日本の刑法には、責任能力がない者の行為は罰しない、という制度があります。
この責任能力の制度に対しては、賛否両論があるようで、インターネットで「責任能力」というワードを検索すると、「責任能力の制度なんていらないのではないか」というページがヒットします。
では、そもそも、なんで責任能力がないと処罰できないのでしょうか。また、実際にどれくらいの人が、責任能力なしとして処罰されていないのでしょうか。
簡単にご紹介したいと思います。
■そもそも、なんで責任能力がないと処罰できないのか?
なんで責任能力がないと処罰できないのか。この点について、通説的見解では、次のように説明されています。
やってよいことと悪いこととを区別し、悪いことをしないでいられたにもかかわらず、あえて悪いことに踏み切った、すなわち犯罪を行ったからこそ、その人を非難し、処罰することができる。
それならば、精神の障害により、善悪の区別がつかないか、区別がついても、やってはいけない悪い行動を思いとどまることができない状態で犯罪を行った人を処罰しても、刑罰に懲りさせ再び犯罪を行わないようにして社会復帰させることはできない。むしろ、その人に必要なのは治療である。
幼児を考えると、イメージが湧きやすいと思います。善悪の区別がつかない4歳の幼児が、スーパーから無断で商品を持ってきてしまった・・幼児に責任を問うのが難しいことは、ご理解頂けると思います。
また、統合失調症の人が、統合失調症の圧倒的な影響で犯罪を犯してしまった。もはや、もともとの人格に基づく判断によって犯罪を犯したとは評価できない・・という場合にも、責任能力が否定されます。
幼児の例はイメージしやすいと思いますが、統合失調症の例は、なかなかイメージしにくそうですね(一般人から見て理解不能な部分があるからこそ、責任能力が否定されるわけですが)。
■心神喪失で無罪は、1年に平均3人
実際、責任能力が否定される例はまれのようです。
過去3年の犯罪白書をみると、統合失調症や薬物中毒などを含めた全体で、心神喪失を理由に無罪となった人数は1年平均3人です。
もっとも、精神障害者等(精神障害者+精神障害の疑いのある者)の検挙人数は1年平均3,144人で、そのうち平均582人が、心神喪失を理由に不起訴にされています。
刑事処分は、事案の個別具体的な事情をもとに行われるものですので、この数字のみから善し悪しを論じることはできませんが、1つの参考にはなると思います。
以下では、おまけとして、責任能力の制度の概要についてご紹介します。
■具体的な制度内容
責任能力については、刑法に、次のような具体的制度があります。
「心神喪失者の行為は、罰しない。」(39条1項)
「心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。」(39条2項)
「14歳に満たない者の行為は、罰しない。」(41条)
ここで、心神喪失とは、精神の障害により事物の理非善悪を弁識する能力又はその弁識に従って行動する能力のない状態をいい、「心身耗弱」とは、精神の障害がまだこのような能力を欠如する程度には達していないが、その能力が著しく減退した状態をいうとされています。
つまり、(1)精神の障害により、(2)自分のやろうとしていることがやっていいことなのか悪いことなのかの区別が全くつかない場合、又は(2)´自分のやろうとしていることが悪いことだとはわかるが、思いとどまることが全くできない場合が心神喪失です。
また、(1)精神の障害により、(2)自分のやろうとしていることがやってよいことなのか悪いことなのかの区別が著しく困難な場合、又は(2)´自分のやろうとしていることが悪いことだとはわかるが、思いとどまることが著しく困難な場合が心神耗弱です。
■裁判ではどうやって判断しているのか
心神喪失や心神耗弱の内容は上記のとおりとして、実際の裁判ではどうやって判断しているのでしょうか。
実際の裁判では、鑑定などによって、まず(1)精神の障害の有無を判断し、(2)以下の要素を総合考慮して、心神喪失や心神耗弱にあたるかどうか判断しています。
・犯行の動機が了解できるものか
・犯行は計画的なものか
・犯行当時、犯行は悪いという認識はあったか
・精神の障害によって責任を免れるという認識はあったか
・犯行が、普段の行為者の性格から考えて理解できない異質なものか
・犯行に一貫性があるか
・犯行後に、逃走・罪証隠滅などの自己防衛的な行動をとったか
・その他
以上の事情を考慮して、一般人ではこうしないだろうという、理解不能な要素が多いほど、心神喪失や心神耗弱が認められやすくなるわけです。
*著者:弁護士 春田大吾(星野法律事務所。福岡県出身。平成24年弁護士登録。星野法律事務所に所属。民事刑事の様々な事件を取り扱い。)