刑法175条のアレ
この頁は、予備知識のない読者にあまり不足のないそれなりに正確な知識をお伝えするために、精密さをある程度犠牲にして書かれた現行刑法175条の説明である。以下の記述は、一般的な教科書のように雑駁ではなく、狭い論点を扱う論文よりは圧倒的にずさんである。
以下は、基本的には、こういうことになっているとか、このような扱いがなされてきたといったお話に過ぎない。その延長線上に考えられることが確認されたり、多少はっきりしないお話に言及された部分もある。しかし、それらは補足的なものである。諸説の当否を語らない訳には行かないが、善悪の価値判断はしていない。 (この段落は自分が書いたものからのコピペですw)
その筋に訊けばだいたい誰でもそう言うようなお話については、一々出典を示さない。【】内は、直前の記述に関連して参照すべきものである。時間のない方には、太字で背景色がまわりとちょっと違う部分だけを読み、気になる点を拾い直すようにお勧めする。また、こういう色づかいの部分は本筋からのずれが大きいので、てきとうに読み飛ばしても差し支えない。細かい話が気になる方や引用のためのもっともらしい出典表記を必要とされる方は、個別に明示したものの他、刑法各論の教科書あるいはコメンタールの関係箇所や法制審議会刑事法部会第(ハイテク犯罪関係)三回会議議事録等を参照されたい。さらなる理解を徹底したいということならば、著者によって微妙に表現が異なる教科書を三種類以上読むことを最初にお勧めする。そこまでということでなければ、細かいことはわからなくても放置してこれを読み進めた上で、気になった語句についてググってからこれを読み直すことをお勧めする。その他様々な使い方はあろうが、一回読んで簡単に理解できるとは考えないでいただければ、色々とありがたい。
とりあえず、素人以外はここに記されたような内容について了解した上で本条について語っているものであることに想像を及ばせていただければ幸いである。
以上および以下は、2014年3月29日に最初に記し、2014年4月13日までに補訂されたものである。
何人かが本稿を引用する場合、このページのURLを併記することによって著作権法上の問題を回避することを要求する。
凡例
参照すべきものについて文中で簡略化した表記を用いたものの詳細は、次の通りである。
刑法第百七十五条(わいせつ物頒布等)
1947年改正
猥褻ノ文書、図画其他ノ物ヲ頒布若クハ販売シ又ハ公然之ヲ陳列シタル者ハ二年以下ノ懲役又ハ五千円以下ノ罰金若クハ科料ニ処ス販売ノ目的ヲ以テ之ヲ所持シタル者亦同シ
1995年改正
わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役又は二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれらの物を所持した者も、同様とする。
2011年改正
@ わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
A 有償で頒布する目的で、前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した者も、同項と同様とする。
■概要
細かいことはともかく、175条が大体どういうものなのかについて、最初に扱う。
▼沿革
175条は、1907年に制定された刑法に、前条の公然猥褻と並び、その他の性的事項に関連する犯罪と一まとまりに立法された。その後、法定刑の変更と口語化がなされたものの、基本的な内容には永く変化がなかった。そして2011年、内容がそれまでとは微妙に異なる現行のものに改正された。
1907年の世界には、ラジオすら存在していなかった。映画の実用化も1895年の欧州に始まったばかりであった。そのような時代の立法であるため、条文は「文書」と「図画」の二つを例示することしかできなかった。
▼趣旨
本条は、社会的法益としての健全な性的風俗を保護する。社会的法益というのは、社会全体にとっての法が保護するに値する利益である。健全な性的風俗というのは、不健全な性的情報の不意討ちを受けない社会の状態を意味する。要するに、「そういうのをいやがる人がいるからみんなのためにやめましょう」的なお話である。
この趣旨については異説も主張ないし提案されている。しかし、実際の運用について考えるならば、異説を気にする必要はない。
このような考え方の罰則には、単純な意味での被害者は存在しない。
また、この趣旨は、反射的に他の趣旨を否定し、あるいは少なくとも主なものとしない考え方を支えるものでもある。様々な俗説のうち、例えば本条が主として青少年を保護する趣旨であるというような理解は、否定されるべきものである。この説については、青少年保護が趣旨であるならば、有害図書等を規制する条例の如く明示的に青少年と表現の関係性について語らねばならないことと、老人しかいない村でも条文の要件が満たされればわいせつな物の流通が規制される理由を説明できないことを指摘できる。
