司法試験情報局(LAW-WAVE)

司法試験・予備試験・ロースクール入試の情報サイトです。                          勉強法、教材情報、予備校情報 etc… 司法試験関係の情報を掲載しています。


テーマ:

高校時代の話です。


桜蔭に通っている知り合いの女の子がいました。

彼女とは、3年生のとき友人を通してある図書館の自習室で知り合いました。


今日は、その桜蔭の彼女がやっていた「スピードぐるぐる勉強法」について書いてみたいと思います(←苦し紛れにネーミングしただけです)


彼女は優秀な桜蔭生の中でも極めて学力が高く、毎回の模試で志望校欄に「東大文Ⅰ」と書き、そして毎回のように「A判定」を獲得していました(A判定以外取ったことがないと言っていたような・・・)。


私は、いまと違ってその当時は人間の「地頭」(=先天的能力)の存在を完全に信じていたので、彼女みたいな人間は私とは別次元の存在、別の惑星に住む宇宙人だくらいに考えていました。当然、人の学力には「先天的」なレベルでの違いがあると信じていたので、彼女が如何に優秀であろうと、彼女の真似をしようだとか、何か一つでも盗めるものはないかとか、そんなことは全く考えませんでした。


そんなある日のことです。

彼女が「今日から世界史の勉強を始める」と言っていたので、(野次馬的な興味はあったもので)それじゃ彼女の勉強の仕方でも覗いてみようかと思い立ち、しばらく(数分程度だったと思います)彼女の斜め後ろ辺りから、彼女の勉強の「動作」を観察したことがありました。


その「動作」は、当時の私にとっては、たいへんに驚くべきものでした。


彼女は、世界史の教科書を、「読む」というよりは、ほとんど「眺めていく」ような感じで、ちゃんと理解しながら読んでいるとは到底思えないようなスピードで、ページをめくっていきました。

いわゆる「速読」というものよりはずっと遅いですが、まるでマンガでも読んでいるかのようです。「テキトー」に、力を抜いて、とにかくどんどんと先へ進んでいくのです。


時折、気がついたように(1ページに2~3箇所くらい)シャーペンで「ピッ」と記を付けていきます。なんというか、しっかりとアンダーラインを引いていくというのではなく、ちょっと斜めった感じの線を、チェックを入れるようにして、「ピッ」と一瞬で引いてしまう感じです。


そんな「動作」を、ほんの数分、呆然と眺めていました。


彼女が教科書を閉じて休憩に入ったので、すかさず私は聞いてみました。


叫び 「○○ちゃん、そんなやり方で覚えられるの?」


彼女は笑いながら答えました。


おとめ座 「覚えられるわけないよー。だからこれから何度も読むんだよー」


叫び 「何度もって、何回くらい?」


おとめ座 「う~ん。100回とか? 200回とか・・・?」





・・・なんじゃそりゃ(?)。


そう思いました。


私だったらそんなやり方はできないし、そもそもそんなやり方で覚えられるわけがない。勉強をするというのは、もっとこう、マークをしたり、書き込みをしたり、ノートを作ったりetc…そういう風に「ちゃんと勉強すること」を言うんだ。あんな風に、ただテキトーに読んでいくだけの勉強なんて、そんなの「勉強」じゃない。


私は思いました。

そうか、やっぱりこの子は特殊なんだ。   なんだ。

天才だからこんなやり方をするんだ。


「オールA判定で東大に行く人って、こういう人なんだ」


・・・何ひとつ、参考にできる部分があるとは思いませんでした。

やっぱり違う人は最初っから違うんだなぁ~、としか思えませんでした。


ちなみに、彼女は結局、その日の(図書館にいた)数時間で、世界の全歴史を(ひとまず)最後まで読み終えていました。



********************



・・・時は過ぎ、3年生の12月を迎えていました。


私は、理系クラスであったにもかかわらず、


①国語が「超」得意科目になってしまっていたこと

②高校2年くらいから、(担当教師のせいで)どんどん数学が嫌いになっていったこと


以上の2点から、3年の夏休み頃に(理系クラスに在籍したまま)文系への転向を決めていました。

受験科目は、私大受験でいうと「英・国・数」です。選択科目は数学です。腐っても理系なんだからやっぱり選択科目は数学でしょ、というノリです。


しかし、よくよく考えてみれば分かることですが、数学アレルギーを発症したせいで文系に転向した私が、数学選択を維持することには最初から無理・矛盾がありました。


そもそも、勉強という勉強を人生でほとんどしたことがなかった私です(恐ろしいことに、つい最近までそういう人生を反省もせずに歩み続けてきてしまいました・・・)。それでなくても「やらない」のに、更に輪をかけて「大嫌い」まで付いてくる数学(=文系数学)の成績が上がるはずはなく、12月を迎えても偏差値は40台のまま「安定」していました(ちなみに英語も40台)。


