ガシンはいまここにいます  
 

2006.9.26

久々です。なぜか今、USAのシアトル。ブエノスアイレスにいる時に、どうしてもアラスカに行きたい自分に気付いて、なら、冬になる前の今しかないと思い、ブエノス、、ニューヨーク経由でアラスカ、、アラスカ回って今シアトルです。今日着いた。アラスカ、めっちゃ良かったよ。哲哉も誘って、いっしょに回ったんだけど、山も、川も、紅葉も、熊も、鹿も、オーロラも、氷河も、焚き火も、全てが良かった。
キャンプをしながら回ったの。絶対正解。まじで楽しかったわ。正直、今まで行った何処よりも、楽しい旅のスタンスだった気がする。

 
     
     
 

過去の記事

 

2006.8.11
チリのVINA DEL MARってとこにいます。サンチアゴの北西に100kほど行った海沿いの町。ラパスから、南下して、ウユニ塩湖ってめっちゃでかい塩砂漠を通ってチリに来た。チリ。綺麗です。物価もそれなりだが、バスにしても、道路にしてもボリビアとは大違い。ここ、ビーニャには、老舗の日本人宿がある。汐見荘って。そこに泊まってます。で、毎朝、海沿いの魚市場に買い出し行って、昼と夜に、これでもかってくらい、新鮮な魚を食ってます。安いし。甘エビとか、1`で何百円って感じ。こんなに贅沢に魚貝を食うのは、初めて。いい経験だ。今日の夕飯は、潮汁。昼、生甘エビ食い切れなかったから、だしに使う。食で、久々に幸せを感じています。

2006年7月30日
ボリビア首都、ラパスにいます。首都としては、世界一の標高3600m。けど、周りを山に囲まれた盆地になっているため、そこまで寒くない。ボリビアは、南米の中では最も物価が安い国。一日、5ドルくらいで生活できる。あと、アンデス地方の民俗音楽、フォルクローレ発祥の地。夜はペーニャと呼ばれるライブハウスで音楽を聴くことができる。楽器も特有のが多い。アルマジロの皮を使ったちっちゃいギターなんか、結構かっこいい。そして、僕のラパス一番の目的は、EL ALTOと呼ばれるでっかい市場。ここには、アメリカからの救援物資の横流し品が、南米中から集められていて、古着の掘り出し物が多い。パタゴニアのフリースなんかは、4-6ドルくらい。町自体は混雑してるし、坂多いし、だるいけど、もうちょっと滞在します。

2006.7.20
ペルークスコにいます。めっちゃ有名な世界遺産、マチュピチュ観光の基点の町。クスコ自体も、インカ帝国の首都であったらしい。そして、スペイン植民地化されて、その融合っぷりが世界遺産に登録されている。町並みは、今まで見たどの町とも違う。屋根は地味なオレンジ色。細い路地は石畳。その両側は隙間なく重ねられた石壁。夜になると、オレンジ色の街灯がきれい。しかも、アンデス山脈の真っ只中にある。坂道ばかり。町は高い山に囲まれている。いい景色です。高地(3400m)だから息が切れるけどね。そして、マチュピチュ、昨日まで二泊三日で行って来た。かなりすごい。朝靄の中で見たら、ほんと、ラピュタだ。よかった。


2006.7.10
今僕は、「ナスカの地上絵」があるナスカ(ペルー)にいます。早速行ってきました。セスナで上から見る。とりあえず、生まれて初めてセスナに乗ったけど、めちゃくちゃ揺れるもんなんだね。吐く一歩手前でした。もう旅行中、セスナの観光はできれば遠慮したい。で、地上絵、13種類くらいある。有名どころでは、サル、コンドル、ハチドリ、。「ウォーリーを探せ」のウォーリーくらいの鮮明さだった。けど、確かにミステリアスな物で、歴史というか、神秘というか、感じました。そして、今日、今さっき、Wカップ決勝終了。一貫して白熱した試合だと思いきや、延長後半のジダンの退場。これは予想できなかった。イタリア優勝。大会を通じて、こんなに真剣にWカップ見たのは初めてでした。楽しかった。

