上方落語の会「看板の一」林家市楼、「鹿政談」桂米團治 2014.06.20

NHK大阪ホールの客席に来ております。
今まだ開場前ですからガランとしてますけどもここへ大勢の方がお詰めかけになりましていよいよ「上方落語の会」の幕が上がる訳でございます。
この番組では毎回すばらしいゲストにお越し頂いてます。
今日のゲストは作家の飯星景子さんです。
どうぞ。
こんにちは。
初めまして。
よろしくお願い致します。
よろしくお願いします。
伺いますと大阪の出身でしかも落語好きと聞きましたけども。
そうですね。
…なんですけど寄席には行った事ないんですよ。
ホールばっかりで。
いやいやそら結構でございます。
どなたがお好きでした?いろんな意味で一番衝撃的だったのはやっぱり枝雀さんですかね。
どういうとこがお好きですねん?子どもの時は正直言いますと第一印象はすごい怖かったです。
おっかない感じ。
怖かった?あの温厚な方が。
何て言うんですかね?高座に上がってまあ落語をしてる師匠ですよね。
ちょっと狂気めいたものを子ども心に感じてしまってカテゴリー的には岡本太郎さんと同じカテゴリーに入ってる感じですかね。
爆発してました?はい。
もう何か「芸術は爆発だ!」みたいな感じで。
あ〜なるほど。
ふだんは割とおとなしい方でしたよ。
そうなんですよね。
それもふだんいらっしゃるたたずまいが普通であればあるほど高座が怖くって。
なるほど。
でもね大人になってから年を重ねてから枝雀さんの実は落語をDVDで見る機会がありましてビックリして…。
こんなに面白いんだと思って。
だから大人になるっていい事だなってすごく感じさせてくれたのが枝雀師匠なんですよ。
よかったですね。
よかったです。
あのよさが分かるようになって。
年いくのもええ事やなと。
ええ事です。
お好きな演目ってあります?私は「愛宕山」を一番最初に実は見たんですよね。
でもあの「旦さん旦さん」…。
「…しはりまっせ」みたいな。
扇子でこう…。
あれにこんな落語があるのかと思ってビックリしました。
今は東京にお住まいですけどもたまには落語会行かはります?落語会でホールとかちょいちょい寄せて頂いてて米團治さんの会とかにもう何度も。
いや〜今日はいい日に来はりました。
米團治さん出はります。
このあと。
そうですか。
ただその前にもう一人すばらしいのが出てきます。
林家市楼君といいましてこの方のお父さんもおじいさんも落語家なんです。
ではその市楼さんの「看板の一」。
どうぞ。

(拍手)ようこそのご来場でございましてありがたく御礼を申し上げます。
ただいまより開演でございましてまず最初に上がってまいりましたのが私トップバッター市楼でおつきあい願いますが…。
中途半端な反応ありがとうございます。
やはりこの「いちろう」という名前を聞きまして真っ先に頭に浮かんでまいりますのはあのメジャーリーガーのイチロー選手でございますね。
昨年は日米通算4,000本安打を達成されたという偉大な選手でございますけども私も負けておりません。
向こうは日米通算4,000本安打でございますが我々噺家がこうやって舞台で落語をする事を高座を務めるとこういうふうに申しますけども私林家市楼芸歴13年目に致しまして通算4,000高座まであと僅かたった3,863…。
ぎょうさんあるんでございますが。
(拍手)あんまりそういうところで拍手は頂きたくないんでございますが。
さて本日は私林家市楼が出ましておあと春蝶にいさんそして米團治師匠。
中入りを挟みまして小染師匠そして取りは八方師匠というこういうラインナップになってる訳でございますが実は本日はこれどんなくくりかと言いますと身内が噺家というそういうくくりなんでございます。
春蝶にいさんはお父様が先代の桂春蝶師匠でございますしそして米團治師匠のお父様は人間国宝桂米朝師匠でございます。
また中入りが開けますと小染師匠の息子さんが噺家でございまして八方師匠の息子さんも噺家というこんなラインナップになってる訳でございますがかく言う私林家市楼も師匠がもちろんおる訳でございますが私の師匠と申しますのが皆さんもご存じやと思いますがあの「そめごろう」でございます。
「そめごろう」といいましても決して市川ではないんでございますけど。
四代目の林家染語楼というのが私の師匠でございましてこれが実の父親なんでございますね。
ですので私もこう見えまして…ってどう見えてるか分かりませんけどもまあ一応サラブレッドな訳なんでございますが。
どういう笑いですか?今のは。
(拍手と笑い)中途半端な拍手本当にありがとうございます。
まあ私も父が噺家なんでございますけどももう一つこれ上がございましてね父親は四代目の染語楼なんでございますがその四代目の父親というのが三代目の染語楼なんでございます。
