荒れる学校の特効薬となるのだろうか。

 大阪市教委が、授業妨害などの問題行動を繰り返す児童・生徒を学校から引き離し、1カ所に集めて指導する「特別教室」を設けることを決めた。

 今、荒れる子の対応に頭を悩ませる学校は少なくない。大阪では、貧困問題が深刻化している地域で、10人以上の生徒が教室に入らず、廊下や校庭に集まって騒いだり非常ベルを鳴らしたりを繰り返す中学校もある。複数の先生がたえず対応に振り回され、ちゃんと授業を受けたい子にしわよせがいく。

 「まじめにやろうとする生徒らがバカをみることはあってはならない」(橋下徹市長)というのは、多くの保護者の率直な思いだろう。そうならぬよう、深刻な校内暴力や非行を繰り返す生徒は出席を停止し、心理学など専門知識のある教職員らがルールの大切さなどを教えるという。生徒指導と授業の両立にパンク寸前の教師からも「助かる」と歓迎の声が上がる。

 どうにも割り切れない思いが残るのはなぜだろう。

 学校に来るなと言われた子は、本当に立ち直れるのか。騒ぎ立てるのは、居場所のない自分に気づいて欲しいという必死のサインではないか。邪魔者のように追い払われたと受け止めれば、大人をうらむ気持ちが更生の妨げにならないか。

 家庭に問題を抱える子もいるだろう。地域から離れた特別教室の専門家が、家族の問題を丁寧にケアできるのかも心配だ。

 何より、「悪い子」を分けることが、本当に「よい子」のためになるのだろうか。

 先の見えぬ社会で、教育には学力向上など目に見える成果に注目が集まる。だが様々な人にもまれ、不条理がうごめく社会で生き抜く力を身につけることも、学校での学びだろう。

 問題は、子どもの問題行動が増えているのに、財政難で人も予算も増やせぬことだろう。明らかにスタッフが足りない。今回の施策は、制約の中で考えた苦肉の策ではある。

 私たち大人は学校や先生に不満を抱く一方で、どれだけ学校にかかわり先生たちを助けてきただろう。立ち直った「元問題児」が荒れる子の相談相手となっている学校がある。教員や警察のOBの出番かもしれない。

 少子化が深刻な社会問題となっている。どんな子も社会に居場所と役割を見いだせるようにしていくことは、社会を守ることにつながる。そんな視点で、全ての大人が力を出し合うときが来たのではないか。