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異世界で本当にチートなのは知識だった。 作者:新高山 のぼる

ヒントは常に歴史にあり。だからチートなんです。

敵を知り、己を知れば

 昨日ついに重京を囲む新しい城壁の基礎となる土壁が完成した。
 堀の崩壊も懸念した程ではなく、もうしばらく後回しにしてもよさそうだったので、今日は魔力を使わない休息日とした。
 その代り、いつも土壁を造っている時間に、少し刀を振った。
 その後、いつもの様に書類作業を行う。
 公徳さんのおかげで書類もかなり減った。今裁定するのは、ほとんどが、鉄次さんか公徳さんから回って来た仕事だ。
 その他の物は、騎士団の各隊長からの物だが、やはりその中で、一番多いのは第3大隊からの報告書だ。
 これはさすがに目を通さないといけない。彼らに任している作業は、俺以外の人は理解できない事が多いからだ。
 そんないつもの書類仕事を、紅茶を飲みながらゆっくりと片付けている  と、ドアが強く叩かれた。そして、返事を待たずに飛び込んで来た伝令が急を告げる。

「将軍!第1偵察所から緊急連絡です。」

 内容はもちろん『敵見ゆ』だ。



 前回同様、俺は青龍のみを持って政庁を飛び出す。
 馬を出来る限り速く走らせて、新城門に到着した。
 城門は喧騒に包まれていた。
 実は、昨日城壁が一応の完成をみたので、古い城門から扉を取り外し、新しい城門に設置するという作業が行われていたのだ。
 取り外しと取り付け自体は昨日終了し、今日は最終調整を行っていたのだが、その作業が終わる前に敵接近の報がもたらされたのだ。

 とりあえず、迎撃にも兵は必要なので、作業をしている第3大隊の兵は、弩の扱いに秀でた部隊のみ攻撃準備をさせて、それ以外の部隊は城門の調整を続けさせることにした。
 第3大隊も、ここにきて、弩の扱いがうまい部隊と、塹壕堀や攻城兵器などの扱いがうまい部隊とに分かれ始めた。
 そのため、そろそろ弩を扱う専門部隊として、第4大隊を分離設立しなければならなくなりそうだ。
 まあ、その件は後回しにして、とりあえず城門を登って状況を当直の守備隊長から報告を受ける事にする。

 現在この城門は2つの部隊が合同で守っている。言うまでも無く、俺の騎士団と俺の私兵扱いの重京防衛隊だ。
 指揮系統的には、重京防衛隊は、騎士団の各大隊と同じ扱いとしている。
 今回も、城壁の上で警備に当たっていたのは、重京防衛隊の方だ。
 ここに詰めている騎士団の各隊は、警戒という名の、休息に当たっている部隊と本当の休息中の部隊だ。
 重京防衛隊が発足してから、ようやく騎士団も休息できるようになったのである。
 しかし、今は、その騎士団も攻撃準備に追われている。
 まだ、作戦は指示していないが、それでも、事前に決められた通り、いつでも出撃できる準備が整えられていく。

 城壁の上でさっそく報告を受ける。報告を行ったのは、先の戦闘で前線を飛び越えた敵上官の内の1人。劉邦リュウホウだ。彼は現在、重京防衛隊の中隊長として、全体の3分の1の軽歩兵と弓兵を率いている。
 彼によると、報告はまだ第1偵察所からだけらしい。
 しばらく待っていると、遠くで光が点滅した。直ぐに、連絡信号員が応答する。
 因みに、この連絡信号員は重京防衛隊所属であるが、偵察所の兵は、第2大隊から本部直轄の偵察小隊に再編されている。

 連絡信号員が応答を返すと、今度は何度も光る。
 発光信号は符丁を用いており、2~3文字のアルファベットの後は数字の羅列が続く。偵察情報の場合、書式が決まっており、少ない文字数で意味が通じるようになっている。
 俺も、内容を読み取れるが、確認も兼ねて正規の連絡信号員から報告を聞く。

「報告します。」

 信号を読み取ったまだ若い兵が、メモを見ながら直立不動で報告してくれた。

「第2偵察所より信号。敵、3000。内訳、重騎兵500、重歩兵1000、軽歩1000、弓500、以上です。」

 何度も訓練を重ねた連絡信号員と俺の読みとった内容が、同じだったことに満足しつつ、敵の予想行軍速度を劉邦に尋ねる。
 劉邦は隣で第1偵察所から連絡が来てから、第2偵察所から連絡が来るまでの時間を測定していた部下の報告を聞いて、行軍速度は『やや遅い』と回答した。

