4ミュージック・ポートレイト選「加山雄三×黒柳徹子 第2夜」 2014.06.21

エンターテインメントの世界で半世紀以上活躍する2人のレジェンド。
大切な音楽を持ち寄り語り合います。
テレビ放送開始から61年間にわたって第一線で活躍を続けるテレビ界のスーパースターです。
個性あふれる少女だった徹子さん。
険しいテレビの世界へ飛び込みます。
徹子さんはくじける事なくトップスターとなります。
しかし次第に迷いを抱くようになります。
俳優そしてシンガーソングライターの先駆けとして社会現象を起こした映画・音楽界の革命児。
今なお全速力で走り続けるまさに生きる伝説です。
音楽の楽しさを知り音楽と共に成長した加山さん。
大学を卒業すると華々しくデビュー。
国民的スターに駆け上がります。
しかしその心にはデビュー当初からある危機感が住みついていました。
今日は第2夜。
それぞれの人生を襲った荒波。
そして生きる道を探した2人の旅が語られます。
心に残る音楽を通して2つの人生を見つめます。
・「親の血をひく兄弟よりも」・「かたいちぎりの」一躍スターとなった加山さん。
しかしその心の中では不安がどんどんと膨らんでいました。
いつやめようかなとそればっかり考えてましたよ。
「若大将」の時でも?「若大将」やっても駄目でしたね。
何か要するに…やがてデビューから10年たつとブームに陰りが見え仕事が減ります。
更に悪夢が待っていました。
・「親の血をひく兄弟よりも」そうですってね。
経営に関わっていたホテルが倒産。
加山さんはばく大な借金を背負ったのです。
地獄のような毎日が始まりました。
キャバレーやナイトクラブで歌い金策に駆けずり回る日々。
客に受け入れてもらうため慣れない演歌も歌いました。
ジャンル別のものも?「君といつまでも」じゃ駄目なの?そんな事やっても駄目ですね。
まあ女性とこうね。
あのころあなたにお会いしたらあなた何かねリンゴ箱リンゴ箱をお膳にして字を書いたりなんかしているとおっしゃってびっくりした私。
そんな事になっちゃうのと思ったんだけど。
そうですよ。
本当に何も無くなっちゃったから。
本当に無くなっちゃったのね。
それで全部家を差し押さえられたり人に取られたりしてもちろんお金はもう何十億っていう借財ですよね。
一銭もないんですよ。
働けど働けど。
それで僕はこれじゃ死んじゃうなと。
食べるものがないんだから。
「そんな座っていればいいんじゃないんだよ」と。
「頭をすりつけたって金を返せばいいんだからそれで」って。
それでこうやってどつかれましたけどね。
本当にあなたに対してもそんな事するんですか。
平気でやりますよ。
そういう人いましたよ。
すごいね。
友達とか知り合いも全部いなくなるんですよみんな。
そういう時にね。
ええ。
残ったのがね学生時代の友達と海で知り合った仲間。
利害関係が全くない連中だけでしたね。
何かこうワサワサワサワサいたのがみんな金にならないと思ったらいなくなって気が付いたらもう本当に誰もいねえなって。
でやっぱり仲間っていうのは海で知り合ったヨットのキャプテンだった連中だとかねそういうのばっかりがもう。
それで支えられたところがありましたよね。
どん底に落ちた加山さん。
その気持ちを支えてくれたのは海や音楽の仲間たちとの絆でした。
そして苦難に立ち向かう加山さんの心を歌が癒やしてくれました。
うわ〜懐かしい。
カーペンターズ僕は大好きでね。
本当にどの曲を聴いてもカーペンターズ…。
やっぱり本当に兄妹で仲良く歌ってハーモニーもいいし。
アレンジもリチャードがしてる訳でしょ。
そうそう。
でカレンがずっと歌ってね。
だからそういうその何か兄妹の雰囲気というものから出てくる温かさみたいなものを感じてたんですよねきっとね。
加山さんが転落したのと同じ時期にデビューしたカーペンターズ。
そのメロディーは加山さんの人生に寄り添い続けます。

