右京署は安全安心な町づくりに、より一層努めたいととしています
(黒柳)『徹子の部屋』でございます。
今日のお客様6年ぶりのご出演です。
実は3年前に急性リンパ性白血病にかかって闘病なさってらしたんですが現在は回復に向けて今は闘病中なんですけどだいぶ…ほとんどお元気なんですけど一応まあちょっと…。
ちょっとはい…。
大塚範一さんなんですけど…。
よろしくどうぞ。
そういうわけでこれから色々お話を伺います。
よろしくお願いいたします。
お願いします。
でもお元気そうで何よりです。
ありがとうございます。
色んなことがあるものでございます。
朝早く…あの番組は何時でしたっけ?相当早かったですよね?5時25分頃からやってました。
そうですよね。
朝の番組をやってらしたんですけども途中から…あれ随分長く…。
17年半やりましたかね。
朝早くお起きになってねずっとやってらしたんですけど。
6年前に『徹子の部屋』においでいただいたんですけどそのあと3年前ですかね?はい。
ええ…でもよかったですよね。
急性リンパ性白血病っていうのですから普通だとちょっとね。
ああ…大変な病気でね。
しかも60過ぎてからもう手の施しようがないというような感じで言われてましたよ。
あっそうですか。
で…何とかこう治療に耐えてというか。
抗がん剤とか色んな…。
抗がん剤の影響だかなんかがあってお顔がちょっと膨れているような感じがあるんですけど。
体重は痩せてるんですけどね顔とおなかが膨れるんですよ。
これ腹立ってね。
そりゃ不愉快ですよね。
不愉快ですよ。
逆がいいですよね。
そうなんですよ。
でもまあ皆さん…6年前に出ていただきました時にはお母様のお話をねちょっと認知症におなりになったって…。
こういう感じで出ていらしたんですけど今そういう…今仰ったようにこれやっぱり抗がん剤の影響ですかね?顔がちょっとこう膨れてムーンフェースみたいに…。
もう明らかにそうです。
何しろその…すごい3年間の闘病生活だったと思いますので大変だったでしょう?あの抗がん剤っていうのが。
本当に具合が悪くなるそうで。
まあ…自分自身はただ寝てて耐えるだけという感じでそんなに大変な思いをしたという感じはないんですけどもね。
過ぎ去ってみると…うわもう2年半。
そうですね。
約3年近く。
でその管がなんか色んなところから入ってくるんですって?それが嫌ですよね?移植をする時にね。
あっ移植。
後で臍帯血なさった…。
臍帯血移植をする時ですよね。
その移植部屋っていうのに入れられて本当にもう3畳か4畳ぐらいのところにトイレはあるわシャワーはあるわテーブルはあるわそれからベッドはあるわで。
そこに隔絶されるわけですよ。
色んなものがうつらないように。
ええ。
そこに入った時にはやっぱり…点滴が両腕に4〜5本つながって身動きもできないという感じで。
でももうその臍帯血って赤ちゃんのへその緒からの組織を入れるっていうことができるようになったので随分そのご病気が…白血病が…完治なさる方が多くなってきたみたいですね。
そうみたいですね。
臍帯血移植のほうが骨髄移植よりも比較的体に与えるダメージが少ないって言われていて。
だから年取ってもできるという感じなんですけどもね。
でも60過ぎてはちょっと無理だろうとずっと言われてるんですけどね。
元々お元気でいらしたので大塚さんは…。
はあ。
それで大塚さんは健康には非常に気をつけていらっしゃって何しろお酒飲まない。
気をつけて飲まないんではなくてそんなに強くないから飲まないだけで。
でタバコも吸わない。
はい。
でまあゴルフだけ。
ええ。
運動はやってらしたっていうか何にも悪いこと…。
ただ朝早く起きて17年間毎日朝の番組をやってらしたっていうことがちょっと体を疲れさしたのかなっていう感じもしますけどね。
それもありますね。
それからやっぱりこの年になってこの病気になるっていうのは何かストレスがある…かかったっていうことをみんな言いますけどもね。
でもあれですよね?大塚さんがこうやってお元気になって3年近くこうやって治療をなさってとにかく白血病っていうものを今乗り越えようと…ほとんどまさに乗り越えてらっしゃるところなんですけど。
白血病の方たちが安心なさるでしょ?きっとね。
まあ…色んな方々から手紙はがき…頂きましたけども。
自分の家族がそうだった。
自分の亭主がそうだった。
まあ子供がそうだった。
子供…多いですね。
皆さんが本当に治るかっていうとそうでもない…大変な病なんで。
いやー…緊張し続けてますけどもね。
そうでしょうね。
