ご無沙汰してます。
どうもご無沙汰してます。
今日はよろしくお願いします。
こちらこそよろしくお願い致します。
グラビア界に革命を起こした異端児。
独特の存在感で引っ張りだこの俳優。
今強烈な個性で人々を引き付けている2人が大切な音楽を持ち寄り語り合います。
遅咲きの29歳でグラビアデビュー。
一躍時の人となりました。
・「四つのお願い聞いて」去年の「紅白歌合戦」では日本舞踊を披露。
バラエティー番組やドラマなど活躍の場を広げその生き方は女性からも共感を集めています。
・「それからあなたが恋を」・「笑いなさい笑いなさいいやなことは忘れて」芸能界で花開くまでの道のりはそのまま自分の居場所を探す旅でもありました。
・「どうしたいのこうしたいの」・「一つやさしく愛して」・「二つわがまま言わせて」そんな偽装ができるのは彼女を殺した犯人だけです。
いや〜!その独特な存在感そして見る人を印象づける演技。
40を過ぎてから頭角を現し今や引っ張りだこです。
実は自らバンドを結成しCDを出すほどの音楽好きでもあります。
・「それでも言えるぜありがとう」・「ガソリンとマッチをちょうだい」・「パチンコパチンコパチンコに行くのさ」ギャンブル依存借金まみれ4度の結婚。
型破りで破天荒な道のりの中でもがき苦しんできました。
・「さくらさくら」・「ねじれた心にロックンロールが」・「どうにも響いてこない」実は壇蜜さんが今最も引かれている男性は六角精児さんだとか。
ともに遅咲きの花を咲かせている2人によって波乱に満ちた人生が語られます。
心に残る音楽を通して2つの人生を見つめます。
高度成長期を迎えていた1962年。
ビートルズがデビューしたこの年六角精児さんはサラリーマンの家庭に誕生しました。
記憶に鮮明に残っているのは当時大きな話題となったこの曲でした。
自分が物心が付いて一番最初に聴いた曲だと思うんですよ。
まだ記憶に今ある。
はい。
声がほらちょっと・「おらは死んじまっただ」という感じのね。
早回しみたいな。
ええ不思議な感じがして。
何でしたっけ「酒はうまいし」…。
「ねえちゃんはきれいだワーワー」。
・「天国よいとこ一度はおいで」・「酒はうまいしねえちゃんはきれいだ」・「ワーワーワッワー」それが今大人になって私体現化してるんですけどね。
酒はうまいしねえちゃんはきれいだっていうのを一番最初に聴いたっていうね。
何か非常にまあ自分の人生を暗示しているような曲なんですけども。
父が転勤した先の神奈川県相模原市で幼少時代を過ごします。
競争社会となった時代。
教育熱心な母親に厳しく育てられます。
反発を覚える事もしばしばでした。
母親がすごい厳しかったんですよ。
勉強していい大学に入りなさいと。
それでいい会社に就職しなさいと。
あなたは世の中の敗者になってはいけないって言われてたんですよ。
お母様?でお箸を持つよりも先に鉛筆を持たされて字を覚えさせられるような生活を送っていたもんで勉強しなきゃいけなかったんですけど成績が上がらなくてでつらくて何かすごいすねた子どもでした。
成績が悪いと母親にものすごい怒られるから成績捨ててましたもん。
成績表を?成績表も結果的に捨てたんですがその前にテストを捨てて。
テストをなかったという事に。
そう。
テストの少ない学校だっていう設定にしてね。
あっ前設定がちゃんと。
80点以下だと叱られますから木の根っこに埋めてね。
木の根っこに。
じゃあ六角家の木は80点以下の点数という養分を吸いながら…。
うちの前に森があったんですけど養分吸いながらパルプの養分を吸いながら木が育つというね不思議な感じなんですけども。
世の中無駄な事ないですね。
結局それがとあるとこで見つかっちゃって。
え〜。
まとめて怒られたっていう事がありましたけどね。
社会のレールに乗る事への反発心はこの後六角さんの中で膨らんでいく事になります。
1980年ジョン・レノンが暗殺されたこの年壇蜜さんが誕生しました。
秋田県で生まれ後に東京で育ちます。
その記憶にある最初の曲は「みんなのうた」で話題となったこの曲でした。
・「流氷とけて春風ふいて」両親が共働きだった壇蜜さん。
その面倒を見てくれたのは優しい祖母でした。
祖母がこの曲すごい好きでいつも「みんなのうた」でも聴いて祖母もいつも歌ってたんですごくよく覚えてますね。
母親と父親は共働きだったので祖母に育ててもらう時間がすごく長くてだからその時ふとした時に口ずさんでたので。
