明日へ−支えあおう− 復興サポート「放射能汚染からの漁業再生〜福島・いわき市」 2014.06.22

福島県いわき市沖の海です
福島第一原発の事故から3年3か月特産のホッキガイが事故以来初めて水揚げされました。
かつては漁獲量日本一を誇ったいわきのホッキガイ。
福島県の検査で国の食品基準を長期間にわたって安定して下回る事が確認されようやく一部出荷が始まろうとしています
東北有数の漁業基地いわき市。
小名浜を中心に8つの港が点在しています
震災の日現地の調べで8mの津波がここを襲いました。
船の半数近くは流され海沿いの住宅地も壊滅的な被害を受けました。
死者・行方不明者は330人に上っています。
更に原発事故によって海の放射能汚染が引き起こされました
高濃度の汚染水が3月下旬から4月にかけて海に流れました。
漁業は全面自粛となりました
事故から1か月後いわきの漁師からの要望で県は漁協の協力を得てモニタリング調査を始めました。
100種以上の魚介類についてそれぞれ放射性セシウムを測り続けてきました
去年10月からはいわきで試験操業が始まりました。
国の食品基準1kg当たり100ベクレルを長期間にわたって安定して下回った魚種のみについて漁獲しています。
試験操業の対象は35種です
福島最大の漁業基地小名浜
試験操業の魚はここに集められています
ここでは魚種ごとに抜き取り検査をし国の基準値1kg当たり100ベクレルより厳しい50ベクレルを上限に独自の基準を定めています。
検査の結果は95%が検出限界値未満となっています
しかしそれでも福島産の魚へのイメージは回復していません。
また試験操業は週に1回短時間しか行われず水揚げ量は事故前の1%にもなりません。
いつになれば漁業を本格的に再開させる事ができるのか。
漁師たちは先の見えない日々を送っています
こんにちは。
6月1日いわき市の水産会館に漁業関係者が集まりました。
いわきの漁業の未来について話し合うためです

集まったのは漁業者市場の仲買人・小売店そして福島県の水産試験場や市の職員などです
今日はですね漁業というのを暮らしのなりわいとして取り戻すためには何が今必要なのかという事などを考えていけたらなと。
最初はですね今一番思っている事お話をして頂けないかなと思ってます。
原発事故から3年半ぐらいになるわけですけどもそれがあってもまだ先が見えない。
本格的な操業っていうのがいつになるかっていうのが全然見えないっていうのが今一番苦しいところです。
徐々に徐々に…あの〜漁業者は前に進もうとしてんだけども地下水バイパスで地下水を流すようになってちゃんとした管理だよね。
またこの高い数値のやつを流しちゃったとなった時になんぼ漁業者が前に進もうとしても足を引っ張られるような形では困っちゃいますよという事で。
3年たって思うのは年寄りが船に跳ぶのに第一歩が出なくなっちゃった。
一歩でポンって跳べたのが生まれたての馬みたくプルプルプルプルしてようやく船乗るんだよ。
前は気が張ってたじゃないですか。
だからそういう事があって3年ってすごく漁してないと時間たって年寄りにはきついなと思うよ。
後継者問題でうちにいる息子も乗って1年1年足らずで原発爆発したんですよ。
試験操業で1週間に1回だけは出てくんですけどもう諦めて陸に仕事に行くか。
船は乗りたい。
でも仕事はない。
そこが今自分としては悩んでますね。
震災後からやっぱり福島産というだけで嫌がられて本当に他の県とか外国産のお魚を使って商売してたんですけどそれでも嫌がられてる。
やはり多分首都圏または関西の方の人たちは私よく言うんですけども風評じゃなくてもう定評になってると。
「定評」?要はそれが落ち着いちゃって。
もうせっぱ詰ってやってんのが今現状なのかなと。
今日はよろしくお願いします。
では1人目の復興サポーターをお呼びしたいと思います。
海洋学者の神田穣太さんです。
(拍手)研究者の立場から海洋で一体この事故で何が起こったのかそして今現在どうなってるのかというところをできるだけ客観的にお話をしたいと思います。
