北アルプス立山の西面を流れる称名川には、日本一の豪瀑「称名滝」が存在する。
落差は約320m。通常の滝とは桁違いのスケールを持つこの滝は、上部に称名廊下と呼ばれる前人未踏の大ゴルジュを構え、立山源流から約12kmに渡って収束した多大な水量を一気に流下させる。
滝は全4段(上から1段目40m、2段目60m、3段目92m、4段目126m)で構成され、3段目より上部は1972年に登られたが、4段目の登攀は成されず、その後長い期間が空くこととなった。
そんな4段目もようやく2002年に解決され、約30年という時を経て2003年、ついに全4段ワンプッシュでの完登が達成された。
これほど魅力的なラインが、ずっと残されていたのは驚くべきことだが、逆に言えばそれだけ4段目が不可能に思える様相を呈していたということだろう。
私は毎年夏のシーズンになると、フリークライミングから沢登りへと趣味を転向する。今年は最大の目標を「剱沢」と「称名滝」に置き、特に執心していた剱沢には、チャンスが来ればいつでも実行に移せるように準備を進めてきた。
登山家やクライマーであれば誰しも、一生の内で絶対に登っておきたい目標というのはあると思うが、私にとってのそれは「剱沢」であり「称名滝」であった。
剱沢挑戦への唯一のチャンスを天候不順で失った私は、称名滝の登攀にはすぐに移行できず、飯豊連峰の梅花皮沢滝沢や、御嶽山の赤川地獄谷といった他の険谷へと一旦気持ちを切り替えた。
両沢において、人跡稀な(もしかしたら初めて?)上部ゴルジュの突破など十分に満足のいく冒険的遡行を行えたが、それでもやはり称名滝への思いが廃れることはなかった。
10月初旬、剱岳の池ノ谷ゴルジュにおける恐怖の暗闇草付登攀で何かが覚醒したのか、今まで漠然としていた称名滝登攀への気持ちが一気に高まり、具体性を帯びてきた。
10月後半には雪が降る可能性のある北アでは残されたチャンスは少ない。もしかしたら次の週が最後になるかもしれないと思うと行動は早かった。
今回の登攀はいつも通り、ソロで行うことにした。私は普段からほとんどソロでしか沢に行かないため、特別なことではない。一番純粋に山と向き合えるのがソロであり、全てを自分一人の力で解決しなければならない最も難しい登攀スタイルでもある。
今回もその対象としては申し分ない。困難であればあるほど燃えるのはクライマーの性か…。
10月14日(晴れ後曇り)
●4段目
1P目=35m(Ⅳ)
遥か上部から膨大な水が叩き込まれた釜は、海のように激しく波立っている。辺り一帯は水しぶきと暴風が吹き荒れ、まるで台風の最中にいるかのようだ。
称名滝の登攀は終始右岸側(左壁)となる。8:45、登攀を開始。
水流から20mほど左の一見登り易そうなスラブを登っていくが、これが痛恨のラインミス。フリーで行けるはずのピッチが厳しいネイリングとなってしまう。
いったん下降し、再度ルートファインディング。少し右の凹状部の方が格段に易しいことが分かり、ラインを変更。
いきなり1時間半のタイムロスを喰ってしまった。改めて登るラインは快適なフリーで登ることができた。
2P目=30m(Ⅴ+・AA2)
5.9の右上クラックをフリー。のはずが途中でカムが尽き、エイドに切り替える。下のカムを回収しながらの架け替え作戦でジリジリと高度を稼ぐが、クラック内は泥と苔に覆われ、カムをきめるのすら難しい。
フリーで突破するのは相当厳しい印象であった。
3P目=30m(Ⅴ・AA2+)
レッジに上がって右に5mトラバース後、正面の乾いたフェースに走るシンクラックをネイリング。タイオフの連続だが、ピンは比較的しっかりきまるので、それほどの不安感はない。10ポイントで上部スラブへ抜ける。
まともなピンが取れないままスラブを直上、途中から左へトラバースし、傾斜の緩む凹角まで上がる。
4P目=50m(Ⅲ+)
水の流れる凹角から草付と岩の弱点を縫って登り、夕闇迫る中、4段目落ち口へと続く取水バンド(第二次世界大戦中に発電のために作られたバンド)のテラスに出る。
テラスは5×3mほどの平坦地で、滝からの風が来ないため、ビバークポイントに最適である。
10月15日(雨時々曇り)
●3段目
5P目=45m(Ⅳ+)
取水バンドの側壁を1ポイントのA1(残置ピトン)で上がってからロープを出す。左壁のブッシュ下を走る右上バンドをトラバース。
草付カンテを微妙なバランスで回り込み、細かいエッジで垂壁を通過。流水際を辿り、いったん水流に向かって下降した後、ヌメるフェースから乾いたテラスへ。トラバースなので、回収のために戻るのも楽ではない。
6P目=50m(Ⅴ-)
水流沿いを一部シャワークライムしながら登る。その後は左の乾いた岩に移り、側壁をトラバース。(古い残置ピトンを1本発見)落ち口目前でロープが足りなくなり、ピッチを切る。
