活動リポート

首都防災ウィーク【鎮魂・慰霊 子ども太鼓】

90年前の9月1日、関東大震災で10万5千人が亡くなり、墨田区の横網町公園(旧陸軍被服廠跡)では3万8千人が焼死しました。毎年9月1日に墨田区横網の東京都慰霊堂では慰霊祭が開催されますが、90周年を迎える今年、過去の教訓を学び、伝えるため、そして首都直下や房総沖、南海トラフなど次の大地震に備え、被害を軽減することを目的として「首都防災ウィーク」が開催されました。

赤ちゃん一時避難プロジェクトでは、この首都防災ウィークに、「いわき市・黒潮みつもり太鼓」と「豊橋市・大崎しおかぜ太鼓」を招待し、さらに地元「墨田区太鼓連盟」の子ども達もお誘いし、関東大震災、阪神淡路大震災、東日本大震災、そして多くの災害で犠牲になられた御霊の鎮魂と慰霊ために「子ども太鼓」を披露して戴きました。

9月7日、8日と、台風が近づく不安定なお天気の下、子ども達はバスで東京に移動し、まずは新名所・スカイツリーを見学し、その後、慰霊堂に集まりました。革張りの太鼓は水に弱く、絶対に濡らしてはいけないと言われています。空を見上げつつ「それでも絶対叩く!」と準備を始める子ども達。

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いわき市・黒潮みつもり太鼓

雨雲は真上に来たものの、演奏時は慰霊堂を避けてくれて、3団体が元気よく太鼓を奉納してくれました。実は東京都慰霊堂では設立以来、初めての太鼓の演奏だったのです。参拝客や地域の皆さんもたくさん集まり、聞き惚れ、大きな拍手があがりました。

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豊橋市・大崎しおかぜ太鼓

その晩は3グループにスタッフも加わり交流会を実施。普段はシャイな今どきの子ども達が、互いに席を立ち、写真を撮ったり、太鼓話に笑顔で花が咲きました。

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墨田区太鼓連盟

8日も1時間ほどの太鼓の演奏にたくさんの人々が耳を傾け、多くの魂にとっても慰霊の音となったのではないでしょうか。終了後は皆で昼食をとり、浅草に遊び、帰路につきました。良い交流の会となりました。

「いわき市・黒潮みつもり太鼓」と「豊橋市・大崎しおかぜ太鼓」の関係は以前にもご紹介しましたが、東日本大震災で全ての家財を流されたいわき市の子ども達。長年練習して来た太鼓も全て失いました。そんな黒潮みつもり太鼓に、豊橋市の大崎しおかぜ太鼓から「元気になって、また太鼓を叩いてほしい」と、10点ほどの太鼓がプレゼントされたのです。赤ちゃん一時避難プロジェクトでは、この2団体の交流のためにバス往復の支援を続けています。

みつもり太鼓の子ども達も、本当に力強い演奏を披露してくれて、サポーターであるスタッフメンバーもとても心強く嬉しく思いました。

私たちが末永く活動を続けていけるのは、当プロジェクトにご寄付やご支援をくださっているたくさんの皆様のおかげです。心より感謝申し上げます。

(報告:岡野谷純、写真:岡本博さん)

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講演会ご報告「災害時!子どもの命を守るには?」

今年度、「赤ちゃん一時避難プロジェクト」が各地で講演会をしています。避難されている皆さん、支援されている皆さんと、どこかの会場でぜひお会いしたいと思います。

どんな講演会かというと・・

「災害時、子どもたちの命を守るには。」という内容。まさに、震災直後に赤ちゃん一時避難プロジェクトに参加された皆さんがとった行動であり、子どもを持つ親と家族を支える地域が考えるべきことです。

この講演会は、広域的地域間共助推進事業の一部として実施されています。

広域的地域間共助事業では、地域と地域を結んで災害前から疎開先を作っておこうという考え方を広めるために、「疎開先下見ツアー」を実施しているのです。

10月5~6日は北海道札幌市から同じく北海道剣淵町・滝川市へ、10月13~14日は東京都新宿区から群馬県沼田市へ、それぞれ大型バスによるツアーを実施しました。

広域的地域間共助推進事業では、行政と民間が一緒にプロジェクトを推進しています。剣淵町では町長が、沼田市では市長がご挨拶して戴き、災害が起こった時に避難する側と受け入れる側が顔の見える関係を築こうと、ともに企画に参加しています。

10月13~14日は新宿区早稲田商店会の皆さん、そして地域の皆さんが秋の爽やかな気候のもと、群馬県沼田市を訪れました。2日目の午前中、市内の公共施設で講演会が開催されました。お忙しい中、沼田市の星野巳喜雄市長もお越しいただき、開会のご挨拶を戴きました。

10-14@10-06-42-471

 

 

 

 

 

講師は赤ちゃん一時避難プロジェクトで子ども達の健康管理をした鈴木秀明看護師とプロジェクト共同代表の岡野谷が勤めました。鈴木さんは、阪神淡路大震災や東日本大震災でご自身が実施した医療支援、赤ちゃん一時避難プロジェクトを通して感じたことを話してくれました。

10-14@10-12-38-287

 

 

 

 

 

岡野谷からは、今後の大災害の際には、大切な子ども達の命を守るために、いち早く被災地から一旦避難する必要があること。その家族を送り出せる地域の絆と受け入れてくれる地域力に期待したいというお願いをしました。

10-14@11-12-50-409

 

 

 

 

 

参加してくださったのは、疎開先下見ツアー参加者と、地元で本講演会のチラシを見て参加してくださった方々です。アンケートには、「実践的な内容が聞けて良かった」、「より多くの人に受講してほしい」、「受け入れも送り出す側も絆を大切にしたい」、「助けられたり助けたりの相互扶助もよい指導があって実を結ぶのだと感じました」、「震災の恐ろしさを感じたとともに、受け入れ先の対応、避難所での実際を教えてもらったのが勉強になりました」などなど、嬉しいご感想を戴きました。

今年度は、あと3回。11月5~6日には新潟県湯沢町でも開催です。講演会だけでも聞きに来ませんか。5日にお泊りしたい家族はプロジェクトからの特別支援価格にて参加可能です。

