指導者新時代:第86回センバツ/3 先駆者説く「球児の目線」
毎日新聞 2014年01月30日 大阪朝刊
「教諭10年」の特例を満たして初めて高校野球の指導者になった元プロ選手が、後原富(せどはら・ひさし)さん(68)。1984年、広島・瀬戸内の監督に就任した。プロ・アマ双方の研修会と日本学生野球協会の審査を経て、回復されることになった学生野球資格。自身の高校球界復帰から30年後に実現した大幅緩和を「ええことや。野球を知った人間が教えないとダメ。レベルアップにならん」と広島弁で歓迎する。サッカーに押され気味の野球人気回復を願ってのことだ。
■高野連会長に直談判
広島・海田高出身。当時は、プロ野球・元広島の社会人選手らとの合同練習で、グラブのさばき方や捕球体勢、打撃でのタイミングの取り方などを学んだという。駒大に進み、ドラフト7位で東映(現日本ハム)入り。身長170センチと小柄だが、俊足、強肩が売り物の外野手だった。しかし、のちに史上初の通算3000安打をマークする張本勲や白仁天らがライバル。「先発で出場できないのなら」と、父の死も重なり在籍3年で引退した。通算出場は121試合だった。母校・駒大に戻って聴講生として教員免許を取得。72年に社会科教諭として広島・松本商(現瀬戸内)に赴任した。しかし、元プロは高校野球の指導者になれない、という「プロアマ」の壁に直面した。
10年後の82年、ついに行動を起こす。JR広島駅の新幹線ホームで当時の牧野直隆・日本高校野球連盟会長(故人)に直談判。会議から帰路につく牧野会長に「元プロの教員でも指導できるようになりませんか」と訴えた。「理由が欲しい」という会長の言葉に、「10年以上はどうですか」と提案したという。教諭10年を条件に元プロの高校指導者が認められたのは、その2年後だった。
■「元プロ」忘れて
後原さんが監督として初めてチームを甲子園に導いたのは91年のセンバツ。元プロの監督として注目を集める中、瀬戸内にとって2度目の出場で甲子園初白星。夏の選手権初出場を果たした2000年には2勝を挙げた。プロに入った教え子に元巨人の佐藤宏志、元オリックスの延江大輔らがいる。