特攻で命を落とした一人の若者の遺書が見つかった。
「我大東亜戦に斃る。
帝国軍人として本懐。
これに過ぐるはなし」。
「大日本帝國萬歳」。
しかしこの遺書は家族に送られる事なく破り捨てられていた。
自ら遺書を破った特攻隊員。
偶然ちりぢりになった断片を見つけつなぎ合わせていた母。
69年前母と子は戦争に引き裂かれた。
「神風特別攻撃隊は敵艦隊攻撃の命を受けて出発せんとす」。
太平洋戦争末期戦局が悪化する中で繰り返された特攻作戦。
10代20代の若者が次々と出撃していった。
(爆発音)特攻隊の訓練が行われていた…1,800mに及ぶまっすぐな道は当時の滑走路の名残だ。
飛行場の跡地に建つ…特攻を描いた映画や小説が話題になった去年から訪れる人が増えている。
その一角に今破られた遺書が展示されている。
先月初めて家族が公開する事を決めた。
遺書を書いた山下正辰さん。
陸軍に志願し18歳の時特攻を命じられた。
8年前に亡くなった母松江さん。
結婚後しばらく子どもができず正辰さんはようやく授かった長男だった。
戦後特攻で死んだ息子について話す事はめったになかった。
晩年の松江さんが正辰さんの事を語ったテープが残されていた。
細かくなにしてくれましたな。
昭和17年日本はミッドウェー海戦で大敗。
空母4隻を失い太平洋戦争の形勢は逆転した。
翌年戦局が悪化する中始まった学徒出陣。
若者たちが次々と戦場に送られた。
この年16歳だった正辰さんは愛媛県の旧制中学を中退。
正辰さんは爆撃機に乗る通信兵になるため陸軍の学校に入学した。
その後母と子の間で交わされた手紙が残されている。
「おなつかしき正辰様。
この中に千人針お守り香水など入れておきます」。
「母さんはあなたがご無事でご帰宅なさる日を一日千秋の思いでお待ち申して一生懸命でお祈り致しております」。
「正辰はますます元気にて毎日の訓練に励んでおります」。
「皇国守護の第一線に出陣できる日を心に念じ日々努力致しております」。
「死してばかりがご奉公ではございません」。
「どこまでもどこまでも生きて生きて生きて生きぬいて」。
(爆発音)日本は太平洋の拠点を次々と失っていった。
この年本来2年間受ける訓練を1年で終え正辰さんは戦地に向かう事になった。
出陣を前に正辰さんは1晩だけ帰省を許された。
突然帰宅した息子を精いっぱいの手料理でもてなした母松江さん。
翌朝軍に戻る正辰さんの不自然な行動に気が付いた。
見つけたのは切手が貼られた封筒。
破られた中身を松江さんは一枚一枚つなぎ合わせていった。
「今まで筆舌には到底尽くし難きご両親のご恩に何ら報いる事なくお先に戦死しますが何とぞお許し下さい」。
正辰さんはなぜ遺書を破り捨てたのか。
元特攻隊員の板津忠正さん。
一度出撃したがエンジントラブルで帰還。
生き延びた。
死んだ仲間の声を残すため遺族を訪ね歩き1,000通以上の遺書を集めてきた。
破られた遺書は正辰さんのほかに見た事がないという。
「神風特別攻撃隊の志願者は陸続として後を絶たずという。
一機もって敵艦に命中。
生還を期せず」。
正辰さんが遺書を破り捨てた3か月後昭和19年10月日本は特攻作戦を開始した。
翌年正辰さんは…1つの機体に4人が乗り込む特殊な特攻を命じられた。
作戦に使われたのは大型の爆撃機。
戦闘機による特攻に比べ10倍以上の爆弾を積んでいた。
正辰さんは特攻隊員になった事を母松江さんに伝えなかった。
そのころ松江さんが送った手紙。
「休暇がございましたら帰省して下さいませ。
その日を楽しみにお待ちしております」。
「大切な御身です。
十分に御身の上にご注意遊ばしてご無事で」。
松江さんに一通の葉書が届いた。
ふだんは所属する部隊から出されていたのにこの日は別の住所からだった。
福岡県朝倉郡清泉閣旅館。
そこは当時特攻を直前に控えた隊員が宿泊する旅館だった。
両親がこの場所で旅館を経営していた。
ここから出された葉書は軍の検閲を受けなかった。
葉書には和歌が記されていた。
「海ゆかば水漬く屍と征く君を故郷に待てり母の心は」。
「海に散っていく私の運命をふるさとで待つ母はどう思うだろうか」。
松江さんは正辰さんの覚悟を知った。
しかし空襲が激しくなる中幼い子どもを抱えていた松江さんは会いに行く事ができなかった。
代わりに面会に来た父親にふだんは口数の少ない正辰さんが一方的に話し続けたという。
通信兵山下正辰戦死。
「遺書。
我大東亜戦に斃る」。
「帝国軍人として本懐。
これに過ぐるはなし」。
母に送る事なく自ら破り捨てた遺書。
松江さんはつなぎ合わせた遺書を家族にも見せる事はなかった。
これは見た事ない。
ないね。
松江さんが亡くなったあと仏壇の引き出しの奥から見つかった。
(鈴の音)出撃前最後に届いた葉書。
松江さんは正辰さんの和歌を遺影と共に飾り続けた。
そこにはもう一首歌が添えられていた。
「父や母よも散りしとは思うまじみたまかえるかゆめの腕に」。
「せめて魂は夢の中で母の腕に戻りたい」。
「みたまかえるかゆめの腕に」。
太平洋戦争末期航空機の特攻で犠牲になった若者は4,000人に上る。
2014/06/22(日) 08:00〜08:24
NHK総合1・神戸
目撃!日本列島「特攻隊員“破られた遺書”をたどって」[字]
家族に送ることなく破り捨てられた特攻隊員の遺書が見つかった。そして、その遺書を見つけた母親が、その断片を見つけつなぎ合わせて保管していたことも分かってきた。
詳細情報
番組内容
家族に送ることなく破り捨てられた、特攻隊員の遺書が見つかった。「我、大東亜戦争ニタオル。大日本帝国万歳」。ゴミ箱から断片を拾い集めた母親が、誰にも見せることなく保管していた。沖縄の海に散った若者は、なぜ遺書を破り捨てたのか。母はどんな思いで遺書をつなぎ合わせたのか…。8年前に亡くなった母親が語り残したテープをひも解きながら、69年前の夏、戦争に引き裂かれた特攻隊員と母親の心の変遷を追う。
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
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