交流戦MVP最有力・亀井が激白「数字に勝つ」口にしてリハビリ、惑わされた09年の自分と決別したかった
◆交流戦 巨人10―5ソフトバンク(22日・東京ドーム)
巨人交流戦Vの立役者で、同MVPの有力候補に躍り出たのが、右手人さし指の骨折から復活した亀井善行外野手(31)だ。5月31日のオリックス戦(京セラD)で復帰後、チームは11勝5敗。優勝の原動力となった。過酷なリハビリ生活や心境の変化など、赤裸々な思いをスポーツ報知に激白した。
優勝できて、本当にうれしい。周りから「亀井が戻ってきて、チームが波に乗った」と言ってもらえるのは、正直うれしいけど、絶対にそう思っちゃいけない。これだけ打点を挙げられたのも、その前にランナーが出てくれているから。みんなでもぎ取った優勝です。
沖縄キャンプ中の2月26日、守備練習中に右手人さし指を骨折した。痛めたとき、すぐに折れたと分かった。第1関節が右に倒れるように曲がっていて、左手を使えば真っすぐに戻せるけど、指を離したら、また「バイーン」って元に戻っちゃう。次の日には茶色くなっていた。複雑骨折ではないけど、第1関節が上の方にズレていたり、かなり変形していた。だから3本のワイヤを埋め込んで、ズレている骨を元に戻した。少し動かすだけで、激痛が走った。
でも、落ち込んでいる暇はなかった。けがをしてしまったことは反省したが、自分の中でやるべきことを決めて、この期間を充実したものにしないといけないと思った。右手が使えないときは陸上部みたいに走ったし、打撃練習ができるようになってからは、育成コーチの後藤孝志さんに自分から聞きに行った。「ブラインドショット」【注1】を教えてもらい、やればやるほど、頭の中に迷いがなくなっていった。
こうやって打てているのは、後藤さんの影響が大きい。確実にパワーアップできたと思うし、自分の特技は「けがの功名」なのかもしれないね。
リハビリ中はよく「数字に勝つ」と口にしていた。トレーニングコーチと話して、外野のポール間を走る本数を決めていたけど、それ以上を走るようにしていた。30本だったら、1本でも2本でも多く走ってやろうと。
これまでの自分は数字に惑わされてきた。どうしても09年のときの数字【注2】に苦しめられてきた。結局、自分も周りもあのときが基準になっていて、まだできるはず―と数字ばかり追い求めてきた。打席に入るときにスコアボードの打率や本塁打が見えると、気になった。今考えれば、過去の自分と決別したいと思ったから、出てきた言葉だったんだなと思う。
周りから、苦しい顔を見せなかったと言われるけど、もちろんつらかった。家で巨人戦をテレビで見ていたら、娘の心暖(こはる・5歳)から「何でテレビ出てないの?」って。まだ分かんないから、言われるんだよ。逆に上の大夢(だいむ・7歳)は事情も分かっているから、何も言ってこない。気を使わせているのが分かるから、余計につらいよね。でもそうやって待っていてくれる人たちがいるから、戻らなきゃと強く思った。家族にはいろいろ苦労をかけたけど、本当に感謝している。
今は確かに09年以来の充実感がある。6月中旬の札幌、仙台遠征から帰京した翌日、気づいたら12時間も寝ていた。その間、一度も起きなかった。夢中でやっていて、自分では気づいていなかったけど「やっぱり1軍は疲れるんだな」って。体は正直だね。監督から信頼されて毎日出ることが、こんなに心地よいものだったんだと思い出したよ。
でも、あのときとは違う。09年という過去はすごいことだったかもしれないけど、あれから何度もけがをして、いろんな苦労をして、試行錯誤してきた自分がいる。それを含めた今の自分が、出せたらいい。新たなページを作っていきたい。それにまだ16試合。いいスタートが切れたけど、満足なんて全然できない。終わりよければ、じゃないけど、最後がすべてだから。(巨人軍外野手)
◆交流戦MVPはどうなる? 交流戦MVPは優勝チームから選出される。野手では打率3割5分6厘、3本塁打、10打点の亀井が有力候補。勝利打点を4度記録するなど勝負強さを発揮した。投手では小山。4戦に先発し3勝(0敗)、防御率は1.33。優勝投手に輝くなどブレイクした。中継ぎでは山口。12試合に登板し、1勝6ホールド。防御率0.71と抜群の安定感を誇った。MVPは25日の全日程終了後に発表される。
◆亀井 善行(かめい・よしゆき)1982年7月28日、奈良県生まれ。31歳。大阪・上宮太子高では3年春に投手としてセンバツ出場。中大進学後、野手に転向し、04年ドラフト4巡目で巨人に指名された。09年にWBC日本代表として世界一に輝く。昨年の開幕前、登録名を本名の「義行」から「善行」に。178センチ、82キロ。右投左打。家族は妻と1男1女。年俸4000万円。
【注1】打とうとするのではなく、バットの芯に当てることだけを考え、その後の結果は遮断(ブラインド)するという心理学的トレーニング法。
【注2】09年の亀井は守備力を買われ、第2回WBC日本代表にサプライズ選出。帰国後、リーグ開幕戦は「1番・右翼」でスタメン出場。中盤戦からは5番に定着。5年目で初の規定打席に到達し、134試合出場、打率2割9分、25本塁打、71打点。リーグ優勝、日本一の立役者になり、ゴールデン・グラブ賞も受賞した。