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【サッカー】

思い出せ寮長の言葉 香川真司

2014年6月23日 紙面から

◆立ち返るべき場所

 かつてないほど追い込まれた日本代表の中で、最ももがき苦しんでいるのが10番を背負う香川だ。コートジボワール戦で精彩を欠き、ギリシャ戦ではベンチスタート。2試合でまさかのシュートゼロ。そんな香川が今思い出すべきアドバイスを、かつて送った人がいる。C大阪選手寮の寮長・秀島弘さん(75)だ。実の祖父以上に慕われ、香川のサッカー人生に大きな影響を与えてきた。その関係をひもとけば、今、立ち返るべき場所がおのずと見えてくる。

   ◇   ◇

 秀島さんは思い出す。試合翌日、リカバリー(疲労回復用)のメニューを終えた若手選手たちが翌日のオフに向けて解放感いっぱいに遊びに出て行く中で、1人じっと食堂のイスに座っていた小さな少年のことを。「私はここで11年目になるんですが、ずっとプロを見てて、みんな勝とうが負けようがぱーっと遊びに行って、おらんのですわ。でも香川君は試合のビデオをじーっと見てる。1人でね。愚痴とか言うこともなく、メモを取ることもなく、一生懸命にじっとね」。そんな香川を隣の調理場からいつも気に掛けていた。

◆「ウサギとカメ」

 有馬温泉の老舗旅館で長く総料理長を務め、若い板前たちを育ててきた秀島さん。2003年から寮長として招かれ、若手選手の栄養管理を引き受けた。誕生日が50歳と1日違いの秀島さんを、香川は実の祖父のように慕った。

 出会ったのは香川が17歳のとき。体が細く、地味な印象だった。胃袋が小さく、夕食を2時間も掛けて食べていた。一方で、年はひとつ下ながら同期入団の16歳の柿谷は天才ともてはやされていた。何でも要領よくこなし、練習から帰るとすぐに遊びに出掛ける柿谷の背中を見ながら、「ウサギとカメを思い出して、あれを追い越せ!」。そうハッパを掛けた。

 「サッカー選手も料理人も同じ技術者」と話す秀島さんは、柿谷や山口ら他の若手選手にも分け隔てなくアドバイスをしてきた。ただ、サッカー未経験者の言葉に素直に耳を傾ける選手は少ない。だが香川だけは違っていた。柿谷よりも多くの出番を得た2年目の12月には、ヒーローインタビューで「後半バテました」とコメントした香川に「あさってからオフやないか、走って120分戦える体をつくれ」と猛ゲキ。そのオフ、香川は地元の海岸沿いの約30キロの距離を、正月三が日を除いて約1カ月半、毎日走ったという。

◆人のマネはダメ

 ドイツ1部・ドルトムントへの移籍が内定し、南アフリカW杯メンバー入りを狙っていた10年3月、初めてのJ1の舞台で香川は自分を見失っていた。結果を出そうと焦るほど、ボールは足に付かなくなる。開幕から3試合ノーゴール。頭を抱える香川に、秀島さんは語った。「スランプに陥ったときに人のマネをしようというのはだいたいの人間が考えることや。これはワシもやったけどダメやった。J1はJ2みたいに楽なことはない。だから初心に戻って、一からたたきあげてきたことを思い出せ。上を見んと、自分の過去のことを全部洗いざらい思い出せ」。それから8試合で7ゴール。W杯出場はならなかったものの、ドイツでの飛躍の助走となった。

◆焦っている感じ

 その年の7月。関西空港からドイツへと旅立つ日の早朝、香川は選手寮に立ち寄った。出迎えた秀島さんが「おまえは絶対成功する。オレが保証する」と語りかけると、香川はいきなり抱きつき、声を上げて泣いた。それを見ていた母の広美さんは、後に「小学校4年生からあの子が泣いたのは見たことない。関空に着くまで泣いていました」と秀島さんに伝えた。

   ◇   ◇

 ブラジルで結果を出そうともがく香川の様子をテレビ越しに見守る秀島さんは4年前の姿を重ねる。

 「今の香川君は焦っているような感じがします。声を掛けられるなら、『落ち着いて、いつものプレーをせえ』と言いたい。最終戦の相手も強いでしょう。でもあの子は不思議な力を持っているんです。あの子が先発でいつものプレーをできればうまくいく。日本は勝てるはずです」

 過去と向き合い、初心を思い出せ−。そう願っている。

 秀島さんだけでなく、日本中が香川の復活を祈っている。自分を、そして仲間を信じて臨む崖っぷちの第3戦。日本の10番が本来の輝きを見せることこそが、奇跡へ最も必要な条件だ。 (宮崎厚志)

 

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