でも…渡辺謙さんみたいに2度なったんですからねあの方ね。
それでそれを乗り越えてとにかくまあ当時としてはまだ今のように進歩してない時でしたからね。
それでももう大変だったそうですよ。
そのやっぱり抗がん剤たくさんやってね。
ですから私もこんなところでへこたれてちゃいけないと思うんですよね。
だからそういうことでは今日ここでお話を伺ってそういう病気でくよくよしてらっしゃる方…どうしたってくよくよせざるを得ないですよね。
頭から離れないんですよ実は。
そうですよね。
これはどうなるんだどうなるんだっていうこと…。
でも食欲はあったんですって?結構。
それすごいなと思うんだけど。
これね食欲だけはね誰に聞いてもあいつが一番だって言われるぐらい。
食べ過ぎじゃないかって言われるんですけどね。
でもあれですよね?お医者様って最初に「食欲ありますか?」ってお聞きになるじゃないですか。
確かにそうですね。
必ず聞きますよね。
だから食欲ありますって言うとじゃあ大丈夫ですねっていうことにもなっちゃうと思うんですけど。
一番最初はどういうことからこの白血病だっておわかりになったんですか?ゴルフやってなんか疲れたなと思ってここを触ったんですよね。
そしたらしこりが2つ3つあって。
ここに?うん。
リンパ腺ですよね。
リンパ球ですか。
でうち帰って風呂入る時にやっぱりそけい部にもあったりしてあら?これちょっとおかしいなと思って近くにいつも行くお医者さんがあってそこに行ったんですよ。
で血液検査をしたらたまたまそこから今行ってる大学病院の先生が週1回来ていて。
その先生が血液内科の方だったんですよ。
で特別にその血液検査をしていただいて即入院ですよもう。
で病名はそこですぐに仰ったの?金曜日に血液検査して月曜日に「ちょっと来なさい」って呼ばれて火曜日に…行ってもう入院ですから。
でも「仕事が…」とかって。
関係ないもう…。
すぐやめてくださいっていう感じ?もう仕事をするような病気じゃないっていうことで。
病名もすぐそこの時に?はい。
じゃあその白血病っていうのをお聞きになった時は…。
急性リンパ性白血病ですか。
どんなふうにお思いになりました?あの…番組の伝え手として色んな方々の…白血病なんか伝えてきましたよね?番組でもね随分お取り上げになったと思いますよね。
それが…自分のことになるとは本当に思わなくてびっくりしましたね。
で意外にそのなんかほう…っていう感じでまだ実感として湧かないんですねしばらくね。
ですぐに入院してしばらくすると「ああこれはそうなんだ。
大変な病気なんだな」っていう感じになってきましたけどもね。
でもまあ医学は進歩しているのでね昔に比べれば。
まあでもその部位…白血病でも薬が効くものとそうじゃないものとあって色々あるんですよね。
それからその…何ていうんですか抗がん剤。
抗がん剤もその人によって合うのとか合わないの。
それがもう一番色んなことねあるそうですけど。
抗がん剤もそうですしそれから移植の前にX線当てたりして随分体は痛めつけられてると思うんですけどね。
でも毎日毎日朝の番組に出てらした時はどんなに眠くてもとにかく朝の5時半でしたっけ?5時25分からでしたからもう…。
本番が5時25分ですから早いですよね。
起きるのは3時15分ぐらいですからね。
局はね4時頃入ってました。
でもまあとにかく朝…何かの加減で間違って朝早く起きてつけると出てらしたので早いなと思って私拝見してましたからね。
いらっしゃらなくなってね…。
女の若い人が周りにいつもいるような大変にぎやかな朝の番組でねいいことだなと思っては…。
NHKの時から存じ上げていたんですけども。
でも大変お元気なんで心配してらした方随分多いと思うんですよ。
朝17年間も毎朝毎朝見てらした方は急性白血病…急性リンパ性白血病っていうことになって「あらら…」ってお思いの方いらっしゃるかもしれないけどちょっと今お薬の関係とか治療の関係でお顔はちょっと膨れて…お元気そうなんですけど。
今本当に…回生に向かっていて皆様にちょっとその経過報告をなさりたいということでね。
お元気そうなので…食欲があるということで何よりでございますので…。
でもまあそういう…本当に抗がん剤の苦しさっていうのよくお話聞くんですけどのたうち回るっていうようなねこともよく聞くじゃないですか。
そんなにはなかったですか?そんなのたうち回るという感じはなかったですね。
ただやっぱり色んな粘膜がやられて口中血だらけになったり。
なんかものが召し上がれない時期があったんですってね。
そうなんですね。
