生活保護申請者に「風俗で働け」と言ってはならない3つの理由

みわよしこ | フリーランス・ライター

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2014年6月、困窮した30代女性が居住している関西某市の福祉事務所を訪れて生活保護を申請したところ、相談に応じた福祉事務所職員が「風俗へ行け」と言ったと報道され、大いに物議をかもしています。ただし、証拠となる録音が残されているわけではありませんし、その自治体や福祉事務所は「そのような事実はない」としています。

私は正直なところ、報道された事実に対して少しも驚きませんでした。感想は

「また? で、どこ? 関西の某市? ああ、なるほど」

でした。

福祉事務所を訪れる30代前半以下の女性が

「風俗に行け」

「ソープランドに行け」

とまで明確な形でないとしても、

「現在の雇用状況での就労が難しい状況にあるあなたにだって、まだ稼働できる能力が残されているでしょう? あなたは女性なのだから、『女性』を使った仕事をすることもできるのではないですか」

というような対応を受けることは、まったく珍しくありません。

本記事では

「福祉事務所職員が生活保護の申請に来た女性に対してそういう言葉をかけることは、人道的見地から許されるかどうか」

「女性の就労努力は十分かどうか(「風俗はイヤ」と仕事を選ぶから就労できないのではないか)」

という見地とは別の角度から、困窮した方に

「風俗の仕事も辞さないのであれば、仕事はあるのではないか」

と言うことの問題点を述べたいと思います。

(以下、「風俗嬢」という表現も使用していますが、男性の風俗産業従事者の存在も想定しています)

1.本人が経済的に自立した状態を長期継続させることは難しい

かつて私には、風俗嬢として働く友人が数人いました。現在、38歳~43歳ぐらいの年齢です。

彼女たちと私は、生まれ育った家族で虐待を受けた人々のその後の「生き直し」を語る場で知り合いました。全員が大卒です。

彼女たちは

「両親・祖父母から『医師になってほしい』などの期待をかけられ続けることへの反発から、『あてつけ』のつもりで風俗へとドロップアウトした」

「大学卒業時期が就職氷河期で就職に成功せず、とはいえ関係の悪い実家へ戻ることもできなかったので、当面の生活費と就職活動費用を作って再チャレンジするために風俗で働き始めた」

といった背景を持っていました。総じて、学生時代の学力は高く、話してみると知的バックグラウンドや知性を感じる人々です。ちなみに、この後の世代になると、風俗を選ぶ理由は「食べるため」というさらに切実なものになり、「親へのあてつけ」といった理由は減っている印象もありますが、今回はそれはさておきます。

彼女たちには、ずっと風俗の仕事を続けるつもりはありませんでした。若い女性の肉体があればこそ出来る仕事であること、風俗業界での「キャリア」が外の世界では全く評価されないことは、誰よりも本人たちが理解していました。だから各人各様に、少しでも長く確実に風俗で稼ぎ続ける努力をしつつも、同時に風俗から脱出する方向性を探り、努力を続けていました。でも、私の身辺では、一人も成功していません。30代後半、遅くとも40歳ごろ、風俗では全く稼ぐことができなくなり、「生活保護以外の選択肢はない」という状況に陥ってしまいます。

問題は、風俗で稼げなくなったことだけではありません。長く風俗産業に従事していた女性は、心身に深刻な問題を抱えていることが多いのです。どう努力しても「風俗で頑張る」が不可能になるころ、彼女たちは心身ともボロボロになっています。「燃え尽き」という言葉がふさわしいかと思います。

ある風俗嬢は「私は、セクハラが仕事だから」と自嘲しました。通常の職場で「ときおり」「ときどき」という感じで行われるセクハラでさえ、対象者を大きく傷つけます。「セクハラが仕事」という状況によって痛めつけられつづけた結果が「燃え尽き」であるとしても、不思議ではありません。

友人の一人であった30代半ばのソープ嬢は、医学部進学を目指していました。医学部進学に、負けの込んだ人生の一発逆転を賭けていました。そして、待機時間にお店の控室で熱心に受験勉強を続けていました。あるとき彼女は、

