あなたが一生かけても今回の国はこちら。
50年前所持金2,000円でたった一人自転車に乗り日本へやってきた謎のクウェート人少年。
そこで今回彼を見つけるべくすると予想外のその裏にはまずはクウェートを少し調べただけでもありえへんワードが連発です。
そんなイラクサウジアラビアと隣接しペルシャ湾の西にある国。
わあ。
クウェートといえば1990年に勃発した湾岸戦争の戦場となりました。
クウェートを舞台にイラクとアメリカを中心とした多国籍軍との戦争はハイテクな兵器が数多く登場。
日本でも連日ニュースで取り上げられました。
当時のイラクの大統領はサダム・フセイン。
2003年に起きたイラク戦争の末最後は捕らえられ死刑に処された人物です。
フセイン率いるイラクと多国籍軍との戦争は日に日に激しさを増していきその間にフセインはまさにやりたい放題。
生じた火災は制御できないほど燃え広がり広範囲にわたるそして多国籍軍の活躍によって翌年のしかし全世界でなんとクウェートは甚大な被害を被ってしまったのです。
そんなクウェートへの日本からの旅行者はおよそ5,000人。
つまり日本人の…。
今回の目的地であるクウェートへは日本からの直行便がないためカタールのドーハ国際空港を経由し日本からおよそ8,000キロまず湾岸戦争で激しい戦地となった首都は今どうなっているのでしょうか。
するとそこには高さなんと400mを超すクウェートで最も高いビル。
そうクウェートでは現在首都を中心に他にもコブラタワーというヘビのような形をしたビルや…。
建設の予定があるそうです。
戦争時の廃墟のような街とはまるで違う変貌ぶり。
このおよそ20年の間でそんなクウェートの国土は小さくほぼ四国と同じくらいの面積に四国より少し少ない人々が暮らしている国。
典型的な砂漠気候。
5月になると尋常ではない規模の砂嵐が街を襲います。
そしてクウェート国民のほとんどがもちろん続いて市内のショッピングモールに行ってみるとそこには高級ブランドショップがずらりと建ち並びブランド品や宝飾品を買い求めるお客さんで連日大賑わいなんです。
更に街のなかには宝石店が建ち並び金で作られた高級腕時計などを買い求める女性たちで大賑わい。
更にこちらはショッピングモールにあるとある寿司店。
そのメニューを覗いてみるとこちらの大トロの炙りはなんと…。
なのでお客さんも見るからにお金を持ってそうな方ばかり。
そのなかでかなり聞けば彼女たちはなんと女性が布で一切身を覆わずに出かけることはイスラム圏であるクウェートでは普通は考えられないのですが彼女たちのような慣習を重視しない若者はしかしなんとお小遣いの代わりにどんだけ金持ちやねん!更に…。
実はクウェート富裕人口の割合が非常に高く超お金持ち国家なのです。
その理由はもちろん湾岸戦争のきっかけにもなった石油。
なんと資源に乏しい日本からすれば更に以前日本に10年間住んでいたクウェートの情報省に勤める方にお話をお聞きすると…。
無料!?更に…。
37万!?17歳の少年が月37万円ものお金を持つことは日本ではありえないと伝えると…。
ちなみにですねそれはええなぁ!それはええな。
そんなクウェートのするとそこには厳しい!50年前所持金2,000円でたった1人自転車に乗り日本へやってきた謎のクウェート人少年。
そこで今回彼を見つけるべくすると予想外のということでまずはこちらから。
文化や宗教がまるで違うクウェート。
しかしひとたびジャパニーズ。
おぉありがとう。
ラブユー。
日本人と知るとクウェートの方々は好意的に私たちに接してくれるんです。
その謎を探るためまずやってきたのは首都にあるどうやらこの授業はかなりのあなたたち。
レッスンの合間には先生が少し偏った日本のイメージを生徒に教えることも。
日本人のイメージどんだけ真面目やねん。
日本の北海道は先生にとって涙を流すほど大好きな場所なんだそう。