おいくつぐらいの時なんですか?え〜っともう5歳6歳とか。
小学校入る前でしたね。
壇蜜さんは6歳で小学校に入学。
両親の希望で大学まで一貫教育の女子校でした。
小学校の雰囲気になじめなかった壇蜜さんは戸惑います。
せっかく私立の小学校合格したのに行きたくなくてしょうがなくて。
ランドセルじゃなくてショルダーバッグで小学校だったんですよ。
なのでランドセルもしょえないし。
当時CMで・「ピッカピカの一年生」っていうので小学校1年生の子たちがランドセルを背負って何かこういうふうに自慢げに見せてるのを自分もやるもんだと思ってたので何か予定と違うなっていう。
私ピカピカじゃねえじゃねえかと。
「何だこれ」っていう。
アハハハハ!そんな時やっぱり家に帰ると唯一祖母がいつもどおりでいてくれたので。
だから保育園の頃と小学校の頃とあんまり変化なくいつもどおりのおやつを出していつもどおり遊び相手をしてくれたっていう事ですごくバランスが保てたんでしょうね。
祖母の愛に守られて歩み始めた壇蜜さん。
しかしこの後も周囲と折り合いをつける事の難しさに直面していく事になります。
県下でも有数の進学校でした。
高校時代生涯の仕事となる芝居と意外なきっかけで出会います。
演劇部に入ったんですけどね。
高校に入って。
それは別にお芝居がやりたかったからじゃなくて絶対部活に入んなきゃいけなかったんですよ。
どの部活にしようかなと思ったらどれもつらそうで。
特に何がつらそうでした?野球部とかサッカー部とか。
ああいうところに入る人の気持ちは僕全く分からないんですけどね。
スポーツ嫌いじゃないんですけど。
見る方は。
やる方はからっきし駄目で。
でどうしようかなと思った時にもう決めなきゃいけない時に一番端の方に演劇部があったんですよ体育館のね。
それ見た時に割とこう…いわゆるもやし系の男子がひょろひょろひょろっといる訳ですわ。
ここなら大丈夫かもしれないと思って。
そこに入って別に演劇に参加しなければすぐ幽霊部員的なものになれると思って。
そんな六角さんでしたが次第に人前で演じる楽しさを覚えていきます。
そしてガリ勉の高校生という役で出演した舞台で全国大会に出場。
優秀賞を獲得します。
母親に「勉強しろ」と厳しく言われていた六角さんでしたが芝居の道に引き込まれていく事になります。
一方当時芝居よりものめり込んだのは音楽でした。
中でも18の時に出会ったこの歌が六角さんのその後の生き方に大きな影響を与えます。
・「目先のことを気にかけて」・「目先のことが全てと思い」・「考えることすら今はもう忘れ」・「今日の上に僕がいる」一番この曲で印象に残ってるのは高校の3年の時に友達と東北地方に2人で旅に出たんですよ。
女川という所に行ってそこから船に乗って江島という島まで行ってそこの防波堤にテントを張ってカレーを作って食べたりしてたんですけどね。
その時にず〜っとなぎら健壱さんの「ガソリンとマッチ」を聴きながら移動してたんですよ。
全然そのころ自分が生活してた町や学校の空とは違う空を見つめ海を見つめ世の中はいろんな所があるんだなっていうふうに思って。
これはさすらいの歌なんですけども。
何か旅に出るってすばらしいなって思わせてくれた曲なんです。
青春ですね。
これもまた人生の指針になりましたね。
「お前さすらいっていいぜ」っていう。
・「いそがなくちゃあわてなくちゃ」・「心の灯が消える」・「だからガソリンとマッチをちょうだい」六角さんは高校を卒業すると一浪の末学習院大学に入学します。
劇団にも入り演劇と勉学の二足のわらじを履く日々。
しかし勉学そっちのけであるものに夢中になります。
・「パチンコパチンコパチンコに行くのさ」・「パチンコパチンコパチンコに行くのさ」・「今日もパチンコ明日もパチンコ」・「イエ〜イ」このころの僕を本当に象徴するような曲とばっちり言える感じでしたかね。
まさかのあれですか。
パチンコです。
お好きでしたもんね。
一時期パチンコ台になりたいと思ってた事があったぐらいですからね。
もう自分自らパチンコ台に。
自分がもうセル盤になって数字も自分が自在にそろえられるようになって前に座った人間の好き嫌いで出し入れをしてみたかったです。
それぐらい好きだったんですけど。
ブルースって割とつらい気持ちを歌ってたりする事が多いじゃないですか。
まあそれでも頑張ろうっていう。
