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【鈴木 博喜】

「お金が無くても移住できる姿を示したい」~郡山市から岡山県へ。移住を決意した母親

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福島の山-2

 
【ショックだった身内の反対】
 被曝の危険性を口にすると叩かれる。短期間、福島県外の放射線量の低い土地で生活する「保養」でさえも、賛同してくれる人が少ない。「みんな頑張ってるんだから、被曝、被曝と言うなよ」。今回の移住も親類から散々、反対を受けた。
 「まるで私が狂ってしまったかのように身内から言われてショックでした。変な仲間が近くにいるんじゃないかとも…」
 元々、原発問題に関心が高かったわけではない。学生時代も授業で原発が話題になることはなく、爆発事故後も被曝について分からないことが多かったという。
「確かに無知でした。でもね、普通ではないですよね。体育の授業は屋外で行われない、変な機械(モニタリングポスト)が設置され始める…。長男も鼻血を出したし、マスクに長袖と不自由な生活が続きました。あれから3年経ったけど郡山で生活していくには、念入りに防護しないと被曝は防げません。危険性があるのかないのか、よく分からないのですから…」
 初めて保養に出たのは2011年の夏休みだった。ママ友の誘いもあり、北海道札幌市に1カ月間、長男を連れて避難した。雇用促進住宅に入居、現地の受け入れ団体から、移住を勧められた。札幌滞在中に、群馬県前橋市に問い合わせ、県営住宅への入居を申し込んだ。避難者向けの求人が前橋市内にあることを見つけ、事務員として働いた。
 母子避難を始めてほどなく妊娠。長男が34週目での切迫早産だったことから、医師の勧めもあり、2012年4月に前橋市から郡山市に戻った。 それからは、夏休みや冬休みを利用して、長男を沖縄県などに保養に出した。「いつか福島県外へ」。2人の子育てに追われ、気付けば2年が経っていた。
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郡山駅前のモニタリングポストは0.2μSv/h前後。数値はかなり下がったが、市内にはホットスポットが点在する
 
【自分が成功例となって背中押したい】
 保養の情報を1人でも多くの人に届けたいと、広報紙への掲載を求めて市役所に出向いたこともある。その時の市職員の対応は冷淡だった。「郡山は保養は必要ないんじゃないですか?」。
 現在は、市のホームページで「保養」と検索すると、市民団体が作る「ほよ~ん相談会」のサイトが紹介されているが「もう少し探しやすくして欲しい」と母親は話す。
 郡山での生活を続ける母親を責めるようなことはしたくない、とも。「お母さんたちの前で、声高に保養や移住を勧めるのは気が引けます。ここに住む市民が悪いわけでは無いのですから」。
 だが、自身はどうしても郡山市での生活を続けることはできなかった。街全体が、子どもたちではなく商業を守っているように思えてならなかった。3月末まで利用していた認可保育所のモニタリングポストは0.3μSv/hを超えていた。もしも、他にも移住を考えている母親がいるのなら、自分が成功例となることで背中を押してあげたいと考えている。
 「もちろんお金や仕事は大切です。でもね、お金が無くても、人とのつながりがあれば暮らしていかれるということを示したいんです」
 
 
【民の声新聞】より
(文と写真:鈴木博喜)

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