「数学の問題を解いているとき、いちばん癒される気持ちになる」

と言いました。その背後には、どのような思いがあったのでしょうか。まったく私の想像を絶しています。

学力は、順調に向上していました。模試の判定も、少しずつ可能性の見えるものとなってきていました。しかし、彼女が医学部進学を成し遂げることはありませんでした。好意を示して近づいてきた男性が「ヒモ」になってしまったため、風俗からの脱出はさらに困難になってしまったのです。その後、私とも音信不通になってしまいました。生きていてくれれば、と祈るばかりです。

「若い女性ならば、お金を稼ぎやすい」という風俗のメリットを活かし、その後の人生を別の世界で展開させていくことのできる女性は、わずかながら存在します。しかし、それを成し遂げることができるのは、非常なレアケースと言うべきでしょう。サラリーマンのうち、経営陣になれるのはごくごく一部であるのと同じです。

もう一つ、風俗産業に従事することには大きな問題があります。「生活困窮者」とは認識されなくなるということです。

風俗産業への従事を余儀なくされる女性の多くは、原家族との問題・社会的孤立などの問題を抱えています。精神疾患のため通常の就労が困難で、風俗を選択する女性もいます。間違いなく、何らかの困窮状態にあるわけです。にもかかわらず、生活保護基準をずっと上回る収入を得ています。少なくとも、風俗で稼げている間は。ですから、行政から「生活困窮者」とは認識されません。本人たちも自分自身を「生活困窮者」とは考えていません。

近年、行政は、困窮者支援のための多様なメニューを、不完全ながら用意しています。しかし風俗産業に従事している女性は、それらの支援の枠組みには最も乗りにくい人々です。他人からは困窮しているようには見えないし、本人も「自分は困窮している」とは認識しにくいからです。

生活保護は、唯一の救いの糸のようなものです。「収入が得にくくなったので生活保護を申請」は、傷ついた彼女たちの心身を回復させ、失われた社会関係・得られなかった経験やスキルを身につけることを可能にする機会でもあります。その延長線上に、誇りを持って働き、日常生活を送る近未来がある可能性は低くないでしょう。

杉並区の福祉事務所で生活困窮者に配布されていたパンフレット(2012年)。
杉並区の福祉事務所で生活困窮者に配布されていたパンフレット(2012年)。
「働ける方は能力に応じて働く」が「生活保護を受けるには必要」とあるけれども……。
「働ける方は能力に応じて働く」が「生活保護を受けるには必要」とあるけれども……。

2.次世代の貧困再生産につながりやすい

風俗産業は「夜の仕事」とも呼ばれます。仕事を終わった会社員が深夜に訪れ、夜勤の仕事を終えた土木労働者・警備員が早朝から午前中にかけて訪れます。

風俗産業に従事している女性が子どもの育児も行っている場合、公立保育園・認可保育園を利用することは、時間帯の都合からほぼ不可能です。風俗店が集中している地域には、風俗産業で働く女性たちのニーズに対応した24時間保育施設が存在したりします。場合によっては、風俗店の中に保育施設が存在することもあります。また、ベビーシッターを利用することも可能です。しかしながら、もし申し分のない保育環境が用意されているとしても、「ふつうの」保育環境から隔絶されていることは間違いありません。

さらに小学校以後の学校は、親の仕事時間の都合に合わせて選ぶわけにはいきません。保育園段階で「保育園ママ」「ママ友」のコミュニティに入る機会がなく、コミュニケーションの経験も持っていなかった母親が、学校の親のコミュニティに入ることは、非常に困難でしょう。すなわち、親子ともの孤立に容易に陥るということです。

子どもに対して、良好な教育的効果を期待することはできず、結局は「子どもが早期に不登校になる」「子どもが非行に陥りやすくなる」という形で、次世代の貧困を再生産してしまうことになります。