これが私の祖父にあたる訳なんでございます。
ですので私は親子3代続く由緒正しき噺家なんでございましてね。
(拍手)自分で言わな誰も言うてくれませんのでなるべく言うようにしてるんでございますけどもね。
親子3代というのは上方では私ただ一人な訳なんでございます。
何でこんなに世に出てないんでございましょう。
まあまあこれから頑張っていこうとこない思てる訳なんでございますけども。
まず私のところは博打のお噺を聞いて頂く訳なんでございます。
男の道楽飲む打つ買うてな事を申しますが三陀羅煩悩てな事をいいまして。
中でも打つ。
この博打が一番はまるとやめられへんようになっておりましてね。
「おらもう博打やめたで」。
「何やて?」。
「おらもう明日から一切博打は打たん」。
「何言うてんねん。
お前去年もそんな事言うてて気ぃ付いたら明くる日からやってたやないかい。
お前らやめられへんわ」。
「いいや。
やめる!」。
「やめられへんちゅうてんねん。
どうせまた明日からやんねや」。
「よし。
お前がそこまで言うねやったらな俺が博打やるかやらんかここで1,000円賭けようか」。
いきなり始まっとぉる。
まあこんなやつらは一生やめられませんが。
最近では競輪競馬競艇いろんな博打がございますが昔は丁半博打。
サイコロを2つ使いまして出た目の合計が奇数か偶数かを当てるという単純なやつ。
これがまあ日本の伝統的な博打でございますが。
丁か半か2遍に1遍は当たるてなもんでございますがこれが運のない時というのはなかなか当たらんもんで。
丁と張ったら半と出る。
半と張ったら丁と出る。
丁丁丁と続けたら半半半と出たり。
しまいに腹が立ちまして「え〜いどっちか当たれ!」。
丁半一緒に張ったアホがおりましてこんなもん当たったところで一銭の得にもならん。
しかし当てたという気分だけでも味わってみたいというので丁半一緒に張りよった。
「勝負!」。
パッと壺を開けますと中でサイコロが2つ重なって親の総取りになったってな…。
まあついてない時というのは何をやってもあきませんけども。
サイコロを1つだけ使いました博打これをチョボイチと申しまして壺の中のサイの目を「次は5やで」「いや2や」「6や」てな事を言いながら確率を当て合いっこする。
このサイコロというのがうまい事出来ておりまして1の事を通称ピンと申しますが。
ピンの裏が6で足して7。
5の裏が2で7。
3の下が4で7。
合わせて21になる。
このサイコロ1つ壺へ振りまして「勝負!」。
…とこの壺を振っとります男というのが仲間内でも一番いかつい顔面を致しておりましてもろ肌を脱ぎますと肩の所には我慢というやつ。
総天然色のきれいな絵が描かれております。
この絵画は別に人に鑑賞させるためやないんで。
何のためかと言いますと周りの人間にゴチャゴチャ言わせんように威圧感を与えるためのものでございまして…。
「さあ張った張った張った張った張った張った張った!おいお前らしっかり張ってこんかい。
ええか?博打ちゅうのはなここや度胸や。
しっかり張ってこんかい」。
「おう若えの」。
「誰や?」。
ひょいと見ますと年の頃なら6768。
酸いも甘いもかみ分けて人生裏街道まっしぐらてなおやっさん。
年取って力はございませんがどことなしに貫禄さびがあるというやつで。
「若えやつら面白え遊びしてるじゃねえか」。
「こらぁ江戸のおやっさんでっか。
どうでっか?おやっさんも一番」。
「てめえらこの年寄りから銭取ろうってぇのかい?」。
「いや銭取るやなんてそんな事しまへん。
どうでっか?一番遊んでったら」。
「誘われちゃ断る訳にはいかねえや。
すまねえが俺にサイコロを持たせてくんねえかい?」。
「えっ!おやっさん壺振らはりまんの?聞いたか?今日はおやっさんが胴取ってくれはんねんて。
ほなすんまへんな。
よろしゅう頼んますわ」。
「すまねえな。
1度でいいんだよ。
う〜ん久しぶりに持つサイコロだ」。
「近頃の若えのはなかなかいいのを使ってるね。
さあ上方のにいさん方いいかい?ようござんすかい?いくよ。
勝負!さあ張っちゃってくんねえ。
はって悪いはおやじの頭。
貼らなきゃ食えねえ提灯屋っていうんだい。
年取ってもうろくしちまったがまだまだおめえさんたちには負けねえよ。
おいおめえら何をきょときょとしてやがんでえ。
張らねえのかい!」。
「おい!おい!壺の横へサイコロこぼしてしもてるで」。
「ピン丸見えや」。
「おっさん年取ってもうろくしたってもうろくし過ぎやで。
ええか?お前ら。
ありったけの銭張れよ。
おやっさんこれなんぼぎょうさん銭張ってもええんか?」。
「若えの勝負ってのはな大きいほど面白えんだ」。
「あさよか。
