村下孝蔵と元家族ということを公表させて頂きました。
理由は、ホームページ上に記載させていただきました。
「証言者が亡くなり始めたから、先妻が売名行為で語り出した」 と言われてしまってます。
私は、正しい事実を、最後まで、何年かけても、きちんと書かせて頂きたいと思っています。
それを、全て読まれて、それから判断して下さいませんでしょうか。お願いいたします。
もちろん私は ”物書き” ではありません。
”演奏” するのが仕事です。
書くという作業は素人です。上手くは書けないと思います。
でも
真実は、ひとつしかありません。
ひとつひとつ、丁寧に、言葉をひろいます。おしみなく努力します。
私が、はやく訂正しなくてはならないと感じている事は、ブログ上でアップします。
それは、
出版物や画面など ”公” になってしまっている部分の偽造や湾曲です。
もし私が、私の離婚前後に、彼の親族と、勇気を持ち強く戦っていれば。
おとし入れられた数々の罠にはまり、知恵を出すなどのエネルギーも残らず、
気がおかしく、心神喪失になっていなければ・・・。
亡くなられた奥様に、同じ思いをさせなかったかもしれない、と思ってしまいます。
彼女は、村下孝蔵が死亡後1999年の8月上旬、彼の初盆も待たないまま、
東京の茨城の自宅から御自身の親族をたよって関西に、
まだ幼かった子供たちを連れて、逃げるように自宅を出られてます。
私の若い日と重なります。昨日の事のように甦り苦しくなります。
露菜、本名娘のさやかは、当時5歳でした。
私があの時、少しでも強ければ・・・。
再婚された奥様が、夫村下孝蔵の3回忌を待たずして、病気で亡くなることも、
絶対になかった・・・と、思ってしまいます。
なぜ、私が生きていて、彼女が亡くなってしまったのでしょう・・・。
何度も、何度も・・・くりかえし、そう、思ってしまいます。
同じ思いをして、同じような恐怖と戦って・・・。
なぜ、私が生きていて、彼女は亡くなったの・・・。
何度も自問自答を繰り返してしまいます。
いきつくところは、悔しさになります。弱かった自分への悔しさです。
こんな気持ちを抱えたまま、死にたくはありません。
誰も、恨みに思わないで・・・穏やかな死を迎えたいです。
村下孝蔵は、「うたの旅人」という記事にも取り上げられています。
その文中に以下の文があります。
「茨城県つくば市。村下孝蔵さんの若き晩年の地だ。
妻の裕子さんも後を追うように病死し、今は父昭蔵さんと母絹子さんが、
息子の残した大量のギターを守るように暮らす。
市内に墓も建てた。」
そう、記事に書いてあります。
何も、間違っていません。どこも、間違っている内容はありません。その通りです。完璧な事実です。
でも、
見間違えてます。
彼女、裕子さんは、夫村下孝蔵さんと同じお墓に入っていられるのでしょうか・・・。
私の心配しすぎですか・・・。
また、ものすごく暗い文になってしまいました。
コメント頂いたように、これからは、明るく楽しい話題も書きます。
ごめんなさい。
また、明日。