昨日(6月20日)付のブログ「理研CDBおよび擁護派の先生方への反論」に関していくつかご意見をいただいた。
私のブログについて異論を書いてこられる理系研究者の人に共通して感じることなのだが、物事を「点」でしか見てないように思われる。「線」、「面」、「時空」といった概念がやや欠落しているように思えてならない。別の言い方をすれば、「コンテキスト(文脈)が抜けている」ということだ。
「別科学者」さんは尋ねる。「ノーベル賞として認められた発見は、「『科学的合理性』に基づき、功名にデザインされた手法によって」得られたものばかりでしょうか?たとえば、日本の田中耕一さんの発見はどうでしょうか?「極めて単純な話であって『科学的合理性』に裏打ちされたものではない」発見は、価値が低いのでしょうか?発見者は、リスペクトされなくともよいのでしょうか?」
勿論、私は「ノーベル賞の価値」を議論しているのではない。私は「小保方さんが、上に述べた研究者と同様に、独創的アイデアと手法を使って得た成果を論文発表し、それを評価しての採用ならば、私は「画期的な研究の横取り」などとは言わない」と、「能力」の話をしている。そして、「研究者としてトレーニングが足りていない」というのも「能力」の話だ。そして、「公募」と銘打って行う募集において、「ビギナーズラック」かもしれない人を「決め打ち」採用するのは論理的必然性がなく、その一方で、「独創的アイデアと思考力をもつ研究者の採用ならば問題はない」と言っているのだ。
「別科学者」さんは更に尋ねる。「論文公表前にPIにすると研究の横取りであったものが、論文が公表された後なら横取りにならない、というロジックが私には理解できません」。
これも想像力不足だ。小保方さんの論文が発表されてからのフィーバーぶりを貴方は忘れたのか?もしSTAP細胞が本当であったら、彼女は引く手あまただ。2,000万円の研究費を配分されるCDBのユニットリーダーよりも、もっとよい条件でのオファーがあるだろう。そうなった場合、小保方さんを引き止めるには、CDBはより条件をよくしなければならなくなる。また彼女を失えば、「iPS研究よりも巨額な研究費を手に入れる」ことができなくなる(勿論、彼女の結果が本当ならばの話である)。彼女の「商品価格」が急騰すると思ったから、「安いうちに先物買いをしよう」と思ったのだ。 別の言い方をすれば、「インサイダー情報に基づき非公開株を買う」ようなものだ。まあその情報がガセネタだったという結果になると思うのだが。
「農学系」さんは批判する「大勢の記者を集め、割烹着を着せて大々的に会見し、「これがCDBの成果」と発表したことを「横取り」と言っているのだ。」という私の意見に対して、「小保方氏の採用に関する議論が、いつの間にか「広報のあり方」の問題となっているのはどういうことですか」と。
これは「横取り」の意味を十分理解していない。「横取り」には「動機」がある。この場合の動機は、iPS研究へ資金が流れることの阻止だ。「iPSの技術が遺伝子導入によるゲノムの改変を伴うことから癌化などのリスクを排除できていないことをあげ、ヒトの体細胞を用いて、卵子の提供やゲノムの改変を伴わない新規の手法の開発が急務である、として、小保方氏を細胞リプログラミング研究ユニットのリーダーとして採用することを推薦した」(研究不正再発防止のための提言書)と、iPSへの対抗意識が強く述べられている。この「動機」が「小保方さんの採用」と「割烹着宣伝」を産んだのだ。大々的に宣伝できないなら、小保方さんを採用する意味はない。「小保方さんは、ハーバード大学医学部Brigham and Women's Hospitalで画期的な発見をしました。CDBは少しだけお手伝いしました。そして小保方さんはCDBのユニットリーダーです」では意味がないのだ。
文系の人は、「コンテキスト重視」で「陰謀論」に傾倒する傾向があるが(その典型例は「新潮45」の小畑峰太郎氏であろう)、理系の人はもっと「コンテキスト」を重視すべきであろう。