ほなわたいこれ財布ぐちピンへ張らしてもらいますわ」。
「財布ぐち?てめえ名前何てぇんだい。
ピンが好きならピン助か。
いい度胸してるね。
近頃の若えやつらは腰抜けばかりだと思ってたが俺の若え頃を思い出したぜ。
あとの人はどうした?」。
「俺もピンや」「わいもピンや」。
皆「ピン」「ピン」「ピン」「ピン」。
「おうおうおうおう。
なにもまねする事はねえんだ。
2から6までの目が余ってんだよ。
ピンでいいのかい?」。
「ピンで構へんねん」。
「ふん!取られて泣くんじゃねえぞ」。
「取られて泣くんじゃねえってこれ取られるのおやっさんの方かも分かりまへんで。
そうでんがな。
2から6までの目が出たらよろしおまっけどピン出たらどないしまんねん。
皆ぎょうさんピンへお金張ってまんねんで。
これだけぎょうさんのお金おやっさん一人で払えまんのか?」。
「てやんでい。
てめえたちの銭なんぞはな家売ってでも払ってやらあ」。
「あさよか。
ほなわたい腹巻きの中の家賃のお金いったろ」。
「おいおい家賃の銭やめとけて」。
「ええがな。
取れんの分かってぁんねん」。
「バカな野郎だ。
大事な家賃のお足まで博打に張るもんじゃねえよ」。
「ほっといとくんなはれ」。
「いいか?勝負ってのはなあやり直しがきかねえんだ」。
「ええ。
そんなもん分かってまっせ」。
「壺の中のサイの目で決まるんだよ」。
「フフッ壺の中言うとる…。
まあおやっさんよろしいがな。
ゴチャゴチャ言うてんとさっさと勝負いきまひょ」。
「勝負!」。
「勝負だ!」。
「…とその前にこの横手のサイコロはこちらへしまっとくよ」。
「えっ!おい直してしもたで!おやっさんそれは何でんねん!?」。
「ああこいつかい?こいつは看板だ」。
「看板!?そんな博打に看板みたいなもんおまんのか?」。
「だから贅六はやだってんだい。
てめえら江戸へ行った事がねえのか?駅前には看板が並んでらあ」。
「そら駅前どこでも看板並んでるか知らんけどそんな博打に看板みたいなもんおまっ…。
ああ〜!さてははなから一杯食わしやがったな!」。
「静かにしろい!若えやつらが寄ってたかって老いぼれ一人をいじめるんじゃねえよ。
まだ勝負は決まった訳じゃねえんだ。
壺を開けてピンが出りゃてめえたちのもん。
そうだろ?だがな長年の勘で壺の中は5と見た。
勝負!やはり5だな。
じゃあこのお金はもらっていくよ」。
「あの野郎!」と言うたのが後の祭り。
たくさんのお金をわしづかみに致しまして懐へしまうか…というとそうやない。
しまいかけたお金をまた前へポイと放り出しまして…。
「やいてめえら汗水流して働いてもこれだけのお足ができねえ。
嘆いてるお方はいくらもいるんだ。
お金をおもちゃに使うんじゃねえ!明日から真面目に働きなよ」。
若い連中に意見の一つも致しましてポイッと帰ってしまう。
「なるほど!さすがお年寄り人生の先輩。
ええ事言うな。
確かに俺らもアホやったで。
こんな昼日中から博打ばかりして遊んでるやなんて罰が当たるでしまいに。
おい!ええか?もう我々もなこんな博打みたいなもんやめて明日から額に汗して真面目に一生懸命働こうやないかい!」。
…てな事言うやつ一人もいてまへんさかいな。
「あのおっさんうまい事やりよったな〜。
サイコロ1つ余分にあったらもうかるで。
なあ。
壺の横へピンの目こぼしたように置いといてぎょうさんピンに張らして隠す。
『そら何や?』『こら看板』。
なんぼでももうかるがなこんなん。
よし俺も明日隣町でやってこましたろ」とアホが明くる日サイコロ1つ余分に用意致しまして隣町の賭場へやって来よる。
「いや〜昨日はおもろかったな〜。
しかしあの江戸っ子ちゅうのはやっぱりかっこええもんやな。
『て…てめえらな…何してんだい?』。
それに比べて大坂弁あかんで。
『あんたら何してまんねん?』。
えらい違いやな。
向こうは『ようござんすか?』。
こっちは『よろしおまっか?』。
もっちゃりしてけつかるな。
よし俺もな江戸っ子でかっこようやってこましたろと」。
「いよ〜っ!お…おう〜っ!いよ〜!」。
「何やオットセイ入ってきたんか?誰や?聞き慣れん声やな」。
「いよ〜!」。
「誰や思たら隣町のアホかいな。
どないしたんや?」。
「てめえら何してんだい?」。
「見て分からんか?いつもの博打。
チョボイチやっとんねん。
お前も入んのんか?」。
「てめえらこの年寄りから銭取ろうってぇのかい?」。
「誰が年寄りやねん。
お前まだ26やないかいな。
やんのかやらんのかどっちや」。
「すまねえが俺にサイコロを持たして…」。
(変なイントネーションで)「くんねえかい?」。
「お前どこの生まれや!そんななまり初めて聞いたわ。
ええ?こいつが『壺振らしてくれ。
胴取りたい』言うてんねん。
いやあかん。