まず科学者の立場から神田さんに海の汚染の現状について話してもらう事にしました。
神田さんは海水や海底の泥や砂などの数値を解析しなぜ今も時折福島県沖から数値の高い魚が見つかるのかそのメカニズムを研究してきました
今日はセシウム137について主にお話いたします。
この理由は福島の事故ではストロンチウム90なんかに比べてセシウム137の放出が多かったという事が一つございます。
で現に水産物で検出されていて規制値に引っ掛かるようなものはセシウム137だけですのでセシウム137を中心にお話をすると。
神田さんはストロンチウム90やトリチウムなどの放射性物質についても今後はより多くの検査が必要だという前提で今回はセシウム137を中心に見ていく事にしました
それで福島の事故というのは「前例がない事故」というような言い方をする事もございますがそうではなくてこれまで海洋の人工の放射性物質による汚染はいくつもの例がございます。
1945年に広島・長崎に落とす直前ぐらいから世界中で核実験をしております。
丸の大きさが核爆発の規模を表してます。
この核実験1945年から1980年まで合計でセシウム137で948ペタベクレル。
そのうち海に入った分は603という推定がございます。
それで核実験以外に何回か海洋汚染の事例がございます。
イギリスにセラフィールドという所がございまして原子力施設がたくさん集まってる所ですがかなりの量の汚染水を排出してきたと。
1950年代から90年代にかけて海に入った分が41ペタベクレルと言われています。
それから1986年のチェルノブイリ事故。
全体で放出されたセシウム137は85ペタベクレルです。
で海に行った分として15〜20ペタベクレルと。
で福島はどうかと言いますと全体で放出された量は17〜77。
全体のうち14〜67ペタベクレルはあの海に行っただろうと。
この範囲の中で多くの研究者が言っているのは10いくつとか20とかそのくらいの値だろうと。
まだ福島の事故に関しては研究者の間でも見解一致してませんがそういうような数字が今言われてるという事です。
で放射性物質が海の中でどう動いていったのかというのを見て頂きたいと思います。
このシミュレーション画面で事故直後に初めにあられてくる汚染は原発から大気中に放出された放射性物質が海に入ったものです。
続いて3月26日ごろから高濃度の汚染水が流出したと見られています。
セシウム137の量はさまざまな推定があり3.5から最大27ペタベクレルとされています。
4月6日に原発2号機の取水口付近で汚染水の流出を止めましたがその後も小規模な流出が続いたと見られています。
以後急速に海水は希釈されていきました
じゃあ今現在どうなってるんだという話なんですが発電所からまだ少し放射性物質が出ています。
2011年の6月から去年の暮れまで合計で出た量というのは0.019〜0.047くらい。
出続けてるっていうのは決して望ましい事ではないしできるだけ早く止めて頂きたいんですがまあ非常に少ないと言う事はできます。
それからもう一つ川からの汚染という事ですが海に出た放射性物質というのは0.014〜0.052です。
これは福島県の河川の合計値ですね。
3.5に対してですから非常に少ない。
ただし放射性物質で汚染された虫みたいなのが流れてきてそれを魚がパクッというような事もあるんじゃないかと言う人もありますのでそういう事も含めてまだ研究が進んでるという事です。
福島県の沿岸の海水には発電所の近くですと直近で一番ひどい時に数万ベクレルまでいきましたしいわきの沖ですと多分500か600ベクレルくらいまで一時的に上がっただろうと。
それが今現在1当たり0.005とか高い時には0.01を超えるというような値が出る事があります。
海水は非常にきれいになってるという事だと思います。
じゃあなんできれいな海水で規制値を超えるような魚がまだ取れるんだと。
ごく僅かですけど取れるという事ですね。
そこのところの理屈が分からないとという事なので我々いろいろ研究してるわけです。