▼形式と背景
よくある刑罰法規は、それぞれの保護法益を前提に、その法益を害する「やってはいけないこと」を端的に示そうとする。例えば、殺人の罪は、人命を守るために、人を殺してはいけないとしている。しかし、本条は、それらとは異なり、わいせつな情報に人々が晒されない状態を維持するための規制の一部に過ぎない。このことは、ネットワークが存在しない時代には、むしろ明白であった。改正前の規定においては、前条が人間による行為を規制し、本条が物体に定着した情報の流通を規制するような、明快な切り分けが存在していた。即ち、二十世紀初頭の技術的条件を前提として情報を広める可能な手段を二つに分け、それぞれに応じて犯罪となる行為が定められていたのである。法が犯罪として示すものは、禁止される行為の本質からは離れていた。この、わいせつな情報の流通への規制という抽象的な本質の故に、技術的環境の変化が解釈論に大きな影響を及ぼし、ついに改正がなされるに至ったのである。
▼構造
現行法は、二つの項からなる。第一項は、前段と後段に分けられる。第一項前段はわいせつな物の流通を、同項後段は電磁的記録の送信によって同様の現象が生じる場合を捉え、第二項は有償で頒布する目的での所持と保管を犯罪としている。
本条は流通段階の売り手側の行為のみを把握し、それ以前の製造や譲受・借受、さらには流通目的でない所持への処罰が存在しない。
他に本条を直接補完する規定はない。すなわち、未遂は処罰されない。しかし、頒布等目的の所持・保管が頒布等の予備を罰するため、未遂が罰せられないことの実際的な意味は小さい。商業的な事案は予備の段階で犯罪を構成し、そうでない場合は具体的な行為によって犯罪となると考えるならば、過剰な処罰を避けるための適切な構成だと考えることが十分に可能である。
過失の場合も、本条によっては処罰されない。ただし、本条の罪を過失によって構成するのは困難だと考えられるため、特に意味はない。
なお、単純所持の処罰がないのは誰もがわいせつなブツを所持しているからだとの俗説があるが、人体を用いたわいせつな情報の伝達は174条が律するところであるため、冗談としても寒い部類に属する。そのブツは、チン列できない。
▼合憲性
本条が憲法21条が保障する表現の自由を侵すものであるとの主張が、主に憲法学方面から根強い。憲法31条が要請する罪刑法定主義との関係でも、違憲性に関する主張がある。しかし、裁判所は、本条に基づく規制が合憲であるとする態度を変更していない【この論点について詳しく考えたいならば、憲法の教科書等を手がかりとされたい。】。「こういうことがあったらどうなるか」を考えるとき、本条がそもそも違憲だとするような学説への配慮はむしろ有害である。
なお、刑法は、表現の自由を保障しない大日本帝国憲法下で立法された法律である。しかし、旧憲法下の立法であることは、一般に法令の無効を意味しない。
蛇足であるが、裁判所が滅多に認めない違憲の主張に関しては、広く一般的に憲法について「あんなの飾りです。偉い人にはそれがわからんのですよ。」とでも言っておけばよいくらいに考えておく方が、現実的だろう。
■逐語
以下では、概ね前から後に向かって、条文中の語句が示すところについてある程度細かく述べる。
▼第一項前段
始めに、本条の中心となる第一項前段を扱う。
わいせつ
わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は…
どんなものを扱うと本条によって犯罪とされるのか。それは「わいせつ」な何かである。
本条にいうわいせつとは、「いたずらに性欲を興奮または刺激させ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する」という意味である。かつて、「わいせつ」だけでは意味が判らず曖昧だという指摘を受けた裁判所が、このような理解が十分に可能であることを示して答えた【最高裁1951年5月10日判決《サンデー娯楽事件》(最高裁判所刑事判例集5巻6号1026頁以下等)】。以後、裁判所は、少なくとも明示的にはこの解釈を変更していない。
事実上の取締基準の変化に着目すれば、わいせつの定義が変更されたと考えることもできるかも知れない。しかし、その見方は短絡的である。この点については、社会より先に法が存在する訳ではないので、社会の変化に応じて法の運用も異なるものとなったに過ぎないと考えれば足りる。現在のところ、定義自体が根底から覆されたわけではないと考えてよい。
何かがわいせつという性質を備えるためには、上記の要件を満たすものとして人間に知覚されれば足りる。この知覚は、限定されていない。したがって、視覚的に認識できる内容のみならず、その他の感覚によって認識できるものについても、わいせつであると評価され得る。後述の通り、聴覚によって認識されるわいせつな物については、有罪判決の事案がある。その他についても、裁判所が認定すればわいせつであるとされる論理的な可能性がある。