7P目=15m(Ⅲ)
易しいスラブを登って落ち口に立つ。ここから2段目までは広い空間となるが、滝の瀑風としぶきが辺り一帯に及び、全く落ち着かない。雨も本格的に降り出し、濡れた体に寒さがこたえる。
ところが、こんな場所では奇跡的とも言える無風で乾いた岩屋を発見。おかげで少しの休息を得ることができた。
●2段目
8P目=25m(Ⅳ+)
スラブの弱点をジグザグに突いていく。上部の階段状スラブ帯に差し掛かった所で、バッグの中のロープが流れなくなったのを、ロープ一杯と勘違いし、短くピッチを切ることになってしまった。
9P目=40m(Ⅲ+)
階段スラブで軽快に高度を稼ぎ、悪場の手前でピッチを切る。
10P目=20m(Ⅴ-)
核心のクラック手前で、スラブに乗っていた岩を踏むと突然滑り出し、足に引っ掛かって引きずり落とされそうになる。
その際、右足の親指を轢かれて打撲。
クラックは上部の隠れたガバで一気に越え、落ち口へと上がる。
●1段目
11P目=45m(Ⅳ・AA1)
凄まじい風と水しぶきで、滝を直視することができない。左の岩畳には10mほどの垂壁が立ち、2本のクラックが走っている。
右はシンクラックで下部のネイリングは必須だが、左はクラックの幅が広く、数ポイントのエイドで済みそうだ。スタート地点に残置ピトンも1本ある。
左にラインを定めるが、いざ取り付くとクラックの中が脆く支点が取りづらい。即座に右に変更。がっちりピトンのきまるネイリング3ポイントからフリーでテラスへ上がる。段々に続く岩の弱点を辿ってスラブ帯へ。
12P目=15m(Ⅲ+)
最上部までの最終ピッチ。ライン取りの楽しいスラブを登っていく。待望の落ち口へ上がると、眼前には称名廊下の絶景が広がっていた。
急峻なV字谷には大量の水が所狭しと溢れかえり、弱点のない谷筋が続いている。視界に入る5mほどの連瀑は、一見して通過困難。その奥は、きっとの逃げ場のないゴルジュが続いているのだろう。
●下山
右岸の尾根を登っていくと、大日平へと上がる直前に草付壁に阻まれる。獣道を左上し、一箇所ヤブの繋がるポイントから上へと抜けた。
大日平からは猛烈なヤブ漕ぎとなり、いくつかの支沢を横切りながら進んでいく。途中で日が暮れ、暗闇に視界も効かず、ただコンパスの方向だけを合わせ、一心不乱にヤブに没する。
いつまで経っても出口の見えない状況に、不安と焦りが出始めた頃、ようやく登山道へと飛び出した。長時間行動で疲労しきった足に最後のムチを打って、午後8時下山を終了した。
●登攀を終えて
やはりこの滝の登攀を決めた時点で最高の時間が約束されていたのだろう。壮大なロケーションに示された一つのラインは、まさにそれがあるべくしてあったかのような繋がりを見せ、質の高い登攀の連続だった。
初登時にはピトン120本、ボルト22本が使用されたこの滝の登攀も、今やクリーンに登られるようになった。それは再登者達の登攀スタイルへのこだわりが築き上げてきたものだ。当然私もそれに従い、時間に追われながらも自分で打ったピトンは全て回収した。
ただ一つ心残りなのは、登攀中に発見した3本の残置ピトンを回収できなかったことだ。これを回収しておけば、この滝は残置物の一切ない美しく完璧な滝に戻ったのだと思うと、無理を押してでもやっておくべきだったと思う。
今後この滝に挑む人は、ぜひそういった背景を踏まえ、日本最高の滝にふさわしい最高のスタイルで臨んで欲しい。
※「Rock&Snow 50号」に同文記載(若干の変更あり)
遥か高みから落ちる大量の水。
巨大な釜が荒れ狂う。
中間ピンは最小限でしか取れない。
登攀を終え、回収のために懸垂下降。
再び同じラインを登り返す。
技術的な核心部。クラックを覆う
苔と泥が登攀を難しくしている。
まるで巨大な怪物の体内へと
入り込んだかのようだ。
ネイリングで突破する。
フリーの可能性も残されている。
垂壁を抜けた後は、渋いスラブを
ランナウト。高度感が素晴らしい。
傾斜は緩むが、濡れた岩は
油断できない。
丸一日かけて、ようやくここまで
辿り着つくことができた。
美しく迫力のある滝。
生き物のように水は躍動する。
一部垂直となり、不安定な足場に
緊張させられる。
ヌルヌルのスラブを慎重に登る。
側壁と水流沿いを絡めて登る。
部分的に悪い。
とにかく美しいの一言。
写真をうまく撮れなかったのが残念。
下部の豪快さとは打って変わって
滝は優しく滑らかに落ちる。
長大なスラブ帯を登る。スケール感が
よく分かる一枚。
岩と水の織り成す空間。
一直線に降り注ぐ瀑水。
周辺は激しい水しぶきと
突風が吹き荒れる。
ゴルジュを成す滝。
心を惹かれるワンショット。
いよいよ待望の落ち口は近い。
快適なスラブを上がっていく。
側壁は垂直に切り立つ。
※この写真は前年のザクロ谷
遡行時に撮影したものです。