やらしたらあかん。
まともな事ようせえへんねん。
『何で』て。
見てみい。
アホ顔やがな。
ええ?『一遍ぐらい構へん』?まあそやな。
一遍ぐらいやったらええか。
お前言うとくけど一遍だけやぞ」。
「すまねえな。
1度でいいんだよ。
う〜ん久しぶりに持つサイコロだ」。
「うそつけ!お前3日前ここでやってたやないかい」。
「さあ上方のにいさん方…」。
「いやお前も上方やで」。
「いいかい?ようござんすかい?構しまへんな?」。
「お前どっちか一つにせえ。
大坂か東京か」。
「勝負!さ…さあ張っちゃ張っちゃ張っちゃ張っちゃっちゃっちゃっちゃってくんねえ!貼って悪いは提灯屋のおやじ。
あら?はら…はらなきゃ取れねえ相撲取りってんだい。
どうした?年取ってもうろくしちまったよ」。
「何を言うとんねん最前から。
何いちびってけつかんねん」。
「あら…見てみ。
壺の横へサイこぼしてピン見えたぁる。
勝負ピンで決まりやがな。
せやさかい言うてんねん。
まともな事ようせえへんちゅうて。
どないする?ええ?『ありったけの銭張ってケツの毛までむしって二度と博打でけへんようにしたる』。
せやな。
それがこいつの将来のためかも分からんな。
おいお前これなんぼぎょうさん銭張ってもええんか?」。
「若えの勝負ってのはな大きいほど面白いや…おまへんけ?」。
「抜かしやがったな!ほたらほれ財布ぐちピンじゃ!」。
「財布ぐち!?てめえ名前何てぇんだい?」。
「お前いつもよっさんちゅうて呼んどるやないかい」。
「ピン助ってぇのかい?」。
「誰がピン助や!人の名前勝手に変えんな」。
「いい度胸してるね。
俺の若え頃を思い出したぜ」。
「せやさかいお前が一番若いちゅうてんねん」。
「あとの人はどうした?」。
「もう皆ピンへ張ってあるやないかい」。
「なにもまねする事はねえんだ。
2から6までの目が余ってんだよ。
ピンでいいのかい?」。
「おうピンで構へんねん。
お前そのかわり言うとくけどこれお前ピン出たらどないすんねん。
皆ぎょうさんのお金張ってんねやで。
これだけぎょうさんのお金お前一人で払えんのか?」。
「何言っちゃってくれちゃってんだい。
てめえたちの銭なんぞはな家売ってでも払ってやらあ」。
「お前家ないがな。
誰の家売んねんな」。
「もうねえか?」。
「もうあれへんわ」。
「腹巻きの中の家賃のお金はねえか?」。
「そんなもんがあるかい。
勝負じゃ」。
「いいか?てめえら。
勝負ってのはなやり直しがきかねえんだ」。
「そんなもん分かったぁるわい」。
「壺の中のサイの目で決まるんだよ」。
「おうそのとおりじゃ」。
「じゃあこの横手にこぼれてるサイコロはこちらへしまっとくよ」。
「おいちょっと待て。
お前それは一体何や?」。
「こいつかい?こいつは看板だ」。
「看板?博打に看板みたいなもんがあんのか!」。
「だから贅六はやだってんだい。
てめえら江戸へ行った事がねえのか?」。
「お前かてないがな!お前江戸どころか奈良も行った事ないがな。
そんな行った事もない江戸の看板…。
しもた!こら一杯食わされてんねやがな。
こいつ誰ぞに入れ知恵されて来とんねん。
壺の横へピンの目こぼしたように置いといてぎょうさんピンへ張らして隠す。
『そら何や?』『こら看板』てこいつ誰ぞにケツかかれて来とんねやがな。
お前張ったん?あんたも。
お宅も。
有り金皆張った。
う〜わこんなアホにだまされたんかいな!」。
「ハッハ〜ざまあ見ろい!壺の中は5と見た。
勝負!」。
パッと開けますと中もピン。
(拍手)林家市楼さんの「看板の一」でございました。
いかがでした?東京弁が出てくるところが新鮮でしたね。
もともと大阪弁でやってんやけどちょっとこのごろそういう工夫をする人が出てきましてこういう形になりました。
なるほどね。
さてこの今の市楼さんお父さんは染語楼さんという噺家さんでしてんけどもさあここでクイズでございます。
この次に登場する桂米團治さんのお父様と申しますとどなたでしょうか?米朝師匠です。
ピンポ〜ン。
正解でございます。
よく分かりましたね。
はい。
よかったです。
飯星さんも実はお父様が飯干晃一先生。
作家ですわな。
親子で同じ職業ってどうなんですか?落語家さんの方が1000万倍大変だと思いますよ。
1000万分の1大変…?とても比べ物にならないです。
先代からごひいきさんがいるっていう環境はやっぱり全く違うと思いますけどね。
なるほどね。
それでもそれにめげず頑張っております。
ではその米團治さんの出し物です。
「鹿政談」。
どうぞ。

(拍手)
(拍手)お運びで誠にありがたく御礼を申し上げます。