どっちかっていうとゴスペルに通じてる。
それを何かねすごい手前勝手なんですけど自分がギャンブルに負けたそのつらさみたいなものをブルースに投影してたんですよね。
負けた自分をブルースの中に浸らせて俺自身がブルースだというイメージになっていた頃なんです。
俺ブルース。
「ブルースだね僕は」っていう。
頭の中はもうパチンコでいっぱい。
自由奔放な毎日を楽しんでいました。
・「パチンコパチンコパチンコに行くのさ」高田馬場に学生ローンがたくさんあって。
黄色い看板のね。
名前は言えませんけど。
月利5%だったんですよ。
月利5%?なかなかですね。
でもこれがね学生ローンってのは本当あれなんですけど行ったら学生証で金貸してくれるんですよ。
もらったような気持ちになるんですね。
あ〜そうですね。
何の苦労もせずに手に入れた現金を持ったらその苦労がない分だけパッパッ使ってしまうじゃないですか。
これがいけなかった。
アルバイトで得たお金とそういう黄色い所で得たお金はやっぱり違うんですよね重みが。
黄色い所で得たお金があったらそのお金の上にいくらアルバイトしたお金を積み重ねても黄色い所で借りたお金と同じになっちゃってまたどんどん使っちゃうんです。
染まりやすいんですよね。
黄色いお金って。
お金はね染まりやすい。
軽いお金ほど染まりやすいんですよね。
そうなんだよ。
それで「じゃあもう少し」とかって借りて首が回らなくなっちゃった。
結果どうされた…。
僕逃げ回ってたんです。
そしたらうちの母ちゃんが督促状が来た事で怒り心頭していろんなとこに電話かけまくって俺の居場所を突き止めて。
払って頂けたんですけど。
親に全部。
謝って。
そのあと母ちゃんは熱を出して。
なんたる…。
・「パチンコパチンコパチンコに行くのさ」・「パチンコパチンコパチンコに行くのさ」・「仕事終わって今日もパチンコ」六角さんがギャンブルに明け暮れていた1987年。
小学生の壇蜜さんの心に残る歌がありました。
松山千春さんですか。
はい。
うちの母が好きで。
小学校ぐらいの時に毎晩カセット聴いてたんですよ。
寝る前に母が仕事しながらいつもこの曲聴いてて。
壇蜜さんは小学校で仲間外れにされ孤立してしまったのです。
・「ピエロでいいさ」クラスメートとの接し方が分からなかった壇蜜さん。
自分の物を隠されたり服を踏みつけられたりもしました。
・「いやなことは忘れて」自分の居場所をなくした壇蜜さんはこの曲の歌詞に自らを重ね合わせます。
(「ピエロ」)この「ピエロ」の歌詞って好きな人にまた別に好きな人がいてもそれでも彼女が幸せならそれでいいっていうすごく自己完結してそれでもちょっとやるせない気持ちが歌になってると思うんですけど自己完結できたらどれだけ楽だろうなっていうのはいつも思ってましたね。
女の子って集団で…どっちかって言うと群れを成して過ごすタイプの子の方が多いと思うので結局一人でしか遊ばないからルールが分からない。
ルールが分からないとほかに兄弟がいてうまくやってる子たちの輪に入れない。
そうすると「あいつは変わり者だ」ってなっちゃうんで。
どこの輪に自分は入れてもらえるのかとか実際になじめてないのは何でなのかが全く分からなかったので。
それを大人は気にするなって言うけれども気にしなかったらどれだけ楽に生きていけるか。
前髪が重いだけで遊びに入れてもらえない時もありました。
本当ですか?はい。
前髪が重いだけで?レゴブロックって呼ばれてましたから。
「レゴブロックは入れないよ」っていう?「レゴブロックは違うし」みたいな。
それでも何て言うんでしょうか自分でバカやって近づく事もできないしそれならそれでいいって自己完結もできないし中途半端にいた時にこの歌ってすごく響いたんですよね。
・「忘れて」1993年中学校に進学すると壇蜜さんは徐々にクラスメートとなじむ方法を身につけます。
レゴブロックをワンレンにしたんです。
レゴブロックみたいだった前髪を…。
あああっ…そうだ前髪をねレゴブロックをね。
こうやってどんどんジェルで…当時違反だったんですけどばれない…ばれてたと思うんですけど固めてどんどんどんどんワンレンにしていくんですよ。
おでこが出ていくとあら不思議…。
気持ちも出ていく感じになって?「すごい!」って思って。
ワンレンにしだしてから急に「愛人」って呼ばれるようになりました。
愛人ですか。