裁判所がわいせつ性を判断するにあたっては、芸術的・思想的価値のあるものでもわいせつ性が否定されないこと【最高裁1969年10月15日判決《悪徳の栄え事件》(判例時報569号3頁・判例タイムズ240号96頁・pdf等)。】が前提とされつつ、事実認定の問題ではなく法解釈における問題として【最高裁1957年3月13日判決《チャタレーまたはチャタレイもしくはチヤタレー事件》(判例時報105号76頁・判例タイムズ68号114頁・pdf等)。】、「全体としてみたとき、読者の好色的興味に訴えるものであるかどうか否かなどの諸点を検討することが必要で、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして」の判断がなされるべきだとされる【最高裁1980年11月28日判決《四畳半襖の下張事件》(判例時報982号64頁・判例タイムズ426号49頁・pdf等)。】。
名目的に維持されている論理はともかく、実際的には、わいせつと評価される範囲は狭まっている。上述のチャタレー事件で猥褻とされた小説は、1973年に羽矢謙一による「完訳」が、1996年には有罪となった訳者の子伊藤礼による「完全版」がそれぞれ刊行されたが、いずれも摘発を受けていない。1976年に公開された映画「愛のコリーダ」は猥褻とされたが【最高裁1983年10月27日判決(判例時報1097号129頁・判例タイムズ513号162頁・pdf等)。】、2000年に公開された同作「ノーカット版」は問題とされていない。1991年1月に発行された篠山紀信撮影の樋口可南子写真集「Water Fruit 不測の事態」が55万部を売り、同年11月に発行された篠山紀信撮影の宮沢りえ写真集「Santa Fe」に至っては155万部を売り上げたことにより、両写真集に含まれるような陰毛を含む映像が、以後一般的にはわいせつとの評価を免れることとなった。、
もっとも、結局のところ、何がわいせつとされるかには、曖昧さが付き纏わざるを得ない。大体のところを考えるだけならばともかく、限界を考えるならば、そこには不明瞭な領域が産まれざるを得ない。今日では、性器がモザイクなしに描写される映像が「わいせつ」であるとされるのが通常ではある。しかし、そうでないものがわいせつであるとされても、論理的に誤っているとまで断ずるのは難しい。
以上で述べたわいせつ概念は、強制わいせつ等の被害者に対する行為を前提にする犯罪には、そのままでは当て嵌まらない。二つの分野の趣旨の違いが、同じ語の意味を分ける。個人的法益を保護する強制わいせつ等の罪では、被害者の自由への侵害の有無が主たる問題となる。
なお、本条がいうところの「わいせつ」は、日本語の単語としての意味を単純に反映するものではない。日本語で「わいせつ」と呼べるものであっても、本条が「わいせつ」として評価するためには、上述のような考え方に従って検討がなされる。他方で、「わいせつ」と表現すれば、それはしばしば本条等における違法な内容を意味するものとして受け取られることに注意を要する。法的な意味から離れた表現において「わいせつ」の語を用いるのは、誤解を招きやすい。
わいせつ概念については、「相対的わいせつ概念」に関する議論もあり、しばしば言及がなされる。しかし、実際的な話をする上では、特に注意する必要がない。
文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物
わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は…
何を扱うと本項前段によって犯罪とされるのか。それは「わいせつ」な物である。
本条における文書・図画についての詳細な説明は省く。なお、文書概念についてはいろいろと面倒な問題があるため、詳論すればそれらへの配慮も必要となる。電磁的記録に係る記録媒体とは、コンピューターが扱う形式のデータが収められた物体のことである【電磁的記録の定義は刑法7条の2参照。また、第2項に関する記述を参照。】。この三つの相違や区別、そしてそれぞれの内容については、深く考えても実益がない。わいせつな内容の物体は、三つの概念に当て嵌まらなければ「その他の物」として扱われることになるので、扱いに差が生じないからである。
注意を要するのは、それが「物」でなくてはならないという点にある。これについて、2011年改正前にはかまびすしい議論があった。ここでいう物は有体物でないものを含むという説も主張された【前田569頁】。このような説がわざわざ主張されねばならなかったということ自体が、それが無理のある解釈論であることの証明であった。もっとも、現在は、後段がこの問題を解決したことになっている。
ここでいう「物」の範囲は、万人がたやすく想像できるものより広い。
古くは映画のフィルムが猥褻な物とされた【大審院1926年6月19日判決(大審院刑事判例集5巻267頁)。】。後に、未現像のものも同様とされた【名古屋高裁1966年3月10日判決(判例時報443号58頁等)。】。映画のフィルムは、裁判所の理解に従えば、機械的な処理によって内容が再生されることが、1907年の立法時に存在した「物」と異ならない。
