隠れ家日記

Twitterでは書けないような、シリアスなことを書き散らかすための場所、のつもりです。ほとんど自分語りです。

ほね。

 最近、ふとした拍子に「ほね。」とつぶやくのがクセになってるわけですが。何なんでしょうねこれ。この前なんか、それを聞いた飼い猫に「ほね食べたいの?」と問われて「いや、別にそういうわけじゃないんだけど。」と答えたんだけど、じゃあその「けど」の続きは何なんだよって話で。結局答えは出ないままです。

 

 で、ことあるごとに「ほね。」とつぶやき続けながら、その自分のつぶやきを自分の耳で聞きながら思い出したのは、故中島らもさんの『明るい悩み相談室』だったか、そこに投稿されていた一件の相談。
 もはやうろ覚えにもほどがあるので、引用と言っても怪しいものだけど、ぐぐっても見つからなかったので、曖昧な記憶をもとに書いてみることにする。

 

 とある専業主婦の相談だったと思う。その方はやや神経質というか完璧主義というか、そういう部分が少しあって、しかし最近「アレもやらなきゃコレもやらなきゃ」となった時に何故か「鶏の唐揚げ」を作ってしまう奇癖に悩まされているのでどうしたら良いですか、と。そういった感じの相談だったように記憶している。
 それに対してらもさんは、「アレもキチンとやらなきゃいけないコレもキチンとやらなきゃいけない」から「キチンとキチンと、チキンと」となってしまったのではないか、だから「チキンの唐揚げ」を作ってしまうのではないか、と返されていたように思う。結びは覚えていないが、このオチの強引さは未だ幼い自分に強烈なインパクトを与えたので、およそそれほど間違っていないだろうと思う。

 

 さて。らもさんがまだ生きていれば、「最近「ほね。」とつぶやくのがクセになっているのです。どうすればいいでしょうか」などと質問を送りつけるのもまた一興だと思うんだけど、残念ながららもさんはもうこの世にいらっしゃらないので、それも叶わない。仕方がないので、自分であれこれ考えてみることにする。

 

 まず一つ目として、ケンチキでもファミマでも何でもいいから好物であるフライドチキンを食べたい、あわよくばその骨をくわえてかじって無茶苦茶にしゃぶりつきたい、という衝動の表れとして「ほね。」とつぶやいている可能性。
 これ、飼い猫と言ってることあんまり変わらないんだけど、あえて勢いで書いてみたんだけど、多分違う。何か違う。いくら身も心もわんことはいえ、骨をくわえてかじってむしゃぶりつくような趣味は持っていないし、結局食べたいのはフライドチキンなわけで、それならつぶやくのは「にく。」となるのが妥当であって「ほね。」となるとは思えない。

 

 二つ目。もとよりガッリガリのホネホネロック体型にも関わらず、最近さらに痩せてきている(ウチに体重計がないためチキンと体重を量ったわけではないけど、会う人会う人に「また痩せた?」とか言われることを考えると、恐らく痩せてきているんだろうと思う)自分に危機感を覚えるがゆえの「ほね。」である可能性。
 これは真っ先に考えたんだけど、じゃあ何で今さら?という疑問は拭えない。もうかれこれ10年は、骨と皮と筋しか無いんじゃないかというぐらいのガリガリ体型で生きてきたわけで、危機感…というほどのものはなかったにせよ、このままの状態だとあまり良くはないよなぁ…ぐらいのことは考えていたし、もっと前の段階で「ほね。」とつぶやくのがクセになっていてもよさそうなものだ。

 

 三つ目。ゲームネタで申し訳ないんだけど、ファンタジーライフ(LINK!)というゲームの中に存在する「ホネの洞窟」のインパクトが強かったせいで、「ホネ」が刷り込まれてしまった可能性。
 この「ホネの洞窟」というのがなかなかにシュールな場所で、どこがどうシュールなのかというと、スケルトン(動く人骨のモンスター)が(おそらく恐竜の)骨の化石を採掘しているという、お前それ掘ってどうするつもりなの的なシュールさをかもし出している洞窟なんだけど、その光景を見た瞬間「ホネ」が脳にインプットされたのは疑いようのないところで、それが口癖になったとしてもおかしくはない。

 

 ん~…てけと~に書いてみたけど、三つ目もあんまりしっくり来ないのでやっぱり違うんだろうなぁ。しょうがないので、骨つきフライドチキンでも買って骨にむしゃぶりつきながら、引き続き考えることにします。多分骨を食べたいわけじゃないと思うんだけど。

 


 

  • あとがき

 

 あ、ども。おひさしぶりです。つってもあんまり久しぶりって感じはしないんですが。何か気が付いたら2ヶ月過ぎてたわ~みたいな。月日の流れるスピード(の主観的な感覚)は年齢に比例する、っていうのはアレ本当ですね。2ヶ月なんかあっという間だ。
 この2ヶ月ではっきりわかったのは、おいらは別に文章書かなくても死にやしない人種だってことですね。このブログを始めるまでは、文章を書いて公表するなんてことはほとんどやってなかったわけで、当たり前っちゃ当たり前のことなんだけど、その当たり前のことに納得できたのは良かったかもなぁ、と今は思います。
 もう一つわかった…というか強く再認識したのは、ゲームがないとだめらしいってことですか。あ、あとマンガ。小説も映画も、何となればネットすらなくても何とかなりそうではあるんだけど、ずっと何もゲームやってないと生きてる感じがしません。マンガに到っては毎日何かしら読んでるのが当たり前になってるので、マンガがない生活とか考えられない。