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 「売らない、貸さない、壊さない」。21日、世界遺産への登録が決まった富岡製糸場(群馬県富岡市)。この3原則を掲げ、操業停止後も日本の産業近代化を象徴する建物を守った私企業がある。「やっと安住の地ができる」。関係者は静かに喜びをかみしめた。

 製糸場を最後に経営した片倉工業(東京都中央区)。竹内彰雄社長(65)は「一番幸せで、最高の形になった」と喜ぶ。

 142年前に操業を始めた富岡製糸場を1939年に引き継ぎ、50年近く生糸生産を続けた。工場を閉じた後も、日本の産業近代化の歴史を伝える遺産として建物を守り抜くことが社としての責任であり、「十字架だった」という。

 87年3月5日の閉所式では、当時の柳沢晴夫社長(故人)がこう語った。

 「単なる遺物とか見せ物としておくつもりはございません」。歴史的、文化的価値が高く貴重な建物が確実に守られ、創業以来の工場関係者の思いが受け継がれていく形が固まるまで、自社で徹底した維持管理を続ける決意の表明だった。

 88年、「文化財に」と打診した広木康二・元富岡市長(85)は「柳沢元社長は『誰にも売りません。貸しません。壊しもしません』と言い切った」と述懐する。片倉工業は閉所後18年間、5万平方メートル余の敷地にある建物を守り続けた。