なぜ今も一部の魚から国の基準値を超える値が時折出るのか。
ここでその研究の現状を見る事にしました
福島の海で今もまれに見つかる国の基準値を超える魚。
そのほとんどがヒラメなど沿岸の海底に住む魚です。
それはなぜなのか?現在その研究が進められています
福島沖の海の調査に乗り出しました。
長さ8mのゴムホースの中におもりと放射能の検出器を入れた特殊な装置を開発しました。
これを福島第一原発沖の海底に沈め海の底をはうように移動させて放射性セシウムの分布を調べたんです。
こちらが調査結果です。
この線が検出器を海底にはわせた所。
青は数値が低く赤に近づくにつれ高くなります。
これに海底の地形を考え合わせると興味深い事実が浮かび上がってきました
左の高い所は岩場。
右側の低い所は泥地です。
数値の高い所はこうした岩陰やくぼ地でした。
ホースが岩陰の泥地に入ると数値ははね上がりました。
縦横にホースを走らせて汚染の具合を調べます
赤で示したこのような形でセシウムはたまっていると見られています。
台風や海流などにも拡散されずにとどまっていたのです。
こうした泥地の放射性セシウムが何らかの形で魚に取り込まれた可能性が指摘されています
金沢大学の長尾誠也教授はセシウムが泥から海水に溶けだすかどうかについて研究しています。
フラスコの中に海水とセシウムを含んだ泥を入れ福島の海底の様子を再現します。
それを攪拌して海水に溶けだすかを調べました。
その結果泥から海水へは放射性セシウムがほとんど溶けださない事が分かりました
…という結果が実験から得られています。
次に考えられたのは泥の中に住むゴカイなどのエサが汚染されそれを魚が食べたのではないかという仮説でした。
しかしゴカイなどを集めて検査しても高い数値は検出されずこの仮説はまだ証明されていません
もう一つ考えられるのは「マリンスノー」という海に浮遊する細かい物質からの移行です。
マリンスノーというのは海の生き物の糞や死骸が変化したものなどの事で数値が高くなっています。
しかしこのマリンスノーと数値の高い魚が結び付くのかどうかこれもまだ分かっていません。
なぜ今も基準値を超える魚がまれに取れる事があるのか?その理由の究明が急がれています
今VTRにあった考え方ですね他にもいろいろ考え方がありまして魚が発電所の港の中に行った魚が泳ぎ出てそれが捕まってるんじゃないかという考え方もありますし放射性のセシウムというのは魚の体の中からかなり早く抜けていくというふうに我々はそう思ってたんですけれどもその抜け方が結構遅いんじゃないかという考え方もあります。
まだ結論は出ていないと。
次に福島県水産試験場の水野拓治さんの話を聞く事にしました。
調査によってこの2年間国の基準値を超えた事のある魚と超えた事のない魚がいる事が分かってきているんです
種類ごとに汚染の違いというのがあるというような事が分かってきてるとそういう事でございます。
まずカツオサンマサバについては沖合を回遊している魚であるためこれまで基準値より高い数値が出た事はありません。
通常どおりに出荷されています。
沖合の深い所に住む赤いキチジとメヒカリ。
これもこの2年間高い数値は出た事がなく試験操業によって市場に出荷されています。
沿岸の水面近くを泳ぐコウナゴとシラス。
事故直後は極めて高い数値が出ました。
しかしこれらの魚は稚魚で1年で群れは入れ代わります。
この2年間は高い数値は出ていません。
試験操業の対象です。
タコイカ貝カニについてはセシウムが体内から抜けやすい性質があり高い数値は出ていません。
これも試験操業の対象です
最後に丸の付いていないものが残ってくるんですけれども生息している場所が極めて浅い場所そういうもので動かない魚というのは場所によっては長期間にわたって蓄積をし続けて今でも高い濃度として観察されたと考えてます。
(神田)今水野さんからお話があったとおりで確実に安全と思われる魚種というのはあるわけですね。