ところで、上昌弘先生のツィッターに「「新潮45」の小畑氏の記事「「STAP論文捏造事件」その金脈と人脈」が面白かった」とあったので、昨晩買って読んだのだが、上にも述べたように「陰謀論満載」の話にはややついていけなかった。それよりも「STAP論文問題 私はこう考える」という、元京大医学部の本庶佑先生の論考が興味深かった。本庶先生は免疫学の研究者であり、Cell、Nature、Scienceといったトップジャーナルでの論文発表数は日本の研究者でトップの方だ。現在は、静岡県公立大学法人の理事長とのことである。
論考の内容は、私のブログとほとんど同じであり、また、「CDBのアドバイザリーカウンシルの2012年の提言の3項目が日本語に翻訳されていなかった」ことも言及されていた。このブログを直接は見ておられないだろうが、間接的に聞いたものを思われる。本庶先生は「疑ってかかることが科学の出発点」と述べており、これは「すべての論文は嘘だと思って読みなさい」という、大学院時代の指導者である西塚泰美先生(元神戸大学学長で、がん細胞増殖などに関与するC-キナーゼの発見者。ノーベル賞候補者の一人であったが既に逝去)の教えに基づくという。本庶先生のようなトップ研究者と同じ考えをもっていることを知って嬉しく思うと共に、なぜ私は、本庶先生のようにトップ研究者になれなかったのかということも考えさせられた。
本庶先生が指摘されていた点で注目すべきことは、「小保方さんたちの論文には、リンパ球から調製したSTAP細胞のみでなく、STAP細胞から作製したキメラマウスのPCR解析も行っているという記述があるが、後者の結果が示されていない」ということだ。確かに論文のMETHODSに‟TCR-β chain gene rearrangement analysis. Genomic DNA was extracted from STAP cells and tail tips from chimaeric mice generated with STAP cells derived from CD45+ cells.”と「キメラマウスの尻尾を切って解析した」とある。ネット上では、「T細胞由来のSTAP細胞は希釈されてしまうので、キメラ中では検出は困難」という議論があったように記憶しているが、それにしても結果はどうだったのだろう?CDB 自己点検検証委員会の報告書には、2013年1月にSTAP幹細胞にはTCR遺伝子再構成がないことが判明している旨の記載があるが、キメラマウスの解析結果についてはまったく触れられてない。
さて前置きが長くなったが、本日の本題。
改革委員会の「CDB解体」提言に対して、脳科学者と称される茂木健一郎氏やアゴラの池田信夫氏などが、「CDB解体は過剰反応」と批判している。曰く「もし一人の非典型的な研究者の「不正」が組織解体につながるのであれば、ハーバードも、ベル研も、東京大学医学部も解体されなければならぬ。理研のCDB解体論は明らかに過剰かつ非論理的であり、小保方さんという非典型的な研究者が引き起こした騒動に対する反応としては不適切である」。
しかし、これは事件のコンテキストを理解していないし、改革委員会の「提言」もきちんと読んでいないのではないかと思わせる。繰返しになるが、CDBが行ったのは「横取り」と「隠蔽」(の疑い)であり、それに対して他の捏造事件では「組織」は積極的には関与していない。他の組織の場合「監督責任」は問われるが、CDBは「加担者」に近い。更に「提言」が問題視しているのは、これらだけではない。「データ管理のずさんさ」と、さらに竹市センター長の「コンプライアンスの欠如」なのだ。
データ管理に関して、理研は「研究不正防止規程」の中で所属長にデータの管理責任があることを明記している。改革委員会のこれに関する質問に対して、竹市センター長は、「そういう管理的なコンプライアンス的なことは私はしておりません。」「(小保方氏にかぎらず)すべての新任のPIに対して私がその問題に対してやっていません。」と答えている。
