケインズ復権とインフレ目標政策──「転換X」にのっとる政策その2

 

 

「第三の道」のいろいろ

 

そもそも「第三の道」というのは、周知のように、イギリスのブレア労働党のブレーンであった、社会学者のアンソニー・ギデンズさんが打ち出した概念で、70年代までの社会民主主義勢力が担った高度な福祉国家を「第一の道」、80年代以降の新自由主義を「第二の道」として、そのどちらでもなく、市場の効率性と平等との両立を目指すと称したものでした[*1]。労働党はこのスローガンを掲げて、1997年に政権を取りました。

 

同様の路線として、1993年に就任したアメリカのクリントン大統領の「ニュー・デモクラット」路線や、シュレーダーさんが率いて1998年に成立したドイツ社会民主党政権の「新しい中道」路線、オランダで1994年に成立した労働党首班政権が進めた「オランダモデル」などがあげられます[*2]。

 

これらの路線が共通に掲げていたのは、新自由主義がもたらした失業など、弱者に対する「社会的排除」に対抗し、「社会的包摂」を実現することでした。つまり、失業者も障害者もみな、それぞれに社会の一員として活動を担えるように組み入れていこうというわけです。そのために、ただ困っている人におカネをばらまくのではなく、就労を後押しすることが重視されました。

 

そして、福祉などの社会サービスの供給については、かつてのような、政府が直接手厚く担う事業に戻すのではなく、新自由主義政府が効率性を重視して民営化を進めた路線を引き継ぎました。ただし、新自由主義がもっぱら視野に入れていたのは民間営利会社に任せることだったのに対して、むしろ、NPOや協同組合のような非営利事業体に任せることを重視しました[*3]。

 

 

「新スウェーデンモデル」は「第三の道」か

 

このような点で、スウェーデン社会民主党が90年代以降掲げた路線もまた、「第三の道」の一種としてとらえられてきたようです。

 

北欧のスウェーデンは、よく知られているように[*4]、1970年代までは、国家がすべての国民に手厚いサービスを供給する、世界に冠たる高度福祉国家でした。しかし、長年これを担ってきた社会民主党が経済危機を招いて1991年に下野。保守中道連立政権は、「選択の自由革命」を掲げて[*5]、福祉事業の民営化に乗り出し、それまでの「高福祉・高負担」を修正しようとします。ところが、同政権は経済危機を一層悪化させてしまい、1994年の総選挙に敗北します。

 

しかし、政権に復帰した社民党は、保守政権同様に社会保障給付の削減を進めて財政均衡を実現し、「選択の自由」を掲げた福祉サービス供給の民営化も推進し続けました。2002年時点で大都市の介護サービスの三割は、主に協同組合である民間業者が担うようになったと報告されています[*6]。また、おカネの給付に際して就労を後押しする姿勢は、スウェーデンの方が、ブレア政権よりずっと前からの本家本元[*7]で、今日まで引き続いています。

 

このような点で、「従来のような温情主義的な大きな国家ではない」[*8]とされる「新スウェーデンモデル」は、たしかにブレア路線などの「第三の道」と共通するように見えます。

 

 

新スウェーデンモデルは他の「第三の道」と違う

 

しかし、多くの専門家は、ブレア路線と新スウェーデンモデルは本質的に異なると指摘しています。何よりも、スウェーデンは福祉にかける財政規模という点から言えば、依然として十分「大きな政府」です。図表1は、社会保障支出の対GDP比のグラフ[*9]ですが、社民党が政権にあった1994年から2006年の間、減っているわけではなくて、他の国よりも高い割合を維持しています。

 

 

図表1

図表1

 

 

たしかに、社会サービスの供給は協同組合などが担うようになりましたが、その資金は依然として国の予算でまかなっています。後述するように、ブレア型「第三の道」では、政府の設定する目的のために、限られた予算を効果的に使う狙いで、NPOや協同組合を利用しようという姿勢が強かったと思います。これが日本の民主党政権ともなるととりわけ、役所がなすべきことを安上がりに肩代わりさせる思惑があったように思います。

 

それに対して、2001年のスウェーデン社民党の綱領では、「医療、学校、ケアを選択できる可能性」を掲げる[*10]と同時に、「すべての市民は良き医療、学校、ケアに同じ条件で接近できるという原則」を強調しています[*11]。「この意味で、社民党の「個人の選択の自由」は、国家によって公的に、平等に支えられることが前提となっていた」[*12]とされています。

