2014-06-25

ひまである

仕事をやめてからだらだらと過ごしている。

仕事をやめる前はあれをやろうこれをやろうと思っていたこともあった。

ただそれも、明日でも明後日でも、何なら数カ月後でもいいと思うと今やる必要もないような気がして、だらけてしまう。

10時間ぐらい寝てみたり2時間昼寝をしてみたりぶらぶらと散歩したりプールに泳ぎに行ったり昔のゲームをやったりと、

仕事をしていた時は絶対にやらなかったであろうことをしている。

昼間っから自転車目的地に向けてだらだらと漕いでいる時に、時間に追い立てられないというのはいものだなと思う。

仕事をしていたらきっと今頃は電車の中でぎゅうぎゅう詰めだっただろうなと思う時、今の時間を気にせずだらだらできる状況に深く安心する。

22時などにスーツを着てコンビニから出てくるサラリーマンを見た時にあの立場から逃れられてよかったと今の状況を幸福に思う。

こうしてだらだらしていると、会社勤めをしている人間は偉大だなあとまるで他人事のように実感する。

だが無職で、しか無趣味人間であるが故にひまである

からこんな普段書かないようなものを書いている。それぐらいひまだ。

時間的意味で言えば自由だが、ひまでだらだらしているだけというのは果たして人間的な意味で自由なのだろうかと考えたりもする。

また現在形でいえば貯金があるので自由だが未来まで考えた時には明らかに自由ではないので未来形では不自由への準備をしているともいえる。

自由でいるというのもなかなか難しいものだと思う。

でもまあ、ひまというのもたまにはいものだ。少なくとも仕事をしていたらこんな内容のない文章も書いていないわけだし、

普段しないことをして普段感じないことを感じている。仕事をしていた時はいつも何かに追い立てられていたような気がする。

土日があっても48時間後には仕事があって、常に何時間寝て何時間あれをやって何時には移動して……と考えてもやりたいことが全部できるわけではない。

もちろんこのひまな時間は今まで働いてきたお金で賄われているのであり、永遠にこのままでいられるわけではない。

いつかは働かなくてはならないのだろう。余裕は時間から生まれるが時間資金から生まれ資金力は時間から生まれる。

この変換効率自分にとって一番いいバランスを考えながら、もうしばらくはだらだらさせてもらおう(過去に金を稼いだ自分に)。

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