そんな日本を大好きすぎる先生の授業を見学していると更に一生かけても99%行かないかもしれない国やってきたのは首都にある日本にも留学経験があり日本が大好きというムハンマド先生の授業がありえへんかった。
バツ!バツもう一度。
先生が取り出したのは授業で使うという反対ことばカード。
それだけで終わらないのが先生の授業。
なんと『となりのトトロ』をこのように先生が考案したユニークな授業の他にも…。
日本語の歌も授業に取り入れているのですが。
まさにクウェートで続いて向かうのはダイソーといえばそのため「気持ちが伝わるメール術」という本まで。
クウェートでは商品の値段は1つ民族衣装にスマートフォンを挟み器用に通話しながら買い物をしているこちらの女性にクウェートの方々にとってダイソーは自国では手に入らない便利な商品が安く手に入る驚きの場所のようです。
そこには日本とはまるで違うクウェートならではの気温が50℃を超える砂浜でその答えを発見。
そこにいたのはクウェートのダイソーのパーティグッズはクウェートのコスプレイヤーたちに支持されていました。
実はイスラム教の教えで皆さんこの33個の玉が連なったえっなぜクウェートでというありえへんものだったのです。
更にこのあと…。
一生かけても99%行かないかもしれない国ここで問題。
ヒントは女性?男子で…。
男子はいないでしょうね。
クイズのこと考え!わりと女性の方すごいメークちっきりされてる。
ここの上はすごくきっちりしてるから。
さあ安田君。
目まわりになってきますよね。
見えてるところでとなると。
ありがとうございます。
黒い民族衣装に身を包むことが多い女性が唯一楽しめるのがしかも安い価格で手に入るので続いてはこちら。
クウェートに関するある古い新聞記事を発見。
これは1963年今からおよそ50年前の朝日新聞の記事なのですが…。
という不可解な見出しが…。
今から50年前単身自転車で日本を旅したあるクウェート人少年のことが書かれています。
彼の名はムサラム君がやってきた当時の日本は翌1964年に控えた東京オリンピック開催に沸いていた頃。
そんな時代に遠路はるばるクウェートからたった一人でやってきて…。
しかしその裏には湾岸戦争を経てムサラム君が番組は現地で果たして50年前に日本へ自転車でやってきた謎の少年を一から現地で探して見つけることはできるのか!?というわけで早速しかし…。
ムサラム君を知っている人物はまったく見当たりません。
更に記事からムサラム君のフルネームも手に入れていたので簡単に見つかるだろうと思っていたのですが…。
よくよく考えればクウェートは50年の間にたびたび争いの戦場となってきた国。
ムサラム君がそんななか別のテレビ東京のスタッフに興味を持ったなんと日本の『おはよう日本』にあたるクウェートの朝の情報番組『おはようクウェート』にしかし…。
異国のテレビ局の勝手がわからず…。
そうムサラム君を探すため失敗は許されないのです。
そしてカメラマンやディレクターらしき人物がスタジオへ入っていくと…。
皆さんこの格好なんですね。
スタッフのその前に『おはようクウェート』の裏側を特別に見せてもらえることに。
緊張感溢れるサブコントロールルーム。
一刻を争う生放送をまとめているのはこちらの…。
彼が指を鳴らすと番組が次々と展開していきます。
ムサラム君の…。
〜そしていよいよ。
ありがたいことに『おはようクウェート』はスタッフの電話番号とメールアドレスをテロップで載せてくれ情報提供を呼びかけてくれたのです。
無事に生放送は終了。
そしてえ?サンキュー。
ウソ!?えっ。
ウソでしょこれ。
なんとムサラム君本人が『おはようクウェート』を見て番組に電話をかけてきたといいます。
立派な豪邸が所狭しと並ぶなか住所をたどるとひときわ大きい大豪邸に到着。
メードさんらしき人物に導かれえぇ。
スタッフの緊張もピーク。
すると…。
ハウアーユー?まだ当時の日本語の記憶がある様子のムサラム君。
