少年の頃は古本屋で小遣い稼ぎ。店長の目を盗み美術書を広げては網膜に
焼き付けてから本棚にさっと戻し、ホコリを拭う仕草をする。また一時は、
印刷所で見習いをし後に役立つこととなる多色刷りのノウハウを習得する。
本日は予告通り、そんなイチ鉄人級有名人のお話。
筆と紙を持たせたらじっとしてはおれなかったこの男の得意とするとこは
人の求む絵、すなわち商業イラスト。力士、美人画、春画などジャンル問わ
ず長けていた。師を持たず(破門され)もうこうなったら自分が師とするのは
造化(≒自然とか神あたり)のみであるとふれ回る一方で、ちゃっかり西洋の
銅版画や、今の秋田県中心に展開していた西洋風の蘭画に見ることのできた
新しい絵を、その裏にある数学的根拠を知らずとも見よう見まねで学んだ。
それが葛飾北斎(1760−1849)である。
私らの日常といえば、ものを空間的、立体的に表す画像で溢れかえってい
るので遠近法のまともな絵は珍しくないが、当時の日本人にとって、背景の
山が自分ちの軒下にすっぽり入るなんてことは理解し難いことだった。だか
らそう見なかったし、そう表現もしなかった。(←これって実はすごいこと)
北斎はしかし、画面から飛び出し天を突く大杉の向こうにそれらしく富士を、
小さく入れた。
富士参拝ブームの中、目ざとい版元は最良の顔料と刷りの技術をそのへん
けっこうやかましいと噂の人気絵師北斎に約束し、富士シリーズの『富嶽
(ふがく)三十六景』(1832年〜) を制作させたが、そんな北斎にも越えられ
ぬ壁があったようだ。前景の大木や大波が日本一高い山よりデカいのはOK、
でも人がそれを見下ろすんはいくらなんでも度が過ぎると。それではその
シリーズから二作ご紹介。
『不二見茶屋』
お高くとまるご婦人らの頭の位置に注目!
それでも人に富士を越えさせたい時は、旅人に小高い丘に登らせ、大工に
は高い足場の上で作業させた。
『遠江山中(とおとうみさんちゅう)』
このような足場は安定悪いだけで、構図に三角形が欲しいがためにでっち
上げたのだろうと、偉い先生がもう少し固いお言葉である図録に解説されて
いた。ありえる現実かの如く、描きつつもほどよく誤摩化し、絵の中だけ
の空間と事象をみっちり正当化していく。この姿勢こそが私がこの人を好い
てやまない理由であり、彼のことをここで達人とは呼ばず、鉄人とするのは
妬みでもおごりでもない。70才半ば北斎は言う。やっと動植物の形を捉えら
れるようになったが、80でさらに成長し、90で絵の奥義を極め、100では
神妙の域に到達し…と。くり返すがこれは、ビビビとか来て自分の世界を好
きに表現するアーチストのではなく、イチ商業イラストレーターの宣言だ。
かっこいいではないか。これぞものつくりに欠けてはならない謙虚さである
と同時に、今この段階で達(してしまった)人におさまってたまるか!という
貪欲なのだ。だって、神になってしまってはつまらんだろう。絶対的なもの
に近づいてゆく限りない可能性を生きることこそ、つくることの面白味なの
だから。
ところで上の大工さん、どっかで見たことあるような…
ええっ、まさか!?
(画像は全て Wikimedia Commons より)
北斎のバイト先の古本屋に本物のダ ヴィンチ(→前話)があったとか?
鎖国とはいえ、いやむしろ制限があったからこそ、舶来物は土産や家宝と
して大名や武士、商人にたいそう好まれてたそうな…
知らないことと知れないことの狭間に、
妄想の木を削って
また一週間ほど先に
2014年 6月24日
温泉卵が作れない でした