2006.7.3
今僕は、南米、ペルー、リマに居ます。マドリッドから、一番安い南米行きのチケットをとったら、それがリマだった。とりあえず、マチュピチュ、ナスカ地上絵に向けて、南米旅行に向けて情報を集めてます。そして、残り少ないWカップを楽しんでいます。リマ自体も世界遺産登録されている町だそうだ。何が、かがよく分かりません。街の中心には、1600−1700年代のスペイン植民地時代の名残を思わせる建物も点在する。けど、1本裏道に外れると、結構すさんでいて、治安も悪そう。今、リマでは、首絞め強盗が流行中(いきなり後ろから絞め落とされて金を取られるタイプの強盗。)。チョークスリーパーは、僕も得意技なので、「来るなら来い」と気合いを入れて町歩きをしています。


2006年6月29日
ima boku ha Spain Madrid ni imasu..sukkari natu ...mati jitai ha sonna tanosiku nai kedo Namahamu ha umai..ato,BullFight mini ikimasita..anmari yoku nakatta.usi1 VS ningen10 with sword tte kanji..hikyou desyo......koko madrid kara SouthAmerica ikimasu..

2006.5.13
南アフリカ、ケープタウンにいます。アフリカ最南端。やっと縦断し終わった。最後らへんは楽だったけど、やっぱり疲れました。もう、当分、アフリカ、黒人はうんざりです。
ケープタウン。もうすっかり都会。アフリカ一です。オープンカフェもデパートも寿司屋も何でもある。物価は高い。宿1200円。まるでヨーロッパだな。観光地、喜望峰に行って、あとはのんびりしてようと思います。南アはワインの産地としても有名だから、毎日飲んでます。自炊して、ブラブラして、自炊して、飲んで。そんな毎日。次にどこに行くかは検討中。

2006.5.10
NAMIBIA WINDHOEK ni imasu. tokai. itarutokoro ni gomibako arusi,hakujin mo ippai. NAMIBIA niha,NAMIBU SABAKU wo minikita. NAMIBUSABAKU ha,sekai saiko no sabaku rasii. sosite suna no iro ga akai. kinou made 2haku3kka RENT A CAR de itte kita. mettya dekai sabaku. bikkuri. iro mo akappokatta kiga suru...

2006.5.4
ザンビア リビングストン。。ビクトリアの滝がある所。久々の観光地。ここには、ルサカを経由してついた。ザンビアに入ったら一気に物価が高くなって驚いた。アフリカも上と下では全く環境が違う。ビクトリアの滝。水しぶきにやられた。上下左右から豪雨が降ってくる感じ。周囲数キロにわたって「ドーッ」っていう滝の音が響いている。有数の観光スポットだけあって見応えがあった。
滝はいいね。

2006.4.24
ima bokuha DAR ES SALAAM ni iru.TANZANIA no syuto..dakedo nannnimo midokoroganai..ryokousya no hyoubann mo mettya warui..saraniha UKI..mainiti itudemo ame ga huru..douro ha dorodarake..mou iyadesu..toiuwakede sugu idousimasu...kokokara TANZAN RAILWAY de 3DAYS no nagatabi..betumei SAFARI TRAIN to yobareru ressya..tanosimi....

2006.4.20
今、僕は、タンザニア、モシにいます。カンパラからナイロビにちょっとよってタンザニアに入りました。ここ、モシは、キリマンジャロ山のふもとの町。ここからキリマンジャロ登山には出発するわけです。その行程は、四泊五日、700$。キリマンジャロ山はアフリカ最高峰。5600mあります。山脈ではなく、その山だけドカンとそびえているから、とても存在感がある。ホテルの窓からも窓枠いっぱいに姿を見れるはず。しかし、今は雨季。なかなか全貌を見ることはできません。登山はするつもりはないけど、一度くらいはしっかり山を見たいので、何もないこの町にもうちょっと居ます。ナイロビ、カンパラに比べたら田舎で人口密度が薄いのも居心地が良い。ケニヤ、ウガンダよりタンザニアの方が物価も安い。(タンザニア人は何時でも何処でもボってくるって評判だけど。)そしてモシはキリマンジャロコーヒーの原産地。いろんなコーヒーショップを開拓しています。今のところ、まだ「こいつはうまい!」ってのには出会ってないけど。