あの写真から50年が経ち現在70歳。
まだまだお元気そうです。
すると…。
なぜか番組がNHKではなくテレビ東京だと知ってそしてテレビを見ていたどうやら自分を探していたことを喜んでいるご様子。
日本から突然訪れたスタッフを自家製のデザートでおもてなししてくれました。
それにしても見るからに聞けばムサラム君現在日本から帰国しそしてなぜ19歳の若さで自転車に乗り日本へやってきたのでしょうか。
するとムサラム君が取り出したのはと思っていると…。
実はそこにはアルバムにそれは…。
なんとクウェートに侵攻してきたイラク軍に思い出の写真をほとんど没収されてしまったんだそうです。
何十冊もの思い出のアルバムのうち手もとに更に…。
実はムサラム君…湾岸戦争時クウェートへ侵攻してきたイラクへ対抗する市民兵だったんだそう。
そう…。
戦いの中でムサラム君はなんと…。
多国籍軍の活躍によりムサラム君はこうしてしかし50年前…19歳だった彼はそもそもいったいなぜ日本へやってきたのでしょうか。
17歳の少年はしかしムサラム君は…。
そのため親からお金をもらって旅行に出かけた訳ではなくまさに着の身着のままで50年前のクウェートを飛び出したのです。
そして彼が旅の最終目的地に選んだのは極東にある日出ずる国日本でした。
日本を選んだ理由は第二次世界大戦で敗戦した後当時東京オリンピックを控え急激な成長を遂げているその姿をこの目で見てみたいと感じたから。
こうして世界一周の旅を始めたムサラム君は…。
写真に写っていた自転車は…。
自転車で回り世界中を旅していきました。
そこでムサラム君は今まで旅した国とはまるで違う日本にかつてない衝撃を受けたといいます。
そう当時の日本は翌年東京オリンピックの開催を控え国がどんどん成長し最も輝いているときでもありました。
そして来日して数日後ムサラム君になんと最初にたどり着いた神戸でしかし…。
こうしてムサラム君はそしてムサラム君にはどうしてもそう言って取り出したのは1枚の写真。
「遠来の好青年将来の発展を祈る」といった文章とともに日本の聞けば東京に滞在していたときムサラム君を家に招いてはご飯を食べさせてくれた恩人のような家族なんだといいます。
特に先ほどの言葉を贈ってくれたお父さんのことはなんとかムサラム君の気持を伝えたいところですが残る手がかりは瀧山和さんというお名前だけ。
お父さんも50年以上経った今90歳近いご年齢だと推測されどうしたどうした?スタッフが向かった先になんと…。
おはようございます。
おはようございます。
テレビ東京ですけども。
スタッフが奇跡的に発見できたのは早速当時の聞けばムサラム君と出会ったのは当時商社の仕事をしていた瀧山さんが出張で訪れたパキスタン。
自転車で最終的に日本に行くという話を聞きムサラム君が日本へやってきたのはその3週間後のことでした。
当時の自分の目で世界を見たいという19歳の家へ招いたり街へ連れて行ったりとまるで初めて食べる天ぷらが気に入ったムサラム君。
彼が衣とか肝心の…。
あれから50年。
言葉は少なかったのですが50年経っても結ばれていた絆を噛み締めちょっぴりというわけで50年前日本を旅した少年は今なお元気にクウェートで暮らしていました。
ともさかさんムサラム君のお話はいかがでした?ちょっと美輪さんあの出会いはすごかったですね。
後日我々のスタッフさんが出演したそうみたいです。
続いてはこちら。
なんでもその日本人はクウェートで一度死の危機に陥りながらも生還しさっそくするとそこに白い民族衣装に身を包んだ男性が。
(スタッフ)こんにちは。
聞けば佐藤さんクウェートで一度は死の淵に立ちながらも復活しこの地で働き続けているんだそう。
その裏には早速ですがお宅におじゃまさせていただき佐藤さんに関する手がかりを探します。
すると…。
こんにちは。
出迎えてくれたのは…。
(スタッフ)よろしくお願いします。
それではどうぞ。
