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【サッカー】

ザックが監督人生から得た信念 「悲しみをも共有することが大切」

2014年6月24日 紙面から

練習を見つめるザッケローニ監督=イトゥで(沢田将人撮影)

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 満を持してたどり着いたはずの大舞台で、選手たちは想像以上の重圧と緊張を背負い込み、もがき、苦しんでいる。

 「君たちの責任ではない。私の責任だ」。逆転負けを喫したコートジボワール戦後、ザッケローニ監督(61)は率直な言葉で選手たちに謝った。選手たちの実力を誰よりも知り、信じているからこそ、「日本の力はこんなものじゃない。そうだろ?」と問い掛けるように何度も言ったという。

   ◇  ◇

 偶然と必然が交錯する、監督人生だった。

 17歳の時に肺の病気を患い、プロ選手を断念した。ホテル旅客業専門学校を卒業し、ペンション経営で生計を立てながら、アマチュア選手としてプレーを続けていた。

 ある日。同じグラウンドで練習していた13歳のチームと、8歳のチームの指導者同士が大げんかとなり、1人の監督が怒って子供たちを置いて立ち去ってしまった。

 「アルベルト(ザック監督)、申し訳ないが子供たちを指導してくれないか?」

 27歳。監督業に足を踏み入れた第一歩だった。

 8歳のチームはメンバーが7人しかいなかった。試合をすれば、0−14、0−15と大敗の連続だった。それでも、愛情深く子供たちと接し、サッカーの楽しさをじっくりと教え込んだ。技術や自信を植えつけ、成長を促した。練習にやってくる子供たちが徐々に増え、チームも強くなっていく。シーズン終盤にはライバルクラブにも勝ち、子供たちと一緒に無邪気に喜んだ。

 「子供たちが成長していく姿を見るのが喜びの一つだった。それは今でも変わらない。選手たちが成長していく姿を見るのが、私にとって最も大きな喜びとなっている」

 セリエAのウディネーゼで名を上げ、引き抜かれたACミランで優勝を手にした。ラツィオ、インテル・ミラノ、トリノ、ユベントス−。“血統書”はない男が、いかに出会いに恵まれ、数少ないチャンスをつかみ、はい上がってきたか。挫折と紙一重の監督人生を送ってきたザック監督はこんな言葉を残している。

 「チームがひとつになり、喜びを共有するのは監督としてとても楽しい。だけど、喜び以上に悲しみ、苦しみ、つらさを共有することはもっと大切なことです。サッカーは勝つ時もあれば負ける時もある。ただ、負けた後、次に勝った時の喜びはひとしお。それがスポーツの、サッカーの素晴らしいところ。だから、どんな状況であっても、私は喜びも悲しみも苦しみも共有したいと思っている」

   ◇  ◇

 2010年8月末。ザッケローニ監督がかばん1つで初めて来日した時、唯一、知っていた日本語は「さようなら」だった。昨年末、イタリア人指揮官は「日本に来てみて、まだ一度も『さようなら』という言葉を聞いたことがない」と笑っていた。W杯に「さようなら」を告げるのは、まだ早すぎる。 (松岡祐司)

 

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