塩村文夏都議会議員へのヤジ・セクハラ問題、一名名乗り出後の雑感
自分の関心事からというと、現下のニュースでは、栃木女児殺害事件で「特徴が一致する車が少なくとも3か所の防犯カメラに写っていた」(参照)として容疑者が起訴になったことのほうが重要だけど、このところ扱ってきたせいもあるが、塩村文夏都議会議員へのヤジ・セクハラ問題で名乗り出があったとこに関連して、補足の雑感を述べておきたい。
私が名乗り出で一番落胆したのは、自民党の石破幹事長の次の対応だった。NHK「石破氏「責任者としてお詫び」」(参照)より。発言部分を太字で強調して引用する。
自民党の石破幹事長は、記者団に対し「気持ちを傷つけられた人は、塩村議員本人だけではなく大勢おり、自民党の責任者としてお詫びする。結婚したくても、できない人たちのためにも、党全体として、さらに強力に政策の実現に取り組む」と述べました。
これだと、「結婚したくても、できない人たち」に「早く結婚しろ」と言うのは結婚したい気持ちを傷つけるということになり、そもそものセクハラの構図がまったく理解されていないことになる。当の問題が、結婚の意思は個人にあり、そのありかたを認めないことを公言することがセクハラなのであるということが、意図的な曲解ならしかたがないが、理解されていないように見える。
この点は、名乗り出た都議会議員の謝罪会見でも奇妙に思えた。すでにネットには書き起こしがあるので、該当部分を引用する(参照)。
記者:フジテレビ・ホソガイです。どうしてこのような不適切な発言をしてしまったのでしょうか?
鈴木:少子化、晩婚化の中で、早く結婚していただきたいという思いがある中で、あのような発言になってしまったわけなんですけれども、本当にしたくても結婚がなかなかできない方の配慮が足りなかったということで、いま深く反省しています。
記者:不適切発言について、うっかり言ってしまったんですか?
鈴木:私の心の中で塩村議員を誹謗するために発した言葉ではないんですけれども、少子化や晩婚化の中で、早く結婚していただきたいという思いがあって、あのような軽率な発言になってしまいました。それは本当に、結婚したくてもできないとかさまざま思いを抱えている女性がいらっしゃるなかで、本当に配慮を欠いた不適切な発言だった申し訳なくおもっています。
石破自民党幹事長と同じく、「結婚したくてもできないとかさまざま思いを抱えている女性」に申し訳ないという「謝罪」になっている。
ごく簡単にいうと、謝罪会見という形式になっているし、塩村議員も形式上「謝罪」を認めたことになったが、当のセクハラという問題からすると、謝罪にはなっていない。大きな問題を残してしまった。
この点について、不思議なのだが、どうも記者たちも問題をあまり理解していないように思われることだ。一番近いのが共同通信記者だったのだが、それもこういう質問だった。
記者:共同通信です。ご自身の娘さんが35歳になったとき、独身で子どもができない病気を抱えていた場合、このようなヤジを第三者から投げられたとしたら、父親としてどう思いますか?
鈴木:その部分、深く反省させていただいて、本当に配慮を欠いていたなという思いで反省しております。
ごく簡単に言うと、娘が35歳であることも病気でもあることも今回の問題には関係ない。
全体的に、報道関係者も今回の問題を理解してなかったのではないかという、なんとも、もにょーんとする結果になっている。
次に、この当事者同士の謝罪についてなのだが、基本的にこの問題は個人への侮辱というのが一義なので、直接の謝罪があってよかったようには思うが、NHK7時のニュースで見た範囲では、当の塩村議員は、これでなかったことにされなくてよかったという気持ちはよく伝わってきたものの、直接謝罪が報道的なセッティングにお膳立てされていることに対して、違和感を感じているようには見えた。違和感があるなら、おそらく、鈴木議員の謝罪で幕引きされる懸念、またその幕引きの場にある意味引き出されたことへの困惑だろう。前者については、他のセクハラ発言があるので、これで終わりにしないでほしい旨は述べていた。
この対応で塩村議員に問題点はまったくないが、私はひそかに彼女がこう言うことを期待していた。
「鈴木さん、時間がだいぶ経ってしまいましたが、勇気をもって名乗りでてくれてありがとうございます。セクハラ問題に悩む女性はたくさんいます。私のように声を上げられない人が多数なのです。ですから、この問題を理解して、この問題を解決するための仲間になってください。今回、セクハラ発言をした人はあなただけではありません。他の人にもあなたの勇気をわけてあげるように活動してください。」と
敵であったものを仲間に取り込んでいくことで、政治的な主張は大きな広がりを見いだす。また誰であれ個人に向ける過剰なバッシング(参照)を抑制することもできる。もちろん、それを若い塩村議員に求めるのは難しいので、みんな党として配慮してほしかったように思う。
事態の幕引き感についても、想定はしていたが、よからぬ方向に向かっている。想定というのは、前々回「それとまあ、勇気を持って代理で土下座するような人も世の中にはいるから、名乗り出た議員が本人かはよく吟味する必要もあるかもしれないが」としたことで、鈴木議員がセクハラ発言したのは確かなのだが、現状では他の議員の「代理」の側面がセットアップされている印象はぬぐえない。今回の件では「子どもを産めないのか」の発言者も鈴木議員なのか、他にいるのか曖昧なまま幕引きになる空気は感じられる。
名乗りで後の雑感は以上。
以下は、昨日のエントリについていたコメントで「ああ、なんとも理解されないものだな」という思いがあるので補足したい。
別にどういう感想をもっていただいてもかまわないのだが、基本的なことが理解されていない人もいるように思われる。特定のコメントについては引用しない。要点だけを示すようにしたい。
要点は、「クオータ制を導入することはセクハラ・ヤジを無くすこととは関係がない」という批判である。
今回の問題では、「ヤジがいけないのだ、ヤジを無くせ」という意見の人が多いので、そういうフレームワークでは、ヤジの抑制によってセクハラが包括できると考えているのだろうと思う。私はまったくそう考えていない。
極論すれば、ヤジをもっと活発化させたほうがよい。女性が半数いる議会で、今回のようなセクハラ・ヤジが出たら、その場で、ヤジの大洪水になって議事がいったんふっ飛ぶくらいがよい。議会のなかでそれが可視になり、その場で、セクハラが意識されたほうがよい。性差別がここに顕現しているのだということを示して、言論において戦って性差別は解消されていく。根幹は、性差別を解消させるプロセスに乗ることである。
この点については、理解が難しいのかもしれないとも思うのだが、パリテというのは憲法によって天から降って湧いたように性差別がなくすというのではなく、性差別がなくなるための闘争の場をフェアに提供するということなのだ。パリテによって、性についての闘争が激しくなって当然なのである。その過程で権利が着実に市民のものになっていく。
この点に関連して、前回も少し留保はしたが、クオータ制とパリテは異なるもので、前者は民主主義の思想から生まれているが、後者は人権思想から生まれている。そのため、パリテではクオータ制の比という考えは否定されている。
私は人類の市民化は人類の進歩に付随する必然的な過程だと確信しているので、いつか日本でも(日本がそのときなくてもよいのだが)パリテが実現される日がくると信じているし、それを早めるために些細なブログを続けたい。ただ、実現はけっこう先のことで、私がその光景を見ることはないんだろうなとは思う。
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