ワンレンの力ってすごいなって思いました。
そうだね。
愛人っていうあだ名の中学生って…。
(笑い声)何か一時3年生かなやたら呼ばれた。
愛人って呼ばれながらも仲間とみんなとは仲良くやってた訳ですよね。
そうなんですよ。
それはその愛人はいいですね。
そうなんです。
女子校で中学高校あがるっていうのは小学校と同じようななじめない日々が続くんだろうなってすごく不安でしたけど。
仲間や友達もできます。
しかし居場所がなかった小学校時代の苦しい日々がトラウマとなり壇蜜さんは自虐的な考え方をするようになります。
そんな自分の心が投影されたような歌が壇蜜さんの心に響きます。
「MISSINGPIECE」っていうPIECE…無くしちゃったPIECEを求めてっていうタイトルの歌なんですけれども女子校育ちで中高大ぐらいの時はうまくやっていたと思うんです。
ただどうしても小学校の時にいろんな事でつまずいてしまったのでいまだにこう…いわゆるですよいわゆる負け犬根性っていうのは抜けないですね。
どうせ嫌われ者だったしどうせバスケもバレーもポートボールもパス来ないしみたいな。
「こっち来ないし」って思うと負けを取り戻したいなって思う気持ちがすごく自分の中で時々ふわっと芽生えて急に無駄な…むちゃな事したりしますね。
少女時代なくした心のかけら。
壇蜜さんはこのあとの人生でもそれを捜し続けるのです。
・「君だけを探して」・「MISSINGPIECE」1980年代後半日本はバブル景気に沸いていました。
パチンコまみれの日々を送っていた六角さんは25歳の時大学を中退します。
よい大学を出てよい会社へ。
そんなレールから大きく外れ劇団で役者をしながら暮らします。
当時のこんな映像が残っています。
「お引越しは888−8888888−8888888−8888888−8888888−8888」。
誰とでも何でもやるって有名ですからね。
「誰とでも」?何でもやる。
目に浮かぶようだ。
でもノブさんは駄目だよ。
やって得のあるやつに限ってだからね。
僕得あるよ。
何すか?だって優しいもん。
(2人)アッハハハ…。
あ〜あ。
このころの六角さんには役者として人生を生きる決意はありませんでした。
もう半分部活でしょ。
だって…お芝居特に劇団なんていうふうになるととてもお客さんが入る劇団もありますけどもそう…僕らでチケット手売りして売って見に来てもらって少し頂くギャラは全て宴会で使ってしまうような。
打ち上げ費になってしまう?これ部活じゃないですか。
あっ部活あっ…認めたら大変な事になっちゃう。
時代の空気に身を任せ漫然と役者を続けていた六角さん。
ある歌と出会います。
「漂々」。
「漂々」という下田逸郎さんというフォークのシンガーソングライターの方の曲なんですけども先輩の俳優さんに聴かせて頂いて詞の内容にとてもハマってすごく物事の見方が深いんですよね。
うわ〜こんな詞を書かれる人がいてその人が自分の気持ちを自分の肉体で歌ってらっしゃるっていうところに大きな感銘を受けたんです。
そしてこの曲が心に流れていた時期に役者としての転機が訪れます。
28歳にして大きな劇場での公演に出演したのです。
・「がんじがらめの幻その向こう側へ漂々」舞台を演出したのは著名な演出家杉田成道さん。
杉田さんの厳しいもの作りへの姿勢に漫然と役者を続けていた六角さんは打ちのめされます。
・「その場所のその空気」「北の国から」の杉田成道さんという方がいらしてその方の演出を受けた時に僕たちがやってたのはせいぜい200人300人なんですよ。
多くても…小劇場でしたから。
いきなり700人とか800人の大きな所になると声の届き方伝え方っていうのも全然分からないんですよ。
そのあとも滑舌というのがありますね。
何を言うって「早口で分からなかったです」。
声の大きさだけでなくその辺も注意されたりして物事作りにタフな方だったんでとても厳しい演出をずっとなさってこれは今考えたら僕はとてもうれしいと思うんですけど諦めないでくれたんですよ僕の事を。
楽日まで芝居の。
「駄目だ」って「違う」って言ってくれて。
その時に全然今下手くそだけど下手くそだって事を分からせてもらったけど芝居以外にもしかしたらやれる事はないのかもしれないなと思ってそこで本格的に芝居をやろうと決めたんです。
その時に自分の頭の中にこの「漂々」っていう…とにかくやりたい事があるんだったらその近くにいてそれで光と影を見つめてその中から自分を見つけろと。