すみませんおじゃまします。
お住まいは2LDKのマンション。
3人で幸せに暮らしています。
それにしても一度死の危機に直面した方とは思えません。
すると…。
これねちょっとあの…。
イラクの復興支援に協力したと書かれた自衛隊からの感謝を示すモニュメント。
と思っていたら…。
なんとスタッフのために他にもオクラとお肉の炒め物。
そしてそばを加えたこちらのお昼ご飯をいただきます。
笑い声の絶えない明るい食事が終わると…。
忘れてはいけないのが一度死の淵にいたという佐藤さん。
今は元気になったとはいえ佐藤さんが見せてくれたのは…。
見せていただいたのはここで問題。
佐藤さんのご職業はいったい何?でも細工する?物を工夫して細工する…。
えっ…。
パス回ってきたで。
細工って聞いたからな。
そういうのを海外でいろんな人に見せてやってるんじゃないかなと。
ニコイチ?そういうパターンもあるの?そういうパターンもありますよ。
さあ安田君。
じゃあ使いましょう。
さあ丸山チャンスめぐってきました。
あめ細工ならぬ魚細工。
佐藤さんの仕事場へおじゃまさせていただくと…。
この格好はまさか!魚細工やんけ。
まさかの…。
そう実は佐藤さんクウェートの日本食料理店で腕をふるうまた和食の料理人である佐藤さんがその裏には子供の頃から海外での生活が夢だった佐藤さん。
料理人だった父親の影響から現在暮らしているクウェートにいたるまで海外の方に日本食を提供してきました。
その腕と海外での経験を買われ隊員たちは厳しい任務の中先ほどのモニュメントは現在クウェート在住9年目。
愛する妻と一人娘と幸せな生活を送っていたのですが…。
3年前佐藤さんに突然の悲劇が襲います。
それは…。
奥さんが運転する車で応急処置によりなんとかまさに九死に一生を得た佐藤さんですが続いてやってきたのは大きな不安。
一家の大黒柱である自分が最愛の妻幼い娘の2人をなんとか養わなければ…。
しかもここはリハビリを控えた病床で佐藤さんは途方にくれました。
しかしそこへそれは自分にとっては異国であるはずのクウェート政府の医療制度によりなんと手術費や術後の医療費がほぼタダ同然になったのです。
病以外のリスクをほぼ背負うことなく佐藤さんはなんとそんな思いを胸に今も彼はクウェートの人々に日本食を振る舞い続けているのです。
それは佐藤さんだけではありません。
その思いを奥さんと娘さんが佐藤さんへの手紙にしてくれました。
まずは最愛の続いて夫を支え続けたありがとうねホントね。
クウェートで病に倒れながらも家族に支えられ再起を果たした佐藤さん。
ともさかさんいかがでしたか?続いてはこちら。
なぜ親日?1990年に勃発した多国籍軍の介入によって翌年イラクに侵攻されていたクウェートに平和がもたらされましたが日本も積極的に資金援助を行いクウェートへの資金額は総額1兆円にものぼりました。
しかしその後のクウェートによる公式発表に当時の日本は衝撃を受けます。
それはクウェートによって発表された30か国に及ぶリストの中になんと世界中からといった非難を受けていたのです。
といった認識を持つ人々も当時少なくはなかったのです。
岩手県のある街で今年4月イベントが開かれていました。
実はそこに三陸海岸に住む住民たちの足としてしかし東北を襲った2011年の東日本大震災により尊い命が奪われるだけでなく家や道路など人々の生活に関わる三陸鉄道も線路や橋桁が流れてしまった場所も多数あったといいます。
三陸鉄道は一部区間を復旧できたとしても将来のことを考えるとただでさえ赤字の鉄道が実はクウェート東日本大震災に見舞われた日本へなんとクウェートからの援助金は被災した駅舎の再建やこちらの新しい8両編成の車両にあてられました。
車両にはアラビア語とともにこんなメッセージが…。
その裏には湾岸戦争のあとに起きたそれは戦争時に多国籍軍がペルシャ湾に侵入しないよう厄介なことに銃1丁の値段より安く製造できるため1,000個以上の大量の機雷がペルシャ湾にばらまかれていたのです。