ビデオテープも、同様の考え方によってわいせつな物とされた【最高裁1979年11月19日決定(判例時報951号13頁・判例タイムズ404号65頁・pdf等)。】。映画のフィルムと異なって肉眼では完全に不可視であることは、裁判所の認定にとって障害とならなかった。録音テープ【東京地裁1955年10月31日判決(判例時報69号27頁等)・東京高裁1973年8月29日(東京高等裁判所刑事判決時報24巻8号137頁等)。】についても、同様である。特殊な事案では、ダイヤルQ2向け録音再生機もわいせつな物とされている【大阪地裁1991年12月2日判決(判例時報1411号128頁)。】。
犯罪を成立させる「物」が存在するというのが、本条の書きぶりから導かれる前提である。このため、コンピューターを利用する現象においても、「物」が特定されてきた。それらの中には、「わいせつ画像のデータが記憶・蔵置されている特定の右ハードディスク」をわいせつな物とし、「この理は、わいせつな映像が記憶されたビデオテープの場合と同じである」とした事例がある【京都地裁1997年9月24日判決(判例時報1638号160頁等。)・その控訴審大阪高裁1999年8月26日判決(判例時報1692号148頁・判例タイムズ1064号239頁・pdf等。)・その上告審最高裁2001年7月16日判決(判例時報1762号150頁・判例タイムズ1071号157頁・pdf等。)《京都アルファーネット事件一審・控訴審・上告審》。】。ここではその問題を詳論しないが、物の特定という点では、一連の判決はネットがない時代の判例に沿ったものである。他方で、「わいせつ物を有体物に限定する根拠はないばかりでなく、情報としてのデータをもわいせつ物の概念に含ませることは、刑法の解釈としても許されるものと解するべきである」とするもの【岡山地裁1997年12月15日判決《岡山FLMASK事件》(判例時報1641号158頁・判例タイムズ972号280頁)。】とか、「本件画像データがインターネットにおける電子メール・システムという媒体の上に載っていることにより、有体物に化体されたのと同視して『図画』に該当すると解することは可能であり、合理的な拡張解釈として許される」とするもの【横浜地裁2000年7月6日判決《横浜わいせつ画像メール添付事件》(公刊物不登載)。】のような、実態に照らして考えれば「物」を特定したとは到底読み取られ得ないような裁判例も存在している。しかし、それらは改正前の法をネットを用いた事象に適用するという本質的に不可能なことを可能とするための解釈例でしかない。現在の状況でこれらの判決に単純に従った運用がなされることは、後段が立法されたため、考えられ難い。
頒布
わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は…
何をすると本項前段によって犯罪とされるのか。その一つは、「わいせつ」な物の頒布である。
本条前段における頒布とは、無償と有償とを問わず、その物を不特定または多数の第三者に引き渡すことである。占有や所有等の法律上の概念を参照せずとも、引渡しという事実行為によって、頒布がなされたことが示されたと解すれば足りる。2011年改正前は有償の場合が販売とされていたが、改正を機に頒布の語が販売を含むものとされ、表現が改められた。
頒布という文言は、日常的な用語ではない。このことが、一つの理解をもたらす。かつて使用されていた頒布の語は無償での引き渡しを意味していたので、貸与を含む専門用語であると解するに支障がない。他方で、販売という表現は、所有権の移転を伴うことを意味するため、有償の貸与を含める理解を受け容れない。よって、所有権の移転を伴わない有償貸与等の処罰が改正の意図に含まれていると見ることができる【頒布と販売の違いについて前田56-57頁参照。】
頒布ないし販売は、特定少数の相手に対しては成立しない。特定人が持参した写真の複製を依頼され、これに応じたのみで第三者に交付する意思のなかった場合につき、販売罪が構成されないとした例がある【札幌高裁1960年1月12日判決(pdf)。】。他方で、特定少数を相手方とする頒布等であっても、反復継続の意思があれば犯罪を構成する【大審院1917年5月19日判決(大審院刑事判決録23輯487頁)。】。
なお、2004年改正前の児ポ法7条1項は、「業として貸与し」た者を販売とは別に明記して罰し、この難点を回避していた。
頒布行為は、相手方の受領によって完了する。よって、この時機に既遂に達すると考えられる【最高裁1959年3月5日判決(最高裁判所刑事判例集13巻3号275頁・pdf等)。】。実際には、完了した頒布行為が事後的に把握されるのが通常であるため、この点はあまり問題とならない。
公然陳列
わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は…