「今度の敵は基本通り、一番行軍の遅い部隊に速度を合せているみたいだね。」

 何の気なしに隣に控えていた副官の尚蓮にそうつぶやく。しかし、尚蓮は俺の声が聞こえていないかのように顔を青くして固まっていた。

「どうした尚蓮。顔が真っ青だぞ?」

 不思議に思ってそう尚蓮に問いかけた。

「しょ、将軍。敵は帝国の本国部隊です。いえ、正確には、敵の重騎兵と重歩兵は敵の本国部隊で、エラブルの主隊です。」
「エラブルと言うのは敵の南方方面軍の軍団長だったね。どうやら敵もついに本腰を入れたと言うところか。
伝令!全軍に通達。予定通り『乙1番』作戦の後『甲1番』作戦を発動する!
敵を野戦で痛めつけた後、城門で撃退するぞ!」
「「「は!」」」

 俺の周囲に集まっていた伝令が一斉に駆けだす。俺もすぐさま城壁を下りて、待機していた愛馬に装備を固めてから騎乗した。
 城門前では、城門の最終確認を行っている第3大隊の兵が城門を大きく開け放つ。
 出撃を待っていた第1大隊の兵と弩を装備している第3大隊の兵が、大きく鬨の声を上げて士気を上げている。
 第2大隊は今回も城門で居残りだ。しかし、敵を撃退する『甲1番』作戦では十分に活躍してくれるだろう。
 その準備も兼ねて、次々と城門に上がって行った。
 居残りの第3大隊の兵も、準備の為駆け回っているのが見える。
 そして、城壁には色とりどりの旗が多く掲げられていく。

「む、無茶です。帝国本国部隊と野戦など、まともにぶつかったらひとたまりもありません。」

 1人状況をつかめていない副官の尚蓮が俺に進言をしてくる。
 そう口では言っているが、本人は何とか完全武装し騎乗していた。

「まともにぶつかるつもりはないさ、『乙1番』作戦だ。作戦書を読んでいなかったのか?
 ああ、そうか。君たち投降兵にはまだ渡していなかったな。
 まあ、作戦は行けばわかる。俺の側から離れないようにな。」

 そう尚蓮に行った後、大きく出撃の合図をだす。第1大隊を先頭に、一斉に城門をくぐりぬける。
 そして、街道を行軍しながら、尚蓮から聞いた、河南国と帝国の最終決戦を思い出す。


 河南国と帝国の最終決戦となった王京防衛戦。
 帝国は今回同様、重騎兵と重装歩兵を中心とした約3000の兵。一方河南国は、一般市民の志願兵を含めた約10000の兵で対抗した。
 まず騎兵の数が500程と少なかった河南国側が、騎兵を敵側面にぶつけた。
 これに対して帝国側はなんと、軽歩兵と弓兵すべてで迎撃を行ったのだ。
 さすがに精鋭の騎兵といえども、数の差が3倍の敵相手では勝利できず、徐々に数を減らしていって、最後は玉砕したらしい。
 しかし、彼らは敵の半数を足止めする事に成功しており、彼ら自身はこれで河南国が勝利すると確信しながら散って行ったのだろう。
 だが、彼らの想像を裏切る事が主隊で起こっていた。
 河南国の騎兵が攻撃を開始した直後、帝国の重騎兵500も突撃を開始していた。
 河南国側の兵は帝国の重騎兵の20倍近い数がいるにも関わらず、その突撃の恐怖に耐えられず、持ち場を離れる志願兵が相次ぐ。そして、それは軍全体に波及し、混乱を巻き起こしたのだ。
 そして何と、たった500の重騎兵に河南国の前衛部隊はなすすべなく分断、中央突破を許してしまっていたのだ。
 さらに、中央を突破された前衛部隊が何とか混乱を納めて、再編し、後方の主力部隊の救援に向かおうとするも、今度は帝国の重装歩兵に襲われて、救援に行けず数を減らす始末。
 また、前衛を突破して河南国主力に突撃した帝国重騎兵は、その勢いを殺すことなく主力部隊の中心に向けて猛進。そこに居た河南国の国王を、守ろうとする近衛もろとも瞬く間に討ち取ったのだ。
 後は、指揮系統を失って混乱する兵を各個撃破して行くだけ。
 開戦からわずか数時間で約10000の兵が屍をさらす事となった。
 河南国の惨敗である。