 

また、宮本太郎さんは、ブレア型「第三の道」と新スウェーデンモデルが、ともに「社会的包摂」を掲げながら、その方向性に本質的な違いがあると見て、ブレア路線のものを「ワークフェア型」、新スウェーデンモデルのものを「アクティベーション型」と呼んでいます。ここで宮本さんが「ワークフェア」と呼んでいるものは、「ちゃんと働かないとおカネをあげないよ」と、福祉を通じて人を就労にかりたてる仕組みを指しています。それに対して「アクティベーション型」というのは、人を社会の一員として組み入れる場は、別にすぐさまおカネをかせぐ場とは限らないという立場で、就労した方がトクになる仕組みはいろいろ作った上で、介護したり、療養したり、手に職をつけ直したりといった、就労の場の外のさまざまな活動を支える仕組みを指しています[*13]。

 

実際、イギリスのブレア首相とドイツのシュレーダー首相が「第三の道」の勝利をドヤ顔で謳い上げた「ブレア・シュレーダー宣言」がネット上でも読めますが[*14]、読んでみたら新しい古典派と見まがう文章ですね。その全体を貫く精神は、供給側重視ということです。旧社会民主主義は需要側ばかりに重きを置いていたからいけない、権利ばかり言って個人の責任を軽んじていたからいけないと言います。そして、税制も福祉も教育も、経済活動のやる気をおこし、競争力を高めて、人的資本を形成すること──要するに生産能力を高めることを促す仕組みでなければならないとしています。ワークフェアは、雇用問題もまた、供給側に主たる原因があるとする立場からの政策[*15]だと言えます。

 

それに対して「アクティベーション型」の場合は、宮本さんによれば、「完全雇用と就業率の向上が政府の責任」[*16]とされています[*17]。「北欧では公共部門における雇用の創出が女性の就労の受け皿になり、また職業訓練プログラムそのものが包摂の場となった」[*18]と言います。

 

[*1] 山口二郎『ブレア時代のイギリス』(岩波書店、2005)129ページ。

 

[*2] 住沢博紀「福祉国家と第三の道の政治学──グローバル化時代のモダン社会民主主義」宮本太郎編『福祉国家再編の政治』(ミネルヴァ書房、2002年)第9章。

 

[*3] 同上論文。また宮本太郎『社会的包摂の政治学──自立と承認をめぐる政治対抗』(ミネルヴァ書房、2013年)。

 

[*4] 以下の議論は、岡沢憲芙『スウェーデンの政治──実験国家の合意形成型政治』(東京大学出版会、2009年)。

 

[*5] 同上書、150-152ページ。

 

[*6] 岡澤前掲書168ページ。

 

[*7] 宮本前掲書42ページ、51ページ。

 

[*8] 篠田武司「新たなスウェーデン・モデルの形成」『季刊経済理論』第49巻第4号(桜井書店、2013年)、29ページ。

 

[*9] ユーロスタットのデータより筆者作成。http://appsso.eurostat.ec.europa.eu/nui/show.do?dataset=spr_exp_gdp&lang=en “SPDEP”として、Social protection benefitsを選んだ。

 

[*10] 岡澤前掲書186ページ。

 

[*11] 同上書187ページ。

 

[*12] 篠田前掲論文26-27ページ。

 

[*13] 宮本前掲書第1章、第2章。

 

[*14] The Blair/ Schroeder Manifesto  Europe: The Third Way/Die Neue Mitte

 

[*15] 「少なくとも第一期の労働党政権にあっては、目標はディマンドサイドを含めた完全雇用ではなく、労働力のサプライサイドでの、雇用可能性の向上にこそあったのである。」宮本前掲書54ページ。

 

[*16] 宮本前掲書17ページ。

 

[*17] スウェーデン社民党の2001年綱領では、「完全雇用は経済的目標であるのと同様に、社会的目標でもある。完全雇用によって、すべての人が福祉の創造に参加できる。また、失業がもたらす《社会の外に立たされているという感覚》を、それが生みだす不平等や人間としての苦難を、抑止することができる」とある。岡澤前掲書p.179。

 

[*18] 宮本前掲書14ページ。

 

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