私の方は今日は奈良の噺でおつきあいを願いますが三都の名物てな言葉がございまして日本の都三都というのはどこかと言いますと昔からいわれてますのが江戸と京都と大坂やそうでございましてね奈良が入らないんですね。
奈良は南都というて京都から見たら南やから南都というふうな名前が付いてるんですけどその三都には入らへん。
代わりに大坂が入ってるんですね。
考えたら大坂は商いの都か知らんけれども政治的に都になった事はなかなかないんでそれでも大坂は何となくのさばってる訳でございますね。
で昔からそれぞれの名物が五七五七七という三十一文字に詠み込まれてまして江戸は何かと言いますと「武士鰹大名小路生鰯茶店紫火消し錦絵」という江戸の風物がさっとこれに詠み込まれてますわな。
これが京都へいきますとがらっと変わりまして「水壬生菜女羽二重みすや針寺に織屋に人形焼物」というこれまた京都の風情でございます。
大坂はどうかと言いますと「橋に船お城芝居に米相場惣嫁揚屋に石屋植木屋」と。
惣嫁揚屋というのはもう通じひんと思いますけどもお女郎さんの接待の部屋の事でございましてですね。
そういうものが大坂の名物になってるという。
奈良がまたありまして。
奈良は「大仏に鹿の巻筆あられ酒春日灯籠町の早起き」といいましてね町の早起きまでが名物になっているという。
これはまたいわれのある事でございますが。
何はともあれ奈良というのは大仏つぁんが有名でございますわね。
大仏あれ修学旅行生が毎日東大寺へ通うておりましてね皆見上げております。
「大仏は見るものにして尊ばず」てな川柳がございましてな…。
「見てみ!奈良の大仏つぁん大きいな!やっぱり立派なもんやで。
あの耳たぶ耳たぶ!あれだけでも大きい。
あの唇!え〜!わあ〜えらいもんやな〜!さすがやな〜!次行こか」いうてね。
これがあれへんのでございますね。
拝むのを忘れてしまうという。
5丈3尺5寸あるという金仏では日本一の大きさを誇りましてあれは聖武天皇天平時代に出来たもんでございますが中世の頃から2回ぐらい火事で焼けてるんでございましてね。
で3回目の修復が元禄期にできたんやそうでございまして今のが3回目やそうでございましてもう大丈夫やそうでございます。
もうどんな事があっても大丈夫やそうでございます。
「仏の顔も三度」ちゅうのはここから来てるんでございますが。
まあこれはほんまかどうか分かりませんがね。
その大仏つぁんがねある日片方の目がゴボッと中へ落ちくぼんだ事があるんですって。
「もう近々東大寺で大きな法要があるのに目ぇ落ちくぼんでるがな。
なんとか誰か修復でけへんか」言うたらある男が子どもを連れてやって参りまして「10両で請け合う」とこない言う。
「どないすんねん?」。
「とりあえず10両くれたら請け合う」。
しゃあないさかい10両払いましてどうするんかな思たら金属のかぎがついている大きな大きな縄を用意しまして目よりも高くブルンブルンブルンブルンと振り回したかと思うと大仏さんの顔へ目がけてヒュ〜ッと投げたら手練の業でございますな目の縁へガッとかぎが引っ掛かった。
そばにあった柱へこう結わえて子どもに「行け」言うたらその子どもがスルスルスルスルと縄を伝うて目ぇの所まで上がりましてこの金属のかぎをポンと下へ放りまして目の中へ入っていきましてね。
中には足場が組んである。
創建当時からの足場がそのまま残ってある。
そこへ子どもが行きますというと落ちくぼんでる目をよいしょとこう持ち上げて持ってた金づちでコンコンコンコンと打ち込んで目の修復ができた。
立派になったと思たけど子どもが中へ閉じ込められてしまいましてん。
どないするんやろなと思うてたらしばらくしたらその子どもが鼻の穴から出てきたんでございます。
「賢い子やな〜」。
それから賢い子の事を「目から鼻へ抜ける」と言うようになったんでございますけれども。
これはあんまり人には言わん方がええかも分かりませんけれども。
噺家の言う事でございますさかいにな。
その大仏つぁんともう一つ有名なものが鹿でございまして鹿はぎょうさん歩いてますわ今もね。
鹿の数と灯籠の数を数えた者は長者になるという言い伝えがありますがいまだに数えたという人もなければ長者になったといううわさも聞きません。
何しろ鹿はおびただしい。
こんな所から出てくる。
あんな所から出てくる。
「もうしかと分からん」いうのが落ちでございまして。
灯籠は動けへんさかい大丈夫やろと思てるけれどもいつの間にやら新規に奉納されましてね「とうろう分からなんだな」ってなシャレだけが残ってるんでございますがこの鹿は太古の昔常陸の国といいますから今の茨城県。
鹿島の神宮から神様が白い鹿に乗って奈良へやって来てこの地にこのお社を造ったのがいわれでございますので鹿は春日大社のお使いでございます。
神の鹿と書いて神鹿といわれるゆえんでございますがね。