 尚蓮もこの戦いに参加していた。しかし、彼女の部隊は河南国の敗北が決定的になった時、その機動力を生かして戦線を離脱する。
 徹底抗戦を唱える彼女を無理やり連れて。
 きっと、尚蓮は今、迫りくる帝国重騎兵が味方を蹴散らして進むさまを思い出して顔を青くしているのだろう。
 しかし、大丈夫だ。兵種にはそれぞれ利点があれば欠点もある。もちろん、帝国の重騎兵にも重装歩兵にも欠点はある。俺はその欠点を利用できる。
 準備は万端だ。


 『乙1番』作戦で指定されている待機場所は、尚蓮たちを迎撃した大きな沼の北側、周囲を沼で囲まれているが、この辺りでは珍しく草原となっている場所だ。
 草原と言っても、それほど大きくはなく、何とか戦闘が出来る位の広さしかなく、原っぱと言った方が正しいかも知れない。
 また、湿地帯の中にあるので、生えているのは芝生などではなく、葦の様な草がほとんどだ。その高さは膝位あり、場所によっては腰ほどになっている。戦闘には邪魔にならないが、歩兵の突撃速度は遅くなりそうだ。
 そんな、小さな草原の南端、大きな沼を背に横隊で布陣した。
 その数、第1大隊約300、第3大隊約200。合計でも600を少し下回る程度である。


「いったい何を考えているんですか!」

 布陣を完了するやいなや、尚蓮が俺に対して怒りのこもった進言をしてくる。

「私がお話した王京防衛戦をお忘れですか?こんな逃げ場のない所に布陣して、しかも、深さの無い横隊。
 これでは、敵に踏み潰してくれと言っている様なものじゃないですか!」

 そう周りの目も気にせず大声で怒鳴る。

「まあ、だまって見てな。直ぐにこの陣形の意味が解るよ。この場所に布陣した意味も。」

 そう、俺は常に地の利を気にする。地の利を味方に付ける事。これが俺の勝利の法則だ。
 そして、事前の情報収集と準備。
 敵の情報も尚蓮たちのおかげで分かっているし、準備も万端だ。
 『敵を知り、己を知れば百戦危うからず。』
 『戦は水物』とも言うが、この戦、負ける気がしない。
 たとえ相手が、こちらの5倍の兵力でも。



 俺が布陣して、しばらく尚蓮の相手をしているうちに、敵の部隊もこちらを視認、布陣を完了させた。
 その布陣は横隊。横隊と言っても俺の騎士団の様に、綺麗な横隊ではなく、ただ横に広がっただけのように見える。
 たぶん、こちらの兵が思ったより少なかったために、中央突破を図るまでも無く、正面からぶつかって撃破できると思ったのだろう。
 それに、中央突破しても、後ろが沼じゃあ意味ないしね。
 そう、この相手の布陣は俺の誘導通りだ。

 そしてついに、帝国の重騎兵の突撃で戦いの幕が上がった。
 地響きを伴って突撃してくる敵重騎兵。500という数は少ないように思えるかもしれないが、決してそうではない。何せこちらは総勢で600程度しかいないのだ。
 横に広がって突撃してくるそれは、さながら鉄の津波だ。
 河南国の兵が恐怖に駆られるのも分かる気がする。
 何の対策もなしにこんなのを正面から受けれる気がしない。
 そう、なんの対策もなければ。
 今その鉄の津波と対峙している俺の騎士団は、俺が十分に対策をとっている事を知っている。だから、彼らは少し恐怖で顔を引きつらせてはいるが、慌てたりはしない。
 1人を除いて。

「しょ、将軍。は、早く逃げましょう。こんなの自殺行為です。せめて、城壁で迎え撃つべきだったんです。」

 俺の隣で尚蓮が真っ青な顔をして、ひたすら逃げる事を進言してくる。

「すこし、落ち着いたらどうですか。周りを見てみなさい。あなた以外の兵は冷静に持ち場を守っていますよ。」

 そう言うと、尚蓮はぐっと恐怖を抑え込んで静かになる。
 そう、それで良い。
 尚蓮が大人しくなった俺の騎士団は、全員が静かに敵の重騎兵を見つめる。
 緊張して唾を呑み込む音が聞こえるようだ。
 そして、俺達が静かに見つめる中、ついにそれは起こった。