芝居に生きる。
自分の進むべき人生の進路をついに見つけた六角さんは苦しみながらその道をまい進していきます。
1998年昭和女子大学に進学した壇蜜さん。
少女時代のトラウマを抱えながらも順調に学生生活を送ります。
しかし大学4年生の時自分の道を見失います。
就職活動の失敗でした。
手品の曲。
マジックのねバックで流れてる…。
ハト出るような感じの。
当時は手品の曲としてもう完全に確立してましたから。
箱に何かいろんなもの入れてパタンと閉めてステッキでカンッてたたいてパカッて開けたら内定出てこないかなってずっと考えてました。
変な人ですね。
はい。
当時就職氷河期の真っただ中でした。
次々と就職試験に落ちていく中で壇蜜さんは社会でどのように居場所を作ったらいいか全く分からなくなります。
結果は全て不採用。
自分が何をやりたいのかも分からず心の行き先を完全に見失いました。
でもこの曲ってその時何でお好きだったんですかね?何だろう…歌詞のない。
インストルメンタル。
インストルメンタルっていうのが。
…で「オリーブの首飾り」っていう全く日本になじみのない雰囲気とか。
まあ現実逃避したかったっていう自分にとってはこういう楽曲っていうのはもってこいだったんでしょうね。
何にもやりたい事見つからなくてやりたい事見つからなくても就職はするもんだって思っててやるんですけどどんどん体がかゆくなってくるんですよ。
あれ就職アレルギー?就職…そうですね。
何を甘っちょろい事言ってるんだと。
みんなそうやって思いをして就職をしてるんだっていうふうに説得をする自分と「かゆい。
無理」って言ってる自分がすごく闘っててでも結果何もやりたい事分からないのに企業なんか行ける訳もないですから結局就活を挫折して何もしないでバイトも辞めて家でふんぞり返ってる時ありましたね。
当時つきあってる彼も「大学院に進む」って言っててそれで「だったら私も進学」って思っても大学院の試験に落ちてしまってまあ何もしたくなかったですし自分の考えてる事と現実との結果っていうのが差がありすぎて完全にいわゆるくさった状況になってましたね。
自分は社会から必要とされていない。
自分の額には欠陥品と書かれている。
壇蜜さんの人生は再び深い闇に包まれていきました。
芝居と真剣に向き合い苦しんでいた六角さんは私生活でも現実を突きつけられます。
長年の交際を経て結婚をした妻から離婚を言い渡されたのです。
原因はやはりギャンブルと酒でした。
家庭を持ったにもかかわらずどうしても自堕落な生活がやめられなかったのです。
・「Doyouwannadanceandholdmyhand」・「TellmebabyI’myourloverman」・「Ohbabydoyouwannadance?」離婚した事がショックだったんだろうね。
まさかそんな事があるはずないと思ってたものが自分の何て言うか見込みが甘くて勝手に生きてて人にあきれられて離れられてしまった。
その事がショックでよりギャンブルにハマったりしてもうどつぼ状態ですわ。
…でその時にできる限り明るい曲。
その一つがこの「Doya’wannadance?」という。
ダンス踊る相手はいなくなってるのに…。
「ダンスしないかい?」。
そう。
ただ実生活は本当にさんざんなものがありましたね。
要は自分の駄目さっていうものがつくづく露見された時期だったんです。
それは30過ぎぐらいの…?駄目さ加減が露見されてそれについて自分もすごい重々分かってでもだからといって生きていくしかないじゃないですか。
ねえ?リセットボタンも「や〜めた」もできないんですよね現実世界は。
個々に対してはできない。
だからじゃあもうせめて明るい曲を…。
何も考えてないようなあっけらかんとしたっていうのの中にすごく僕はこれはいいリズムとテクニックとかもう大好きなんでああいうギター音楽とかっていうのが。
あったんで聴いてたんですけども。
いや〜でもあのころの事思い出すとね今こうやって壇蜜さんとお話しできるのは本当に幸せだよ。
私だって幸せですよ。
そうですよね。
20代後半から30代前半芝居そして私生活で現実の厳しさを突きつけられた六角さん。
大いに人生に迷います。
就職活動に失敗し道を見失った壇蜜さんは自分の居場所を探し職を転々とします。
銀座のホステスから和菓子職人まで次々と挑みますが答えは出ません。