お使いというのは皆さん方もよく知ってはるのは例えばお稲荷さん。
お稲荷さんのお使いはキツネでございますね。
お稲荷さんには必ずキツネがこう置いてある。
大黒さんはネズミやとかね。
弁天さんあの女の神さんの弁財天はヘビがお使わしでございます。
毘沙門天はムカデ。
毘沙門さんみたいな怖い神さんにはムカデぐらいつかなんだら太刀打ちでけへんのかもしれませんが。
古い話に毘沙門さんが弁天さんのとこへ手紙を言づけたってな話がございまして…。
「これムカデ。
ムカデ!」。
「お呼びでございますか」。
「この手紙弁天さんの所へ持っていってくれ」。
「かしこまりました」。
だいぶたって玄関ふっと見たらまだ入り口でゴソゴソしてる。
「まだ行けへんのんかいなおい!何をしてんねや!?」。
「へえ。
わらじ履いとりまんのんで」。
ムカデがわらじ履きだしたらどれぐらいかかるんか分かりませんがな。
まあ神さんのお使わしが鹿でございましてね春日さんの鹿であると同時に隣の興福寺の鹿でもあった。
明治維新になるまで神仏習合でございましたからいけいけでございましてね。
江戸の幕府から奈良へ1万3千石の禄が下されます。
禄というのは役人の給料でございますな。
1万3千石の禄の中から3千石は鹿の餌代になった。
そらもう鹿は大したもんでございますわな。
だから放し飼いになってても鹿は伸び伸びと生きてる訳でございます。
放した鹿は大事にせなあかん。
放し飼いの鹿は大事にせなあかん。
噺家は大事にしましょうという。
(拍手)ありがとうございます。
まあ我々は奈良では受け入れられてるんやないかと思う訳でございますがまあこの鹿はそういう大事なもんやさかいに過ってそれを殺したりしたら死罪になったんでございます。
もう間違うてポッと殺しても死罪。
そやから朝戸をガラガラガラと開けて家の前に鹿の死骸があったらそれだけで関わり合いでございます。
「えらいこっちゃ!鹿死んでる!どどど…どないしよ!?」。
「隣まだ寝てる。
隣まだ寝てる。
隣へ持っていけ」。
隣ズルズルズルと引きずって。
隣の人がまたガラガラ…。
「おお死骸!向かいまだ寝てる。
向かい!向かい!向かい!」。
朝寝してたらどんな災難に遭うや分からん。
そこで「春日灯籠町の早起き」というて町の早起きまでが名物になったといういわれを聞けばありがたやでございますがとりわけて奈良の朝の早い商売が豆腐屋さんでございますな。
昔から日本の食文化でございまして石臼ゴロゴロ。
水に1晩つけた大豆をこうひきましてなグラグラと沸かしてほいで上澄みは湯葉でございますが豆乳になったものを布にこしましてこして下にたれたものににがりを入れたら豆腐でございます。
布にたまってるものがおからでございますね。
おからはおからでまた食べますわな。
これ東京ではうの花というんです。
きれいですね〜。
うの花。
うの花が咲く白い形状がおからに似てる事からうの花なんていう名前が付いてございますが関西は昔はきらずというたんやそうでございます。
きらず。
古い方はご存じでございましょうね。
きらず。
「あれ何できらずいうんですか?」いうたら豆腐はいちいち切ってこう食べるけれどもおからは切れへんさかいきらずや。
何で言いかえるんかいないうたら「から」というのは験が悪いさかいね。
今日はお客さんいっぱいでございますがガラガラやったらこんな「から」てな験の悪い事はないから言いかえる。
言葉何でもそうでございますな。
最前から出囃子で鳴ってる鉦。
すり鉦といいます。
撞木をするように鳴らすからすり鉦というんですが「する」というのも験が悪い。
「あ〜失敗した!」。
博打でもそうですね。
「看板の一」でもそうですね。
「あ〜すった」てなもんですな。
「する」というのは験が悪いから逆の言葉で当たると書いて当たり鉦っていうんですよね。
よくありますよ。
すり鉢の事を当たり鉢といいます。
料理番組でも「ちょっとごまを当たりまして」てなもんでございますね。
すずり箱の事は当たり箱。
するめの事をあたりめというて出してる店もありますわな。
スリッパの事はアタリッパというた人があったんでございますが。
何でも言いかえりゃええてなもんやないんですがまあそのおからでございますが三条横町に住んでる豆腐屋の六兵衛さんが朝早うから石臼をひいて2臼目をこうひいてる時におからの桶がドサッと倒れる音がした。
何や知らんと思ってふっと見たら赤犬が首突っ込んでムシャムシャ食べてる。
「商売物…まだ売ってへんねやないかいな。
そんなもん食われたらあかん。
シッ!シッ!」。
追うたが動けへんので…。
「あ〜どんならんな。
あ〜もうあっち行け!」。
そばにあった割り木をつかんでポンと投げると打ち所が悪かったと見えてドタッと倒れて動かんようになった。