2006.4.11
ウガンダ首都、カンパラにいる。人と埃と排気ガスを撒き散らすバイクタクシーが多い町。空にはカラスでなくハゲコウが舞っているところが特徴っちゃあ特徴。アフリカ人、馬鹿だ 馬鹿だと思ってたけど、ここカンパラで、なんと「めえ」まで「馬鹿だねえ」と言い出した。めえが言うってことはよっぽど馬鹿ってこと。2300円の買い物で5300円出したらもう計算できません。600+1200+200には計算機が必要。そんな人が飯屋のキャッシャーやってるからね。 なんでウガンダなんかに来たかって言うと、、、マウンテンゴリラ、見てきました。やばいよ、奴は。腕の太さは俺のケツ以上。ウガンダ来てよかった。

2006.3.15
ようやくケニヤ、ナイロビに着きました。アフリカ縦断、半分くらい終わったかな。ここナイロビはすっかり都会です。エチオピア、ケニヤの国境からここまでは、これでもかってくらいキツいバス移動だった。ナイロビ、ここからサバンナサファリに行く訳です。たくさんあるサファリ会社を周って情報収集に励む毎日。めしはまずい。もう、アフリカで美味い現地食はあきらめた。昨日食った現地のシチューはめちゃくちゃうんこの臭いがした。牛の腸を煮込んだシチューなんだけど、きっとまだうんこがいっぱい付いてたんだろうと思います。

2006.3.1
今はエチオピア、アジスアベバ。スーダンを抜け、ゴンダールにちょっと立ち寄ってアジスにたどり着いた。エチオピアの首都で、首都としては世界で三番目に標高高い。(2400m)。朝晩はちょっと寒い。そして、スーダンまでは、まだアフリカっていってもイスラムが、アラブが混じってるのが分かったけど、ここエチオピアに入ってからはまるっきりのアフリカ。人は真っ黒。同じヒト科に括っていいのかどうか、、、まいにち動物園の折の中に入ってるような感覚。エチオピア、コーヒー原産国だけあって、コーヒーは上手い。あと、ビールが生ビ40円と安い。いいところ今のところそれだけしか発見できず。ヒトは、ぼる、乞う、かまってくる、やかましい、と、最悪。すべてを文化の違いとは割り切れません。

2006.2.12
now i am in ASWAN..nere the border to SUDAN.and nere the ABUSIMBEl ..SUDAN,,,i heard that there is the poorest country in AFRICA..to travel SUDAN is very hard ..i dont like hard travel but i need to go sudan to reach KENYA..i try.

2006.2.5
カイロからナイルに沿って南下して、今はエジプト、ルクソールにいます。エジプト、観光名所が在りすぎます。とりあえずここ、ルクソールも観光名所がいっぱい。ツタンカーメンを始めとする王様の墓、神殿などなど。ルクソールは、カイロよりも田舎。道には、普通に荷台をひいているロバがいる。乾燥地帯なだけあって埃はひどい。その埃には、きっとロバと馬の糞が混じっていると思うと落ち込む。そして、地元エジプシャンの人柄も結構ひどい。ボリまくり。何を買うにもぼられないように気を使って生活しています。

2006.1.21
今はエジプト、紅海海岸にあるダハブという小さな町にいます。紅海。いわずと知れたダイビングスポット。それ以外は何にもないところだけど、確かに海はきれい。宿のシャワー、水道が塩水で、ぜんぜん石鹸が泡立たないのがちょっと難点。カイロからダハブまでの道は、木、一本も生えてないような荒野地帯をバスで10時間来ました。ダハブの町は、エジプトらしさはなくて、よくある海沿いの沈没地。こんな風景は、タイ、インド、世界どこに行ってもある風景なんだろうね。紅海の海は、固有種がおおく、有名どころでは、ナポレオンフィッシュが挙げられます。久々のダイビング、軽く楽しみます。

2006.1.12
ついにアフリカに入った。今はエジプト、カイロ。久々に埃くさい、人間くさい、場所。なんか懐かしいです。カイロ。。ピラミッドにツタンカーメンに紅海ダイビング。観光盛りだくさん。イスラム文化圏でもあり、街にコーランの放送が流れる。エジプトの名物料理、コシャリはひどいものだった。犬の飯。米とボロボロのスパゲッティをぐちゃぐちゃに混ぜて、トマトソースで食う。炭水化物のかたまり。飯はあまり期待できそうじゃあないけど、ちょっとここでのんびりします。