それがこの…どっちかっていうと食いしん坊の自分がですね食べられないっていうのは相当なもんですよね。
この間巨泉さんがやっぱりね放射線で口の中に全部口内炎ができちゃって味覚が全部なくなった時はね本当に死んだほうがマシと思ったって仰ってました。
やっぱり味覚なくなりました?味覚なくなる。
それから食欲もやっぱり落ちる。
その時はさすがに食欲落ちました?薬が飲めないんですよ。
のどが腫れて。
すごい数飲むんですって?それで。
薬が。
皆さんちょっとこれ驚きました私も。
最高一日70〜80錠飲みますよね。
70〜80錠…。
小さいのが多いですけどもね。
今はでも…それでも40錠ぐらいですかね。
でもそれ嫌だと思ったら…飲み込めないと思ったらこういうとこって飲み込みたくなくなると飲み込めないでしょう?そうなんです。
だから点滴にするんですよね。
ああそうか。
でもまあアナウンサーなんていうのははっきり言うと割と辛抱してそこまでいらっしゃってるので…。
辛抱し続けですよ。
そうですよね辛抱し続けで。
それで辛抱し続けでそうやっていらっしゃる時にお母様がお亡くなりになるっていうことがあったのにいらっしゃれなかったんですって?何にも。
そうなんです。
ちょうど入院してからひとつきかひとつき半ぐらいで入院した時にこれやばいな…。
ちょうど母親も相当悪くなっていましたんでね。
あとは認知症にちょっとおなりになったりしてたんですか?認知症でずっとですから。
あっそうですか。
認知症がひどくなって私と一緒にいられなく…僕は朝早いんで。
で2番目の姉がちょうど手が空いたんでじゃあ見てやるっていうんで京都に連れていってくれたんです。
非常にあれはありがたかったんですけどもね。
で…僕が悪くなった時と母親がひどくなった時とちょうど重なってこれはまずいなと思って。
やっぱ案の定そうでしたね。
入院して1か月か1か月半で…。
だからお葬式とかそういうのにも全部お出になれなかったんですって?そうなんです。
全部お願いしちゃって。
そうですか…。
でもまあお母様わかってらしたでしょうからね。
いやー…わかってはいてもやっぱり…子供として息子としてはね。
これはちょっとしんどかったですね。
そりゃそうでしょうね。
本当ねご自分のことも心配なんだけど色んなこと思い出してねお母様の。
どうしようもなかったですから…。
京都だったんで出ることもできずに…。
東京にいらっしゃったらね。
それはおつらかったと思います。
そういう精神的なものもまたね病気やってる時ってねよくないじゃないですか体にね。
そうですよね。
これは…そういう運命なのかと思って諦めてみんなお願いしましたけどもね。
お母様がとてもあなたを可愛がってらっしゃってとても素晴らしいお母様でお料理も上手でそれで…。
いや料理はそんな上手じゃない。
上手じゃないの?いやいや上手じゃないっていうか昔の人ですからね色んなところで食べ歩きっていうことはしないわけですよ。
昔のお料理ね。
ですから例えばふきの煮物とかね。
それから…何だろう?あんことかそれこそ…。
あんこがおいしいんですって。
甘くておいしいあんこ。
あんこがおいしいなんて今ねみんな作れないですからね。
そういうのが懐かしいですよね。
あっそう。
あれなんですね?私知らなかったんだけど大塚さんって独身なんですって?ハハッすいません…。
これすごいなって…。
私ねまさかと思いましたね。
自分でもまさかと思ってるんですけどね。
毎朝出てらっしゃる時に結婚してらっしゃるとばっかり思ってたんです私。
奥様も大変だろうなさだめし早く起きてと思ってたんですけど。
奥さんいたらあんな仕事できないかもしれないですね。
でもまあずっと闘病してらっしゃる時にどなたかいらしたらよかったっていう…。
それとも1人でやったほうがいいっていう感じでしたか?いやー…今は病院は必ず身内の同意を必要とするんですよ色んなこと。
近くにね実はいないんですよ兄弟たちもね。
めいっ子が今色々…病院なんか行くと世話してくれるんですけど。
ああじゃあ…そういう若いお嬢さんの手があることはいいじゃないですか?そういう方がいらっしゃるということでね。
よくお話聞くんですけどへその緒から来る臍帯血ってね新しい方法。
そしたらあれはなんか血液型変わっちゃうって本当なんですか?びっくりしましたよ!「大塚さん今日からA型です」って。
本当?前は何型?今までB型だったんですけどね。
しかもA型の…女の子だという…。
A型の女の子?そうそう。
ハハハ…!ハハハ…。
私A型の女の子ですけど。
