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イラク:政治的解決には遅すぎる

2014年06月24日(火)16時38分
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 アメリカは、マーリキー首相の首に鈴をつけようと考えているようだ。

 6月23日、イラクを訪問したケリー米国務長官は、イラク政府の各派の要人と会い、挙国一致の姿勢でISIS(イラクと大シリアのイスラーム国)のイラク進攻に備えるようにと、要請した。「挙国一致」とは、マーリキー政権の今のやり方では宗派偏向が強いから、スンナ派地域の住民の支持をISISに持って行かれないためにスンナ派を重用するべし、という指示だ。首相三選に、与党内部からも疑義が出ているマーリキーの退陣を求めたものとも取れる。

 勢い、与党連合の他のシーア派政党から、次期首相候補の名前が出たり引っ込んだりしている。マーリキー率いるダアワ党と覇を競うシーア派政党、イラク・イスラーム最高評議会(ISCI)の重鎮で、長年副大統領職に甘んじてきたアーディル・アブドゥルマフディや、マーリキー政権下で石油相を長く務めたフセイン・シャフリスターニなどの名前が有力候補として挙がるほか、アメリカをイラク戦争に引っぱり込んだ張本人の風見鶏政治家、アフマド・チャラビの名前すら聞こえてくる。

 だが、果たしてマーリキー一人が退陣すればことは収まるのか。全くそうではない。今のイラクで政治的解決が機能するとすれば、より根本的な対策が必要とされる。マーリキーのあとに誰がくるかは、そのわずかに残された政治的解決の方向性を決める。

 マーリキー率いるダアワ党が、シーア派諸政党のなかで相対的に多くの有権者の支持を得てきた背景には、それが掲げる「イラクの一体性を守る」という主張にあった。ライバルのISCIは、南部シーア派地域の自立性に力点を置き、一時は「油田地域を中心として南部地域にクルドのような自治政府を設立する」などといった意見も掲げていた。

 だが、2006~08年の間、激しい内戦に苦しんできたイラク国民は、イラクの分裂より一体性の維持を求めたのだろう。2009年に行われた地方議会選では、マーリキー率いるダアワ党が圧勝した。

 この圧勝を、マーリキーはうまく活かせなかった。翌年の総選挙では、地方選の勢いを継続することができず、ライバルのISCIやサドル潮流と票を取り合った結果、スンナ派票を集めた世俗派政党、イラキーヤに第一党を奪われる。8か月近く首相が決まらないまま、ISCIやサドル潮流の協力を得て、第二党だったダアワ党の連合から、マーリキーが再選された。その出発点からして正統性が怪しいのに、マーリキー政権は一層、権力集中を強める。前回のコラムでも述べたように、スンナ派主要政治家を追い落としたことに加えて、内戦時にうまく取り込んだはずのスンナ派部族勢力に、十分対処しなかった。国軍に取り立てる、と約束していたはずなのに、履行しなかったのだ。

 イラクはひとつ、中央集権がよい、という民意に支えられて、マーリキー政権は成立した。だが、不用意で恣意的な中央集権が、のちに独裁として嫌われていくことは、戦前のフセイン政権の事例を挙げるまでもない。いつしかマーリキーは、同じように独裁とみなされるようになった。閣僚が外遊先で乗り遅れた飛行機を止めたり、親族や側近が重用されたり、街中で売られる本の表紙裏にマーリキーの写真が載っていたりと、いずれもフセイン政権時代によく見た光景だ。

 ISISの進攻に伴い、スンナ派地域に配備されていた国軍(主にシーア派やクルドだ)が住民をさっさと見捨て、知事は逃げ、住民の間で抵抗が見られなかったという事象は、この地域の人々がマーリキー政権が送り出した国軍を、「自分たちを守る兵」としてではなく「占領軍」と見ていたことを示唆する。かつてフセイン政権時代、クルド地域に派遣されていたイラク国軍兵士たちは、一様におびえた顔で駐屯していた。自分たちがクルドを抑圧しにきている軍だと自覚していたからだ。モースルにいたイラク国軍兵士は、ひょっとしたらそういう顔をしていたのかもしれない。

 マーリキーとその路線に「鈴」が付けられたということは、「イラクはひとつ」から「地方分権」を主張するISCIにバトンを渡せ、ということかもしれない。モースルを地盤とするスンナ派のヌジャイフィー国会議長は、「ISIS対策はスンナ派にまかせろ」と述べた。宗派色を前面に押し出したサドル潮流の民兵や、イランの革命防衛隊にISIS退治と称してスンナ派地域を闊歩されるのはごめんだ、ということだろう。

 とはいえ、ISCIに首相が交代したとしても、「スンナ派地域はスンナ派で」が簡単に実現するとは思えない。なによりも、「宗派色を前面に押し出したサドル潮流の民兵や、イランの革命防衛隊」とより密接なつながりを持っているのはISCIの方である。現在の治安部隊の中核には、ISCIの元民兵組織だったバドル軍団の存在が少なくないといわれている。ISISへの対決姿勢は、彼らのほうが強い。

 一方で、今のスンナ派政治家に任せたところで、ISISを排除しつつうまく中央政権と調和できるようなスンナ派の政治体制を確立できるとは、思えない。中央から派遣された国軍を「占領軍」とみなす住民には、今は「誰でもいいからスンナ派を」と思えるかもしれないが、蓋を開ければISISか旧バアス党か、はたまた個別の部族勢力か、熾烈な抗争が予想される。

 今、政治的解決を機能させるのであれば、マーリキー時代にオール・イラクの国軍や警察を確立しておくべきだった。行政官僚が地方にまんべんなく循環するような、キャリアエリートの育成方式を確立しておくべきだった。単に政府の要職ポストを宗派別に分配すればよい、という単純な発想以上に、国家機構の深くまで「イラクはひとつ」を制度化できなかったことのツケは、大きい。

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酒井啓子

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。

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