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村下孝蔵との真実の話

猛暑の夏も、そろそろ退散の準備をはじめたような気配がします。

私に関して、彼の娘に関して、27年間も、村下孝蔵との多くの虚実を語られてきました。

公になり ”事実” とされてしまっている事に対してだけでも、
証拠がないと言われても、せめて、おぼえている限りの事を言葉にさせて頂きたいと思います。

夏も終わりになります。
文字になって 「本」 として売られているもの、「公言」 されてしまっていることに対しては、
本当に長い物語になりますが、
今日のブログ上で、当時あったことそのままを書かせて頂きます。

先日、「村下孝蔵STORY」 の本に触れさせて頂きました。
嘘として、作られた話として、本の文中に書かれてしまっている個所で
”私と、彼との娘のさやか” が関係している部分だけは、書かせていただきます。
156ページの9行目から157ページの4行目までの個所です。
この数行は、嘘です。

当時起こっていた事実は以下です。

私達は、84年8月中旬、彼の退院後すぐ、深大寺に引っ越しました。
それまでは、広島と東京を行ったり来たりの生活でした。
オーディションに受かった時、家族で上京できませんでした。契約の金額が少なく、生活できなかったからです。
それで、一度は、せっかく受かったオーディションだったのですが、
娘もお腹に出来ていたものですから、悩んだ末、本人の希望でお断りしました。

でも、それでは困るといわれ、ソニーの方々が知恵を出してくださり、契約が以下に変更となりました。

家族を養う最低収入は、村下孝蔵を広島営業所の販売促進の管理下という形にし、
広島営業所の契約社員とすることにより確保する。お給料は月額12万円。
当時、私は広島市で教える仕事を、かなり忙しく持っており、収入はありました。
広島在住でいる限り、共働きであれば、何とか生活が保てるのではないか・・との提案でした。

契約社員ということで、衣装代・楽器購入・楽器のメンテについては自費となります。
それでも、広島にいれば何とかなるのではないか・・・と、2人で深夜まで悩んだ末、
プロとしての道に入ることを決めました。

現実は厳しかったです。2Kアパートの家賃3万5千円、キャンペーン用の安物ですが衣装代、
一番きつかったのは、ギターの購入です。レコーディング用と野外ステージ用が必要となり、
デビュー後すぐ購入、もちろんローンで毎月3万円の支払いでした。
2人とも、親の援助はしてもらえませんでした。赤ちゃんの娘もいました。
大変でした。
でも、
82年暮れあたりから、少しづつヒット曲にめぐまれ、そして ”初恋” 。

今度は、
すごい勢いでお金が動き出しました。
色々な変化が、怖いほどおこってきました。

初恋がヒット曲になった、83年の初夏だったと思います。
村下の両親に呼ばれました。両親は私達の住んでいた所から車で5分位の所に
小さな家を借りて住んでいました。

83年初夏のある日
私一人呼ばれ、言われました。義父から 「勤めていた会社を辞めた」 との報告でした。
義父はマツダに、義母は近所で事務員をしていました。
「息子が有名な歌手になったから、息子の名誉を傷つける仕事をしてるといけない」
「会社の皆に、お金もちと言われるのに、ラインで働いてると息子に悪い」
そういわれ、月々、25万円の生活費を出してもらいたいと言われました。
もう、その日に退職されていたので、どうすることもできなく、私は了解しました。
その日から、私がお金の管理を、彼からまかされていた84年11月まで、私は生活費を義母に入れていました。

義父は定年ではありませんでした。確か、55歳前後だったです。

それから、色々なことが起こりました。
本当に言葉にできないほど、色々でした。
でも、一番大きなことは、彼の両親と、鹿児島の嫁ぎ先から突然戻ってこられた(83年)義姉との                   
お金に対する、価値観と、使い方に対する違いでした。

それで、少し距離をおこう・・・と、彼の提案で、
広島から東京に自宅を移すことにしました。
私の自律神経は、おかしくなってました。

深大寺の家は、会社の方と彼と私で探しました。もちろん借家です。
決めた理由は、広島に当時住んでいた家と間取りが似ていて、
家具など、ほとんど購入しなくても、そのまま使えるというメリットがあったからです。
そして、明るかったからです。
普通の家です。大きくはありません。
1階に、リビングダイニングと7畳くらいの和室、そして、納戸。
2階に、6畳と4畳半の和室。広めなベランダ。
玄関脇に、車1台分入るガレージと、物置。そんな家でした。

84年8月中旬です。
引っ越しをして、家族3人だけでの生活がはじまりました。
退院後の体調は良く。健康な暮らしでした。
私は、専業主婦で、引っ越しの荷物は、すぐに、きちんと片づけました。

