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今日、シャア専用オーリスを見ましたよ。
かっこいいですよね、シャアって。
○シャアの格好良さ
ド派手な専用機体と二つ名を持ち、強く、イケメンで、上司部下からの信頼厚く、生まれも良く、悲劇的な生い立ちで、名言製造機で、女性からも好かれ、時にライバル、時に頼れる兄貴分、そして時にラスボス。いやー格好いいですね、シャア。
ガンダムシリーズのメディア展開でも「女性に人気のシャア」「30代男性に人気のシャア」は常にフィーチャーされ続け、「『ガンダムで人気のキャラクター』といえばシャア」というのはガンダムを知らない人にも印象づけられているわけです。ちょっとアニメに詳しければ「赤くて強くて三倍速いアイツ」はだれでも知っている。
○シャアの格好悪さ
でもね……コイツの行動をよくよく振り返ってみると、ずいぶん格好悪いですよね、シャア。
実際、コイツの行動理念はどこまで行っても「自分本位」「我儘勝手」なんですよね。そもそも一年戦争で戦っている理由だって、ザビ家への復讐がメイン。戦後アクシズに逃れた後も(ある程度仕方なかったとはいえ)幼いハマーン様を弄んでは捨てる。直後に、戦中にララァと出会った縁から義憤に駆られてエゥーゴに入ってみたはいいものの、何やかんや言い訳を付けてブレックス准将が死ぬまで表に出る決心をしない。 グリプス紛争後、5年間シャアが何を見て何に絶望したかは定かではないけれど、再び世に出てきたシャアはただのタカ派の政治家になっていて、突然隕石落としみたいなだいそれたことをしでかしたと思えば、その理由は「世直しなど考えていない、アムロとの決着が全てだ」とか言い出す始末。
その間、いろんな女性に惚れられたり、ナナイさんに甘えてみたりするけれども、劇中最後の言葉で「ララァは私の母になってくれたかもしれない女性だ」とマザコンぶりとロリコンぶりを印象づけるのに余念がない。
ねえ、正直言ってカッコ悪いよ、シャア。
でも、そういうカッコ良さを演じなければならない業が自分にはあること、いわば「道化」であることもシャアはある意味で理解していて、そういうところが一周回ってかっこ良かったりもするわけです。
○誤解され続けるシャア
でも、そういう格好悪さを一切表に出さず、ガンダムのメディア展開では「シャアは格好いい」というイメージばかりが先行している。やあ、全くいい「道化」です。コイツはこれからもずっとこうやって誤解され続けるのでしょう。
で、「誤解され続ける」のは所謂世間一般においてだけではなく、『宇宙世紀』においてもシャアは永遠に誤解され続ける運命なんですよね。
特に第二次ネオジオン紛争における隕石落とし。なぜシャアがあんな極端な蛮行に奔ったのか、あの世界じゃきっといろんな人がいろんな説を唱えていると思うんですよね。
私が名著と思っている、エンターブレイン刊『機動戦士ガンダム公式設定集 アナハイム・ジャーナル』から、GP計画とZ計画の両方に携わったAE先進技術開発事業部主任、カイリー・ジョンソンの言葉を引用してみましょう。
宇宙世紀100年が間近に迫り、世界は新しい時代を迎えようとしている。これまでの100年間は変革と発展に始まったが、不幸なことにその終わりの20年間は、大量殺戮とけなげな復興に終始してしまった。
システム工学者としての私の意見だが、人間社会というものは、人間の多様性ゆえに不可避の矛盾を抱えている。悪は決してなくならないし、腐敗からも逃れられないだろう。システムの不具合は避けられない。そう、絶対に避けられない。そうした矛盾をドラスティックに一掃しようとすれば、世直しに名を借りたファナティックな大量虐殺を呼んでしまう。
コンピュータのリブートと同じ感覚で人間社会を扱うのは、生命そのものに対する背任行為だ。地味で地道で退屈な行為の積み重ねこそが、いつかは結果を生んでくれると、私は齢を重ねるにつれ確信を深めてきた。
―『機動戦士ガンダム公式設定集 アナハイム・ジャーナル』より、「さらなる地平へ~20年がもたらしたもの~」(カイリー・ジョンソン)
また、『機動戦士ガンダムUC』より、ミネバの生き方に大きな影響を与えたレストランの老主人の言葉も引用してみましょう。