ご希望の方は akachangenki@aol.com まで連絡くださいね。

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福島っ子を元気に! 赤ちゃん一時避難プロジェクト 女川 ~ 山形

報告者 鈴木 秀明
実施 2013年 3月16日(土)~17日(日)
行程
1日目 女川 → 石巻 → 山形自動車道山形蔵王IC → トリトンブルー(昼食)→ 上山(かみのやま)温泉有馬館着、その後 上山市内散策
2日目 有馬館 → 蕎麦処三百坊(昼食) → 山形自動車道山形蔵王IC → 石巻 → 女川
参加 小学生12名、大人26名、同行者1名(鈴木) 計39名
共催 赤ちゃん一時避難プロジェクト・株式会社アグリパークZAO
協力 みやぎ観光復興支援センター・上山温泉有馬館

◆1日目
赤ちゃん一時避難プロジェクト、今回は女川・石巻の子どもたちを山形県かみのやま温泉にお連れします。私は東京から前日の晩に移動し、朝9時に女川の集合場所に到着しました。途中、「あれだけ大変だった被災地はどこへ?」と驚くほど地域はきれいに片付けられていました。所々に津波の被害を受けたお家がある程度です。でも、復興までにはまだまだ時間がかかるのでしょうね。
女川では12名の親子が、その後、石巻でご年配の方を含む26名が乗車して、総勢40名(運転手含む)で山形に向かいました。
山形自動車道の車窓を眺めながらバスはワイワイと元気に走り山形蔵王へ。インターを降りるとJR山形駅近くのレストラン「トリトンブルー」へ。本日は、蔵王地域の希少な在来野菜「蔵王かぼちゃ」で作られたスープランチ。共催のアグリパークZAOの畑で育った、市場にはほとんど出回っていない珍しいかぼちゃらしく、超美味しかったです。
ランチを堪能した一行は再びバスに乗り、550年の歴史を刻むかみのやま温泉を目指します。宿泊する有馬館には10以上の湯舟があり、館内で湯めぐりが楽しめる老舗旅館。でもその前に市内散策をし、「羽州の名城」と謳われたかみのやま城や武家屋敷など、城下町の面影を楽しみました。
夜は有馬館の素晴らしい温泉で心身とも暖まりました。シーズン中の土日という無理なお願いにも関わらず「被災地の応援になるなら」と快くご協力を戴きました。素晴らしいお食事にも参加者一同感激しました。夜中に子どもがひとり発熱し心配しましたが、病院で診察を受け、疲れだろうとのことで安心しました。

◆2日目
朝食も「朝からお肉ですか?」と言わんばかりの美味しいお食事で、昨晩熱発した子どもも、すっかり良くなった様子で完食状態でした。温泉の効能なのかもしれませんね。
10時過ぎに有馬館を出発して、地域散策をしながら観光物産館に。こけしなどの民芸品、銘菓や漬物、地酒やワインなど、山形県各地の名産品に、皆さんお買い物を楽しんだようです。
お昼にはバスがギリギリ通行できるぐらいの山道を登り山の中腹まで登った先にある、そば処三百坊へ。ここのお蕎麦は水田で作っているのではなく畑で作っているそうでとてもコシのある美味しいお蕎麦でした。食後は雪の残る三百坊の庭に繰り出します。広い敷地内には水の流れや池もありちょうど良い勾配の付いた雪の広場に子どもたちは大はしゃぎ。ずぶ濡れになりながら、久しぶりの雪合戦が始まりました。パパたちも目一杯楽しんだようです。
午後1時には帰路のバスに乗り込みました。年配者はおやすみタイムとなりましたが、子どもたちは大好きなDVD鑑賞です。3時過ぎに石巻、4時には女川に到着し、今回も無事終了しました。参加者の健康状態に問題はありませんでした。
お疲れ様でした。  鈴木 秀明

※アグリーパークさんのHPにも報告が載っています。ぜひご覧ください。
http://www.facebook.com/Agriparkzao

有馬館にて(撮影:鈴木)
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福島っ子を元気に! 赤ちゃん一時避難プロジェクト 女川 ~ 山形

報告者 鈴木 秀明
実施 2013年 3月16日(土)~17日(日)
行程
1日目 女川 → 石巻 → 山形自動車道山形蔵王IC → トリトンブルー(昼食)→ 上山(かみのやま)温泉有馬館着、その後 上山市内散策
2日目 有馬館 → 蕎麦処三百坊(昼食) → 山形自動車道山形蔵王IC → 石巻 → 女川
参加 小学生12名、大人26名、同行者1名(鈴木) 計39名
共催 赤ちゃん一時避難プロジェクト・株式会社アグリパークZAO
協力 みやぎ観光復興支援センター・上山温泉有馬館

◆1日目
赤ちゃん一時避難プロジェクト、今回は女川・石巻の子どもたちを山形県かみのやま温泉にお連れします。私は東京から前日の晩に移動し、朝9時に女川の集合場所に到着しました。途中、「あれだけ大変だった被災地はどこへ?」と驚くほど地域はきれいに片付けられていました。所々に津波の被害を受けたお家がある程度です。でも、復興までにはまだまだ時間がかかるのでしょうね。
女川では12名の親子が、その後、石巻でご年配の方を含む26名が乗車して、総勢40名(運転手含む)で山形に向かいました。
山形自動車道の車窓を眺めながらバスはワイワイと元気に走り山形蔵王へ。インターを降りるとJR山形駅近くのレストラン「トリトンブルー」へ。本日は、蔵王地域の希少な在来野菜「蔵王かぼちゃ」で作られたスープランチ。共催のアグリパークZAOの畑で育った、市場にはほとんど出回っていない珍しいかぼちゃらしく、超美味しかったです。
ランチを堪能した一行は再びバスに乗り、550年の歴史を刻むかみのやま温泉を目指します。宿泊する有馬館には10以上の湯舟があり、館内で湯めぐりが楽しめる老舗旅館。でもその前に市内散策をし、「羽州の名城」と謳われたかみのやま城や武家屋敷など、城下町の面影を楽しみました。
夜は有馬館の素晴らしい温泉で心身とも暖まりました。シーズン中の土日という無理なお願いにも関わらず「被災地の応援になるなら」と快くご協力を戴きました。素晴らしいお食事にも参加者一同感激しました。夜中に子どもがひとり発熱し心配しましたが、病院で診察を受け、疲れだろうとのことで安心しました。

