蹴球探訪
英に逸材16歳「夢は日本のフル代表」
サイ・ゴダード(3月18日)
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【サッカー】諦めの悪い男 本田圭佑2014年6月22日 紙面から ギリシャ戦から一夜明け、肌寒いベースキャンプ地・イトゥの練習場。本田は芝の上をゆっくりと歩き、黙々とランニングした。その表情は硬く、まるで自問自答するように真剣そのものだった。 徳俵に足がかかった、絶体絶命の危機。だが、困難や障壁、逆境はむしろ「圭佑にとっては大好物」とは盟友の長友。本田の人生は、いつも挫折と隣り合わせの戦いだった。 ◇ ◇ 「俺は負けてへん」 G大阪ジュニアユース時代。周囲の仲間たちがあきれるほど、本田はずっと、ずっとそう言い続けていたという。関西全域のエリート候補生が集う名門下部組織にあって、本田のレベルは群を抜いて低かった。同期生の與(あたえ)貴行さん(28)は本田の第一印象を鮮明に覚えている。そして、こう本田に話しかけたという。 「お前、誰なん?」「何で入ったん?」 体は小さく、足は遅い。技術はあるけど、1対1の練習ではほとんど勝てなかった。スピード、スタミナ不足は顕著で、トレーニングについていけないことさえ多く、「『えっ、中学校からサッカーを始めたんですか?』っていうくらい、実力もスピードも何もなかった」(與さん)。 だが、サッカーに立ち向かう情熱だけは飛び抜けていた。練習場には誰よりも早く来て、帰るのは決まって最後だった。黙々と左足のキックを繰り返していた。3年間、試合に出ることもできなかったのに、腐るどころか燃え盛り、1日に一度は必ず「将来はサッカーで飯を食う」「プロになって海外で活躍する」などと自信満々に公言していた。誰もが一目置く存在だった。 「ヤス、1対1の相手してや」。同期でG大阪ジュニアのコーチ、松岡康暢さん(28)は本田の求めに応じて、毎日のように居残り練習に付き合った。本田は負けるたびに、「そんなん上(プロ)に行ったら通用せえへんぞ」と言い放ち、次の日には「昨日は負けてへん。お前に勝つ方法を考えてきてん」と、断っても何度でも挑んできた。 負けず嫌いはサッカーだけにとどまらない。50メートル走、柔道、相撲、腕相撲−。練習の合間や練習後に本田はチームメートに好んで勝負事を仕掛けた。 走っては全戦全敗。それでも、本田は「次やったら、絶対に負けへん」。身長差が15センチ以上もあった体格のいい同僚に柔道で本気で挑み、投げ飛ばされた。一度負けても、本田は「負けてへん」。負け続けても決して認めず、「もうラスト。これで負けたら、俺も負けを認める」と言って臨んだ勝負に敗れると、本田は畳の間に大の字になって号泣した。 強烈な負けず嫌いの一方で、本田はただ強がるだけではなかった。自らの課題を見据え、「俺もやってみたいから、そのやり方を教えてくれ」と相手を選ばず言っていた。常に、目の前の障壁を克服しようとする前向きな姿勢がそこにはあった。 ユースへの昇格を逃すと、本田は「(当時ジュニアユース監督だった)島田さんは、最後まで俺の良さを分からんかったな」と言い放ち、言葉にできぬ悔しさを心に抱えたまま星稜高へ進学した。 松岡さんはG大阪のトップチームに昇格後、2012年末に現役を引退した。「僕はケガもあって逃げてしまった。最後は自分を信じられなかった。だけど、本田は逃げなかった。逃げない。どんな状況になっても、自分自身を最後まで信じられる本田圭佑は本当にすごいと思う」 1次リーグ第3戦のコロンビア戦。可能性は限りなく低くなったが、本田は諦めていない。それどころか…。信じ続けた者にだけ、望んだ未来が待っている。 (松岡祐司) PR情報
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