そのおかげで船舶は往来することができず国の財源であるそこで立ち上がったのが湾岸戦争で戦闘に参加せず世界中から批判の目にさらされた自衛隊の海外派遣部隊隊長として現場を指揮した落合さんにお話を伺うことができました。
当時の世論は断然反対。
自国である日本からも批判にさらされながら自衛隊は出航したそうです。
そんな隊員たちがペルシャ湾の現場に到着したとき待ち受けていたのはそう休戦協定が結ばれてもなお現場では不安定な情勢が続いていたのです。
何者かもわからない不審船に取り囲まれ襲撃されることもあったそうです。
しかし…。
隊員たちは世界中の批判に意気消沈することなく日本人としての誇りを持って逆境に立ち向かったのです。
そんな隊員たちの活躍もあり周囲の海域は機雷除去が非常に困難な地形でしたがこれによりペルシャ湾の船舶の往来が可能になり日本は自衛隊が任務を終え帰国する頃にはその活躍に批判的だった世論はすっかり逆転したのです。
続いてはこちら…。
クウェートでも大発見!日本が好きすぎて…。
早速間違い日本食堂を見つけるべく宝石店にいるこちらの女性…。
その手に持っているのはアイスクリーム。
日本ではアイスクリームを食べながら女性たちが気軽に宝石を買っているこのような光景はなかなかお目にかかれません。
ということで発見したのがこちらの聞けばこちらのお店日本食を愛するがゆえにそこはまるでそして実はこのような内装なのはさあここで問題です!さあ知念君。
いちいち…まあ人前やったらこれやらなアカンから。
さあ安田君。
なんで飯食いに行ってスコーン!って…。
実はこれ例えばマクドナルドへ行ってみると…。
こんな女性の姿が。
せっかくの外食もこのようにコソコソ食べなければなりません。
この内装はそんな女性のために進化したクウェートならではの内装スタイルだったんです。
そんな独自の進化を遂げた日本食堂寿司クラブではやはりということで人気No.1の寿司を注文してみると寿司を頼んだのに出てきたのが…。
そしていよいよやってきた一生かけても99%行かないかもしれない国。
クウェートで人気の日本食その名もそこへチョコレートソースをたっぷりかけます。
そこへまたもや更に天かすへこれでもかというほどチョコレートソースをたっぷりかけじっくりかき混ぜたものを寿司の上へ。
仕上げにもう一度チョコレートをかければ完成。
見た目をしのぐチョコレートが使われているこのひと品。
これをマヨネーズソースにつけて食べるのがクウェート流。
いただきます。
続いてはこちら。
クウェートの東大といわれるクウェート大学の日本語教室におじゃますると…。
さすがクウェートの東大といわれるだけあって恥ずかしいから日本人がよほど珍しいのかクウェートでのというわけでふだんは秘書をしている22歳のワハブ君の家におじゃますることに。
やってきたのは3階建ての立派なお宅。
そして最初に案内されたのは客間。
中東圏ではお客さんを招くために玄関から入ってすぐ必ずこうした客間があります。
残念ながら父親の許可が得られずこれ以上お宅の中へは行けないようです。
未婚の女性がいる可能性があり宗教上の理由から女性への撮影は厳しいため中東の家へ上がることはかなり難しいのです。
するとそこへ…。
やってきたのは大黒柱の実はお父さん22歳の息子が日本語を話す姿を初めて見るんだそうで…。
どうやらお父さんに掛け合ってくれるようです。
果たして…。
どうやらお父さん息子が日本語を話す姿に胸を打たれ心変わりしたよう。
一生かけても99%行かないかもしれない国。
クウェートの東大で見つけたワハブ君22歳のご自宅へおじゃまして…。
目の前に広がるそして…。
エレベーターで1つ上の階へ上がると。
その先が22歳のワハブ君のお部屋。
(スタッフ)うわっ!子供部屋は全部で5室。
一人ひとりに個別の部屋が与えられているんだそうです。