 先頭が草原の半ばまで進軍した敵重騎兵。横一列ではなく、足の速い者から順に前に出て、自然の波の様にうねって突撃をしていた。その先頭集団が突然姿を消したのだ。
 いや、戦闘集団だけではない。突撃をしてくる敵重騎兵が、次々とその姿を消し始めた。
 1騎だけで忽然と消える場合もあれば、集団でいなくなることもある。
横に広がっていた部隊のあちこちで、穴が開き始める。そしてその穴は徐々につながって行って、いまだ健在な重騎兵の方が少なくなった。
 事ここにいたって、ようやく敵の指揮官も異変に気付いたようだ。これまで突進していた重騎兵の速度が鈍る。
 そして、近づいた事によって、敵重騎兵が消えた理由が、こちらからも見えるようになった。
 いまだ速度が十分に落ちていなかった敵重騎兵の1騎が、大きく前のめりになって転倒したのだ。
 転倒した重騎兵の騎手は、大きく投げ出されて勢いよく地面に叩きつけられて動かなくなった。

 重騎兵とは、全身を鉄の鎧で固めた兵種である。つまり、重い。
 そんな重量のある兵が、馬の走る速度でいきなり地面に叩きつけられたらどうなるか。
 もちろんタダじゃすまない。良くて骨折、ほとんどの場合は、全身を強く打って死亡であろう。地面が少しは柔らかいこの場所でも。
 身に着けている鎧が、重量と言う見えない武器となって襲いかかるのだ。もちろん倒れた馬も同様である。
 では、なぜ敵重騎兵は突然転倒したのだろうか。それはもちろん、俺がこの場所に罠を張っていたからだ。
 その罠とは単純に、生えている葦の先端部分を結んだだけだ。
 この葦(葦に似たような植物?)は、大人の男性2人掛かりで1束を引っ張っても抜けない位強い。周囲に細かい根を広く張っているためだろう。
 そんな葦の先端部分を結んで輪っかをいくつも作らせておいたのだ。
 敵重騎兵はこの輪っかに足を取られて転倒、起き上がる事さえできないダメージを負ったのである。
 因みに、この罠は、俺が重京を占領した後直ぐに、第3大隊の1小隊に命じて作らせておいた。
 もちろん、この他にも色々な罠を作らせている。
 尚蓮との闘いの時は、まだ、完成していなかった罠も多かったが、今はすべての罠が完成していた。
 ところでこの罠だが、もちろん俺の創造ではない。記憶が定かではないが、確か、三国志の中で、袁術が公孫サン率いる白馬隊に対して使った策だった気がする。

 敵の重騎兵隊は、突撃の速度を緩める事で転倒を防いだが、その事は決して良い判断ではなかった。なぜならば、彼らは既に第3大隊の弩の射程内に入っていたからだ。
 敵が射程内で動きが鈍ったのを確認した、第3大隊長の駿介さんは一斉射撃を命じる。
 罠を避けて恐る恐る進んでいた、敵重騎兵の生き残りに矢が殺到した。これが普通の弓による攻撃なら、鎧がはじいただろうが、今回放たれた矢は弩によるもの。
 しかも、弩を主力兵器とする小隊が持つ弩は、製造設備大隊が改良を重ねて強化された弩になっており、薄いブリキの様な鎧など貫通する威力があった。
 重騎兵と言えど、騎乗する以上そんなに重い鎧は着られない。普通の鎧に比べたら重装備で重いが、それでも騎乗用。この改良された弩により発射された矢を防ぐことは出来なかった。
 こうして、罠を幸運にも掻い潜った重騎兵は、弩による攻撃で更に数を減らして、味方陣地に敗走して行ってしまった。

 慌てた敵帝国指揮官は、重騎兵の敗走と同時に、今度は重装歩兵に前進を命じる。
 命令を受けて、重装歩兵が動き出した。その動きはゆっくりとではあるが、確実に、こちらの陣地に近づいて来る。
 足取りがゆっくりなので、重騎兵が掛かった罠には掛からずに進んでくる。
 しばらくして、弩の射程に入るが、今度はさすがに敵の持つ盾に阻まれて損害を与える事が出来なかった。
 俺はすぐさま、第3大隊に撤退を命じる。元々身軽な第3大隊は、すぐさま撤退に移り、街道を重京に向けて後退していく。その姿は、敵から逃げると言うよりも、訓練の様に、整然とした移動であった。
 第3大隊が撤退を完了した時、敵重装歩兵は目の前に迫っていた。その突撃速度はゆっくりではあるが、確実に進んでいたのだ。

