マジ系クズとしては威圧的に振る舞っておいた方がかえって誠実になることもある

日記

 ものすごく真面目で誠実であるように演じてしまうところがあるのだけど、実情はそうでもない真面目系クズである。自分で作った規範に対する罪悪感意識が強いからそう見えるのだけど、だからこそ自分の中で理屈がついてしまった部分については罪悪感が消えてマジ系クズになってしまうことがある。

 もちろん良い事じゃない。当初からある程度威圧的に振る舞ったりとか、クズである側面を部分的にでもだしておかないと色々な事が不意打ちになってしまうし、そうせざるを得ない事態を積極的に呼び込んでしまう場合もある。誰かを追い込む時には効果的なのだけど、別に追い込む事自体は目的にならない事のが多い。今後の利害関係が見込めない他人の痛みは相関であれ、逆相関であれ、僕の効用関数には入ってこない。

 「あんなに真面目だったにどうして突然」みたいな事を言われる人の一部はそういう感じなのだろう。最近はクズであることを広報するように務めている。出来ない事を出来るとは言わないようにしているから色々な機会を逃しているのだけど、現在の所はそれで良いのだろうとも思う。「出来ない事は出来ない」と言ってさえも、出来ると無理やり言い換えさせられる機会が増えすぎたのが僕の憂鬱の大半なのだろうから。

2006年に「日経スペシャル カンブリア宮殿」(テレビ東京)に出演した際、番組のホストを務める村上龍に、「よく『それは無理です』って最近の若い人達は言いますけど、たとえ無理なことだろうと、鼻血を出そうがブッ倒れようが、無理矢理にでも一週間やらせれば、それは無理じゃなくなるんです」「そこでやめてしまうから『無理』になってしまうんです。全力で走らせて、それを一週間続けさせれば、それは『無理』じゃなくなるんです」

渡邉美樹 - Wikipedia渡邉美樹 - Wikipedia

 大抵の事は「無理」ではない。でも、そのために常に拘束されたり、自律神経失調症になったりして、技術の勉強をしたり、企業に話を聞きにいったり、家の仕事をする事が「無理」になる。何かを出来るようにするには、他の何かが出来なくなるのだから、その仕事でリソースのほぼ全てを奪う状態にするのは「無理」という意味で「無理」と言うのは当たり前の話で「出来る事を出来ない」と言っているわけではない。

 つまり「人の優先順位を勝手に決めるな」という事について、いざとなれば妥協するとタカを括られると失望する。確かに一定範囲までは妥協するし、絶対に優先しなきゃいけないものもあるけれど、私企業の利潤行為はそれじゃない。そういう事態を避けるためには、もっと威圧的に振る舞っていた方が効果的だったと反省する反面、鈍痛を続けても出口がないと早目に分かってよかったとも思う。

お言葉

 出来ない約束をして、破ってヘラヘラするぐらいなら、僕はもうずっと「子供」でいーです。

購入本

すべての男は消耗品である。VOL.1?VOL.13: 1984年8月?2013年9月 連載30周年記念・完全版

 すごい。僕が生まれてからの世相が丸々はいっている感じがする。『村上朝日堂 (新潮文庫)』もそうなのだけど、最近また、こういう内容がないようなエッセイがすごく好き。

気になる記事

ムーンライト

ムーンライト

  • くず
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes