Hatena::ブログ(Diary)

北沢かえるの働けば自由になる日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2014-06-19 苦しいのはあの子だけじゃない

胸のつまり

| 胸のつまりを含むブックマーク

webでイヤな動画を見てしまって、凹んだ。

昨日辺りから評判になっていたから、検索すればすぐ出てくると思うが、

だいたいこんな感じだ。

今年3月、渋谷駅構内で、通りがかりの人が、子どもの泣き声と大人の怒声に気付いて、なにごとかとカメラを構えた。

その先にいたのが、母親とおぼしき女性と、幼稚園年少ぐらいの子ども。

罵声を浴びせていた女性が足早に去ろうとするのを、必死に追いかける子。

ところが、子どもが転んだら、女性は起こそうとした後、罵って、頭を蹴った。

再び、床に倒れる子ども。

「ビデオに撮っているぞ」

「警察呼ぶぞ」

と撮っていた人は思わず叫ぶ。

それに気づいた母親は、子どもを連れて、どこかへ立ち去る。

撮った人は“明らかな虐待だ”と思ったけれど、警察に届けても、どこの誰だかはわからないから、犯罪として扱ってもらえないだろうとあきらめ、自分のFBにアップした。

それが、最近になってシェアされるようになって、あっと言う間に広まったそうだ。



さて、見て思ったのは、これはリンクできないなと。

もちろん、これは、明らかな虐待だけど、拡散するのは、違う気がする。

実は、昔、娘を連れて歩いた時のなんとも言えない怒りと悔しさ、恥ずかしさがあふれてきて、胸がつまった。PTSDっぽく。

“あ〜あ。そうなんだよ、思い通りになってくれないんだよ。うまく歩いてくれないんだよね。いけないとわかっていても、怒鳴りたくなるよ。効果ないのに、辛く当たっちゃうんだよね”

その時々にいろいろな要因があって、歩いてくれずにグズグズしたり、フリーズするんだが、それをなだめすかすのにも限界がある。

「もう、いい加減にしなさい」

娘の手を痛くなるほど握って、思い切り引っ張りながら、何度、電車まで連れて行ったことか。

怒りのオーラをビンビンに出している私と、それにおびえている娘を見た人たちは、どう思っていたんだろうか。

“なんて母親だ。あんな小さな子に八つ当たりして”

娘は割とおとなしい方だと思っていたんだが、電車の中では、突然、叫んだり、泣いたり、歌いだしたり。走行中だろうが、車内をふらふら歩いたり、座席に上りはじめたり。つり革につかまらせろとわめいたり。歩いていれば、いきなり座り込んで動かなくなったり、手を振りほどいて走り出したり。なにかに夢中になるとそこから離れなかったり。疲れてくるとグズグズしはじめたり。

最初は優しく諭すさ。「急がないと間に合わないんだよ」や「お願い、もうちょっとだから、静かにしてね」とかね。

“子どもひとり、まともに扱えないのか。ダメだな、いまどきの母親は”

って無言の圧力に耐えながらね。

通院とかね、決まった時間に到着しなきゃいけないし、早く着き過ぎるとパワー切れになって診察をいやがるし、困ったよな。いろいろ対策していくんだが、そんなにうまくいく日ばかりじゃないから、周囲をうかがいつつ、娘の機嫌を損ねない程度に抑制して、どうにか社会のルールの枠内に留まりつつ、顰蹙を買わずに、目的を果たすか。毎回、帰宅するとヘトヘトだったよ。

なぜ、でかいベビーカーが流行るのか?

そりゃ、寝ている時がいちばん移動しやすいからだよw


だから、件の動画を見て思ったのは、

“苦しいんだろうな、この人も”

ってことで。子どももだけれど、女性のことも、心底、心配になった。

逃げたのを見れば、自分がやっていることは虐待だという認識はあるんだろうね。でも、どう扱っても子どもはうまくいかないこともあるから。そういうおおらかな気持ちが出ないぐらい、切羽詰まっているんだろう。

誤解されていると思うが、この日の外出には、子どもを連れていかなければいけない状況があった。だから、それがうまく進行しないと、ああいう形で、子どもへの怒りがわくんだろうな。もちろん、暴力は間違っているが、“コイツのせいだ”って親としての余裕なんてない、ただの感情の爆発だったなぁ。


では、どうしたらよかったのか。

こういう場面では、撮って警告するよりは、うまく割って入ることかな。

おせっかいなおばさんメソッドで、なんも気付かないふりして、子どもを起こして、アメをあげちゃうとか、どうなんだろう。

「ボク、どうしたの? 泣いちゃったの? あらららら」

とか子どもを慰めつつ、親との間に体を入れて、距離をおいて、クールダウンさせる。

エキサイトしていても、他人に蹴りを加えるのは、相当勇気いるから、親も躊躇するよね。

「あなたもえらいね。小さい子を連れて出かけるのは、ホントに大変だもん」

子どもに向き合いつつ、親にも声をかける。ほめられる経験、少ないからね〜、子育て中の母親は。

そこで、我に返ってくれたらしめたものなんだけど。

現実、私が娘を叱っていたら、「もういいじゃないの、いい子だから、わかったわよね」と見知らぬオバサンが介入してくれて助かったことが、何度もあったよ。グズグズしはじめた娘にアメをくれたり。飽きて歩き回ろうとする娘を窓の方へ座らせてくれたり。そういう親切に、涙があふれたこともあったよ。

他人でも、とりあえず、暴力を止めて、感情を鎮める、きっかけを作るぐらいはできるんじゃないだろうか。

もちろん、「警察を呼ぶぞ」という警告もひとつの手だとは思ったが、それよりは、「子どもを世話するのが大変過ぎて、もう、耐えられない」って感情の爆発を理解しているよと、共感のサインを送った方がいいと思ったんだがな。

幼児をアパートの一室に閉じ込めて衰弱死させた父親が、

「虐待していると、知られるのが嫌だった」

と供述しているってのを聞くと、子どもを育てる苦痛が、体裁や見栄を突き破って、世間に噴き出した時は、むしろ、手を差し伸べるチャンスだと思うんだけどなぁ。