そういう魚の種類を選んでしかも場所を区切って試験操業を再開していくという今のやり方は非常に合理的だと思うし海洋の汚染の状況もだんだんよくなってきてるという事も分かっていますからこういう試験操業のような努力を続けていって頂いて漁業の再開を是非見通して頂きたいなと考えております。
福島県の試験操業は海岸から遠く離れた沖合の海域から始められました
沖合の海域ではキチジやメヒカリなどが底引き網漁で取られています。
原発から20km以上離れた沿岸部の海域ではコウナゴシラスなどが取られています
いわきの試験操業では新しい取り組みが始まっています。
船の上でサイズを測り大きさが基準に達した形のよいものだけを出荷して市場の信頼を高めようとしています。
更に鮮度もよくなりました
以前は1泊2日で10回以上網入れをしていましたが今は日帰りで1回にしているからです
市場では試験操業の魚が次々に競り落とされていきます
こうした漁業関係者の努力をどのようにして消費者の理解につなげていくのか?ここからは消費者の信頼を取り戻すにはどうしたらよいかを話し合っていきます
復興サポーターお二人目をご紹介します。
筑波大学准教授の五十嵐泰正さんです。
(拍手)
原発事故のあとホットスポットの一つと言われた千葉県柏市に住んでいる五十嵐さん
五十嵐さんは消費者と共に農家の畑に出向き放射能を測定。
消費者と農家が共に話し合い学び合う中で安心できる野菜だけを流通させる仕組みを地域の中に作ってきました
柏って原発から200km離れてるんですがカブとかホウレンソウが名産なんですがこれが原発事故のあといわゆる買い控えがだいぶ進んでしまった。
消費者と生産者あるいは流通飲食も一緒に集まって一緒に共同的にこの問題を解決していこうじゃないか。
そんなふうに考えたわけです。
福島第一原発の事故によって放射能汚染が心配された千葉県柏市の畑です
農家だけでなく地元の野菜に親しんできた市民にも動揺が広がりました。
五十嵐さんはまず農家と消費者が話し合う場を持つ事にしました。
地元の野菜を大切に思ってきた消費者と農家の円卓会議。
子連れの主婦やレストランのシェフ農家や直売所の経営者も加わりました。
それぞれの立場からまずは率直な意見をぶつけ合いました
厳しい消費者側からの要求に初め農家は戸惑いがちでした。
五十嵐さんは農家と消費者をつなぐために動き始めます
五十嵐さんたちが開いた畑に消費者を連れていく測定会。
消費者自身が農家と一緒に畑で収穫し放射能を測りました
更に土壌の汚染まで計測。
一緒に実態を学んでいく事から相互の理解を深めていこうとしたのです
収穫された野菜を計測します
農家も放射能汚染について度々勉強会を開き学んでいきました
こうした活動の結果柏の消費者と農家は20ベクレル未満という独自の基準を作り野菜の地産地消を復活させる事ができました。
一緒に基準作りに参加した農家は「My農家」と呼ばれ消費者グループのホームページに掲載されました。
消費者と農家の信頼関係が地域に広がっていったんです
より多くの市民にこの活動を知ってもらおうと五十嵐さんたちは「My農家」が作った野菜の試食会を開きました
参加者は60人。
その多くが家庭の健康を気遣う女性たちです
五十嵐さんたちの活動によって消費者と農家の絆は震災以前よりも深いものとなりました
今いい感じの雰囲気出てきたと思うんですけど最初からああだったってわけでは当然ないわけですね。
「大丈夫なの?このニンジン大丈夫?カブ大丈夫?」という話をしてる。
でもそれだけ注目が集まってるというのはある意味チャンスでもあるんですよね。
このいろんな注目が集まっている時にむしろどう積極的に情報発信をしていくのか。
実際にどんなやり方をしたかというとですねまず消費者と一緒に畑に行ってまず土壌を測るんです。
そこ自体に消費者が行くという事でそれ自体がある種のコミュニケーションの場にすごくなったんですね。
それからもう一つ自分の畑のコンディションは自分が一番よく知っている。
自信たっぷりに消費者と対じするという事ができるようになったんですね。
実際福島の漁業も綿密に検査はしているわけです。
その裏付けや自信があったうえでおいしさや価値を共有してくれるファン作りをしていく。