2006.1.6
今はイタリア、ローマ。ここはドイツやハンガリーに比べると暖かいから、楽。そして観光地です。道を歩いてれば、必ず古代ローマ遺跡にぶつかるって感じ。三越もあるし、日本人のツアー客もよく見る。ヨーロッパで一番見るかも。で、遺跡には興味がない俺も、コロッセオには興味があって行ってみた。西暦80年にできた闘技場。ライオンと人間が戦った闘技場。けっこう想像力を掻き立てられた。本当に戦ったのか、気になるところです。

2006.1.1
A HAPPY NEW YEAR!!!!now,,i am in MUNICH GERMANY.it is very cold.about -5 degrees every day.in here,,i can see many many japanese more than BERLIN.. nere MUNICH,there is a cassle.and i t is a model of SINDERERA JYOU in desney land...i went there. it is so so nice .now i am looking forward to HOT CUNTRY...like,BANGKOK,INDIA,KENYA...

2005.12.26
メリークリスマス。ハンガリー、ブダペストにいます。。ここで今年のクリスマスは迎えました。ブダペスト。ドナウ川が真ん中を流れる町。雰囲気は、結構暗い。町並みは古い豪華な建造物であふれてるけど、そこに暮す人はどちらかというと質素な感じ。服装とかも地味な色合いだし。プラハとははまったく違う印象を受けました。ハンガリー人の平均月収は12万位らしい。ヨーロッパも、東と西では本当に違うなあと感じながらのんびりしてます。

2005.12.20
now,,i am in PRAHA. beautiful realDIESNYLAND but,,verycoldcoldcold....and next i will go to BUDAPESUTO.. here is cheeper city than other like PARIS BERLIN ...PURAHA..PINK CITY. souiyaa,PURAHAnomaehaBERLINde sonomaehaBURUSSEL niita....i am sorry that NO REPORT.....

2005.12.3
今はオランダのアムステルダム。ここはマリファナが合法。あと、飾り窓という売春宿がある。町中にそれらを目当てにあつまってきたヨーロピアンがあふれている。いいかえるとそれしかない街。そんな気がする。とりあえずガンジャの豊富さ、質の高さにはびっくりした。


2005.11.28
 今僕はスペイン、バルセロナにいます。タイからパリに行って、そこからバスで来た。ここは見所がたくさんある観光地。主な所をあげると、でっかいサッカー場「カンプ、ウノスタジアム」、そこを本拠地にしていて、今最も旬なサッカー選手ロナウジーニョを有するバルセロナFC。サクラダファミリアを筆頭に、数あるガウディの建築物。ピカソの美術館。などなど。。。とりあえず観光してる。ロナウジーニョはオレの眼の前でアシストを決めてくれた。あと、どうも僕は、ガウディはあんまり好きじゃないようです。サクラダファミリアはやっと4割完成してるかどうかってかんじ。ウダウダ過ごしています。ヨーロッパ、物価は高い。つーか今までの旅とは全く違う旅。結構楽しいよ。

2005.5.4
今僕は、日本長野県、箕輪町にいる。毎日夕方の5時から朝の5じまで働いている。お金が足りなくなりそうだったから、一時帰国。資金集め。別に長野じゃなくてもよかったんだけどさ、工場に欠員があるということでやってきた。毎日「眼鏡のレンズ」を作ってる。ここ箕輪町、結構な田舎である。両サイドを日本アルプスに挟まれ、山のふもとを流れる天竜川に沿って国道がある。その国道沿いにチョコチョコ人家やらスーパーやらがあるといった感じだ。とりあえず最寄り駅の電車は一時間に一本。ドアは手動。二両編成である.国道沿いに一応コンビニはある。この国道は、「諏訪」、「上高地」などの長野の観光地へとつながる。周りには工場が多く、住んでる人にも出稼ぎ労働者が目立つ。その中には外国人の姿もある。スーパーのレジの横の「お客様へのご案内」には、五ヶ国語の外国語訳がついている。田舎なんだけど、日本っぽい生活の臭いというか、雰囲気の希薄な、なんだかおかしな町だ。ちなみに最近の僕の楽しみは、スーパーへ行くこと。先週の日曜には朝九時から「檄安日曜朝市」に行って100g28円のトリムネ肉を2.5k分買ってきた。面白いような、わびしいような、妙な生活を送ってる。