叫び 「やばい・・・このままでは大学に行けない・・・」


焦りだけは最高潮に達していた私は(※勉強しない人ほど焦る←受験あるある)、12月の半ばになって、つまりセンターまであと1ヶ月という時期になって、突如、選択科目を世界史に変更することにしたのです。


世界史はそれまで勉強したことがありませんでした。もちろん、教材も持っていませんでした。

そこで、当時受験生の間で定評があった山川出版の世界史の教科書を急いで買ってきて、とにかくそれだけに絞って勉強していくことにしました。

多くの受験生が持っていた教材、用語集とか歴史地図とか人名事典とか過去問集とか問題集とか、そういった参考書の類は一切ありませんでした。文字通り、山川世界史一本勝負です。

やり方は単純で、まずひと回し目に、人名に赤マーク、その他の主要な事柄には黄マークをしました。そして、あとは ひたすら繰り返し教科書を読んでいくだけ という単細胞な方法です。

もう、それしかする時間がなかったのです。

周りの受験生は、一問一答式の問題集を解いたり、用語集を参照したり、模試を受けたり・・・と、様々な教材を使って様々な勉強をしていましたが、私にはそんな余裕は全くありませんでした。山川世界史で手一杯・・・というよりは、それ以外の教材をやるという発想自体が浮かびませんでした。


勉強方法という点でも、当時の私は和田秀樹の名前すら知りませんでしたし、いまと違って、「勉強には方法がある」ということ自体を知りませんでした。勉強は「才能と努力のみ」でするものだとしか考えていませんでした。「何らかの形で勉強を工夫してみよう」なんて発想がでてるく余地はどこにもありませんでした。


このように、当時の私には、教材という選択肢も、勉強法という選択肢もありませんでした。できることといえば、もうただただ闇雲に「焦る」こと。それしか選択肢がなかったのです。


ただひたすら焦って、山川世界史一冊と心中する。・・・これが当時の私にできたすべてでした。

ともあれ、センターまでの1ヵ月間、闇雲ながらも、怠け者の割には結構頑張ったと思います。もっとも、普通の受験生なら、遅い人でも4月、早い人なら1・2年から勉強を始めているわけです。正直、心の中では、「どうせ1ヶ月じゃ無理だよね・・」と諦めの境地になっていたのも事実です。

ところが、です。

これは我ながら非常に驚いたのですが、1ヶ月が経ち、センターまであと数日となった頃、自分がいつの間にか教科書の内容を全部覚えてしまっているという事実に不意に気づきました。

ただひたすら教科書を読んでいただけなので、それまでは記憶の確認もしていなかったのですが、ふと思い立って頭の中で問題を作ってみると、それらの問題に全て答えられてしまう自分がいました。


・・・1ヶ月では絶対に無理だと思っていたのに、よく分からないけど「間に合ってしまった」ようでした。センター試験本番の得点はたしか89点だったように記憶しています。私には大満足な結果でした。


ちなみに、上で挙げた「勉強法」では、最初のマーク期間に1週間を費やして、その後の繰り返しはもの凄いスピードでやりました。1ヶ月で合計数十回(1日に2~3回)は読んだと思います。


とにかく焦っていたので、ゆっくりじっくりやっている暇自体がなかった、というのが正直なところです。狙って(つまり、勉強方法として意図して)あえてそういう方法を採ったわけではもちろんありません。もし、世界史を始めたのが春や夏だったら、きっともっと「じっくりやってしまった」だろうと思います。教科書を一冊に絞り込んだのも、教科書をハイスピードで回したのも、繰り返し何十回も読んだのも、しつこいですが、それ以外に選択肢がなく、そうせざるを得なかった、というだけのことなのです。


世界史の偏差値が最終的にどこまで行ったのかは、模試を受けていないので分かりませんが、ともかく、この「世界史の1ヶ月」が功を奏して、私はなんとか無事大学生になることができました。