これが何よりも大事なんじゃないかというふうに私たちは考えるようになりました。
つまりその魚の生態や特色「小名浜ではどんなふうに食べるんですか?いつが旬なんですか?」こういう情報発信や学びといったものとセットにしていく必要が非常にあるんじゃないかというふうに考えられる。
更に今試験操業されている中で買って下さるお客様というのも出てきてる。
この方たちというのは本格操業を開始したあともずっと本来つながっていくべきいわきのコアなお魚のファンだというふうに大事なお客様だというふうに考えるべきなんじゃないか。
そこが寿司屋の店長ならその寿司屋を通して更にお客様に広がっていく。
こういうモデルがこれから非常に重要な糸口になってくるんじゃないかと考えられると思います。
今日小売りの方もお越しですが…。
今3年ちょっとたって福島県のお魚をちょっと食べてみようかなとかちょっと手に取ってみようかなというお客様が少しずつ増えてる感じがするのでその辺をちょっと伸ばしていきたいなと思います。
だいぶ自信を持てました。
試験操業に関してはいろいろ漁業家の人と我々仲買人と市場の関係者と震災前よりもいいものを出そうといろいろ話し合ってやってます。
ですけども情報発信が弱いために皆さんに知られてないのかなと。
そこは問題点なのかなというのも改めて思いました。
原発事故によって見通す事が難しくなったいわきの漁業の未来
そうした中以前から抱えていた課題が更に深刻化するという事態が生まれています。
高齢化と後継者不足です。
次にこうした課題にどう向き合っていけばいいのか話し合います
3人目の復興サポーターをご紹介します。
水産経済学者の馬場治さんです。
どうぞお越し下さい。
私震災後被災地のさまざまな地域で漁業を含む水産業の復興状況であるとかを調査してきました。
まずいち早く漁業から立ち上がりたい。
皆さんとにかく早く元に戻りたいという声がありまして。
そういう事に私は非常に期待を込めて「共同操業」というのを本格的に考えたらどうかという提案をしてきました。
共同操業というのは漁業者たちが共同して船を出し取れた魚をみんなで分配する漁業の在り方です。
これによって高齢化や後継者不足に悩んでいた各地の漁村が再生する姿を馬場さんは見てきました
この日馬場さんが紹介したのは秋田県の小さな漁港の取り組みです
秋田県にかほ市の金浦漁港です。
ここの名産はハタハタ。
冬の漁期の間港は大きくにぎわいます
ここでは資源を保護するため90年代の半ばから漁獲量を制限してきました。
しかしそのために漁師同士の競争が激しくなりました。
危険な夜の漁を休みなく続けケガをする漁師が続出。
海に落ちて亡くなる人も出ました。
高齢化も進んでいました。
競争に敗れた高齢者は収入がなくなり厳しい生活を強いられるようになりました
この時ハタハタの水揚げで一二を争っていた2人の漁師が立ち上がりました。
その一人佐々木鉄也さん。
もう一人は池田大さんです
2人が提案したのは共同で漁業をする共同操業でした
みんなで一緒に漁に出て利益は平等に分配しようと提案したのです。
そうすれば過度な競争もなくなり危険な海に出る必要もなくなります。
安定した収入が全ての人に行き渡り格差も生まれません
港で一二を争っていた2人はハタハタ漁の収入が以前の200万円から半分以下に落ち込みました。
しかしその一方で漁業へのやる気が港全体に広がっていきました。
更にみんなでお金を出し合い魚に傷がつかない新しい機械を購入。
それによって魚の値段が上がり取る量は少なくても高い収入が得られるようになりました
共同操業が軌道に乗った事で港の未来にも光が見えてきました。
若い後継者が入ってきたんです
また年配の漁師から若手へ技術の伝承も行われるようになりました
今日は秋田から佐々木鉄也さんお越し頂いています。
どうぞこちらにお入り下さい。
(拍手)金浦の浜では22人か23人ぐらいハタハタ取る人がいたんですけど水揚げの格差がすっごく大きくなるんですよね。
僕たちが大量に取ってしまうもんだから他の人たちが取れなくなるんだものね。