(2人)・「Sing,singasong」当時歌と共に心の支えとなったのが亡くなった祖母の言葉でした。
心を強く持って頑張っていればいつか苦難を乗り越えられる。
加山さんはそう信じ決して下を向きませんでした。
不思議な事でね若かったんですね。
今だったら絶対不可能だなと思うぐらいの事を結構楽しげにやってましたね。
僕は天性何となく明るい事が好きな人間だから。
そして5年の月日がたった頃光がさします。
映画館のリバイバル上映がきっかけで「若大将シリーズ」の人気が復活したのです。
新たなヒット曲も誕生します。
・「大きなその愛よ」加山さんは再び注目されるようになりました。
そして加山さんはステージに帰ってきます。
それに出させてもらえた時に…数年間の思いを乗せたコンサート。
その最後の曲に加山さんはこの歌を選び届けます。
自分を支えた仲間そして音楽への感謝を込めて加山さんは歌いました。
・「歌がある」・「歌がある」加山さんを待っていたのは観客の温かい歓声でした。
その時に…びっくりしちゃって。
そこでワ〜って時に…その時に僕は生きていてよかったってひと言言ったんですよ。
(拍手と歓声)どうもありがとうございます。
本当に…いろいろ今日までご心配かけて申し訳ございませんでした。
今日まで何か何となく生きててよかったなとつくづく感じております。
(拍手)
(拍手と歓声)・「ふたりを夕やみが」・「つつむこの窓辺に」・「明日もすばらしい」・「幸せがくるだろう」加山さんはこの時自分の生きる道を見つけました。
・「いつまでも」
(拍手)「幸せだなあ」「僕は君といる時が一番幸せなんだ」「僕は死ぬまで君をはなさないぞ」「いいだろう」・「君はそよかぜに」・「髪をとかせて」・「やさしくこの僕の」・「しとねにしておくれ」・「今宵も」栄光の後に地獄を味わった加山さん。
荒波を乗り越えた時自分の生きるべき道を知りました。
39歳の6月。
この時感じた思いは加山さんを走らせる原動力となります。
・「いつまでも」
(拍手と歓声)トップスターとして目まぐるしい毎日を送っていた徹子さん。
しかし38歳の時全ての仕事をやめ突然の休養を取ります。
目的はブロードウェイでした。
突然の休養の理由。
それはニューヨークへの留学でした。
演劇学校に入った徹子さんは「王様と私」など本場のミュージカルに触れながら演技を学びました。
やっぱりちゃんと勉強した方がいいなと思って。
それから一度この仕事全部離れて…。
芸能人ってやっぱりちょっと甘やかされてるとこあるじゃないですか世の中でね。
そういう事も全部離れて学生と同じような生活をしてみたらどうだろうと思っていろいろあれして。
すっごくよかったんですよ。
徹子さんを留学へと動かしたもの。
それは徹子さんがある事件をきっかけに抱くようになった現状への迷いでした。
まあとにかくテレビで週に6回か7回テレビやってラジオもやって寝る暇もないぐらいやって…そしたらテレビ見てたらね渥美清さんが私の旦那さんだったんですドラマで。
「奥さんどうしました?」って言ったら「実家帰ってます」って言うのよ。
「実家なんてあったっけこのドラマに」と思う暇もなく…これで死んだら実家帰って死にましたって言われるんだなと思ってね。
それでね気を付けなきゃいけないなって事は分かった訳ですね。
それは寝てちゃんと食べてれば治ったんですけど先生にね「私死ぬまで病気したくないんですけどどうやるんですか」って伺ったんですよ。
そしたらね「珍しいね」ってね。
「私も長い事医者やってますけどそういう質問は初めてです」って。
「でもない事はない」と。
「でもねこれはできないと思うよ」っておっしゃったんですよ。
「何です?」って言ったらね「じゃあ言うよ」って。
自分が進んでやるものだけやってればあとは寝てれば病気にはならないと思うとおっしゃったので…テレビタレントとして目まぐるしく消費されていく自分。
このままではやりたい事もやらないまま使い捨てられてしまう。
徹子さんは決断します。
帰国後徹子さんはさまざまなジャンルで活躍を始めます。
文章にしたいとずっと考えていた自らの少女時代をエッセイにして出版。
本は700万部を超え戦後最大のベストセラーとなります。
名古屋の方なのね。
言葉聞いたら分かりなさるでしょ。
また舞台俳優として新たな役に次々と挑戦。
多くの賞を受賞するなど才能を花開かせます。
更に自らきっかけとなって耳の不自由な人による劇団を結成。
ユニセフの親善大使にも就任して世界中の貧しい国々を訪れ弱者へ手を差し伸べます。
一方テレビではあの音楽番組が始まりました。
・「ギンギラギンにさりげなく」・「そいつが俺のやり方」1980年代っていうのは多分音楽もちょっとよかったんだと思う。
いろんな音楽いっぱい出てきて。
そんな中で…「ベストテン」はいい音楽いっぱい出ましたけど中でもやっぱり近藤真彦さんの「ギンギラギンにさりげなく」。
歌詞もすごく今歌ってもいいぐらいのいい歌詞だったんですけど。
近藤真彦さんっていうのを見た時にねまあ頭グッチャグチャだしね何だかね…。
出てきてね自分が2位だったりするとさ「何だ2位か。
誰だ1位は」とか言って。
へえ〜。
そういう人はいなかった訳。
それまで歌手は結構ねみんなちゃんとどんな人でも何と思っていてもお行儀よくしてたのにさ。
でもかわいくてね。
何て言うの生意気な感じはしなかったのね。
だけどまあ聞かないったらありゃしないっていう感じがあったんだけど。
まあだんだんお母さんみたいになってね。
それで途中で彼のお母さんが亡くなったりしたんで今もね一応お母さん代わりしてんですけど。
まあそういういい歌が当時いっぱい出ましたね。
松田聖子さんとかねそれからピンク・レディーとか。
この時期徹子さんが司会を務める長寿番組が次々とスタートしました。
約束どおりやって参りました。
もうお正月は加山さんのお顔を見ないと始まらないような。
「徹子の部屋」なんか特にねあなたにも出て頂きました。
本当にたくさん呼んで頂いてね。
子どもがいない時から始まってね1人になり2人になり3人4人と。
でみんなが成長して。
それでもう結婚するぐらいまでいって全部で出て頂いたっていうぐらいの長い…。
長くやってる番組ってそういうとこ面白いですよね。
それはすごい事ですよ。
大変な事だと思います。
徹子さんの生き方女性像は多くの人の支持を受けました。
徹子さんは年とともに輝きを増していきます。
しかしその道のりには忘れられない悲しみもありました。