何をすると本項前段によって犯罪とされるのか。その一つは、「わいせつ」な物の公然陳列である。
公然とは「不特定または多数の人が認識可能である状態」であり、陳列とは認識可能な状態を設定することである。典型は写真の掲示のような事案である。
不特定というのは、文字通り特定されないという意味である。例えば公道を歩くかも知れない誰かは、不特定の人である。多数の限界を明らかにする事例は見当たらないが、複数ならばこれに該ると考えておいて概ね差し支えない。両者のいずれにも該当しない特定少数に向けた陳列は、公然でないものとされ、罰せられない。特定少数の典型としては、しばしば家族が例示される。
この認識可能化は、影響を与える感覚に応じたものでなくてはならず、映像であれば視覚的な閲覧可能化が求められる。他方で、例えば音声についてならば、再生するシステムがそのわいせつな音声を再生することが陳列となる。なお、電子データの送信によってなされる陳列のような現象は、2011年改正後は後段の頒布罪を構成すると考えられる。
犯罪に「物」の「認識可能化」であることを条文が求めるが故に、この点に関しては、若干無理のある解釈もなされてきた。既に触れた例にあるダイヤルQ2向け録音再生機を「陳列」されたわいせつな物であるとした判決は、その典型である【大阪地裁1991年12月2日判決(判例時報1411号128頁)。】。
2011年改正前は、ネットワークを介して画像を閲覧可能にすることも、一般には公然陳列とされてきた
【横浜地裁川崎支部1995年7月14日判決《P-STATION事件》(公刊物不登載)が嚆矢である。】。リンクをたどればわいせつな画像が表示される事案が、その典型である
【東京地裁1996年4月22日判決《ベッコアメ事件》(判例時報1597号151頁・判例タイムズ929号266頁等)。】。
可逆モザイクで性器を隠した画像がパソコン通信システムを通じて公開された事案においても、裁判所は、「陳列」の成立を肯定している
【大阪地裁1997年2月17日判決《J-BOX事件》(公刊物不登載)・岡山地裁1997年12月15日判決《岡山FLMASK事件》(判例時報1641号158頁・判例タイムズ972号280頁等)。】。パソコン通信のシステムおよび当時の一般的なOSの仕様を前提にすれば、通常は手順を設定してのダウンロードとモザイクの除去が、更に場合によっては途中に解凍が必要であり、しかも画像の表示は別途命令すべき方法によるデータの公開を認識可能化に含めることへの批判は強く、許されない類推解釈であるとの指摘もある。しかし、裁判例に照らしてその行為が罰せられるのかどうかを検討するならば、このような批判への配慮は重要ではない。何がどう扱われるかについてを問題とするならば、知るべきは、特別な処理なしに閲覧が可能となっていなくとも陳列とされるという、実務の考え方である。
データの送信を伴う「陳列」の行為には、そもそも陳列という概念の枠内で語ることに問題があることも指摘されていた。肉眼による物の閲覧と違い、通常はデータのコピーが作られているからである。これはデータの頒布ではないかとの指摘は、見過ごされてきた。しかし、2011年改正により後段が追加され、実際的な問題は消滅したとされている。なお、改正前の記述を受け継いだ教科書等に旧法時代の記述が残り、この種の事象を陳列として論ずる例もある
【例えば前田570-571頁。】ので、注意が必要である。
公然陳列は、不特定または多数に認識が可能な状態の設定をもって既遂となる。その成否は、実際に認識されたか否かに影響を受けない。これは、陳列概念からの帰結である。もっとも、実際には、頒布と同様に完了した行為が事後的に把握されるのが通常であるため、この点はあまり問題とならない。
法定刑
…二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。
法定刑としては、懲役の他、罰金または科料が定められ、一方を選択することも併科することも可能とされている。2011年改正前は併科が不可能であったが、改正により犯罪収益を犯人から奪うことが容易となった。
▼第一項後段
物の流通によらないわいせつな情報の流布を犯罪化することが、この後段全体が目指すところであるらしい。仔細な批判を控え、ここでは、そのような意図がどのように述べられているかを扱う。なお、ここでは、説明の便宜上、条文中の初出と異なる順序で語句を扱う。
わいせつ
…。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
この語の用法および意味は、前段に等しい。
電磁的記録
…。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
何を扱うと本項後段によって犯罪とされるのか。一つは、「わいせつ」な電磁的記録である。
電磁的記録は、1987年改正によって新設された刑法7条の2に定義される存在である。ここに含まれる記録という文字列は、それが物体であることを示す。【1987年改正および定義について詳しくは、例えば米沢慶治編『刑法等一部改正法の解説』(立花書房1988年)参照。】