あんな事ぐらいでなと思てそばへ寄ってみたら…これが犬ではなかった。
鹿でございます。
「えらい事した!嬶!鹿殺してしもた!」。
「何やてあんた!奈良で鹿殺したらどないなるかは知ってるやろ!」。
「いや犬やと思てたんやがな。
息してへんがな。
えらいこっちゃ!」。
律儀者の六兵衛さんですさかいに隣の家へ引きずっていくという訳にはまいりませんな。
オロオロオロオロしてるうちに朝の早い奈良の町一軒二軒と起きだした。
さあ黒山の人だかりでございます。
「お〜い六やんとこ家な鹿死んでんで」。
「えっ!豆腐屋の前で鹿死んでんのかいな」。
さあ群衆がこう集まるともうもみ消せません。
町役が「六兵衛はん律儀すぎるがな。
なんとか隠したったのにこない人だかりが出来たらどうもならん」という訳で目代屋敷に訴状を出しますというとさあそれからその鹿の守り役の塚原出雲というのと興福寺の伴僧僧良念が連署で連名で奉行所へ願書をしたためます。
お奉行さんがそれを見て哀れな事よのうと思うたがお白州を開かん訳にはまいりません。
奈良では鹿殺しは大罪でございますので早速お白州が開かれる。
その前に吟味与力目安方が十分と下調べをしてからの事。
さあ当日砂利の上にはごまめむしろが敷かれまして六兵衛さんポツンと座らされます。
原告の塚原出雲と僧良念は縁側の方に控えておりまして六兵衛さんの後ろには町役がずらっとこう心配そうに座っておりましてなこの奉行の脇を固めるのが与力同心一同でございます。
「シィ!」という警蹕という声がかかるとおもむろに登場するのがお奉行さん。
当時のお奉行さんは曲淵甲斐守といいまして後に江戸の名奉行と名が通ったというお奉行さんでございます。
「豆腐屋六兵衛面を上げい。
そちは生まれはいずこじゃ?」。
「へえ。
私は奈良・三条横町…」。
「あいや三条横町はその方が豆腐屋を営む所じゃ。
奉行生まれ在所を尋ねておる。
生まれはいずこじゃ?」。
「私は奈良・三条横町…」。
「控えい。
お白州の前に出るとお上の威光におののきうろんな返答をする者がある。
落ち着いて答えねばならぬ。
そちは奈良の生まれではあるまい。
奉行生まれを聞いておる。
在所はどこじゃ?生まれはどこじゃ?」。
「お情けの籠もりましたお言葉涙が出るほどありがとうございますが私はうそをようつかん人間でございましてなじじの代から3代三条横町で豆腐屋を営んでおります六兵衛に相違ございません」。
「そうか。
3代にわたる奈良住まいとあらば鹿を殺せばどのような事になるか存じおるはず。
その方いかなる意趣遺恨をもって鹿を殺したかありていに申し述べい!」。
「相手が鹿でございます。
意趣も遺恨もあろうはずございません。
今朝もいつもと同じように豆腐こう作っておりまして2臼目ひいてたら表で桶の倒れる音。
ふと見たら赤犬がムシャムシャ食うてる。
はあ〜何をすんねん!追うたが動かんので割り木つかんで投げつけたら打ち所が悪かったと見えまして動かんようになってしまいました。
あんな事ぐらいでと思て見たらこれが犬にはあらでこれ鹿。
南無三宝…。
薬はなきかと懐中を…」。
「控えい。
それは『忠臣蔵』六段目である」。
「恐れ入ります。
介抱したが息吹き返しません。
奈良で鹿殺したらどのような事になるか存じております。
私はどうなっても構いませんが後に残ります女房子どもにはご憐憫の沙汰を下さしゅうございます。
よろしゅうお頼申します」。
「神妙なる申し条じゃ。
鹿の死骸をこれへ持て。
こもをはねい!」。
「はっ!」。
「うん?奉行これよりこう見るになるほど毛並みは鹿によく似ておるがこれは犬ではないか?一人の鑑定にては心もとなき。
その方はどう見る」。
「はっ!何でございましょう」。
「その方はどう見る」。
「これでございますか?お奉行様はこれは犬と…。
犬でございます。
犬だと存じまする」。
「おおその方は犬と見たか。
その方はどう見る」。
「ああ手前どももこれから見るになるほど毛並みは鹿によく似とりますが犬かと心得ますぞ」。
「おおその方も犬と見たか。
その方はどうじゃ?」。
「私もこれは犬かと存じます」。
「その方も犬と見たか。
町役一同はどう見る」。
「私らもうどちらでも結構でございます」。
「そのようなうろんな事を申さずとくと見定めて返答を致せ!」。
「次右衛門はんこれは犬やな?」。
「犬や犬や。
犬に違いないがな。
その証拠に最前ワンワンとほえた」。
「ほんまかい!死んだもんが鳴くかいな」。
「それがあまりのうれしさにうれし鳴きをしたようなこってございます。
犬に相違ございません」。
「ほう町役一同も犬と見た。
奉行も犬と見た。
同心与力も犬と見た。
こりゃ塚原出雲。
その方はお役目大事と心得て願い出たる者ゆえ粗こつの儀はとがめ立ては致さぬがなこれは鹿によく似た犬じゃ。
