(2014年6月25日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
2003年のイラク侵攻の前、米国防省高官だったポール・ウォルフォウィッツ氏は、戦争を支持するよう促すために、左派の論客のクリストファー・ヒッチェンズ氏を雑談に呼んだ。ウォルフォウィッツ氏のアドバイザーを務めていた人物は、この会談は「相手側から離反するかもしれない人に接触する冷戦のスパイ行為」のように感じたと話している。
イラクがまた内部崩壊した今、ウォルフォウィッツ氏は再び公の場に姿を現し、過激派との戦いに対するバラク・オバマ大統領の「真剣さを欠く」態度を批判している。
しかし今回は、ウォルフォウィッツ氏のようなネオコン(新保守主義者)には味方がいない。ヒッチェンズ氏は故人となり、リベラルな左派から戦争支持へ回った離反者は皆、元の場所へ戻ってしまった。
ネオコン――およびディック・チェイニー前副大統領のような伝統的なタカ派――がオバマ氏を批判するためにラジオやテレビ放送に相次ぎ出演するなか、彼らの孤立は鮮明になっている。保守派のフォックス・ニュースでさえ、大惨事の責任を負う政策立案者らからの説教に顔色を変えた。
民主党にとっても大きな転換点だったイラク戦争
だが、目立たないように行動しているのが、第2次イラク戦争がやはり大きな変革をもたらす瞬間となった民主党と左派の大部分だ。
米国は「かけがえのない国家」だというフレーズを世に広めたのはビル・クリントン大統領(当時)とクリントン政権の国務長官のマデレーン・オルブライト氏だったが、民主党をこれほど介入主義的な考えに引き込むのがいかに難しかったかは、往々にして忘れられがちだ。
民主党がベトナム戦争のトラウマから立ち直り、海外での米国の軍事行動を支持するまでには数十年間の歳月を要し、クリントン大統領が1999年に旧ユーゴスラビアへの空爆を支持するに至った。最終的にコソボ独立につながったベオグラードへの介入の成功は、左派のタカ派を生み出した。彼らは、人道目的と考えることのための武力行使に共感を寄せるようになった。
こうした「ハンビーリベラル*1」は、イラク侵攻に向けて戦争を可能にした重要人物であり、サダム・フセイン打倒を支持する意見で新聞の寄稿ページやテレビのトークショーをあふれかえらせた。
究極のハンビーリベラルであるトニー・ブレア元英首相は今も軍事力の行使を訴え続けている。だが、米国には彼の味方はほとんど残っていない。米国では、戦争を支持した民主党員が狂気の瞬間として自分たちの立場を撤回したからだ。
民主党の最近の政策はむしろ、通常は米国のリベラルが忌み嫌う反政府発言を繰り広げる共和党のティーパーティー(茶会)系上院議員、ランド・ポール氏のそれと合致している。
*1=ハンビー(Humvee、HMMWV)は米軍の軍用車両