そうするとお前らいっぱい取ったんだからあとやめれって休めってこう…。
そういう不平不満が出てくるもんだから自分の気持ちもすさんでくるし。
じゃあみんなで共同してやろうかと。
けんかはするなと。
それからグループが港がだんだんと変わっていくんだものね。
何ていうか今まで競り合ってきたものがお互い朝になれば「おはよう」とか「どうだ?」とかあと漁場も教え合ったり。
いい循環になってくるもんだから漁師の子供さんたちが「ああ自分も漁師になってこうやって魚いっぱい取りてぇな」と。
職業を変えて漁師になった人も中にはいます。
だから共同操業っていうの他の港でもやれるんじゃないかなと自分では思うんだけどそういうふうになってほしいなとそう思ってます。
いやほんと話下手で申し訳ねぇんですけど。
(拍手)ここにいらっしゃる皆さん同じだと思いますけども同じ地域に住んでいてもやはり沖に出れば競争相手なわけですね。
その競争の結果経費がかさんだりあるいは非常に厳しい労働になっていったり後継者もなかなか確保できない。
これが一部でも共同操業があれば後継者が入ってくる。
その事で地域の産業としての漁業を残していける。
資源も持続できるという方向で皆さんが考えられると思うんですね。
これからいわきの漁業をどう再生させていくのか?最後に漁業者仲買・小売りそして県の水産試験場や市の職員らがグループごとに話し合います。
地元で地域づくりに取り組む若者たちが議論の進行を手助けします
そういうものも含めて。
Aからまいります。
班ごとに発表です
漁業者。
ウニ・アワビなら100歳までOKです。
(笑い声)あと市と県と国。
そして漁協です。
年に1回八代亜紀を呼ぶようにお願いします。
(笑い声)
(拍手)一番やっぱり漁業者というのはかっこいい漁業者になりてぇなという事です。
あと旬のカレンダーを作って魚をこの時食べたらおいしいんだよという事をみんなに紹介したいなという事です。
市・県・国には市場の競りをすぐに発信するという事。
これを第三者に発表してもらったらいいんじゃないかという事に力を入れました。
まずこれから試験操業とか本操業に向けて魚なんかを地域のイベントとかに協力して安心・安全をアピールしたい。
それから我々漁業者ももっと放射能について理解を深め消費者の方からの質問などにも答えられるような体制をとったらいいじゃないかと。
やっぱりこの流通のプロセスがまだ透明化してない。
そのためのチームが必要じゃないかというような希望でございます。
漁協の全量検査ですね。
全量検査を何とか導入したいかなというのと。
まずこれがあっての漁業者と仲買・小売りなんですがみんなで連携して福島のいわきの魚を売りたいという思いは一緒なので定期的に会ったりして意見交換をしたりして連携して何とか盛り上げていきたいなというふうに思います。
以上です。
(拍手)今日一日お聞きになって感じた事をひと言…。
3年間みんな同じ思いしてね大変な思いしてきたんですが話聞いてみんな考えてる事は一緒なんだなって思いました。
ほんとに全く再生というか生まれ変わって震災の前よりもいい漁業に向けてというようなところこういう団結した形の中から目指していけるのかなというのを今日のお話を聞いてて強く感じました。
48にもなってまだ若い衆って言われるのが嫌だからもう少し若い人らが入ってくれないとねいつまでたっても50になっても若い衆って言われるのが一番きついんだよね。
全種類が出荷規制解除になってから初めてスタートだと思います。
それまでの期間今ほんとに準備運動。
しっかり足腰鍛えてほんとにスタートできた時につまずいたり転んだり投げ出したりしないような本格操業に向けて歩みたいと思います。
やっぱり皆さんすごい福島県のお魚に対して思いがあって思いの詰まった魚たちを最終的にはお客さんに売る立場にあるのでしっかり魅力をちゃんと伝えて消費者の方お客様にお魚を売っていきたいと思いました。
最後みんな笑顔に戻ってああやっていけるなという自信を持ちました。
ほんとに今日はありがとうございました。