私が大学受験でともかくも意識的に「勉強」なるものをしたのは、この1ヶ月が全てでした。

以前、国語で問題集を1冊解いたことがある、ということを書きましたが、それを入れてもいいですが、それはちょっと興味本位で試してみたという程度のものですし、1週間程度やっただけのことなので、ちゃんとした「勉強」とまでは言えないかなぁ、と考えています。


たまに、私が大学受験の勉強でも司法試験の勉強でも、「本当にほとんど何もやらなかった」と言うと、反射的に「嘘つけ」と言ってくる人がいます。「格好つけちゃダメだよ」と言われたこともあります。

でも、地頭説の信者には理解できないでしょうが、人は、やったら必ずできるようになるのです。

「できていない」ということは、「やっていない」ということに他ならないのです。


「できていない」原因は、方法が間違っている か  ②努力していない かのいずれかですが、「やっていない」という意味では、実はどちらも同じようなものなのです。

私は努力(②)する習慣を根源的に欠いていましたが、一般人基準でいえば、そんな人はたくさんいます。単に司法試験受験生のような勉強癖が備わっている人の中では、こういうタイプは珍しいというだけです。
むしろ、一般人基準でいえば、「なんにもやっていないから、なんにもできていない」という人のほうが
圧倒的に多いです(もちろん、そういう人が「やれば直ちに正しくやれるようになる」とは全く限りません)。


司法試験受験生のような努力(②)する習慣ができている人でも、方法(①)が間違っているがゆえに、実質的に「やっていない」という人がたくさんいます(というか、ほとんどの司法試験受験生がそうです)。そういう人は一般に、ただ怠けているから結果が出ない人と違って、努力(苦労)しながら結果が出ないという辛い目に会っている分、「能力」をめぐる考え方に強いコンプレックスを持った人が多くなります。プライドと劣等感に引き裂かれたような、めんどくさい人格構造を持った司法試験受験生が多いのも、こういった事情を考えると頷けるところです。


しかし、です。

司法試験受験生のような、「努力する能力」(②)を持った人には理解できないことだろうと思いますが、単純に「努力ができない」というのも(人格は歪みませんが)それはそれで結構しんどいものなのです。この巨大な壁を乗り越えようと私がどれだけ苦労をしたことか・・・いずれ機会があればまた。



********************



私が何の意図もなく行った「世界史の1ヶ月」が、桜蔭の彼女の自覚的な方法論に極めて似ている(その劣化版である)ということに気づいたのは、それからずっと後、司法試験受験生になってからです。


司法試験を始めて、勉強に「方法」があるということを知り、何人もの優秀な受験生&合格者に出会い、更にその中の一部の飛び抜けた優秀な受験生たちと、広く試験勉強一般から司法試験に至るまで、あらゆる方法論という方法論を深めていく中で、上記のような勉強法が、正当な「方法」の一つであったということに気がつきました。それは遡ってみれば、桜蔭の彼女がやっていた方法そのものでしたし、私も部分的には実行していたものに違いありませんでした。


この「スピードぐるぐる勉強法」の特徴を適当に列挙します。


①とにかく早く回す。

②「質」のことは考えない(「質」は後回しにする)。

③適度に力を抜く(意識的にちゃんとやらない)。

④早く回せば、1回にかかる時間が短いので、何回も(何百回も)回せる。

⑤早く回せば、人が1回やっている間に10回以上回せる。その差は加速度的に広がっていく。

⑥何回も回すと、何回も同じものを見ることになるので、更に加速度的に早く回せるようになる。

⑦何百回も回せば、その内容は完全に自分のものになる(対象を潰し切ることができる)。

⑧最後には、じっくりやっている人との間に、隔絶した差が生まれる。


(以下、心構え)

⑨人間には本来こういう能力が備わっているのだと(常識をいったん捨てて)信じる。

⑩自分も人間である以上、自分にもそれができると信じる。


まず⑥から解説すると、結構この部分に考えが及んでいない受験生が多いところだと思うのですが、司法試験のような、「自分が法そのものになる」くらい法に習熟することが求められる試験においては、じっくりやろうと、早くやろうと、最終的には数百回・数千回と「繰り返す」必要があるのです。本ブログの方法とは真逆の努力型の受験生であっても、間違いなくそこまでやって合格しています。じっくりやったら、最終的に回す回数が劇的に減らせるかというと、そんなことはないと私は思います。