本項後段がいう電磁的記録は、ここでは電気通信によって頒布することが可能であるため、物体であるとは限らないと解する余地も存在する。しかし、この理解は7条の2の定義に反し、同一条項の前段とも異なるという、奇妙なものとなる。後述の通り、頒布の語義について曲解することが、比較的ましな解決策とならざるを得ない。
その他の記録
…。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
何を扱うと本項後段によって犯罪とされるのか。もう一つは、「わいせつ」な電磁的記録以外の「その他の記録」である。
その他の記録として、議事録は、着信して印刷されたfaxを例示する。faxの送受信中はまさに通信がなされているが、お年寄りが知っている古典的なfaxの装置は常に通信の結果を物体に印刷するのみで電磁的記録が保存されないため、処罰の間隙が生じることのないように、この文言が加えられたようである。
電気通信
…。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
何を手段とすると本項後段によって犯罪とされるのか。それは、電気通信による何かである。
電気通信の語については、あまり注意が払われていない。これは、電気が用いられない時代には存在しなかった電気的な信号を用いる通信のすべてを含むという合意の故であると考えられる。
なお、TVやラジオは、放送として通信と峻別されている【電波法・放送法等が峻別を前提にした規定を置くが、一読して理解可能なものではない。この点については、書名に「情報法」の語を含む教科書系のものが含む解説が、接触し易い。】。それらにおけるわいせつな内容の放送は、別途電波法108条で禁じられている。
送信
…。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
何を手段とすると本項後段によって犯罪とされるのか。それは、電気通信の送信である。
技術的には、「電気通信の送信」は、一種類の現象を表現するべき文言ではない。この語に当て嵌まる現象は多様である。しかし、法律上の概念としては、それらの区別への配慮が払われていない。むしろ、詳細な限定がなされることが不都合だからである。技術的に詳細な規定は、技術革新によって規定の前提とされた技術が用いられなくなったとき、無意味なものとなりかねない。一般的な立法は、そのような事態を予め回避することを前提として作られている。本条も、その例外ではない。
頒布
…。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
何をすると本項後段によって犯罪とされるのか。それは、「わいせつ」な電磁的記録等の、電気通信の送信による頒布である。
頒布の語が示すものは、前段とは異なる。ここでいう頒布は、物の引渡しではあり得ないからである。データの複製によって新たな電磁的記録を存在させることが、後段での頒布であると解さざるを得ない。仮にこのような解釈を採らないならば、本条は、通信回線を通じて物体を送信できるという未知の技術を前提としていることになる。なお、この点については、立法担当者がこのことに気付かないまま原案を作成した結果このような面倒な話になったのではないだろうかと推測することが、他の立法や裁判例が示す傾向から、十分に可能である。
裁判例も、ダウンロードをさせた事案において、それが「サイト運営側に当初から計画されてインターネット上に組み込まれた、被告人らがわいせつな電磁的記録の送信を行うための手段にほかならず、被告人らは、この顧客によるダウンロードという行為を通じて顧客らにわいせつな電磁的記録を取得させるのであって、その行為は『頒布』の一部を構成するものと評価することができる」とし、上述のような立場に立った【東京高裁2013年2月22日判決(判例タイムズ1394号376頁等)。】。
いずれにせよ、立法者は、概ね物でいう頒布のような行為を物でないものについても頒布と呼び、罰することを宣言している。そして、裁判所もこれを追認している。
後段の頒布は、データが相手方の記録媒体上に「電磁的記録その他の記録」として存在することで既遂となる。
同様とする
…。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
同様とするとは、前段と同じ刑に処するという意味である。
▼第二項
第二項は、第一項の行為の一部を事前に可罰化するものである。第一項の行為は、いずれも未遂を観念することが難しいものである。このため、未遂の処罰に代えて、始まりつつある頒布行為が犯罪とされているものと考えられる。
有償
有償で頒布する目的で、前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した者も、同項と同様とする。
有償でとは、対償を得てという意味である。他の類例に沿って考えれば、対償は通貨以外を含むと解される。
