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「お父さんに迷惑をかけてきたけど、精いっぱい頑張り親孝行できました」ーー。
平成十五年十一月九日。総選挙の打ち上げ。最後にマイクを渡された次女の直子が語り、号泣しました。すると家族や支援者の頬にも涙がつたいます。皆、直子が起こした「反乱」を知っているからです。
直子はこの七年前の高校二年生のとき、良い子でいることをやめました。原因は「政治家の家族」であることでした。県会議員時代から不在にしがちで、直子と向きあう時間が少なく、寂しかったのだと思います。また、感受性の強いタイプでした。政治家の子供として、絶えず周囲から色眼鏡で見られるため、被害者意識が強くなったのです。
直子は夜、習い事や家庭教師をすっぽかして、スーパーの前でたむろし始めました。優秀だった成績は急落。不登校に近い状態になり、ついに、家に帰らなくなりました。直子の身を案じ、深夜、妻と萩市内歓楽街の店を訪ね歩いたこともありました。
学校から、「転校して欲しい」とほのめかされ、直子に転校を勧めましたが受け入れません。当時、党の文教部会長として教育改革を推進していましたが、「娘がこれでは、政治家として教育を語る資格はない」と思い悩みました。
わたしは覚悟を決めました。妻と直子と、それに担任の先生と一緒に話し合う場を持ち、言いました。「そんなに嫌な思いをさせているのであれば、お父さんは政治家を辞めてもいい」と。口先だけじゃない。本気です。
この言葉に直子は泣き崩れ、転校を受け入れました。
直子は東京の高校に転校し、わたしと暮らし始め、ほどなく立ち直りました。わたしは早朝の会議があっても必ず一緒に朝食をとり、ときに悩みの相談に乗るまでに変わりました。
直子との経験から、親子が対話する時間と食事の重要性を身に沁みました。だから、信念をもって「ゆとり教育」や「食育」を推進できました。また、昨年成立した新教育基本法に「父母その他の保護者は、第一義的責任を有する」という文言を入れ、「学校・家庭・地域の連携」などを強調しました。
辛い経験でしたが、そこから学び、政治家として教育改革に反映できたことを誇りに思います。
平成十五年の総選挙のときは、文部科学大臣だったので全国を飛び回り、選挙区に終日いることができたのは二日間だけ。留守は家族総動員で、一丸となり戦い抜きました。一番働いてくれたのは、直子です。宣伝車でマイクを握り、必死にわたしの政策を訴えました。
この選挙で掲げたスローガンは「人間力向上の教育改革」。結果は圧勝です。親子の絆の再生と教育改革による日本の再生を確信した選挙でした。