犬を殺したる者に罪はない。
願書は取り下げてよろしかろう」。
「恐れながら塚原出雲申し上げます。
手前長年鹿の守り役をつかさどっておりましていかに毛並みが似たればとて犬と鹿とを取り違えるような事はございません。
いま一度とくとご検分願わしゅう存じまする」。
「しかし鹿にしては肝心の角がないではないか」。
「これはお奉行様の言葉とも思えませぬ。
鹿は総じて春若葉を食しその精の強きにあたるか角を落とします。
これを鹿の落とし角こぼれ角などと申し俳諧の『手提灯』『木ノ葉籠』なんどにも載ってございます。
また落ちたる痕をば鹿茸ないしは袋角などと申し…」。
「黙れ!奈良で奉行を務むる者が鹿の落とし角袋角存じおらぬと思いよるか!俳諧の講釈聞きとうないわ!その方これをたって鹿と言い張るならばちと尋ねんければならん事がある。
鹿には上より年々3千石の餌料が下し置かるるはず。
しかるにその一部を金子に換え奈良の町人に高利をもって貸し付け役人の権柄とて厳しく取り立つるゆえ難渋する者あまたある事を奉行の耳にも入りおるぞ!300頭内外の鹿に3千石の餌料とあらば鹿の腹は満ち満ちておらんければ相ならんはず!それをろくざま餌も与えぬため鹿はひもじさのあまり町なかをうろつき回り豆腐屋においてきらずなんども盗み食ろうに相違あるまい!いかに神鹿なればとて他人のものを盗み食ろうにおいてはこれは賊類にして神慮にかなわず!打ち殺しても苦しゅうないと奉行心得る!その方たってこれを鹿と言い張るならば犬か鹿かの詮議を改めそれより先に餌料横領の罪より吟味致そうか!?どうじゃ!?」。
「はっ!」。
「どうじゃ!?」。
「はっ!」。
「どうじゃ!?」。
「はっ!その儀につきましては全くもってつづまるところ…う〜ん早い話が…」。
「何を申しておる。
役目大事と思うて届けたるゆえ粗こつの儀はとがめ立ては致さぬと申しておるのじゃ。
とくと性根を据えて犬か鹿かの返答を致せ!塚原出雲!犬か!?」。
「はっ!」。
「鹿か!?」。
「はっ!」。
「犬か!?鹿か!?」。
「犬…鹿…蝶かと」。
「何を申しておる!」。
「恐れ入ります。
私の粗こつより毛並みの鹿に似た犬を鹿と取り違えて申したまでに相違ございません。
粗こつの段平にご容赦の程を!」。
「しからばこれは犬であるな?」。
「犬に相違ございません」。
「本当か?」。
「はっ?」。
「本当か?」。
「はっ?」。
「鹿のようなところもあるぞ」。
「はっ!?」。
「塚原出雲額に角の落ちたる痕がある。
あれは何じゃ?あれは。
あれは何じゃ?塚原出雲。
これよく承れ。
鹿は春若葉を食しその精の強きにあたるか角を落とす。
袋角鹿茸と申すがあれでも犬か?あの痕は何じゃ?」。
「あれは…できものが2つ並んで出た痕かと存じます」。
「ならばいよいよ犬であるな」。
「犬に相違ございません」。
「犬を殺したる者にとがはない。
裁きはこれまで!一同の者立ちませい!六兵衛。
六兵衛待て」。
「お奉行様本日は誠にありがとうございました」。
「六兵衛そちは正直な豆腐屋じゃのう。
きらずにやるぞ」。
「へえ。
まめに暮らします」。
(拍手)いかがでした?「鹿政談」よかったですね。
お父様も古い十八番で私も聞いた事あるんですけれどやっぱりお奉行似合いますね。
ええ男やからねやっぱりね。
喜んで頂けて何よりでございました。
楽しかった。
というところで「上方落語の会」また次回もお目にかかります。
ありがとうございました。
さよなら。
2014/06/20(金) 15:15〜16:00
NHK総合1・神戸
上方落語の会「看板の一」林家市楼、「鹿政談」桂米團治[字]

▽「看板の一」林家市楼、「鹿政談」桂米團治▽NHK上方落語の会(26年6月5日)から▽ゲスト:飯星景子(作家)、ご案内:小佐田定雄(落語作家)

詳細情報
番組内容
NHK上方落語の会から林家市楼の「看板の一」と桂米團治の「鹿政談」をゲストの飯星景子と共にお送りする。▽看板の一:ばくち好きの男たちの前にご隠居さんがやって来る。わしにつぼを振らせろと言うので振らせるとサイコロがつぼの外へ出ていて…。▽鹿政談・奈良の豆腐屋の六兵衛さん。表のおからのたるに首を突っ込む大きな犬が逃げないので割り木を投げると倒れて死んでしまう。しかしそれは犬ではなくて鹿…。▽小佐田定雄
出演者
【出演】林家市楼、桂米團治【ゲスト】飯星景子【案内】小佐田定雄
キーワード1
落語

ジャンル :
劇場/公演 – 落語・演芸
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸

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