◆2日目
朝食も「朝からお肉ですか?」と言わんばかりの美味しいお食事で、昨晩熱発した子どもも、すっかり良くなった様子で完食状態でした。温泉の効能なのかもしれませんね。
10時過ぎに有馬館を出発して、地域散策をしながら観光物産館に。こけしなどの民芸品、銘菓や漬物、地酒やワインなど、山形県各地の名産品に、皆さんお買い物を楽しんだようです。
お昼にはバスがギリギリ通行できるぐらいの山道を登り山の中腹まで登った先にある、そば処三百坊へ。ここのお蕎麦は水田で作っているのではなく畑で作っているそうでとてもコシのある美味しいお蕎麦でした。食後は雪の残る三百坊の庭に繰り出します。広い敷地内には水の流れや池もありちょうど良い勾配の付いた雪の広場に子どもたちは大はしゃぎ。ずぶ濡れになりながら、久しぶりの雪合戦が始まりました。パパたちも目一杯楽しんだようです。
午後1時には帰路のバスに乗り込みました。年配者はおやすみタイムとなりましたが、子どもたちは大好きなDVD鑑賞です。3時過ぎに石巻、4時には女川に到着し、今回も無事終了しました。参加者の健康状態に問題はありませんでした。
お疲れ様でした。  鈴木 秀明

※アグリーパークさんのHPにも報告が載っています。ぜひご覧ください。
http://www.facebook.com/Agriparkzao

有馬館にて(撮影:鈴木)
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福島っ子を元気に! 赤ちゃん一時避難プロジェクト 女川 ~ 山形

報告者 鈴木 秀明
実施 2013年 3月16日(土)~17日(日)
行程
1日目 女川 → 石巻 → 山形自動車道山形蔵王IC → トリトンブルー(昼食)→ 上山(かみのやま)温泉有馬館着、その後 上山市内散策
2日目 有馬館 → 蕎麦処三百坊(昼食) → 山形自動車道山形蔵王IC → 石巻 → 女川
参加 小学生12名、大人26名、同行者1名(鈴木) 計39名
共催 赤ちゃん一時避難プロジェクト・株式会社アグリパークZAO
協力 みやぎ観光復興支援センター・上山温泉有馬館

◆1日目
赤ちゃん一時避難プロジェクト、今回は女川・石巻の子どもたちを山形県かみのやま温泉にお連れします。私は東京から前日の晩に移動し、朝9時に女川の集合場所に到着しました。途中、「あれだけ大変だった被災地はどこへ?」と驚くほど地域はきれいに片付けられていました。所々に津波の被害を受けたお家がある程度です。でも、復興までにはまだまだ時間がかかるのでしょうね。
女川では12名の親子が、その後、石巻でご年配の方を含む26名が乗車して、総勢40名(運転手含む)で山形に向かいました。
山形自動車道の車窓を眺めながらバスはワイワイと元気に走り山形蔵王へ。インターを降りるとJR山形駅近くのレストラン「トリトンブルー」へ。本日は、蔵王地域の希少な在来野菜「蔵王かぼちゃ」で作られたスープランチ。共催のアグリパークZAOの畑で育った、市場にはほとんど出回っていない珍しいかぼちゃらしく、超美味しかったです。
ランチを堪能した一行は再びバスに乗り、550年の歴史を刻むかみのやま温泉を目指します。宿泊する有馬館には10以上の湯舟があり、館内で湯めぐりが楽しめる老舗旅館。でもその前に市内散策をし、「羽州の名城」と謳われたかみのやま城や武家屋敷など、城下町の面影を楽しみました。
夜は有馬館の素晴らしい温泉で心身とも暖まりました。シーズン中の土日という無理なお願いにも関わらず「被災地の応援になるなら」と快くご協力を戴きました。素晴らしいお食事にも参加者一同感激しました。夜中に子どもがひとり発熱し心配しましたが、病院で診察を受け、疲れだろうとのことで安心しました。

◆2日目
朝食も「朝からお肉ですか?」と言わんばかりの美味しいお食事で、昨晩熱発した子どもも、すっかり良くなった様子で完食状態でした。温泉の効能なのかもしれませんね。
10時過ぎに有馬館を出発して、地域散策をしながら観光物産館に。こけしなどの民芸品、銘菓や漬物、地酒やワインなど、山形県各地の名産品に、皆さんお買い物を楽しんだようです。
お昼にはバスがギリギリ通行できるぐらいの山道を登り山の中腹まで登った先にある、そば処三百坊へ。ここのお蕎麦は水田で作っているのではなく畑で作っているそうでとてもコシのある美味しいお蕎麦でした。食後は雪の残る三百坊の庭に繰り出します。広い敷地内には水の流れや池もありちょうど良い勾配の付いた雪の広場に子どもたちは大はしゃぎ。ずぶ濡れになりながら、久しぶりの雪合戦が始まりました。パパたちも目一杯楽しんだようです。
午後1時には帰路のバスに乗り込みました。年配者はおやすみタイムとなりましたが、子どもたちは大好きなDVD鑑賞です。3時過ぎに石巻、4時には女川に到着し、今回も無事終了しました。参加者の健康状態に問題はありませんでした。
お疲れ様でした。  鈴木 秀明

※アグリーパークさんのHPにも報告が載っています。ぜひご覧ください。
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有馬館にて(撮影:鈴木)
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福島っ子を元気に! 赤ちゃん一時避難プロジェクト 女川 ~ 山形

報告者 鈴木 秀明
実施 2013年 3月16日(土)~17日(日)
行程
1日目 女川 → 石巻 → 山形自動車道山形蔵王IC → トリトンブルー(昼食)→ 上山(かみのやま)温泉有馬館着、その後 上山市内散策
2日目 有馬館 → 蕎麦処三百坊(昼食) → 山形自動車道山形蔵王IC → 石巻 → 女川
参加 小学生12名、大人26名、同行者1名(鈴木) 計39名
共催 赤ちゃん一時避難プロジェクト・株式会社アグリパークZAO
協力 みやぎ観光復興支援センター・上山温泉有馬館