この竹市センター長の言葉は、CDBが理研の一部門ではなく、実際は「竹市商店」であったことを意味している。竹市センター長の「科学的信念」からは、このようなデータ管理は意味をなさず、むしろ自由な発想を阻害するものなのであろう。典型的な理学部の人の考え方であり、私もこの考えには共感する。しかしながら、理研にはルールがあるのだ。それを無視していたということは、CDBは理研デパートの一支店ではなく、デパート内にある独立した「竹市商店」だったということだ。
「提言」では、「早急にCDBを解体すべきである」の後に以下の文章がある。
「そして、仮に理研がCDB解体後に、新たに発生・再生科学分野を含む新組織を立ち上げる場合は、次の事項を実行し、真に国益に合致する組織とすべきである。」。つまり、同様の研究内容の組織を作ることを否定していない。そして「現時点での発生・再生科学分野の世界の動向を踏まえ、新たにミッションを再定義し、必要とされる研究分野を新たに選考・設定すること。再生医療分野においては、医工連携などを配慮して、ひとり理研のためではなく、京都大学iPS細胞研究所(CiRA)との協力関係の構築など、この分野での日本全体の研究力強化に貢献し世界を牽引する研究を推進する観点で、研究分野及び体制を再構築すること」。つまり否定しているのは、「竹市商店」であり、本当の「理研デパート神戸支店」に改装しなさいということだ。
6月16日付のブログへの尾崎先生のコメントの結論にあるように、「これを機に、理研は、教育を主目的とする大学では扱いにくい研究テーマに特化するなどの差別化を図り、それに向けて経営陣を刷新してはどうかと思う」という意見は一つの見識だと思う。
コメント
コメント一覧
すなわち「組織として問題が無い」という結論に繋がる論理を積極的に展開してはどうか。
組織を上げての成果の横取り、異常な広報、CDBの名前で出されたNature protocol exchange を含めた逃げの一手の事後対応、これらが組織としての問題ではないことを詭弁を弄さずに示すべきだ。
長きにわたり、多くの人が竹市先生の人柄やサイエンスを尊敬しており、私もその一人だった。この件についてもできれば積極的な関与はなく大きな責任は無かっただろう理由もなく期待していた。しかしあのご本人の記者会見を見て全く考えが変った。残念だが大きな責任を負うべき存在だいう以外の結論は導かれない。京大閥のCDBの自己点検委員会に多くの京大関係者を並べ、手緩い結論を出させる政治合戦だ。完全に失望した。国民に対しても研究者に対しても不誠実だ。
あの会見を見てまだCDBの擁護に回れる研究者は、期待と異なる現実のデータを見てもこれを受け入れられない小保方晴子と同類だ。
また、「文系の人は、「コンテキスト重視」で「陰謀論」に傾倒する傾向がある」というのは、理系の思いあがりであり、「文系」(とされる人)に対して失礼です。私は、理研陰謀論には与しませんので、その「文脈」に従えば、ブログ主さんをはじめ、多くの理系の方々が、陰謀論に熱中しているさまは、「陰謀論に傾倒するのは、文系とは限らない」ことを如実に示していると思われます。
そうしないと水掛論になってしまうと思いますが。。
採用問題だけでなく、いろいろな点が今回の件では問題としてあがっていると思います。おそらく私は農学系さんの意見とは異にする者だと推測しますが、そうであっても、異なる見解は充分尊重し、排除するべきではないとも考えています。
ブログ主さんは、もともとCDBのものとは言えなかった研究をCDBの研究として大々的に発表したのが「横取り」に当たる、としています。広報のあり方、というのとは意味が違うと思います。