「自分を殺して全体のために働ける奴ってのもいるんだろうが、それはそれで胡散臭い。ネオ・ジオンのシャアとかな。全て人のためだと言いながら、隕石落としをやる。本当は、人間を好きになったことがない男だったんじゃないかな。」シャアは「別に世直しを考えてなどいな」かったし、ララァという人間にこだわったが故にその思想を歪ませた。あの男の真意は、残念かな、あの世界の一般人には伝わっていないわけです。
ー『機動戦士ガンダムUC』episode4より
でも、それはあの独白を聴いていたアムロ以外には分からないわけですよ。そりゃそうだ、隕石落としとかいう大それた事をしでかすような人間の動機が「母になってくれるかもしれなかった女の子を殺したアンチクショウが憎いから決着を付けたい」だなんて誰も考えつくわけがない。大それた事の裏にある動機はやはりだいそれた事でなければ誰も納得しない。ラサ壊滅をはじめとして多くの人が傷ついた事件だからこそ、個々の人が納得できるストーリーが必要だったのだと思うわけです。
そして、途中まで一番近くでシャアのたわ言に付き合っていたアムロも、アクシズが爆発するあたりからはロクに問答を仕掛けず「あ、もうコイツあかんわ、ぶっ殺すしかないわ」とでも言わんばかりにひたすらに命を狙いに行く。そして最後の最後まで「~だよ!」「~だろ!」の言い合い。こいつらニュータイプの癖に、分かり合う気がさらさらない。
もしかすると、我々視聴者もシャアの真意はわからないのかもしれない。だってコイツ土壇場で「世直しなど考えていない」と言ったかと思えば、土壇場の土壇場で「この暖かさをもった人間が地球さえ破壊するんだ」などと、ジオニズムどころかエレズム丸出しの発言をするんだもの。どっちやねんと。
結局、コイツの真意は誰にも理解されず、その魂はサイコフレームの中へと溶けていったわけです。本当の意味でこいつのことを理解し得たのは、ララァと……後はフル=フロンタルだけだったのかもしれません。理解した上で何を成すのかは別として。
○天海春香たちはどれだけ理解されているのか
で、アイマスの話に移るわけですが……どうなんでしょう、彼女たちの事ってどれだけ理解されているんでしょう。いや、アイマスファン、アイマスPとしての我々は彼女たちのことをよく知っている。理解している。理解していると……思いたい。
でも、あの世界のいわゆる「ふつうのファン」達にとっての彼女たちってどう見えているのかなと。ふと思うわけです。
例えば春香は『明るく前向き遠距離通勤で、いつもコケちゃうドジな娘で、アニマスからは『仲間想い』という属性も付いた』、貴音は『とにかく仲間にもPにも分からない謎が多い、けれど、信じられないほどの大食家でラーメンが大好き』、真は『ボーイッシュで格好いいけれど、その実は女の子女の子したキャピキャピなアイドルにあこがれている、けれども自分に求められているものを理解してもいる』……という、それぞれのキャラクター、個性、いわば設定、は我々は知っているわけです。でも、あの世界のファン達はどこまで知っているんだろう?
例えば映画では奈緒と星梨花ちゃんの「ラジオのまんまや!」「本当に穴を掘るんですね! すごいです!」というセリフで「雪歩はラジオでよく穴をほっている」という所は知ることができる。おそらくあの世界のファンも「雪歩は穴を掘る」ことは知っているんでしょう。でも、例えば春香のことはどこまで知っているんでしょう。コケやすいことは知ってそう。でも、遠距離通勤の事は知ってるだろうか? 仲間想いな一面は知っているだろうか? Pとして「その部分が無かったら春香じゃないよね」っていうレベルの知識、天海春香というキャラクターを構成している情報・属性・個性の内、どこまでがあの世界のファン達が共有している事象なんでしょう?
アニメでは彼らファン達は『我ら』のように描かれていましたが、彼らと我々が何を共有し何を共有できていないのか。それを考えることは『ファンとプロデューサー』についての理解を深めることに繋がる気がするのです。
『Wake Up Girls!』で「アイドルは物語」という言葉があったり、現代のアイドル論でも「アイドルを消費するということは物語を消費すること」みたいな論がありましたが、そういう意味じゃ『道化を演じる』シャアもまたそれに近いものがあるわけです。いずれにせよ、まだまだ噛み砕いていきたい話題ではあります。
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