◆1日目
赤ちゃん一時避難プロジェクト、今回は女川・石巻の子どもたちを山形県かみのやま温泉にお連れします。私は東京から前日の晩に移動し、朝9時に女川の集合場所に到着しました。途中、「あれだけ大変だった被災地はどこへ?」と驚くほど地域はきれいに片付けられていました。所々に津波の被害を受けたお家がある程度です。でも、復興までにはまだまだ時間がかかるのでしょうね。
女川では12名の親子が、その後、石巻でご年配の方を含む26名が乗車して、総勢40名(運転手含む)で山形に向かいました。
山形自動車道の車窓を眺めながらバスはワイワイと元気に走り山形蔵王へ。インターを降りるとJR山形駅近くのレストラン「トリトンブルー」へ。本日は、蔵王地域の希少な在来野菜「蔵王かぼちゃ」で作られたスープランチ。共催のアグリパークZAOの畑で育った、市場にはほとんど出回っていない珍しいかぼちゃらしく、超美味しかったです。
ランチを堪能した一行は再びバスに乗り、550年の歴史を刻むかみのやま温泉を目指します。宿泊する有馬館には10以上の湯舟があり、館内で湯めぐりが楽しめる老舗旅館。でもその前に市内散策をし、「羽州の名城」と謳われたかみのやま城や武家屋敷など、城下町の面影を楽しみました。
夜は有馬館の素晴らしい温泉で心身とも暖まりました。シーズン中の土日という無理なお願いにも関わらず「被災地の応援になるなら」と快くご協力を戴きました。素晴らしいお食事にも参加者一同感激しました。夜中に子どもがひとり発熱し心配しましたが、病院で診察を受け、疲れだろうとのことで安心しました。

◆2日目
朝食も「朝からお肉ですか?」と言わんばかりの美味しいお食事で、昨晩熱発した子どもも、すっかり良くなった様子で完食状態でした。温泉の効能なのかもしれませんね。
10時過ぎに有馬館を出発して、地域散策をしながら観光物産館に。こけしなどの民芸品、銘菓や漬物、地酒やワインなど、山形県各地の名産品に、皆さんお買い物を楽しんだようです。
お昼にはバスがギリギリ通行できるぐらいの山道を登り山の中腹まで登った先にある、そば処三百坊へ。ここのお蕎麦は水田で作っているのではなく畑で作っているそうでとてもコシのある美味しいお蕎麦でした。食後は雪の残る三百坊の庭に繰り出します。広い敷地内には水の流れや池もありちょうど良い勾配の付いた雪の広場に子どもたちは大はしゃぎ。ずぶ濡れになりながら、久しぶりの雪合戦が始まりました。パパたちも目一杯楽しんだようです。
午後1時には帰路のバスに乗り込みました。年配者はおやすみタイムとなりましたが、子どもたちは大好きなDVD鑑賞です。3時過ぎに石巻、4時には女川に到着し、今回も無事終了しました。参加者の健康状態に問題はありませんでした。
お疲れ様でした。  鈴木 秀明

※アグリーパークさんのHPにも報告が載っています。ぜひご覧ください。
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赤ちゃん一時避難プロジェクト 同窓会 in 越後湯沢のご報告

 

2012年11月10~11日(土日)、赤ちゃん一時避難プロジェクトの同窓会を開催しました。

宮城・岩手の沿岸地域の皆さんは、地域には帰りましたが復興はまだ半ば。仮設住宅で暮らす家族も多いです。福島のご家族は山形、新潟、その他県外に避難を続けていらしたり、やむを得ず帰宅し不安を抱えている家族もいらっしゃいます。

そんなご家族に少しでもゆっくりして戴きたく、1泊ではありましたが、プロジェクトでお世話になりましたエンゼルグランディア越後湯沢温泉(新潟県南魚沼郡湯沢町)にお集まり戴き、交流と再会の場を持って戴きました。

同窓会参加者募集に69家族、250名から応募があり、宮城県、山形県、新潟県から大型バスを出しました。北海道2家族、徳島からも参加戴き、互いの生活を労い、子ども達の成長に驚き、懐かしい温泉に浸かり・・。

ホテルからは夕食時に飲み放題と特大のケーキをプレゼントして戴き、子ども達のみならずパパママも大感激!! 湯沢町の上村町長も駆けつけてくれて、改めて当時の受入れに感謝いたしました。

全員で集合写真を撮りたかったのですが、あまりの人数に場所がなく断念。上の写真は新潟バスの出発前にパチリ。下は奥まで全員家族、貸切です。

 

パパ・ママ向けの講座を2つ開催しました。 質疑応答も含めて1時間程度で・・と考えていましたが、真剣で必死なご質問が相次ぎ、どちらの勉強会も2時間を超過!。一旦終了した後も個別相談を希望するパパママが列を作るという状況でした。

 

★勉強会1:10日 20:00~

テーマ:「放射能と子どもたちの健康」

振津かつみ先生(医師)、ベラルーシなどでチェルノブイリ医療支援活動などを通じて放射線が人に及ぼす影響を20年余りみてこられました。5月には新潟市内でもご家族向けに講演をして戴いた先生です。今の日本の健診の問題点、健診結果についての考え方、チェルノブイリにできて日本で疎かにされている体制、子どもの症状、思いつめることも間違い、など、不安に思う両親に放射能の問題を噛み砕いたお話し戴きました。

ご希望の家族には子ども達を別室でお預かりさせて戴きましたが、長旅で疲れているのにベビーをあやしつつ、2時間立って聞いていらしたママもいらっしゃいました。

 

★勉強会2:11日 9:30~

テーマ:「原発子ども被災者支援法を知ろう」

河崎健一郎先生(弁護士)、福島の子どもたちを守る法律家ネットワークSAFLANの理事の一人。 法律ができるまでの経緯、実際の法律の内容、活用方法に加えて、現在の国の対応もお話し戴きました。

ママたちからは「自主避難の家族への補償も同じようにして欲しい。」「家庭の事情で避難ができない家族もたくさんいる。健康被害の認定は可能なのか」 などなど堰を切ったように質問が続き、先生も一つ一つ、丁寧にわかりやすく答えてくださいました。

 