ああそうですか!ただ私はA型なのにこんなグチャグチャいないってよく言われるんですよ。
だから色々でしょ?きっとね。
まあ六十何年生きてきていまさら性格が変わるとは思いませんけども。
でも血液型が変わったっていうのはびっくりしましたよ。
みんな大笑いですよ。
そりゃそうですよね。
えー?ってね。
それでほらB型ならどうのA型ならどうのっていうのがすごい変わっちゃうわけですからね。
そうですか。
どうでしょうかね。
前はB型で合ってると思ってらっしゃいました?ご自分で。
なんか…アナウンサーとか放送の世界って本当B型が多いんですよ。
そうですか。
司会者はA型が多いって言われてるんですよ。
そうですか。
私前は聞いたんですけど。
B型ばっかりでね周辺で。
そしたらA型になっちゃって…。
もうだからアナウンサー不適格かなと思って。
でもまあね。
でもあれでしょ?お父様は貿易のお仕事をなさったりして。
そうですねあの…。
税関?税関ですね。
通関業務をやっていて。
あっそうなんですか。
一時なかなか…自分で仕事を始めたらうまくいかずに非常につらい時期も長かったんですけどもね。
でも穏やかそうなお父様でいらっしゃるのにね。
まあ優しかったですね。
あっそう。
甘やかされて育ったのね。
本当にね…。
優しい。
奇麗なお父様。
怒るってことをあんまりしない父親でしたね。
でもやっぱりお父様の夢は何といってもオリンピックに行ってアナウンスやってほしいっていうお気持ちもあった?そう。
スポーツで…アナウンスをやってほしいっていうことがあって。
たまたま亡くなる時にですねNHKのオリンピックアナウンス研修っていうのを代々木でやってましてね。
室内競技場で。
その時に横浜の病院に入院してたんですけども電話が入って。
ええ。
さっき亡くなったっていう。
あっそう。
オリンピックの研修受けてらした時に。
これはちょっとなんか象徴的でしたね。
そうですよね。
でもまあ…あともうちょっとでまたオリンピックありますよ東京オリンピック。
何とかやりたいです。
本当にスポーツを目指していながら途中でクイズ番組やったりそれから…。
バラエティー。
朝の番組やったりして。
結局オリンピックには無縁なんですよね。
でもあれですよね?今考えてらっしゃることはオリンピックの直接アナウンサーできなくてもいわゆる何ていうんですかねその…いわゆる報告?はい。
インタビューとかでね。
インタビューとかそういうことをおできになるわけですから。
リポーターなり何なりね。
やりたいですね。
ねえ。
ぜひぜひ。
そう思ってますよみんなも…。
必ずしも若い人ばっかりに任せていいもんでもないし。
そうですよ。
昔のことご存じの方がね。
東京オリンピックのことを知ってる人間がやるっていうのもまた面白いと思うんですけどね。
あの時もうアナウンサーだったんですか?まだ高校1年だったんですけど。
お若いんですよね大塚さんってね。
私びっくりしちゃって。
NHK入ったのね私よりね20年あなたが…。
私28年なんですよね。
そう。
僕48年なんですから。
そうなの。
だから20年後なんで驚いちゃった私。
えっ?えっ…えっ!なんて思って。
ちょうどテレビが始まった年に私は採用されたんでね。
テレビ女優第1号っていうことだったんですけど。
僕…その頃我々はテレビなかったですからね。
みんなないです。
うちもないですから。
高いからほらね。
小学校3〜4年ですからテレビ。
僕らあの頃本当に街頭テレビっていうのがあってそこでプロレスやったり相撲やったりしたのを見てましたよ駅の近くで。
新橋の…新橋の駅なんかすごかったですよねプロレスの時。
街頭テレビっていうのは懐かしい言葉ですけどね。
街頭テレビ。
そうそうそういうのがあって。
そのだいぶ後にこちらお入りになったんですけども。
だからあと何年かで東京オリンピックの時にはぜひ完全にお治りになってそういう何ですかね…。
やりたいですねそれは。
いいリポート…色んなことご存じの方でなければできないリポートをね。
今からでも…スポーツ関係の方にお願いしておきますので大塚さんがその頃…。
テレビ朝日はじめ各局方よろしくお願いします。
それまでに完治なさいますのでぜひその時に出さしていただきたいと私からもお願いいたします。
お願いします。
このぐらいプロの方はいらっしゃらないので。
やっぱり昔の色んなことをご存じの方がなさるっていうのは今はねわかってるっていう人よりはいいこといっぱいありますものね。
お父様の夢でもあったわけですからね。