⑦は、本ブログで主張している「手を広げないこと」「対象を潰し切ること」と表裏の関係にあります。手を広げなければ、たとえ最初はじっくり回してしまっても、次第に内容に習熟してきて回すスピードが上がってきます。そうなると、回す回数も加速度的に増えていきます。回す回数が桁違いに増えてくると、内容を完璧に「潰す」(=完全に自分のものにする)ことができるようになるのです。

教材の浮気を繰り返している人は、永遠にこのサイクルに入れません。

方法論には疎く、ただ真面目だけが取り柄みたいな女子が司法試験では結構順当に受かりますが、これは、真面目ゆえに手を広げないという行動がとれるため、結果としてこの繰り返すというサイクルに自然に入っていくことができるからだと思います。


②についても少し触れておくと、人はちょっと油断するとすぐに「意味」を求める生き物だということです。何か読んでいても、それを適当に「流す」のは案外難しいものです。質=意味のことは気にしない、と自分に言い聞かせても、すぐに「意味」を把握できる水準まで読むスピードを落としてしまうのです。


最後に。一番難しいのは、③と⑩です(②を加えてもいいです)。この③⑩の難しさゆえに、私自身は、この勉強法は万人におすすめできるものではないと思っています。


あくまでも本ブログが奨励している最重要の方法は「手を広げないこと」です。これができていれば、上述のように、最終的には(十分な努力をすれば)誰でも「潰す」ラインまで到達することが必ずできます。ですから、今回紹介した方法が自分に合わないからといって、どうかそこはあまり気にしないでください。実際、この方法は、受験生オタクの注目を集めるほどには実現可能性の高い方法ではありません(私が今まで「手を広げない」と「潰す」のほうばかりを強調してきたのは、そういう意味もあります)。

「速さ」は、いかなる意味でも受験の本質ではありません

本質はむしろ「手を広げない」ことのほうにあります。この堅実さのほうをこそ、私は強調したいです。

手を広げさえしなければ、いずれ、速く回すというステージが自然にやってきます手を広げずに何度も回していれば、教材を回すスピードも自然に速くなっていきます。スピードが速くなっていけば、それに比例してまわす回数も加速度的に増えていきます。そうなれば、必然的に「対象を潰し切る」という最終地点に到達することができるのです。

したがって、初期の(1回し目~数回し目くらいの)段階で、教材潰しを「じっくり、ゆっくり」行うことは、本ブログとしては完全に許容したいと考えています。

まず、この方法で失敗する(続かなくなる)原因は、これを「適当にやってしまうから」ではありません。

むしろ、適当にやろうと意識しても「適当にやることが難しい」ことに主な原因があるのです。


受験界ではP&C方式などがこの方法に近いものだと思いますが、このP&Cなども、一見方法としてはたいへん魅力的ですし、私の受験仲間を含め受験生の中にもこの方法を試したことがあるという人は結構多いです。しかしながら、この方法で最後まで続く人は、けっして多くありません。


この方法には、特有の難しさがあるからです。


一言でいうと、この方法をやり遂げるには、「適当にやり続ける根気」のようなものが必要なのです。「方法を信じる心」といってもいいですし、「自分の能力に疑いを持たない勇気」といってもいいです。とにかく、「間違いなくこれでやれるはずだ」という(力を抜いた)確信のようなものが必要なのです。これがないと、すぐに教材を回すスピードに無意識が「ブレーキ」をかけてしまいます


上のほうの青字部分で書きましたが、司法試験受験生のほとんど100%は「努力=苦労する能力」はすでに十分に身につけています。しかし、それゆえに、「楽をする努力」がなかなかできないのです。楽をしようとしても、想像するに「勉強ってこういうものじゃない」という反発心がすぐに表面化してきて、「やばい、ブレーキをかけなきゃ」とほとんど条件反射のように心が反応してしまうのではないでしょうか。


つまり、努力型の受験生がこの方法を採ると、「楽をする努力」にだんだん疲れてきてしまい、結局、長年住み慣れた「苦労する努力」のほうに帰っていってしまうことが多いということです。


皮肉な話ですが、ほとんどの司法試験受験生にとっては、いまや「苦労」するほうが「楽」だからです。彼らにとっては、そのほうが「やり慣れている」からです。


よく、「自分の中のリミッターを外す」とか言いますが、これは言うほど簡単なことではありません。人間は習慣の生き物です。その習慣を変えろというのは、自分の人格を変えろというのに近いくらいの、人に激しい「抵抗」を呼び起こさせる類のものなのだろうと思います。今までのやり方と根本的に異なる思考・方法というのは、人間に強い拒絶反応をもたらすのです。