(手拍子)九ちゃんが亡くなったほど私…。
いろんな悲しい事ありましたけど姉弟のように思ってましたんでね。
いつも「てっこちゃんてっこちゃん」っつってね。
もう本当に悲しかったですよね。
あれはショックでしたね。
しばらくね何かこう…「あ〜人間の命って何なんだ」ってず〜っとそれから尾を引いてましたよ。
私も今でもそうなんですけど九ちゃんみたいなああいう元気な笑顔のいい人っていうのはやっぱりさ年取ってもさずっとそうしてるんだって思うじゃない。
そうですよね。
そんないきなりパ〜ッといなくなっちゃうっていうね。
ただね今でも…。
ユニセフでいろんな国行きますよね。
貧しい国っていうか子どもの一番困ってるとこ行くんですけどどんなに貧乏な国でも楽器が2つあれば音楽やってくれる時になると必ず私が日本人って分かってるからみんな「上を向いて歩こう」を演奏してくれる訳ですよ。
そのたんびに私はね「九ちゃん」っつってねもうそのたんびに私泣いたりしてたね。
こんなアフリカの孤児院のこんな所でもみんながねこれやってくれてるわよって言ってね。
・「幸せは雲の上に」本当にこの「上を向いて歩こう」っていう曲はまあ歌詞も確かにいいですけど音だけ聴いててもね何か元気が出るみたいなところあるじゃない。
本当そうですね。
これはすてきって思います。
とっても私たちにとってすてきな大事な音楽だなって思う。
本当に音楽ってのは何か人間が生まれた存在した時からあるかなと思いますよね。
最初もしかしたら祈りだったかもしれないし。
だから永遠に人類には音楽っていうのはあると思いますね。
そうですよね。

(口笛)苦難の果てに音楽で人を幸せにする自分の役割を知った加山さん。
時代を越え人を感動させる音楽とは何か。
加山さんの心には常にその問いがあります。
いや〜これはもうやっぱり新しいんだけどねメロディアスというかね入ってきますよすぐに。
このレディー・ガガの音楽。
何でだかなって思うといいものっていうのは時代を越えますね。
人の心に何か訴えるものっていうのはもちろんリズムもあるけどもメロディーもあるなと思いますね。
まあその時代を越えるっていえばね例えば「コンドルは飛んで行く」っていうのをよく例題に出すんですけどあれも1800年代ぐらいの…。
南米の。
インディオの。
はい。
それをサイモン&ガーファンクルが詞をつけて全世界でヒットしたじゃないですか。
それって子どもがね我が家のトットちゃんがね本当に2歳半か3歳ぐらい車の中に乗っててうるさいなと思った時にラジオをつけたらね・「タラララララララララ」ってケーナで音楽が始まったらねパッと静かになってず〜っと聞き入ったんですよ。
「え〜これこういう子どもにまで何か感じさせるものがあるんだ」。
何かやっぱりあるんだな。
でそういうのを感じさせるのがこのレディー・ガガの「BadRomance」とかね。
メロディーの中に郷愁を感じたりするんだよね。
やっぱりいいメロディーとか残るものっていうのはみんなそういう要素を持ってるんじゃないですかねやっぱり。
加山さんは40代50代と新しい事に次々と挑戦。
さまざまなジャンルで活躍してきました。