勉強会を主催したプロジェクトメンバーは改めて自分たちの甘さを認識しました。皆さんが交流や骨休めをし、ゆったりしてくれると嬉しい。でも折角だからちょっと勉強できるようセッティングしよう。と、2つの勉強会を用意しました。 しかし、県外避難をされているご家族にはこうした機会は本当に少なかったのです。もっともっと全国規模で「知る場」を広げなければならないと痛感しました。 先生方、ありがとうございました。

 

 

勉強会の間、子ども達をお預かりしました。 震災当時の子ども達とは、見るからに様子が違い、ちゃんと前を向ける、主張できる、気遣いができる、お話をしようとする、お話を聞こうとする、笑う、動く、目を見る。子ども達も震災を生きて成長しているのだなあと思いました。

スタッフ・ボランティアとして集まってくれた 皆さんにも感謝します。女性11名、男性7名が準備、広報、受付、音響、子ども達の遊び相手で積極的に動いてくれました。ありがとうございました。

 

 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

★ママ・パパ達からの、参加時のメッセージです。公表のご了承を戴いた方の分だけ掲載します。

 

・昨年は3ヶ月半もの間、大変お世話になりました。 ありがとうございます。

・震災より一年半以上過ぎました。今は落ち着き少しずつ日常を取り戻しています。しかし、家族離れ離れである事は変わらず、両親や親しい友人とも距離ができてしまいました。

・新潟で新しい暮らしをしていますが、平日働いていることもあり、新潟で知り合えた避難の友人とも会えない状況です。 ・避難した時首が座っていなかった息子も今は元気に走り回っています。

・みなさまに支えていただいていることを改めて 感じでおります。

・毎日母子共々頑張っている私にはこのような機会をいただき本当に感謝でいっぱいです。

・赤ちゃん一時避難プロジェクトで湯沢で約4ヶ月お世話になりました。思い出深いエンゼルグランディアにまた行ける機会を作って下さり本当にありがとうございます。

・その節は大変お世話になりましたm(__)m。沢山の出逢いと勇気を頂き、そのお陰で、いろいろな決断や困難に立ち向かうことができました。

・あのような貴重な経験と出会いの場を与えていただき、今の自分があることを感謝しております。

・現在は岩手県の見做し仮設に住んでいます。

・今現在は、息子と二人で新潟市の借上げアパートで生活しております。福島県で一人仕事をしている主人も、参加させていただきたいと思います。生活が苦しく、精神的に我慢の日々が続いていますが、この同窓会でまたパワーをいただいて頑張りたいと思います。

・当時は自主避難者をどこも受け入れてくれなかったけど赤プロだけは私達を快く迎えて下さいました。今でも感謝の思いが消えません。

・自主避難はやめてしまったのですが、参加出来たらなと思っています。

・赤プロのおかげで避難することができ、今の自分達があるんだなぁと思います♪

 

 

 

 

 

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南三陸町視察&買い物支援ツアーのご報告

 

 

10月27日(土)、私たちは午前8時45分に新宿西口スバルビル横に集合し、東京都清瀬市の織本病院にお勤めの医療職の皆さん総勢20名の方々と合流し、一路南三陸へと向かいました。

途中2回で、約7時間で仙台に到着。仙台のサービスエリアで宮城観光復興支援センターの氏家さんと合流し、氏家さんの案内で石巻の野蒜(のびる)地区、南浜地区を見学。野蒜駅は津波にやられ、現在電車は走っておらず、震災・津波の後の時間の経過を表すように、草が線路跡に生い茂っています。

南浜地区では、人々の命と生活を奪った津波の高さを表すモニュメントがあり、そのポール状のモニュメントの一番上まで津波が押し寄せたそうです。これでは、泳げる人でも助かりません。沢山の献花がされていましたが、その多さからも失われた人々の数の多さがうかがい知れます。ここでも、住宅跡地を覆い尽くすように生い茂る草が震災からの時間の経過を物語っていました。

宿泊先のニュー泊崎荘に到着。赤ちゃん一時避難プロジェクトで新潟県湯沢町さんに避難された南三陸の御家族の皆さん方も合流し、一緒に食事をしながら、当時や現在の状況についてお話を伺いました。お話しを伺う事で、南三陸の人たちに辛い事を思い出させてしまったのかもしれませんが、その重い話とは対照的に、食事を終えた大勢のちびっこギャングたちが笑顔でキャーキャー言いながら走り回る姿に、第二次世界大戦やチリ津波、そして今回の震災を乗り越え、生を次の世代に繋げていく人間という生物の強さを感じました。

28日(日)は朝9時に宿を出発し、職員の方が多数犠牲になった南三陸町防災対策庁舎に行きました。三階建の庁舎の更に鉄塔の先にある風力計のところまで津波が来たとの事で、いかに今回の津波被害が凄まじいものであったのかを改めて感じる事となりました。地盤沈下で土地が海よりも低くなった為、周囲には水たまりが出来ていました。

その後、避難場所となった志津川中学校を訪れ高台から南三陸町の全景を見たのですが、庁舎からこの志津川中学校まではかなりの距離があり、徒歩で逃げてくることは不可能。ましてや子供を抱えながらなんて到底無理ですが、事実としてこの高台の下まで津波が来たとの事ですので、やはり高台への移転しか、選択肢は残されていないのではないでしょうか。

その後に福興市会場のベイサイドアリーナに移動し、南三陸町の遠藤健治副町長、福興市実行委員長で地元山内水産の山内社長から御挨拶をいただきました。

続いて、震災直後から南三陸町医療統括本部責任者をされていた、志津川病院副院長の西澤匡史先生のお話を一時間ほど伺いました。現在、東京での震災の発生が予想されていますが、先生のお話は本当にためになる重要なお話しだったと思います。織本病院の方たちは東京での震災発生時の最前線に立って活躍される事となるので、今回の話を聞いたことで、助けられる命の数が増えた事と思います。

講演会終了後は、福興市到着の直前から降り出した雨の中ではありましたが、各自、好きなものを復興市で購入し昼食を取り、お土産も沢山買って、バスは新宿、清瀬へと向かいました。

午後1時に南三陸町を出発して新宿着が午後8時45分頃、更に織本病院の方々は一時間かけて清瀬を目指しました。また、神戸からの方は新幹線で、そして長崎からの方は羽田のホテルで一泊してから帰られたそうです。