どうでしたか?全体を振り返って今日一日。
馬場さん。
恐らく被災地だけでなくて全国でこういう話したところはないと思うんですよね。
これもちろん実現は簡単ではないんですけどもこれが実現すればその事は多分全国の漁業のモデルになると思うんですよ。
まさに今日お話ありましたけどトップに出ていく。
是非まだ試験操業という限られた時間ですけどもその間にいろんなチャレンジをして新しい芽を生んでいってほしいと思っています。
是非頑張って下さい。
長い時間ありがとうございました。
感謝しております。
本当にありがとうございました。
(拍手)
原発事故によって多くの難しい課題を背負う事になったいわきの海。
漁業関係者はそれでも前を向こうとしていました
放射能汚染からの漁業の再生。
番組の中にもありましたようにさまざまな立場の人たちが共に学び合って話し合う中で未来の姿を見つけ出していってほしいというふうに思います。
さてこのいわき市は綾瀬はるかさんも訪ねているんです。
大河ドラマ「八重の桜」その主人公を演じた綾瀬さんが福島各地を訪ねる「ふくしまに恋して」で訪ねたんです。
その地で暮らす人たちとの出会いや自然文化に触れて綾瀬さんならではのときめきを見つけていく旅です。
こんにちは。
…というのが一番のテーマで…。
へぇ〜。
震災後に落ちた売り上げも回復してきているそうです
なんか綾瀬さんに負けちゃった。
綾瀬さんの方が上手だよ。
上手…。
(笑い声)
(一同)いただきま〜す!熱そう。
熱いですよ。
津波の被害が残る地域も訪れました
こちらは津波の被害を受けた古民家です。
200年前に建てられたというこの建物。
江戸時代の塩問屋なんだそうです
(綾瀬)これ元からあった…?
(豊田)そうなんです。
(豊田)立体的に模様がついてます。
ほんとだ〜。
震災に負けずに前向きに頑張っている人たちの姿。
高校生たちの目にはそれがかっこいいと映っているようです。
でそうした姿を多くの人たちに見てもらいたい。
高校生が企画したバスツアーは定期的に開催されているという事です。
「ふくしまに恋して」のホームページでは綾瀬さん自身が撮影した写真など旅の様子を紹介しています。
こちらも是非ご覧になって下さい。
では被災した地域で暮らす方々の今の思い。
宮城県南三陸町の皆さんです。
震災によってこの地域の人口が約半分になる予定です。
(渡辺)この地域は昭和35年のチリ地震津波の時にも見事に復旧・復興を成し遂げています。
南三陸町でトマト農家をしています。
ここはライフラインが全て途絶え畑は全滅しそうな状態でした。
(小野)今では最盛期には20人以上の方々に働いてもらっています。
ここ戸倉には大勢の子供たちが漁業体験に訪れていました。
津波で全てが流されてしまいましたが…2014/06/22(日) 10:05〜10:53
NHK総合1・神戸
明日へ−支えあおう− 復興サポート「放射能汚染からの漁業再生〜福島・いわき市」[字]

いわき市では昨年秋ようやく試験操業が始まったが、風評や後継者不足などで将来が見えない。消費者の信頼回復や漁業再生をめざし、漁業者など地域の人たちが話しあう。

詳細情報
番組内容
知恵ある専門家を被災地に招き、住民との話し合いで復興への道筋を探る「復興サポート」。昨年秋、ようやく試験操業が始まったいわき市では、福島産の魚への風評に加え、高齢化や後継者不足などで将来の見えない状況が続く。どうすれば消費者の信頼を取り戻し、漁業を再び地域の生業としていけるのか。科学的な最新調査データや他地域の取り組みを紹介しつつ、漁業者や流通関係者、行政担当者などが一堂に会して話しあっていく。
出演者
【キャスター】畠山智之,【出演】東京海洋大学教授…神田穣太,筑波大学准教授…五十嵐泰正,東京海洋大学教授…馬場治

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
情報/ワイドショー – その他

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