そういうことで親孝行にもなるということで私がお願いするっていうのも変ですがせっかくでございますから。
さてまあ…ほとんど今はもう闘病中とはいっても今はもう…緩解っていうんですかね。
はい。
お治りに近いんですけども今夢みたいなものはあるとしたら?夢はやっぱり本当に健康体を取り戻すことですねまずね。
それが何よりでそれがないと仕事もゴルフも何にもないっていう感じです。
ゴルフはやってらっしゃらないの?全然。
ゴルフできないですね。
今足がしっかりとしない。
もうやっぱり歩けることですね一番大事なのは。
そうですね。
歩けることが第一でしょうね。
それから免疫を上げて。
そうですね。
そうすれば何でもできるっていう…。
仕事のほうはやっぱり色んな情報を扱う仕事が面白いかなとは思っているんですけどもね。
それも…やっぱり相手しだいというか相手からの要求があればの話ですからね。
でもこれだけおしゃべりになるってことは皆さんおわかりになったので。
おしゃべりになれることがわかったので…。
でもやっぱりねしばらくやってないと言葉が出てこないんですよね。
使ってないとね。
あれ困りますね。
そりゃそうでしょうね。
ええそう思いますよ。
想定している言葉はあるんだけどその言葉が何かって出てこないの本当に困りますよ。
そういう時はねそういうとこに近づかないほうがいい。
違う話に持っていく。
さすが…。
よくおわかりになってる。
名前が出ない時はねそこにいかない。
遠ざかるね。
遠回りするとか。
そうそう…。
それが一番いいようです。
コマーシャルです。
そんなふうな死のふちまでちょっといらっしゃったような感じがした時人生観って変わりました?人生観ねまあ…変わるというよりもやっぱり今までどおりという感じですかね。
あまり自分から動くという感じではなくてお医者さん任せになっちゃうわけですけれども。
まあでもとりあえずは自分は寝てるしかないという感じがありますよね。
でその…どんなに強気なこと言っても日々頭の中にあるわけですよ病気。
これがどうなるのか死につながるのか生きられるのか。
まあそこのところは誰にも言いませんけれども結構しんどいものがありますわね。
それが2年半以上続いてたわけですから。
そうですよね。
まあでも過ぎてしまうとまあ…頑張れたのかなという感じはしますけども。
そうですよね。
だってお元気でなかったらこんなことねここに来てお話しなさるっていうことね笑ったりとかねなんかおできになるわけもないので…。
やっぱり基本は笑えることが大事ですよね。
食べて笑えるっていうのはねこれもう最高なんですよ。
食欲はある。
そこは大丈夫ですね。
であとお笑いになってらっしゃるので大丈夫っていうことで。
だから楽しいことを考えるとかね面白いものを見るとかそういうふうなので免疫高めていくっていうことも…。
そうですね。
今はもう病院にいらっしゃらなくていいの?いやよく行きますよ。
そうですか。
2週にいっぺんは行きますしそれから色んなとこやっぱり悪くなるんですよ。
今目が悪くてこの間も入院して手術したり。
あっそうなんですか。
こういうのがやっぱり免疫力の低下で色々出てくる。
これがなくなったら本当によくなった…。
これから東京オリンピック目指して頑張っていただきましょう。
ありがとうございます。
本当に今日はねありがとうございました。
皆さんお元気ですので安心なさってください。
続いては上沼恵美子さんの『おしゃべりクッキング』です。
2014/06/18(水) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋[字]
〜白血病との闘い〜大塚範一さんが今日のゲストです。
詳細情報
◇ゲスト
元NHKのアナウンサーで民放に移籍後、朝の情報番組のキャスターとして17年間活躍していた大塚範一さんがゲスト。
◇番組内容
3年前に急性リンパ性白血病を発症し闘病を続けていた大塚さん。病気を知った時は、健康体の自分がなぜ?という気持ちが強かったと語る。治療はとても辛かったが、入院中に最愛の母が亡くなり葬式に駆けつける事もできなかったのが一番辛かったという。もともとスポーツの名実況で名を馳せた大塚さんの心残りはオリンピックで実況を一度もできなかったこと…完治して6年後の東京オリンピックで何らかの仕事がしたいと夢を明かす。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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