みなさまお疲れ様でした。

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 ★参加者からの一言メッセージ

皆様お疲れ様でした。短い時間ではありましたが、被災された方々のお話、被災地の現状を確認でき、私なりに協力できる事は何か考えることができました。 被災された方々のお話をメディアなどを通さずに聞けたことは、今後私の周りの人たちにそれを伝え、又その人が伝え、メッセージの輪が広がり、我々は環境も仕事も違いますが、それぞれができる支援は何か、考えるきっかけとなりました。 これから2回目の冬に入りますが、常に皆様の琴を想い、メッセージを伝え続け、更なる復興に向けてのお力になれればと思います。

織本 潤

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震災から1年7ヶ月 石巻と南三陸周辺を見学し、瓦礫の山がまだ転々と残り、建物はひび割れ、窓は空洞、家は、上部はなく土台のみ残され、地震が今までにない大きな規模であったことが再確認できました。旅館到着後は現地の人たちと交流し震災当日のことを写真と共に説明してくださり、の影響より地震の影響より津波により大勢の命が亡くなったことがわかりました。 震災から1年7ヶ月、徐々に記憶から薄れていた・・・ 私たちに何が出来るだろう? また、機会があればこのようなツアーに参加し少しでも、お役に立てればと思います。

織本病院   田中 まみ

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南三陸ボランティアツアーに参加して 何気なく過ごしている「日常」がかけがえのないものであると、あらためて感じました。 「日常」の おはよう、おやすみ、ありがとう・・・ひとつひとつわ大切にしたいと思います。 『微力であっても無力ではない』できることを精一杯屋って胃気滞と思います。

織本病院    渡邉玲子

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南三陸町に行ってみて   まだ当時のままの建物や家、駅などを見てあらためて被害の大きさを実感しました。 いろいろ話も聞かせてもらいましたが、もし私がここにいて震災にあっていたらどうなっていただろうと考えてしまいました。 自分、子供、家族は と思うと想像もつかないくらい怖くなりました。ただ、現地の方たちはとても前向きで明るく、子供たちも元気でした。 被害にあわれて、仮設住宅で今も住んでる方、家族を亡くされた方なども、前向きに生活されているなあと感じました。 子供にもいい経験になるかと思い一緒に行きました。子供は何かを感じたかどうかはわかりませんがいい旅行になったと思います。 震災から1年半以上経っていますが まだまだ復興には程遠く、長期的な支援が必要だと思いました。 私も何かの形で少しでも復興のお手伝いをしていきたいと思いました。

H24年11月8日   織本病院看護師  平山和枝

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南三陸復興支援ツアーに参加して

以前よりTVのドキュメンタリー、ニュース、新聞、写真などで被災地のことは聞いて、情報として少しは知っていると思っていましたが、実際に被災された方々の「生の声」を 聞かせて頂いて、体験者の話に勝るものはないと実感しました。 紅い鉄筋のみが残った公社・高台から見た津波に飲み込まれた後の町・石巻で実際の津波の高さを記した記念碑。 どれも津波のものすごさを感じました。 その中でも一番印象深かったのは被災体験者が語って下さった「病院の看護師は患者さんを上層に避難させながら、もう助からないと思い自分の腕に住所、名前を書いていた。」という話でした。考えるだけで胸が痛みます。 それでも子供達は笑い、成長していき、人々は暮らしていかなければいけない。 そんな中私には何が出来るのだろうと思いましたが、まず知ることが大切であり、町長さんが言っておられたように現地に足を運ぶことが第一歩なのだと 思いました。 震災から1年半が経ち、復興もまだまだですが何より現地の人たちはガンバっている! これからも何らかの関わりをもって行きたいと思います。      織本病院看護師  松本 惠

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被災地を訪問し、防災センターを見上げたとき、ホントに津波の恐ろしさを実感したように思います。 私も三陸で育ち18歳まで生活してきました。 自分が知っていた頃とまるで違った故郷になってしまい悲しいですが みんな頑張っています。

東北の粘り強さにカンパイです。

織本病院    佐藤 育子

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本当に行ってよかったと思いました。 特に語り部さんの話の中で、南滲陸中学校の高台から見えた80歳くらいのおばあさんが ベッドの上で手を振り、水に流されてゆく光景の話を聞いて涙が出てきました。 もっと語り部さんの話を聞きたかったです。 そして 又機会があったら行きたいと思いました。

織本病院  山本恭子

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何もなくなってしまった土地を実際に見て大きな衝撃を受けました。元々この土地に住まれていた方々からすると例え町が元の姿に戻ったとしても喪失感は薄まるのだろうかと思いました。それを思うと何を以って復興となるのか考えさせられました。また被災された方や現地の医療関係者のお話を伺い、一口に支援といっても本当に必要なことをするのはとても難しいということも知りました。自分が良かれと思ってすることが被災された方にとって本当に良いのか常に考える必要があると学びました。 今回このような貴重な経験をさせていただいたことに心から感謝申し上げます。

順天堂大学医学部3年 長谷川一貴

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南三陸町バスツアーに参加して

最初に南三陸町を訪れたのは、平成23年3月11日の震災の後、HuMAのメンバーとして南三陸町ベイサイドアリーナにおいて薬剤管理にあたった時であった。それから6か月後の9月に開催された合同慰霊祭に出席し、今回は3度目の訪問である。今回は、往路、石巻方面にも立ち寄り南三陸以外の状況も理解することができた。 両地域とも瓦礫は、減ってはいるものの、初めて訪れた時と、あまり変化がないことに驚くとともに、むなしささえ感じた。被災地の住民でない私でさえ、そう感じるのであるから、被災し、仮設住宅で不便な生活を続けておられる方々にとっては、怒りさえあって当然であろうと思う。政府は、一体何をしているのだろう。復興予算の目的外使用のことなど、考えているうちに、この国の政府に復興を託すことなどできないとさえ考えた。 到着した夜には、今回のこのツアーの主目的である赤ちゃん一時避難プロジェクトで非難されていたお母様方と子供達にお会いすることができた。子供たちは爆発寸前のエネルギーを蓄えつつものすごい勢いで四六時中走り回っていた。この子供たちに南三陸町をはじめとする被災地の未来は託されているのだと感じた。これからもたくさんの解決すべき課題が出てくるに違いないが、「がんばれ!」という気持ちで小さな手と握手をし、見送った。 二日目、ベイサイドアリーナでは、被災直後から医療支援の調整にあたっておられた西澤先生のお話を聞く機会を得、あらためて、災害医療におけるコーディネーションの必要性を痛感した。先生は、初めてのご経験でご自身は災害医療の専門家ではなく、とまどいも多かったが、海外における災害医療の経験を持つHuMAやMSF、AMDAなどによる支援により山積する問題を解決しながらうまく復興期にはいることができたと話されていた。 甚大な被害を受けた被災地のひとつである南三陸町であったが、イスラエルの医療チームが残したプレハブの施設と医療敷材により、約1か月後には自立型の医療システムに移行できたとのお話に、数々の困難な決断をなさった西澤先生のご努力にあらためて頭が下がる思いであった。 あいにくの雨であったが、復興市には、関東圏から来られている方もおられたようで、駐車場は、ほぼ満杯であった。これからも、折に触れ、何らかの形で支援していきたいと思う。