これに関連して、前の記事のコメント欄で、clarahaskilさんが、論文が完成した時点では小保方氏とヴァカンティ氏はハーバードの附属病院所属、若山氏はすでに山梨大教授で、CDBの関係者でないので、わざとレターをつけて小保方氏採用後に投稿した、と述べています。どちらも、CDBの手柄にするための行動としか思えず、「横取り」に相当する、ということになります(これはブログ主さんとclarahaskilさんの意見で、私は門外漢なのでノーコメントです)。
割烹着記者会見が最初からの計画ではなくても、最初から横取りの方向で進んでいたということになり、広報のあり方にすり替えた、みたいな指摘は誤りではないかと思います。
また、前の記事のコメントの2については、証明問題ふうの解説を書いてみましたので、ご笑覧ください。
農学系さんの指摘、陰謀論は文系だけではない、というのは正しいです。理系も文系も陰謀論が好きな人、嫌いな人がいます(知り合いの文系で、陰謀論が大嫌いな人がいます)。それに、陰謀論にも真実が含まれていることもあります。私は好きな方ですが、半信半疑で読みますね。
問題は、今回の件でcdbの研究内容とか範囲とか目的とか、そういうことまで手を触れるのが適切かいなかだと思います。
私は、そのようなな学術面での改変の議論は必要であるにしても、この問題にからめてやるのは如何がなものか、と思います。
余計な思惑が錯綜し、本来あるべき議論を妨げる可能性が高いと思うからです。
STAP細胞が本当にあるか、ないか、さほど興味はありません。
そもそもネイチャー誌に、どれほどの権威があるのかわかりません。
論文が掲載されただけで、大騒ぎをしたのは、小保方さんというよりも、理研であり、マスコミであり、科学界の人たちです。
いろいろ噛み砕いて説明されても、ほとんど何のことかわかりませんから。
最初に騒がなければ、私を含め何にもわからない人たちが、この件であーだこーだいうこともなかったでしょうに。
この件に限らず、論文が掲載された後に、あらゆる方面から疑念をいだかれ、論文を取り消した例もたくさんあるそうじゃないですか。
そういうことは、マスコミのサイエンス担当の方もご存じなのではないでしょうか。確信的なフライング報道でしょう。
散々騒いでおいて、散々煽っておいて、いざ研究不正の疑いが出た段階で、今度は小保方さん一人を攻撃する。
会見をしないで、入院したらしたで、逃げてるといって叩かれる。
会見したらしたで、よくわからに人までにも誹謗中傷される。
こんな扱いされたら、通常の神経の持ち主なら、精神おかしくなるよ。
小保方さんは、よく会見したと思うよ。
ただ、精神的に不安定だから、多少辻褄のあわないことを口はしるかもしれないし、それでも自信のあることなら、堂々と答えることができるかもしれないしね。
あと、本当に一般人のSTAP細胞に対する感想。
現状では証明できないが、可能性は日本がワールドカップ予選突破位の確率で存在する可能性はある。
ただ、短期間で成果が出るものではなく、予算が削られ、研究が打ち切られる可能性が高かったので、とりあえず研究を続けられる環境を保持するため、あわよくば更なる予算をぶんどるため、これにかかわるあらゆる人たちの優秀な知恵を振り絞り、論文をでっち上げた。
それだけのこと。
事業仕訳で、専門家じゃないひとが、専門家の範疇に切り込んで、予算削減に切り込むのは、不可能に近いと認識され、事業仕分けは廃止され、もう普通の人たちでは莫大な予算の計上にストップはかけられませんから。
1. 白橋氏(事件被疑者・元ノバルティス社員・統計解析専門家)=小保方氏。(現時点では推定、動機も異なるとは思いますが)
2. ノバルティス社・京都府立医大循環器内科(など大学医局)=理研CDB。
3. ノバルティス社利益・大学医局研究助成金と研究業績(ノバルティス社からの)=理研CDBがSTAP論文により受けるつもりだった国からの研究予算と研究業績・名誉。