(「BadRomance」)そして還暦を迎える頃からは毎年のようにライブツアーを開催。
全国に音楽を届けながら77歳の今年まで全速力で駆け抜けてきました。
そして加山さんが今のポートレートに選んだのは「Dreamer」。
生きている限り挑戦こそが人生だ。
歌詞には加山さんの今の思いとメッセージが描かれています。
あの…自分も夢をすごい追いかける人間でその追いかけるというよりも自分で作っちゃうんですよ夢を。
それは実現するためにあるんだって…。
やっぱり今考えてるこの夢をっていうのは全く燃料の要らない船。
そうですってね。
いわゆるエコシップって。
「80になった時」とか言わなかった?そうそう…。
「80歳になった時」とかっておっしゃってましたよね。
それでそのぐらいに完成してるだろうからそれでもって完成させなきゃいけないんですけど世界の7つの海…全部回ろうと。
すごい。
80歳になったら燃料の要らない船で世界を回る。
加山さんは今その夢の実現にまい進しています。
更に若いミュージシャンと新しいバンドを組みロックフェスやライブを回っています。
挑戦を続ける加山さんの人生の船旅は今なお前進を続けています。
やっぱりそういうものを何か目標持ったりやる気を持つという事がすごく人間にとって大切であると思うんですよね。
「やる気と共に若く失望と共に朽ちる」っていう言葉もありますからね。
だからやっぱり人間は何か目標を持ったりするっていう事はすごく大事で。
…で夢を持つと。
だからみんなでもってやっぱり夢持って何か一生懸命になってやろうぜっていうのを呼びかけたっていうつもりでいるんですけどね。
歌はね。
やっぱり今何か自分で失望しちゃう人がすごく多いじゃないですか。
そうそう…夢がないとかね。
何かこう…自分で結論づけちゃったり。
そんなものは絶対…やっちゃいけない事ですよ。
分かんないんだから明日は。
何が起きるか。
未知なんですよ。
だから未知だったら自分がこういう事をやってみたいなって何かそれをずっと増幅していった方がいいと。
やっぱり歩いてきた道振り返って「あっこれ失敗したけどまあいいや。
よし!じゃあそれを踏み台にしてどんどんどんどんこうやってやっぱりいろいろ考えよう」と。
それってすごい大切な事だと僕思ってるんですよね。
だから「Dreamer」ってね。
私は夢みるオヤジなんだよと。
61年のキャリアを経て徹子さんには今共感と憧れを抱く女性がいます。
ドイツからハリウッドに渡り映画「嘆きの天使」などで主演。
セクシーな歌声と存在感で大スターとなり日本でも人気になりました。
それでドイツ人でユダヤ人じゃないマレーネ・ディートリッヒは…アメリカの兵隊の…。
マレーネは第2次世界大戦中兵士たちを慰問するため前線を回りました。
マレーネは兵士が戦場で口ずさんでいた歌「リリー・マルレーン」を覚えます。
それを連合軍更に放送を通じてドイツ軍両方の兵士たちに歌い届けたのです。
(拍手)
(拍手)この歌は若い兵隊が恋人のリリー・マルレーンを思って歌う歌です。
こういう歌を歌ったのね。
へえ〜。
すごいでしょう。
それでどんなにヒトラーが「帰ってこい」ってあの人ユダヤ人じゃないからヒトラーが「帰ってくれば最上級の女優として迎える」って言ったのに彼女は「嫌です。
あなたのやっている事が私は気に入りません」。
やっぱり自分の国を敵に回すっていう事はたまらない事だと思いますよ。
だから戦後すぐに帰った時「マレーネゴーホーム」ってみんなに言われちゃったんですよね。
でもとうとう彼女は克服して今はマレーネ通りっていう通りも出来たそうですけどね。
本当にねこのマレーネ・ディートリッヒってすばらしい人だなと思って彼女を私やった時に女優さんでもこういう人いたんだなと思って大声で歌ったりなんかするんじゃなくて戦争反対っていうんではなくてこういうふうにすごい大スターが何気なく歌っているんだけど実はそうやってやっぱり反戦歌を歌ってたってすごいなと思う。
自分の意志思いを絶対に曲げずに貫き通したマレーネ。
その姿は徹子さんが追い求めてきた生き方と重なります。
去年80歳を越えた徹子さん。
常にやりたい事を貫き自分の信じる道を歩んできました。
初めはずっと降ろされてばっかりの生活でしたからそういう事がやっぱりあったのでやっぱりどこかに認めてもらえないもんだろうかっていうものが。