頒布
有償で頒布する目的で、前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した者も、同項と同様とする。
本項にいう頒布は、前項にいう二種類の頒布のいずれをも含むと考えられる。さもなくば、前項の頒布は一つの概念であると解されることになる。第一項前段に沿った物の所持と同項後段に沿った電磁的記録の保管がいずれもこの文言の直後に示されていることが、その理由である。
目的
有償で頒布する目的で、前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した者も、同項と同様とする。
本項の趣旨が一定の目的を伴う所持の処罰であることが示されている。わいせつな写真の所持のような事象によって何らかの当罰的な行為の外観が客観的に示されても、有償で頒布する「目的」がなければ犯罪ではないということである。
改正前にいう販売の目的は、販売すべき物に対してのみ認められてきた訳ではない。販売すべきもの自体ではない何かの所持について、販売の目的が認められてきた。例えば、被告人がマスターテープ1950本を所持した事案では、「これ自体は原本としてのみ使用し、販売する意思がなかったとしても…目的物自体を所持する場合とその危険性において違いがない」とされた【富山地裁1990年4月13日判決(判例時報1343号160頁)、確定。】。あるいは、被告人が所持するビデオテープ369本のうち365本がマスターであった事案では、「間接的な販売目的を有していた」との認定により販売の目的が認定された【東京高裁1991年2月18日判決(公刊物未登載)。】。このような処理の背後には、この種の事案で販売目的所持を認めない場合、原本のみを所持していれば犯罪として捕捉されないこととなり、処罰の不均衡が生じることになるという考え方が存在している。
外国で頒布ないし販売する目的しかない場合、犯罪は構成されない【最高裁1977年12月22日判決(判例タイムズ357号156頁・判例時報873号24頁・pdf等)。】。本条が日本国内の法益を保護する趣旨であることが、その理由である。
前項の物
@ わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は…
A 有償で頒布する目的で、前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した者も、同項と同様とする。
前項の物とは、一切のわいせつな物のことである。この物に第一項後段の「記録」を含むか否かについては、肯定も否定も可能である。しかし、いずれの立場であれ、結論として「物」の所持が認定されるか否かには影響しそうにない。
所持
有償で頒布する目的で、前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した者も、同項と同様とする。
何をすると本項によって犯罪とされるのか。その一つは、わいせつな物の所持である。
所持とは、事実上または法律上の支配である。所有権等の私権が及ばない場合であっても、所持は可能である。
保管
有償で頒布する目的で、前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した者も、同項と同様とする。
何をすると本項によって犯罪とされるのか。その一つは、わいせつな電磁的記録の保管である。
保管は、電磁的記録についてのみ用いられる語であり、一般の物体についての所持と等しいものとされる。しかし、送受信されている状態にないデータは通常は物体と一体であるため、電磁的記録の所持として把握され得る。にもかかわらず、ここでは特に異なる言葉が充てられている。
物体としては遠隔にあって他人の支配下にある領域にデータが保存されている場合を犯罪として把握するために用いられた表現が所持に代えての保管であるとすれば、理解は可能である。しかし、前項の
前段と
後段における「頒布」と逆に、変えなくてもよい言葉を変えたものだと解することも可能である。
このようなややこしい用語法については、所有権の移転を伴わない場合を罰することの強調として、その趣旨を理解することが可能である【前田572頁参照。】。
同様とする
有償で頒布する目的で、前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した者も、同項と同様とする。
同様とするとは、前項と同じ刑に処するという意味である。
■全体
175条の内容に対する理解を踏まえる必要がある本条全体に関わる事項について、以下に記す。
▼阻却
犯罪を成立させない一般的な事由について、読者に前提となる知識を求めないよう注意しつつ、特に厳密さを犠牲にして以下に記す。
違法性阻却
客観的にわいせつ性が認められる物が存在し、本条が定める行為に用いられたとしても、違法性を阻却すべき事由があれば罰せられない。医師が職務を遂行する前提として利用する資料に関する行為が、その典型である。