HuMA薬剤師(長崎大学熱帯医学研究所) 奥村 順子

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赤ちゃん一時避難プロジェクト in 岩沼 報告書

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

報告者 鈴木 秀明
実施  2012年 7月29日(日)~30日(月)
行程 1日目 岩沼 → 名取市体育館 → 福島駅 → JA吾妻(昼食)→五色沼 →熱塩温泉
2日目 熱塩温泉 → 鶴ヶ城 → 猪苗代湖(昼食)→ JA吾妻→ 岩沼
参加  小学生  名、 大人  名 計71名

◆1日目
東京を朝06:45出発のため、朝に自信のない私は神田に前泊をして翌日に備えました。
当日は、東京家政大学3年生の学生がお手伝いに駆けつけてくれました。翌朝、他のツアースタッフと4名で予定通りに東京を出発し、宮城に向かいました。岩沼に着く前、途中見慣れた幼稚園に立寄りました。昨年の赤ちゃん一時避難プロジェクトで河口湖ツアーを開催した時に参加してくれた幼稚園です。なんと前回参加した家族に合うことができました。
そこで我々は車を乗り換え、JA岩沼まで走り、プロジェクト参加者と合流しました。こちらの参加者の中も、赤ちゃんプロジェクトで新潟に一時避難していた家族が参加していて再会を喜び合いました。
バスはまず五色沼に向かいます。五色沼はとても奇麗で感激しましたが、不自然な点にも気づきました。それは観光客の少ない事です。駐車場に観光バスが数台しか駐車しておらず、美しい五色沼にも数艘のボートしか浮かんでしませんでした。風評被害の現実を目にしました。
その後、バスは予定通りに熱塩温泉の山形屋さんに到着。「一流の田舎」と名高い山形屋さんの最高の接客・最高で美味しい食事を頂き、源泉掛け流しのお風呂にも入り最高でした。夕食時には、軽くお酒も入り良いカラオケも登場し良い交流ができたと思います。
1日けが人も病人もなく終わった事に感謝でした。移動中に生後7ヶ月の赤ちゃんの体温がやや上昇してきたと母親が心配してきましたので衣服による体温調整を行い無事に収まりました。熱塩温泉最高!山形屋最高!一流の田舎最高!!

◆2日目
朝、6:00に起床して宿の周りを散策しましたが、本当に何もなく、一流の田舎とはこの事だと思いました。宿に戻り温泉につかりいい気持ちで朝食を迎えました。早朝にも関わらず子どもたちが露天風呂で騒いでいるのが印象的でした。
8:50には全員元気に出発し、鶴ヶ城へ向かいました。この日も猛暑日でもあり、鶴ヶ城ではご高齢の方は車中にて休憩を取っていました。しかし子どもたちは元気です。親御さんで達を引き連れて天守閣(?)まで昇っていきました。当然私も登城しましたが感想を言えば「暑かった~」の一言につきます。親は大変ですが、元気に走り回る子どもたちの姿はいつ見ても良いものだと思いました。
11:00には昼食のため猪苗代湖へ。私は喜多方ラーメンを頂きましたが、暑い時に食べるラーメンはおいしかったです。ここには野口英世記念館やガラスの館等があり、皆さんそれぞれに楽しまれた後、岩沼に帰りました。
2日間の短いプロジェクトでしたが全員無事に過ごし、楽しく完了できた事に感謝します。

今回のプロジェクトで感じた事。
1 移動距離が短い事は素晴らしい事である。
2 短い移動時間でも車内のDVDと飲料水は不可欠である(次回に期待!)。
3 元気に見えても被災者の目線で考える事が必要。
4 「ガンバって」はタブーである。
5 赤ちゃんプロジェクトがボランティア参加する意義はとてもある

ありがとうございました。  鈴木 秀明

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赤ちゃん一時避難プロジェクト in 石巻 報告書

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実施  2012年 7月29日(日)~30日(月)
行程 1日目 石巻 → JA吾妻(昼食)→ 浄土平(車窓) → 五色沼 → 熱塩温泉
2日目 熱塩温泉 → 鶴ヶ城 → 猪苗代湖(昼食)(櫻井下車)→ JA吾妻→石巻
参加人数  小学生4名、 大人33名
現地支援  2名 氏家氏:宮城観光復興支援センター
中里氏:引率、避難者ではあるが地元でいろいろな活動をされているリーダー

<現地支援状況>
当プロジェクトの趣旨に添って各地区の呼びかけを行った。3.11以降1年半が経過し各避難仮設住宅に対しての行政、各NPO団体による支援もかなり濃淡の差がはっきりしてきた。
大きな仮設住宅の避難世帯と小さなそして交通の便の悪い仮設住宅ではその支援の差も大きくなって出てきている。
今回は牡鹿半島の仮設住宅など、比較的支援が入っていない地域の子ども世帯を中心に声をかけた。
結果として高齢者世帯が多くなったが、当プロジェクト通して支援の入りづらい地域の人々に憩いの場を提供できたことは幸いと考える。

