自分で守れ
ばかものよ
(茨木のりこ)
この詩は好きですが、
感受性という言葉が
煩わしく感じる時期がありました。
両親が離婚して姉が養女に行き、
その後再婚した父の相手から
心身共に暴力を受けていた私は
小学校の保健室で過ごす事が多く、
その度父に迎えにきてもらっていて。
保健の先生と父が話していて
「うららちゃんは感受性が強いから」
と言うのを聞くたびに、
「感受性」という言葉に何となく
自分が褒められているような、
嬉しい響きを勝手に感じとっていました。
それから大人になり、
結婚、出産を経て
息子が幼稚園の年中の時に
父方の母(祖母)が亡くなって。
お葬式の時に私と姉が
号泣しているのを見て、
息子は「死」について
何かを感じたらしく。
その次の日から
私から離れなくなってしまいました。
家の中にいる時も、
台所にたっただけで、
泣きながら私を呼ぶようになり、
トイレにも一緒にくっついてきて。
元々時々休んでいた幼稚園も
行かなくなり。
心配した先生が家にきた時に、
曾祖母が亡くなった事で
息子が不安定になっているようで、、
と話すと、
「○○くんは感受性が強いんですよね」
と先生が言って。
久しぶりに聞いた「感受性」
という言葉。
昔は褒められていたように
錯覚していたけれど、
その時の先生の顔には
「めんどうくさい子」という
表情が読みとれて。
そっか、小学生の時の私は
めんどうくさい子だったんだ。。
と今更ながらわかってしまいました。
息子はそれから2カ月ぐらい、
私にべったりでしたが、
毎日抱きしめて大丈夫だよ、
と言うことで少しずつ安心していって、
後半は時々休みながらも
幼稚園に行くようになりました。
感受性が豊かなことは悪い事じゃない、
と今は思います。
でも、対する人にとっては、
面倒だという意味も含んでいるんだなあ、と。
色々感じ方があっていいし、
色々な人がいるから楽しいし。
面倒だと思われても、
自分の感受性くらいは
自分で守っていこうと思っています。