子どもに対する悪影響という面からも、お母さんを風俗で頑張らせることは、良くありません。

3.社会の医療コストを増大させてしまう

「性」を売る風俗産業には、性行為感染症のリスクがつきものです。私自身、

「違和感があるので検査を受けてみたらクラミジアだったのよ。治るまで働けなくなって収入が途絶えるのよね。でも淋病や梅毒やHIVじゃなくてよかったわ」

という話を、現役風俗嬢(当時)から何回も聞きました。ちなみに、治療費のうち公費負担分は国民健康保険から拠出されることになります。

病気を治療して職場復帰することは、同じリスクの場に戻ることでもあります。早晩、また性行為感染症での休職を余儀なくされることになります。もしも長期の治療を必要とする病気・治療の困難な病気に罹患して失職したら、残された選択肢は生活保護しかない……というケースは珍しくありません。その人は、生活扶助・住宅扶助など生活にかかわるコストだけではなく多大な医療扶助までを必要とする状態で、生活保護を利用し始めることになります。

「本来なら『労災』ではないのか?」

というご意見もあるかもしれません。しかし風俗店と風俗嬢の間には、通常の雇用-被雇用関係はありません。風俗嬢は労働者ではないので、労災を適用されることもないのです。

もちろん、性行為感染症の場合、相手の客も治療の必要があります。その客が別の店の風俗嬢・あるいは別の相手に感染させたら、その人々にも治療の必要があります。

風俗を「悪」として一概に退けるつもりはありません。そもそも

「客として対価を払って、かりそめの疑似恋愛やぬくもりや優越感を得たい」

という需要と

「肉体と時間その他を支払って、いくばくかの報酬を得たい」

という需要が均衡していればこそ、風俗産業は成立し、存続し続けているわけでもあります。しかし、そのように「少しだけ幸せになりたい」という切実なニーズを持たざるを得なくなる人々が、いつまでもその切実な状態でありつづけることは、いったい、社会にどれだけのコストをもたらしているのでしょうか? 性行為感染症だけでも、コストは決して小さくないであろうと考えられます。

このコストを軽減するために必要なのは、「風俗に行くしかない」という状況を、客・従事者の両方から軽減することであろうと私は思います。そのために、生活保護は大いに利用価値のある制度ではないでしょうか?

結論:貧困の解決にコストをかけることこそが、社会保障コスト低減の早道

社会が、もちろん行政が長期的に「損しない」ことを目的とするのならば、困窮した女性に「風俗に行け」と言うべきではありません。

20代や30代、まだ「風俗なら働ける」と言えなくはない女性を風俗に追いやること、風俗から脱出するルートを提供しないことは、最終的に大きな社会的コストとなります。

社会的コストの面からは、その女性を速やかに生活保護制度の利用に結びつけ、落ち着いた生活と健康を取り戻せるようにすることが最も「安くつく」のではないでしょうか? その女性が若い年齢にありながら一般的な就労が困難であるとすれば、その人は、就労の前段階で必要とされる数多くの事柄を欠いているのでしょう。そこはさまざまな再教育の仕組みを設けて、補う必要があります。若干のコストはかかります。少しばかり、時間もかかるかもしれません。でも広い意味での「教育」、欠いたままの経験・スキル・知識を埋めることは、少しずつでも就労が可能になる近未来、誇りをもって働くことのできる近未来を本人に近づけるために最も必要なことです。

本人とその周辺に積み上がってしまった複合的かつ多様な「貧困」は、一朝一夕には解決しません。解決するために、一定の社会的コストが必要なのも間違いありません。しかし、その「貧困」を解決するための取り組みは、長期的には社会的コストを低減する道でもあります。

みわよしこ

フリーランス・ライター

1963年福岡市生まれ。大学院修士課程修了後、企業内研究者を経て、2000年よりフリーランスに。当初は科学・技術を中心に活動。2005年に運動障害が発生したことから、社会保障に関心を向けはじめた(2007年に障害者手帳取得)。著書は書籍「生活保護リアル」(日本評論社、2013年)など。2014年4月より立命館大学先端総合学術研究科一貫制博士課程に編入し、生活保護制度の研究を行う。なお現在も、仕事の40%程度は科学・技術関連。

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