分かってもらえないもんだろうかって。
それから「変だ」とか言われましたから変でもとにかく「いい」って言ってくれる人が世の中にはいるんだからなんとかなんないかなと思ってそれでやってきたのが原動力になってるんじゃないかと思います。
私の場合はね。
だから今でも私は自分の思ったとおり生きているしどのくらいできるか分かりませんけど今「100まで」とか言ってますけどそれは分からないんだけどとにかく皆さんがご覧になって「80でもあのぐらいだったらいいんじゃないの」って言って下さるんだったらね。
でも思ってもいませんでしたよ。
もう80になるなんて。
私が若い時80は今の100以上でしたからね。
そんなに長生きするとは思ってなかったんですけどね。
なっちゃったんでしょうがないから生き残った者の務めもあろうかなと思って長く続けるっていう事ですかね。
そう思っています。
すばらしいですね。
いえいえ…。
黒柳徹子さん加山雄三さん。
半世紀を越えて活躍してきた2人は人生の最期に聴きたい歌として同じ歌あの名曲を選びました。
・「Ididitmyway.」え〜!うそ〜!?うそ〜本当に?本当?偶然と思いません?偶然ですね。
本当に偶然ですか?いや知らないし聞いてないものあなたの歌なんか全然…どんな曲って。
僕はもう「マイ・ウェイ」がやっぱりすごい。
私もいろいろ考えてねやっぱり「マイ・ウェイ」だなと思ったの。
・「andspititout.」・「Ifaceditall,andIstoodtall,」・「anddiditmyway.」・「I’velovedI’velaughedandcried,」「そして今終わりの時は近づき私の前に最後の幕が降りる。
無理な事に挑んだ事もある。
だがそんな時不安がよぎってもそれを飲み込み打ち勝った。
すべてに立ち向かい誇り高くわが道を歩いてきた。
すべてをやり終え振り返ってどうやら言えそうだ。
恥じることなくそうそうだ恥じることなく言おう。
私はわが道を歩んだ」。
そのとおりなんですね。
こんな事ね言えたらね。
でも私もこの歌がいいと思ったけど加山さんもそうだってどう?いや「どう?」って…。
やっぱりこういう気持ちになって死んでいきたいと思ってるんですよやっぱり。
だから最期にこれ聴いて納得しないとね気が済まないと僕思ってますし。
あなたもそうなのね。
これは成功したとかそういう事じゃないんですよ。
どんな人間にでも。
どんな人間でもその自分の人生を最期の方になった時に振り返ってね「このとおりじゃないですか」って。
笑ったり恋をしたり喜んだり泣いたり苦しんだり…。
失敗もあったろうと…そう。
いろいろあったけどでも「俺のこれは道なんだ。
俺はこういう道を歩いてきたんだよ」って。
…っていうのがもうこれ以外の真実ないと思って。
本当にそう。
誰にでも当てはまる。
ポール・アンカっていうのはすごい人だなと思いますね。
すごいですよね本当にね。
(拍手)人生の大切な10曲あなたはどんな音楽を選びますか?2014/06/21(土) 15:00〜15:45
NHKEテレ1大阪
ミュージック・ポートレイト選「加山雄三×黒柳徹子 第2夜」[字]

加山雄三・黒柳徹子の人生の10曲・第2夜▽どん底を経験した若大将。失意の加山を支えた曲▽徹子・夢であいましょう、追憶の坂本九▽マレーネ・ディートリッヒほか。

詳細情報
番組内容
加山雄三・黒柳徹子の人生の10曲・第2夜▽どん底を経験した若大将。失意の加山を支えた曲とは?▽徹子・夢であいましょう、追憶の坂本九▽徹子、わが心のマレーネ・ディートリッヒ/近藤真彦♪ギンギラギンにさりげなく/カーペンターズ♪トップ・オブ・ザ・ワールド/フランク・シナトラ♪マイ・ウェイ、ほか▽日本のエンターテインメント界、ふたりのレジェンドが大切な曲を持ちより語りあう。
出演者
【出演】加山雄三,黒柳徹子,【語り】ヒロ寺平

ジャンル :
音楽 – その他
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
バラエティ – トークバラエティ

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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