一方で、私などはあまり抵抗なくこの方法が採れるのですが、それはまず私がそもそも「努力する能力」のほうに全然住み慣れていない(やっと最近越してきたばかり)ということがあります。リミッターを外したりといった面倒なことをする必要がない、というのが一番大きい理由かなと思います。あと、同じことですが無茶苦茶怠け者なので、「楽をすること」にどこまでも貪欲でいられることです。

また、今までの読書経験から、本の読み方(文字の追い方)についてパターンを複数持っていることが大きい気がしています。私はアンチ速読派ですが、たとえば、1冊を5分で「ざっと見る」パターンや、帰りの電車で1冊を30分で「流し読む」といったパターンには、たぶんかなり習熟しています。

こういった点が、私にこの方法が向いている理由なのだろうと思います。


もう一度繰り返しますが、私自身は、この方法は万人におすすめできるものだとは思っていません。方法論として、絶対に採用しなければならないものだとも思っていません。この方法を採用しなくても、大学受験でも司法試験でも、何の問題もなく合格できると思っています。

ただ、このブログでも再三書いているように、人は、やったことはやった分だけできるようになります。ですから、現時点でこの方法が適さない人であっても、訓練次第で必ずできるようになるはずです。


以下、今回のエントリーに興味を持って積極的にやってみたいという方に、私が有効だと考える方法を少し書いておきたいと思います。

まずは、

【1】とにかく速度を落とさないように気をつける。

【2】自分にそれができるということを(とにかく意識して)疑わない。

既に述べたことですが、心構えの問題として、この2点が非常に重要です。

さらに具体的なアドバイスですが、

【3】具体的な時間を設定して、「いつまでに読み終えるか」を先に決める

といいと思います。

速く読むという「動作」を意識するのではなく、先に時間的な制約を作って、それを動作として守るように心掛けるのです。速く読むことを意識するのではなく、制限時間を意識するわけです。


たとえば、どこどこまでを10分で「見る」と決めたら、絶対に10分で見終えます。電車が駅に着くまでにここまで終えると決めたら、それまでに必ず終えるようにします。あと1時間でローの自習室が閉まる。それまでに間に合わせると決めたら、絶対に間に合わせます。あたかも、時間ピッタリにしゃべり終える生番組の司会者のように、「何分」と決めたらそれまでに必ず(終了時間ピッタリに)終えられるように努力してください。そうやって、環境(時間)に合わせて動作を自在に「調整」できるように心がけるのです。


このように、「動作」のほうに意識を持っていかずに、その「枠組み」(時間)のほうに意識を移したほうが、上で述べた(①~⑩のうちの)②が上手くいくと思います。

「時間」のほうに意識を置くと、「速く読むこと」に力みがなくなります。おそらく、時間を強く意識すると、(動作ではなく)時間のほうに「力み」が持っていかれるため、動作のほうは力みが取れて自由になるからだと思います。

そうすると、先ほど述べた「無意識のブレーキ」から、自然に足を離すことができるようになると思います。


時間の設定について、私自身の経験も加味していうと、自分自身が設定した主観的なリミットよりも、電車の到着時刻や自習室の閉館時間のような、制度上強制的に終わりが来る客観的なリミットをターゲットにするほうが、格段に効果は高くなると思います。


先に述べたように、人間は習慣の生き物ですが、こういった「訓練」を意識的に積み重ねていけば、いずれはこちらの方法のほうが、あなたの「習慣」となっていくはずです。


以上です(なんか今回は久々に長くなりました)。



【後日談】


件の桜蔭の女の子ですが、その後、彼女は東大の「文Ⅱ」に現役合格したそうです。


なんで「文Ⅱ」?? 


後日、友人から聞いたのですが・・・


おとめ座 「そもそも東大の男子をgetするために東大に行こうと思ったのに、

   文Ⅰじゃ、相手が委縮して選択の幅が狭くなっちゃうかもしれない。

   その点、文Ⅱだったら相手に “安心” してもらえるでしょ」


とのことでした。



・・・なんじゃそりゃ(?)。




いいね!した人  |  コメント(7)
PR

[PR]気になるキーワード