2005.3.22
ばんこく。東南アジアでも1、2を争う大都会。バンコクには何でもある。クーラーもエスカレーターも、日本色も酒も安宿もイセタンも紀伊国屋も。。さらには東南アジアらしく、安い飯もフルーツジュースもある。ここにいる旅行者は「ダラクした生活」というのをこころゆくまで楽しむ。バンコク含めタイは今、「高度成長」真っ盛り。僕が知る5年間でも目まぐるしく変化している。トゥクトゥク(三輪タクシー)は減り、スタバに入るタイ人は増え、クーラー、携帯電話の普及は著しい。ちなみに煙草、ドラッグはどんどん厳しくなる。これが「発展」というものかと目を見張る。いいかわるいかは知らん。ただ、最近のタイ人にはなんだか「笑い声」が増えたと感じる。この変化が、僕がタイに入って一番始めに気付いた変化だった。あと、タイマッサージもバンコクにあるワットポーっていうお寺が元祖らしい。日本でも有名になりつつある。おしらせ。俺もマッサージ師になりました。乞うご期待。

2005.2.12
今はカルカッタ。
カルカッタはインドでも1.2を争う大都会である。といってもインド。一歩路地に入ればカレーのにおいと庶民の生活臭が入り混じってる。しかし、カルカッタは確かに大都会。でかい通り沿いにはおしゃれなコーヒー屋も一流ホテルもある。ここの特徴はなんと言っても食文化だと思う。インドにしては珍しく中華系のレストランがいっぱいある。屋台にも中華っぽい味付けが多く、毎日食ってる。よく、ガイドブックや旅の本でカルカッタの水はけの悪さ、衛生面の悪さが書かれているが、乾季である今はまったく不自由ない。あとは、カルカッタには人力車が現役で残っている。ひょろひょろの爺さんが裸足で人力車を引いている。ただこの人力車、今の代でもう消えてしまうらしい。政府の方針だそうだ。
あとは何かあったかなあ?
そういやあカルカッタにはマザーハウスという所がある。マザーテレサの遺体が安置され、シスターがたくさん生活している。マザーテレサは人生の最後を、ここカルカッタで恵まれない人のために費やした。その施設は今なお残っていて、障害者や孤児の面倒を見ている。旅人の中にはその施設のボランティアをしている人が少なくない。みんな、安宿街サダルストリートに泊まりながら、ボランティアを頑張ってるわけだ。

2005.2.2
ここバラナシは言わずと知れたインド有数の観光地。もともと、ここはヒンズー教の聖地である。町を南北に流れるガンガー(ガンジス川)がその信仰の対象。川の西側、バラナシ側は聖なる地、東側は不浄の地とされている。ガンガーは聖なる川といわれており、ヒンズー教徒は死後、ガンガーに流されると輪廻から抜け出せると信じている。だから川沿いにはいくつかの火葬場があり、常に死体を焼いている。ちなみに子供や妊婦、コブラにかまれた死体は焼かずに流される。コブラは牛と一緒でヒンズーの聖なる動物なんだって。この聖地がツーリストにとって魅力らしく、町にはあふれるほどのツーリストが居る。それに伴い、洋風レストラン、ゲストハウス、インターネットカフェなどが狭い道に軒を連ねている。
まあ、概要はこんなとこ。
俺の受けた印象は、完璧にツーリストに依存した町。たぶん昔はただの聖地だったんだろう。だけど今は、聖地というアトラクションがある観光地だな。よくガンガーに感化を受けた人の話とか在るけど、俺にはまったくなかった。信仰をまったく持たない日本人の俺には、ガンガーの飲み込んでいる生死なんて理解できるはずもない。ちなみにガンガーはめっちゃ汚い。基本的に俺は川とか水辺とか好きで、隙あらば泳いじゃうタイプだけど、ここじゃあ無理だな。あと、バラナシには動物がたくさん居る。狭い道では牛に道を阻まれウンコをかけられ、ゲストハウスの屋上ではサルに洗濯物を取られる。サルも聖なる動物です。全く困った町だよ。けどみんな長居しちゃうんだよ。バックパッカーにとってはバラナシは沈没地。みんなぐだぐだしてる。バラナシはインドの中で、楽器(シタールとか)生産が有名らしくけっこうみんな習ってる。俺も何するわけでもなく、毎日うざったいインド人にイライラしながら結局合計で3週間以上居る。バラナシの魔力だな。