「な、何をしているんですか。我々も早く逃げましょう。」

 隣で尚蓮が悲鳴に似た声をあげる。

「まずは1戦交えてからです。」

 俺はそう返して、展開を見守る。ちょうど、第1大隊の槍衾が敵の先頭にぶつかるところだったからだ。
 その一撃は重い大きな盾を持った鉄の塊を数人吹き飛ばす事に成功する。
 しかし、戦果はそれだけだった。
 こちらの三倍近くの兵力で、力づくで押してくる敵重装歩兵を抑えること等不可能で、一度ぶつかった第一大隊の兵は、後は押される一方だ。

「ううん、さすがに、隊列だけでは力の差は埋まらないですか。まあ、予想通りではあるんですけどね。」
「何をのんきに、早く撤退を!」
「そうですね。では、全軍撤退!」

 俺がそう号令を出すと、俺の騎士団は一斉に撤退に移る。
 俺達本部要員も、真っ先に街道を重京に向けて撤退する。
 しかし、街道はそれ程多くの兵は移動できない。
 現に、街道を通って撤退しているのは、俺達本部要員だけだ。
 では、他の兵達はどうするのか?
 彼らは次々に沼に飛び込んで、撤退して行く。そう沼の中を()()
 俺が沼を越えて、対岸に来た時、第1大隊の兵は、各小隊毎、1列縦隊で沼を斜めに横断していた。
 そう沼の中を走って。
 そしてその彼らの足元は、わずかくるぶし程度までしか泥水に浸かっていなかった。
 走る速さは当然遅くなるが、それでも、敵重装歩兵よりかは、速かったらしく、全小隊が撤退を成功させている。
 もちろん、敵の重装歩兵がこの撤退を黙って見ているはずがない。彼らは、持てる最大の速度で追撃を行った。
 そして、第1大隊が走り抜けている沼に次々と飛び込んでいく。そしてそのまま全身を沼に沈めて、2度と浮かび上がって来る事はなかった。
 運の良い者は確かに沼の中を1歩、いや、2,3歩走れるのだ。しかし、その先は突然足場がなくなった様に沼に沈んでいく。
 しかも、この事態に後続の兵は気付かない。
 彼らは、味方が逃亡する敵を追撃していると思っているので、我先にと全力で走る。もちろん、前に居る味方を押してでも前に進もうとしているのである。
 目の前の兵が、沼に沈むのを見て止まろうとする兵も中にはいたが、そういった兵は後続の兵に押されて、沼に落とされてしまった。
 結局、異変に気付いて敵が停止した時には、既に半数以上の兵が沼の底に沈んだ後だった。
 沈んだら浮かび上がれない重さと、頭部すべてを覆う兜による視界の悪さ、それが重装歩兵の欠点である。

 しかし、なぜ第1大隊の兵は沼の中を走る事が出来たのだろうか?
 もちろん、これも事前の準備のたまものである。
 トリックは沼に仕掛けてあった。この沼にはあらかじめ多くの木や石を沈めて人1人が通れるような道を多く造ってあったのだ。
 この道は、水面下100㎜の所に造ってあり、普通は見る事が出来ない。
 では、どうやって第1大隊の兵達が、この細い道から外れることなく走り抜けられたのかと言うと、彼らは足元を見ず、城壁を見ながら走っていたからだ。
 正確に言うと、城壁の上の旗を見て。
 出撃時、城壁の上には多くの色とりどりの旗が掲げられた。
 実はこの旗、掲げられる場所が厳密に決められており、同じ色の旗同士、ペアになっている。
 この旗が重なって1つに見える場所。その場所に道が造られていたのである。
 その事を知っていた第1大隊の兵は、沼に沈むことなく走って渡る事が出来たのである。
 そして、その事を知らない敵重装歩兵は、この沼が、走って渡れるくらい浅いと勘違いして、次々に沼に沈んでいったのである。