部屋にあるものを紹介してもらうと…。
ワハブ君の趣味はラジコン。
続いて見せてくれたのは…。
更に…。
少しオタクでとても心優しいワハブ君。
そしてご自宅を見せてくれた
(スタッフ)お土産。
時間が経つにつれすると…。
果たしてシャイなワハブ君が思い悩む一生かけても99%行かないかもしれない国。
ご自宅を見せてくれたワハブ君22歳と仲よくなったスタッフは彼からある相談を持ちかけられることに。
自分は奥手な文化系男子で普通の男の子のように女の子としゃべることができないというのが彼の悩み。
ワハブ君は心優しい青年。
えっウソ!?ホントだ。
ワハブ君ありがとう大切にするよ。
更にクウェートで一般的な生活を送るやってきたのはマンションの一室。
こんにちは!ハーイ!こちらがおじゃまさせていただく家庭のお母さん。
早くに旦那さんを亡くしクウェートのシングルマザーのお宅は果たして?通されたのは早速お招きいただいたお礼に心ばかりのお金持ちのクウェート人に対しかなりリーズナブルなお土産だったのですがどうやらかなり気に入っていただけたようです。
この客間を除いて更に4室もあるというこのマンション。
国から与えられた一軒家は売りに出したためクウェート人の家としてはこれでもかなり小さいほうなんだそう。
お土産のお礼にクウェートの国民食を振る舞ってくれるというお母さん。
その国民食は日本人なら誰でも大好きな一生かけても99%行かないかもしれない国。
材料はそして味の決め手となるあれを使用します。
まずは炒めた鶏肉を香辛料で次々と味付けしていきます。
食欲をそそる香ばしい香りがしてきたところで…。
味の決め手トマトソースを加えます。
更に野菜を入れじっくり煮込んでいけば…。
トマトベースですが日本のカレーにそっくりな一品。
いったいどんな味なのか
(ベッキー)できあいのスープのことをクウェートではマラガといってチキンをデジャッジというのでマラガッジャッジ。
(村上)合わせてね。
美味しいですかともさかさん。
お口に合いますか。
知念君どうでした?
(村上)辛みとかは?でもちょっとスパイシーで。
でも僕そんなに強くないんですけど辛いの…。
でも全然食べられるんでそのくらいの辛さ。
(村上)カレー感覚っちゃカレー感覚なんですかね。
丸山さんはどうでした?というわけでありえへん魅力いっぱいのクウェート。
ぜひ行ってみては?このコーナーは人生をよりよくしてくれるありがたい花言葉を美輪さんからいただくコーナーです。
美輪さんどうぞよろしくお願いいたします。
また大きなテーマですけれども。
改めてどんな思いがあるのでしょうか?人間はねまず自分を基準にしてると思うのね。
自分はまともであるだとか正常であるだとか自分の性癖とか習慣とか考え方とか。
いろいろあるじゃない?才能とか。
自分を基準にしないで宇宙全体世界全体日本全体そういうものを全部基準にして広い視野で見ると自分もまたそれが1つの個性なんだってことね。
自信もてるじゃない?人を非難することも悪口言うこともなくなるじゃない。
ということを言いたかったのでございます。
なるほど!深いですよこれは!『鎌塚氏、振り下ろす』というお芝居をですね7月4日から27日まで下北沢の本多劇場で上演いたします。
ぜひ遊びにきてください。
明日6月18日にHey!Say!JUMPの3枚目のアルバム『smart』が発売になります。
(村上)まんまやん!2014/06/17(火) 18:57〜20:54
テレビ大阪1
ありえへん∞世界「湾岸戦争の戦場だった国 クウェート大潜入SP!」[字]
湾岸戦争の戦場となった国「クウェート」の現状とは!?50年前自転車で日本にやってきたクウェート青年▽実は親日国?クウェート人が教える謎の日本語教室に潜入
詳細情報
番組内容1
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