精神的にも自虐的になり出口が見えない日々。
この歌が響きました。
・「inmyheart,IknowImustberight」・「darkestshadowswillsomedaycometolight」・「I’vebeendown,butIcanriseabove」・「Ikeepsearchingfortheothersideoflove」その時ちょうど母と私とが慕ってた恩師が亡くなってとかあと相次いで身内が…っていう不幸があったりとかかなり死に対して近い死に近い時期を過ごしていた気がするんですよ。
とにかくその…先に対しての見込みっていうのがことごとく駄目になっていた。
それが20代半ばぐらいで。
「TheOtherSideOfLove」っていうのは愛の違うサイドって事ですから何か愛情とか人を思う感情にも実は自分が見えてるところ…さっきの光と陰ではないですけど違う方向からも見れるんじゃないかって思ってじゃあ今自分が生きてるっていう方向は違う方向から見たら何が見えるのかなっていうのに興味を持ち始めてそうしたら一番自分が出会ってつらかったっていう現象が死だったんですよね。
だから愛情とか人が生きてるっていう裏側とか違うサイドに死っていうのがあってその死についてもうちょっと詳しく知りたいなって思ったのがちょうどその時だったんです。
死に直面し死に導かれるように27歳の時葬儀の専門学校に入学します。
学んだのはエンバーミング。
遺体に防腐や殺菌保存処理を施して長期保存を可能にする技法です。
来る日も来る日も遺体と向き合い続けその数は200体に上りました。
ご遺体をご家族のためにお着替えさせたりとかあとはお化粧したりあとは感染症なんかで触れられないご遺体を触れられるように防腐殺菌処理をさせて頂いたりするお仕事に就きたいと思いましたね。
それでそれをやられてた?はい。
はあ〜。
その死についていろいろと考えるがゆえに葬儀の仕事に就きたいと思って就かれたという何かすごい不思議なバイタリティーを感じますね。
そうですね。
やっぱりタブーとされてる世界っていうのに不謹慎ながらも興味めいたものがあったんでしょうね。
そういったでも人間としてどこか身近な人が亡くなったりする事でもって考えなければいけない時期っていうのがあるんでしょうね。
あると思います。
多分運命的に私にはその20代半ばにそういう時がたまたま訪れて私がたまたま感化されたんだと思うんですよ。
通り過ぎる事もできたと思うんです。
そのままの人生が普通にうまくいっていれば。
ただあまりにもつまずく事が…やっぱり就職決まらないとかかなりつまずいて人に迷惑をかけてきた事が多かったからこそ人がいなくなる事に対して敏感に反応し過ぎちゃったんでしょうね。
心の闇の中で悩み続けた時人生の陰の部分に引かれた壇蜜さん。
死を見つめ続けそして生きるという事を考えたこの時の経験がその後の人生の選択を左右するのです。
・「he’llbesoclosetomethatwe’llbeone」つまずき苦悩し続ける前半生を歩んだ2人。
人生が大きく動きます。
闇の中から光を見いだそうとした2人の歩みに迫ります。
2014/06/19(木) 00:00〜00:45
NHKEテレ1大阪
ミュージック・ポートレイト「壇蜜×六角精児 第1夜」[字][再]
ふたりの出演者が「人生の大切な10曲」を持ち寄り、語り合う。今回のゲストは壇蜜(33)と六角精児(51)。第1夜では人生の前半1曲目から5曲目までを紹介する。
詳細情報
番組内容
壇蜜が男性としていま最もひかれるのが俳優の六角精児だとか。独特のオーラを放つふたりならではの隠れた名曲ぞろいの選曲となった▽壇蜜は共働きの両親のもと、おばあちゃん子として育った。小学校時代はいじめにあったこともあるという。▽ギター演奏を趣味とする六角精児。青春時代はラジオから流れてくるアメリカンルーツミュージックに傾倒した。芝居と借金…、アウトローな人生と密接に絡み合った音楽たちを壇蜜に熱く語る。
出演者
【出演】壇蜜,六角精児,【語り】ヒロ寺平
ジャンル :
音楽 – その他
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
バラエティ – トークバラエティ
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