 一部街道を追撃して来た敵は無傷だったが、本部要員は全員騎乗していたので、被害はなかった。
 追撃して来た敵も、味方が壊滅したのを目の当たりにして、追撃を諦めたようだ。
 かくして、大した被害もなく、敵主力を壊滅させると言う大金星を挙げて『乙1番』作戦は終了。
 俺の騎士団はほぼ無傷で、重京の城壁内に逃げ込む事に成功した。



 重京の新城壁は、敵正面の北側の全面すべてはすでに石材による補強が終わっていた。
 重京目前まで迫った敵は、たった1月程度で強大な城壁を完成させた事に動揺していたのか、なかなか攻撃をしてこなかった。
 きっと、敵の本陣では話が違うとかなんとかいった会話が繰り広げられている事だろう。
 そのまま夜になって、いったん敵は引き上げるかと思ったが、日が傾き始めた頃、突然、攻撃が始まった。
 昼前の戦いで戦力がほぼ壊滅した敵主力の重騎兵と重装歩兵は本陣の護衛か動かず、軽歩兵1000だけで正面から攻撃して来た。
 軽歩兵のみで攻撃して来た事に関して、何か策がありそうではあったが、とりあえず、『甲1番』作戦通り、第2大隊と重京防衛隊の弓兵が攻撃を開始した。
 日頃の訓練のたまものか、もの凄い密度で矢の雨を敵に降らせる。
 さすがの敵もこの矢の雨の中では攻撃を諦めるかと思いきや、被害を出しながらも構わずに突進して来た。
 そして敵が城壁に接近して来て、堀や城壁に長い梯子を架け始めた。
 それに対して、城壁の上で待機していた弓兵以外の重京防衛隊の兵達が次々に熱湯を敵に浴びせかける。

 この熱湯掛け。前の世界の歴史では籠城戦時に結構用いられていたのだが、なぜかこの世界では、知られていなかった。
 赤魔晶石があって、簡単にお湯を沸かせるにもかかわらずである。
 この熱湯、敵を攻撃するだけでなく、暖を取ったり、消毒に使用したりと結構使い道があって便利であるのに。

 この熱湯攻撃だが、敵が城壁に上がるのを防ぐことはできた。しかし、敵も黙って見ているはずはなかった。
 突然、数多くの矢が城壁に降り注いだのである。
 今まで待機していた敵弓兵が、一斉に弓矢を放ったのだ。
 しかし、その攻撃は明らかに射程外だったはず。なぜなら敵が居るのはこちらの弓の射程外なのである。城門の上から撃って届かない弓矢が、城壁の下から撃って届くはずがない。
 そう思っていたのだが、甘かった。
 なんと、敵は、この弓矢の攻撃に対して緑魔法を使ったのだ。
 なぜそう解ったかと言うと、敵の弓部隊に紛れ込んでいた魔法使いたちが、杖を構えており、今まで吹いてなかった風が、城壁に向かって吹き始めていたからだ。
 たぶん、上空では突風が吹いているのだろう。
 この突風が弓矢を伴って城壁上部に襲いかかったのだ。まさか、魔法にこういった使い方もあったとは、まったくの予想外だった。
 俺の戦術は科学的根拠に基づいている。そこに魔法という要素が加わったのだ。計算が外れるのも無理はない。

 突如始まった敵の遠距離攻撃に、こちらは負傷者を多数出してしまった。
 負傷者は直ちに城門前広場に運ばせて、待機していた衛生隊に救護させる。
 しかし、この攻撃の対応策が思い浮かばない。
 こちらの射程外からの攻撃、しかも、こちらには緑魔法を使える者がいない為、敵の魔法の効果を打ち消す事が出来ない。
 まあ、俺は飛んでくる矢を青龍で撃ち落とせる位チートだから大丈夫ではある。そして、もう一人、俺の横で華麗なステップをきめて矢を避けている尚蓮もかなりチートだから大丈夫そうだ。
 しかし、一般の兵はそんな芸当は無理である。
 結果、兵達は城壁の影に潜むか、矢を盾で防御しながら応戦せざるを得なくなった。
 もちろん、城壁に取り付き始めた敵兵の対処は出来なくなる。
 仕方なく、俺は奥の手を命じた。
 これまで、城壁上に居ながら、何もしていなかった第3大隊の兵達が次々に小さな壺を城壁前に投げ込む。
 この壺、よく見ると蓋の代わりに紙で栓をされていて、この紙に火をつけて投げ込まれていく。
 そして、壺が投げ込まれるたびに、城壁前で次々悲鳴があがる。
 覗いてみると、火だるまになった敵兵が次々に堀の底に溜まった水に飛び込んでいくところだった。
 そう、この壺の中身は「ココの実」の中から見つかった『燃える水』である。
 本当はゲル化させてから、攻撃兵器として使用したかったのだが、石鹸や砂糖を入れても、ゲル化しなかったので仕方なく、今回はそのまま使用している。
 今後研究を重ねて、しっかりとしたナパーム弾もどきを完成させたいと思っている。

