- 作者: 北村薫
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1996/02
- メディア: 文庫
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初めての北村薫。
米澤穂信の小説を読んで、「日常の謎」というカテゴリを知った。どうやら系譜をたどれば、北村薫という作家がいるらしいことを知ったのも、それがきっかけだった。
それまでに読んだ推理小説はほんの僅かだった。コナン・ドイルとアガサ・クリスティ。
『シャーロック・ホームズの冒険』を読んだのは、大学2年の夏、タイに旅行した時だった。夢中になった。推理小説というのはこんなに良いものだったのか、と思った。後にいくつかの推理小説を読んで、シャーロック・ホームズを推理小説という呼ぶことに少しの疑問を覚えた。どちらかと言えばこれは、子供の頃から親しんできたのと同じような冒険譚ではないのだろうか。
米澤穂信に惹かれたのは、推理のために配置される人やものの無機質さがなかったからだろう。むしろ逆、というのも少し違う。推理と心模様が互いのために響き合っているようだった。こんなに素晴らしいものはないと思って、一時期は彼の作品ばかりを読みあさった。
いつもいつも、探しているものは遠ざかる。やがて北村薫の本を探すことを忘れてしまっていた。だから、偶然にも古本屋で背表紙に浮かぶその名前を目にした時、自分でも驚くほどに無感動だった。それでも、確かめるように手にとって、他のいくつかの作品を諦めてでも購入して持ち帰った。
「北村薫」という名前から抱いていたの同じ印象を、ことに読み始めには感じた。少し堅い手触りと、乾いた昔のニオイ。読み進めるに連れて、それが全てという訳ではないらしいことに気がついた。むしろ反対に、今とその柔らかさを思い出させてくれるようだった。きっと読む時の自分が作品とは関係なく負わされていた憂いやいたたまれなさが、余計にそう感じさせたのだろう。
最後まで読み終えた時の感慨深さは、ここ最近の乱読にはないものだった。新しい発見をもたらすのと同時に、既にそこにあったはずのものを覆い隠していたホコリを取り払われたようだった。そのどちらもに強かさと優しさを感じた。それから懐かしさと爽やかさと。ここで全てを挙げきることなんて、到底出来はしないだろう。たかだか260ページほどの文庫本で、ここまで多くのものを受け取ったのは初めてではないかと思う。
全ての言葉が活き活きとしていたことに気がついたのは読み終えてからだった。これだけでは、本格派の推理作家を評するのには適切でないかも知れない。それでも、自分にとってそのことが最も強く働きかけたのは、きっとその点だと思う。