ただし、存在するとの証拠が何一つないSTAP現象とディオバンは同じではありません。ディオバンは他の降圧剤と同等に近い優れた薬の一つです。ノバルティス社・循環器内科と理研CDBは詐欺の被害者でもあると思います。ただ捏造を見抜く機会も能力も時間も十分すぎるほどあったと思いますが、捏造された結果の魅力に目を眩まされたものと思います。その結果、詐欺の片棒を担いだ結果になりました。小保方氏とヴァカンティラボからはどんなにdataをmakeしてもNatureに掲載は困難だし、世界的な注目を浴びることもなかったと思います。だまされたとはいえ理研CDB総力をあげてこのような論文を出したことの責任は重大と思います(ノバルティス社・大学医局と同様と思います)。
教育でも事業でも、何か新しいことを始めるとか、誰かにチャンスを与えるとかいう事は、囲碁でいう捨て石みたいなものですよね。左上隅のあたりで一目二目の競り合いになっている時に、急にその局面から少し離れた右上隅の辺りにポーンと石を置くようなものです。
石を置いた時点では、それが後々どうなるかは予想できないかもしれません。何か意図を持って置いたのかもしれないし、ただ何となく置いてみただけなのかもしれません。それが、段々手が進んで行って左上隅の展開に繋がってくると、見ている人は「ああ、あそこを狙って打ったのだな」と解釈するでしょう。でも最初はそのような意図はなかったかもしれません。
科学と囲碁の違うところは、囲碁では石を置く領域(碁盤)の大きさが限られているが、科学ではその領域が広がっていくことです。境界の辺りに石を置くことは、囲碁では領域の中の地を取ることに対してしか意味を持ちませんが、科学では知識の領域を広げることに対して意味を持つはずです。
科学というアリーナの境界の辺りに置かれた石が、そのアリーナを広げてゆくことに繋がるかもしれない。それがアリーナの中の陣取りのようなことばかりに利用されるというのは、私たちのコミュニティにとって極めて不幸なことです。
先週朝日新聞に掲載された、竹市センター長の会見内容は、私には、学者が一般の方をはぐらかすときの話し方に思えました。一つ一つのやりとりに誤った内容はない、しかし全体としてみた場合(まさに文脈において)、社会に事実と異なる印象を与える内容だと感じました。私の印象が間違っていればよいのですが。
そもそも、プレゼンをさせたところで、完璧に(データまで)ねつ造されると、正しいかどうかなんてわかりません。今の時点で、自分ならわかっていたなんていう言葉は、あまりにむなしく響きます。そもそも、そんなに簡単にねつ造がわかるようなら、Natureにacceptされませんから。
>CDB人事委員会に「人を見る目がなかった」ということだと思います。単純に、ハズレを引いただけでしょう。
という文章と、
>そもそも、プレゼンをさせたところで、完璧に(データまで)ねつ造されると、正しいかどうかなんてわかりません。
において整合性がとれていません。
加えて、事あるごとに、絶対に、全て、完璧に、等の表現を拝見すると大変残念に感じます。
CDB擁護者さんは、「STAP問題に類似した問題を将来にわたって防ぐことは難しい」という立場に立っていながら、相手には「絶対に防ぐ」根拠を要求する。自己矛盾に陥っていることを認識しているのだろうか。
http://www.brh.co.jp/s_library/j_site/scientistweb_old/no36/index.html
>5,クローンマウスの誕生とクローンの将来
(若山先生が卵丘細胞でクローンができたとの報告を受けて)
実は私は、若山君が暇を見つけてクローンの試みをしているのを知りませんでした。これは私がチャン博士の研究指導方針を受け継いでいるためです。博士は「1週間のうち3日は私の与えたテーマの研究をする。これはお前のBread&Butter(研究費に対する見返りとして結果報告の義務あり)。あとの2日はお前の好きなことをしてよい」と言っていました。ハムスターの体外受精の仕事は、この2日を使っての実験でした。
そして柳町先生は若い研究者の指導については。
「大切なのは指導者が自由を与えること。その自由から独創性が生まれる。」