 そんな試作兵器(火炎壺?)だが、効果は絶大だった。
 城壁前はあちこちで火の手が上がり、堀や城壁に架けられた梯子も燃えだした。
 保管が難しい燃える水の火炎壺は、今回で使い切るつもりで次々と城壁の上に運ばれては投げ込まれていく。
 矢の雨の中であるが、壺を運んで城壁の前に落とす位なら、盾で防御しておけば特に問題なく行えた。
 そして、城壁の前が火の海となった。
 当然、攻撃して来ていた敵軽歩兵は攻撃を断念。敵本陣に向かって敗走し始めた。
 敵が敗走をし始めたので、矢の節約を図ったのか、弾切れもしくは魔力切れか、敵の矢による攻撃もなくなった。
 そして、敵敗走兵が敵本陣に到達する。
 と、その時、俺達は信じられない光景を目撃した。
 何と、敵本陣に残っていた重装歩兵が、味方のはずの軽歩兵を攻撃し始めたのだ。その攻撃に何人もの敵兵が命を落としている。
 正気の沙汰じゃない。
 そう思って驚いていたが、敵は至って正気だったようだ。状況を理解したのか、満身創痍の敵軽歩兵が再び、城壁に向かって突撃して来た。
 既に夕暮れ時となった戦場を、敵の軽歩兵が死兵となって突撃して来た。
 全く、戦場とは予想外の事が多すぎて困る。
 敵軽歩兵に同情してしまった俺は、頭をフル回転させてこの状況の打開策を考える。
 そして重京防衛隊に敵本陣攻撃を命じた。
 薄暗くなり始めた城壁上から、次々に重京防衛隊の面々が姿を消していく。その光景はまさしく忍者だ。
 そして、重京防衛隊が出撃したのを確認して、第3大隊に次の攻撃を命じた。
 敵の目をこちらに引き付けるために派手な行動を起こす必要があるからだ。
 今まで沈黙していた、城壁後方の投石器が唸りをあげ始めた。
 投擲するのはもちろん、石ではなく火炎壺。それも、特大の火炎壺だ。
 本来は敵第2陣に対して使用する予定だったが、この攻撃を敵軽歩兵の後方・・に向けて放つ。
 放たれた特大火炎壺は、見事、敵軽歩兵隊の後方に着弾して大きな炎を上げ始めた。
 その炎は暗くなり始めた戦場で一際目立つ。
 敵本陣からは、軽歩兵隊が炎に呑みこまれた様に見えるだろう。
 そして、敵の目が炎に集中している隙をついて、敵本陣に重京防衛隊が襲いかかった。
 視界が悪い兜をかぶった敵重騎兵と重装歩兵は、重京防衛隊に気付くことなく奇襲を許す。
 そして、奇襲に対応できずにいる敵本陣を重京防衛隊は圧倒して行く。
 敵弓兵隊は、この攻撃を見て敗北を悟ったのか、じりじりと本隊から離れていくだけで、援護する気はなさそうだ。
 そして、ついに重京防衛隊が敵大将を攻撃できる距離まで接近した。
 しかし、敵大将の守りについていた2人の護衛兵が猛反撃を開始した。
 こちらの中隊長3人が全員で掛かっている様だが、突破できずにいる。
 その間に、敵大将はなりふり構わず逃走を開始した。敵弓兵や残った重騎兵、重装歩兵も後に続く。
 そして本陣が敗走するのを見て、軽歩兵隊も逃げて行く。こちらは敗走と言うより、脱走という感じで、広範囲に散り散りになって逃げて行く。
 結局、最後まで抵抗した敵護衛兵2人は、重京防衛隊全員が取り囲んで討ち取る事には成功したようだが、敵大将は取り逃がしてしまった。
 それでも、帝国軍を撃退する事に成功したのだから、こちらの勝利であろう。
 現に、敵兵がすべて敗走するのを見て、城壁上では大きく鬨の声が上がった。

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