違法性の阻却は、「処罰に値する」違法性が存在しない個別の事案に応じて可能であるというだけではなく、一般には刑法35条に基づき、あるいはその考え方を反映してなされる。その結果、例えばプロレスの通常の試合における暴行・傷害のような行為は、もとより捜査の対象とならず、あるいは起訴されない。このような考え方が存在しないならば、死刑を執行した行政官が殺人の罪を負うような奇妙な事態が生じる。
なお、この事由には他に二種類のものが定められており、その他にも一般に認められたものが存在するが、本条の罪においては成立し難いので、ここでは言及しない。
責任阻却等
客観的にわいせつ性が認められる物が存在し、本条が定める行為のために違法に用いられたとしても、責任なき者は罪を問われない。類型的には、心神喪失者(刑法39条1項)と刑事未成年者(刑法41条)の行為がこれにあたる。
責任が減少し、刑罰の減免が可能となる場合も存在する。詳細は省く。
いわゆる責任阻却の文脈で類型的に語られない場合であっても、責任なき者は罰せられない。
▼罪数と法定刑
趣旨に関して示した通り、本条は社会的法益に対する罪を定めている。このため、犯罪は少なく数えられる傾向にある。
本条の罪が繰り返されたとき、行為者は健全な風俗を害する事態を続けたものとされ、全体が一個の行為とされるのが一般的であろうというのが、単純な理解である。例えば三人から二個ずつの物を盗んだ場合に窃盗が六個成立することと比較すると、扱いが軽いように見えるかも知れない。しかし、一回罪責を問われる者が受けるべき刑は、二つ以上存在する犯罪の数に関わらず刑法47条に従って重い罪の1.5倍が上限となるため、実際的な不合理は少ない。
▼他罪との関係
ここでは、一部の他罪についてのみ触れる。
174条
本175条は、前の174条と両輪をなす。人体を用いた直接的な情報の伝達ではない事態の抑止が、本来の本条の標的である。かつては、前条と本条は全く異なる行為を抑止するものとして機能することが期待された。しかし、ネットワークを通じて誰にでも実況中継が可能になったことで、一見して区別がつき難い事象が見られるようになった。
わいせつな実況中継につき、かつて裁判所は、「メモリ上にパケット化された個々のわいせつ映像のデータが存在する時間は、数ミリセコンドであって、人間の感覚では、時間として全く知覚できない程の極めて短い時間であることに照らせば、パケット化された個々のわいせつ映像のデータは、メモリ上に記憶蔵置されるのではなく、メモリ上を通過しているだけであると認定するのが相当である」とし、検察が当初主張した175条の罪ではなく174条の罪の成立を認めた【岡山地裁2000年6月30日判決《岡山レディースナイト事件》(公刊物未登載)。古典的理解に基づく言及として、佐久間382-383頁参照。】。
現行法においては、第一項後段の解釈次第では、その種の行為が本条の罪を構成することになる。しかし、それを「記録」の「頒布」とすることは、蓄積された解釈からは困難である。「頒布」について上述のように他の箇所と異なる理解をするとしても、「電磁的記録」の解釈についての問題が残る。このため、改正前と同様の解釈が採られるべきところだと考え易いが、裁判所の判断は不明である。また、改正前同様の解釈がなされるべきならば、生中継の罪が録画の放置より軽い罪となる矛盾が解消されなかったことになる。
児ポ法7条
児童ポルノの定義に沿うわいせつな物等の頒布等があれば、それぞれの犯罪が同時に成立する。罪数についてのややこしい話を避けるため、ここではこの点にこれ以上の説明を加えない。
本条は、個人的法益を保護する犯罪を少なくとも科刑上の一罪とする効果をしばしば発揮する。とりわけ、児ポ法の提供罪(2004年改正後)は、本条の罪を同時に構成しやすいため、刑を軽からしめる事情となる。すなわち、わいせつでない児童ポルノの提供の刑の上限が1.5倍となり、わいせつな児童ポルノの提供より罪が重いという奇妙な事態が導かれるのである。
なお、児ポ法の諸罪の罪数には独自の様々な問題があり、単純に上記のような処理が期待されると断ずることもできないが、ここではそれらに関する論点に触れない。
▼改正の事情
2011年改正は、「情報処理の高度化等に対処するため」の改正であった。他の関連改正同様、「サイバー犯罪に関する条約を締結するために必要な法整備」【第177回国会衆議院法務委員会1号議事録における江田五月法務大臣の発言等参照。】の一環であり、同条約第9条【容易にアクセスできる同条約の解説として、通商産業省の報告書(pdf)がある。】に対応するための法改正の一部という位置づけである。しかし同条約は、わいせつ一般に言及していない。コンピューターおよびネットワークに関連する児童ポルノ関連犯罪の処罰を第9条が求めているのみである。強烈な批判に晒されてきた本条を、過去に過ちがあったと認めることなく改正する機会として同条約が利用されたとでも考えるより他になかろう。