「若い研究者に、独創的でなければ意味がないと言っています。」
こういった指導者と研究員の「信頼」と「自由」について深く考えさせられました。
今現在、若い世代に科学の夢を語れる研究者はどのくらいいるだろうか。
科学は政治の介入によらず、自身の好奇心を探求する場であると思います。
しかしながら、そういった場を確保するために、誰かが政治と科学の防波堤にならないと思います。その意味で、理研上層部に求められるのは政治的な判断です。
私の専門分野で基礎研究は遠い昔に廃れてしまった、科学の面白さ。基礎研究の灯を消してはならないと思います。
私には、CDB自己点検検証委員会による提言が、本件の原因、対策とも妥当な指摘であるように思われます。皆さんが高く評価する改革委による提言ですが、この検証委員会による調査・分析結果に依拠する部分を除けば、実質的な内容に乏しいと考えています。また、岸委員長が提言の公表前にその内容を繰り返しマスコミに漏らした行為は、控えめに言っても軽率であり、批判されるべきだと思っています。
言葉のプロ(ド素人の質問者)さん
コメント2に関するご指摘ありがとうございます。相当意地の悪い質問であること、また、「もし、本能寺で信長が死ななかったら…」と同じで(こちらは知的お遊びとしては楽しいものですが)、反証不能であるという点で科学的な議論ではないこと、は承知しています。ただ、論点を明確にすることはできるのではないかと考えて、書き込んでみました。「今回のCDBによる採用が結果的に大成功であったとしても、採用方法自体は認められるべきではない」というのであれば、それは一つの見解として尊重されるべきでしょう。そうでないのであれば、結果論(の部分)でCDB人事委員会に責を負わせるのは妥当ではないと思います。あえて「仮定法」と書いたのは、ブログ主さんが、この論法を2度ほど採用なさっているので、「仮定の話には意味がない」として片付けないで下さいね、というメッセージのつもりでした。
また、西川先生は形式主義に陥った人事がお嫌いなようです。そうであれば、彼女の審査も形式主義を排すべきだったでしょう。何せ大博打人事ですから。筆頭著者論文が少ないのだから、博士論文をみてもよし、折角同じ組織にいるのだから、カギになる生データ、たとえばテラトーマの切片をチェックするもよし。正式な手続きとしてできなくとも、インフォーマルにそうしたチェックをされたらよかったと思います。彼の形式主義批判は手抜き人事の言い訳にしか聞こえません。
私は、もしもあの質問にイエスかノーで答えるとしたら、「採用方法自体は認められるべきではない」と答えると思います。
それは大成功を逃すかもしれないというリスクを背負うことになるのですが、大成功とモラルのどちらを取るかと言われたら、私はモラルを取ります。
このブログ主さんもモラルを重んじる方です。ただ、科学者として、大成功を逃すのは耐えられない、そうしたジレンマがあると思います。
今回の騒動、私には、「目的のためには手段を選ばず」という言葉が見えてしかたありません。STAPがあればすべて許される、という考え方がまさにそうです。そしてその背景にあるのは、STAPがあれば人類の役に立つはずだという期待です。人類の役に立つものが見つかれば、作りだせれば、何をしても許される、目的は手段を正当化する、という思想です。
私はブログ主さんがお金の問題のみをあげて、それ以外の要素を排除していることには疑問を感じています。科学者はお金だけでは動かないでしょう。お金もほしいが、名誉もほしい、そして何より、人類の役に立つ発見や発明をしたい、そうした野心を抜きにすることはできません。
しかし、人類の役に立つはずの発見・発明のためには手段を選ばない、そんなモラルを欠いた科学界でよいのか? 今、その疑問が突きつけられていると思います。
モラルを失った科学者は、自分では人類のためと思っていても、実際には人類を不幸にする発明をしてしまうかもしれません。