◆1日目
各施設の巡廻する時間に手間取り石巻を10:00に出発。JA吾妻にて合流する。JA吾妻では福島の農産物に対する風評被害の払拭のため、全ての農産物に対して放射能の測定装置を通してその結果を公表している活動の説明があった。試食会も行い子供さんも高齢な方も満足して頂けた試食会となった。浄土平ではスケジュールの関係で車窓からの眺めだけになってしまったが子供たちの歓声も聞かれここで少々休憩しても良かったかなとも思う。そのまま五色沼に行き休憩を30分程とる。子供達にとっても非常に気分転換となったのではないかと思う。
予定通りに熱塩温泉に到着。夕食会では各グループ毎に大人も子供も交じって懇談を行った。各地区からの集まりでもあり各地区の交流も深めることも主眼にあることから各自自己紹介も行った。子供達にも紹介を薦めたが恥ずかしいらしく誰も自己紹介はしなかった。宿の厚意でカラオケもやったが子供たちも一緒に付き合っていろいろとリモコンの操作なども手伝っていた。

◆2日目
鶴ヶ城ではご高齢の方は車中にて休憩を取っていたが子供たちとその親御さん達は鶴ヶ城の上層階まで行ったらしくなかなか戻ってこなかった。鶴ヶ城から出てきた子供たちはすぐにソフトクリームや冷たい飲料など親にねだっていた。猪苗代湖に向かいそこで昼食をとる。ここでは皆さん思い思いの場所で昼食をとっていた。ここで私はお別れをしてバスは1日目に寄ったJA吾妻に向かう。皆さん桃が大変気にいった為、前日に急遽注文をとりその桃や農産物を購入して石巻に戻る。
皆さん気分転換になって非常に喜んで頂いたと思う。次回このような企画があるなら子供達に大勢参加
してもらえるよう地元でこのような企画を応援したいとの話であった。(中里氏談)

以上

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御寄附をいただきました・安井

5月18日に大和ハウス工業さんから、5月24日と28日の2回に分けて国際ロータリークラブ第2500地区ローターアクト(通帳には名前が途中のロータリークラブダイで終わっています)さんから御寄附を頂戴いたしました、御報告申し上げます。

尚、御寄附は下記の口座で受付させていただいております。
東京三協信用金庫 早稲田支店(店番019)普通預金 0093563
口座名) 赤ちゃん一時避難プロジェクト

「赤ちゃん一時避難プロジェクト」を主宰している「特定非営利活動法人全国商店街まちづくり実行委員会」は認定NPOではないため、寄付金控除は受けられませんが、領収書をご希望の方は後日郵送させていただきますので、ご住所とご氏名をメールにてお知らせ下さい。
担当:安井(movebaby@m-shoutengai.com

また1万円以上ご寄付をくださった方には、お礼のカードをお送りしています。
御希望の方はその旨も御記入下さい。

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2011年度の活動報告、および会計報告

2011年度の活動報告、および会計報告は下記の通りです。
多くの皆様からご支援をいただき、

2011年度赤ちゃん一時避難プロジェクト活動報告(pdf)

2011年度赤ちゃん一時避難プロジェクト会計報告(pdf)

多くの皆様からご支援をいただき、この1年、充実した活動を行うことができました。
この場を借りて、改めまして心よりお礼申し上げます。

赤ちゃん一時避難プロジェクト
スタッフ一同    movebaby@m-shoutengai.com

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12月23~24日、いわき市の子どもたちを豊橋にお連れするプチ一時避難を実施しました。

12月23~24日、赤ちゃん一時避難プロジェクトでは、いわき市の子どもたちを豊橋にお連れするプチ一時避難を実施しました。

以前にも「いわき市~豊橋市」のルートがありましたが、豊橋の皆さんはとても熱いおもてなしをしてくれます。

今回の目玉は「いわきの子ども太鼓隊、豊橋で演奏!」。
プロジェクトからは鈴木看護師が同行しました。 以下、鈴木の報告です。

1)いざ出発!
12月23日朝6時30分、いわき駅前のミスタードナッツ前でバスに乗り込みます。子どもたちはすでに乗っており、いざ豊橋へ向かいました。
今回のメンバーは前回の顔ぶれとは全く違いました。今回は[太鼓の演奏]という大きな目的があり、皆さん顔が引き締まっていました。ちなみにガイドさんは8月の時と同じでした。安心感いっぱい。私は、前日の師長仕事が遅かったため「何かあったら起こしてね」と、午前中は安眠していました。
数回の休憩を取りながら午後2時半には豊橋に到着しました。
子どもたちは体調も悪くなく、到着早々、元気にリハーサルに励んでいました。

2)福島みつもり太鼓の演奏
今回の旅は、愛知県豊橋市大崎町で活動する太鼓の演奏グループ「しおかぜ太鼓」が、東日本大震災の時に太鼓が津波で流されるなどした福島県いわき市の市立久之浜第二小学校の太鼓クラブ「黒潮流みつもり太鼓」を招待し、更に新しい太鼓5張りを寄贈するとのことで実現しました。

福島の子どもたちの「みつもり太鼓」のコンサートは最高でした。また、福島組の「しおかぜ太鼓」も少人数であれ素晴らしい内容で、プロ顔負けでした。


3)2日目もイベント続き!
コンサートのあとは夜更けまで大盛り上がり。子ども達は子ども同士で、そして大人は大人たちのミーティングを行ないました/^@^/。
それでもみんな早起きで、朝9時には宿を出発して、門松造りと餅つき大会をしました。
その後、ブラックサンダーの製造工場見学しました。お昼は市内のスパゲッティのチャオさんで、珍しい「あんかけスパゲッティ」をご馳走になりました。
お土産も頂きました。でも「お土産好き」で定評のいわき市民としては更に駅ビルでお買い物をし、午後2時半に豊橋を出ました。

4)帰路
感動の太鼓のコンサートがあり、以前と同様のおいでんプロジェクトの団結力には驚きました。
みんな2日間の「プチ一時避難」を堪能したようです。
バスは夜7時半に東京の用賀に到着し、それ以上付き合うと本日帰れそうにない私は、名残惜しいですがそこでお別れすることになりました。
その後、何時にいわきに到着するのか不安でしたが、子どもたちの体調も心配なさそうなので、あとはガイドさんにお願いしました。

以上、報告です。(鈴木秀明)

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