そのうち、夢のつづきが入った”花ざかり”のアルバムレコーディングがはじまり、
毎日多忙な日々になってきました。10月はじめに終了予定でした。
「レコーディングが終わったら、少し休みをもらえるから、山中湖に行こうよ」 と、
彼から言われ、私と娘は楽しみにしていました。

10月初旬、私の体調がおかしくなってきました。疲れが出たのか微熱がありました。
もともと、ブログにも書かせて頂いてますように、あまり丈夫でない私は、体調に神経質でした。
広島で、検査も兼ねての里帰りをしたいと彼に言いました。
彼は、「レコーディングが終わってからなら、僕は大丈夫だから」 と言ってくれてました。

里帰りは、当初10月25日出発予定にして準備をしていました。
それが、28日にのびました。

きっと・・・今、ブログを、これを読まれていられる皆さまは、
こんなに時が過ぎているのに、どうして、なぜ、昨日のことのように書けるのか…不思議でしょうか。
28年近く経ってます。
でも、きちんと、おぼえてます。いえ、私は、忘れる事が出来ないままです。

まず、なぜ日にちが延期になってしまったのかを、ご説明します。

その当時から、ギターで彼を支えて下さっていたギタリストの経田さんが、23日だったでしょうか・・
いえ、10月24日だったでしょうか、早朝に深大寺の家に来られたのです。
彼は、風呂敷に包んだ長い大きな包みを抱え、玄関に立ってられました。
午前中の来客など、全くない我が家でした。連絡もなく突然こられました。驚きました。
私は、お目にかかるのは、その日で2度目でした。引っ越しの最中に、奥様と陣中見舞いに
来て下さったのが初対面と記憶してます。

和室でお茶を出したころ、まだ眠っていた彼が、パジャマ姿で2階から降りてきました。
4歳だったでしょうか、娘も、ちょこんと彼の横に座っていました。

経田さんが持参されたのは、木札?のようなものでした。
長く大きなもので、墨で”村下孝蔵”と大きく書かれ、経編のようなものが、他にも細かく書かれていました。
経田さんは、「北海道の母親が信心している神様が、これから、大変な事がおこる。
あなたの息子さんも、巻き込まれる。防ぐには、100日村下孝蔵さんの枕の下か、お布団の下に、
この木札をおいて眠ってもらうしかない」 と大真面目に、色々語られ。
「北海道から、昨夜東京に、飛行機で母が持ってきたから・・」 と。
「直ぐ、届けろと、母に言われ、朝から持ってきました」 とのことでした。

経田さんには、綺麗な和室で、ちゃんとお座布団も出し、きちんとお迎えしました。

訳もわからず、私たちは、木札を受け取りました。

その夜、彼は、枕の下に置いたり、お布団の下にひいたりしてましたが・・・。
長く、かなり大きかったので、ごわごわするから眠れない・・と、言いだしてました。
結局、私の提案で、枕元に横にして置き、眠りました。

25日に、広島に帰宅予定だったのですが、レコーディングが終わった直後の”お札騒ぎ”で、
何だか、心配になり、数日のびてしまいました。
でも、29日が私の実父の誕生日でしたので、28日中には広島に着きたくて、
結局28日の午後の新幹線で、広島の実家に帰ることにしました。
私は体の検査も希望してましたので、10日位の里帰り予定にしました。
冷蔵庫の中は食品でいっぱいにして、ちゃんと、私の出来る事はしてました。
東京駅まで、彼の運転で、レコーディングしたアルバムの曲を聞きながら、
山中湖の予約の話をしたりしてました。

東京駅に行く、高速道路に入ったころ、
突然娘が 「青いスコップを忘れた」 と半泣きになりました。
彼は笑いながら、あやしてました。「帰るまで、ちゃんと取っておくから、どこに置いてるの?」
娘は、「パパ、おうちにもどって!」 と、珍しくわがままを言いました。
彼は、困って 「駅でおもちゃ買ってあげるぞ」 そう言いました。
娘は 「ベランダに忘れた。お外じゃない」 と、泣きながら言ってました。
私は、2人の会話を、カーステレオから”夢のつづき”が流れている中で、穏やかに聞いてました。

東京駅で、チケットを買い、レストランに入りました。
私と彼は、パスタのようなものと、飲み物。
娘は、お子様ランチでした。
駅内で、彼は娘にミッキーの付いたプラスチックのオモチャを買って、御機嫌をとってました。

普通預金に200万入ってました。
彼は、キャッシュカードを、私は印鑑と通帳をもち、生活費に必要なものは、出すことに決めました。

すぐに、帰るつもりでいました。
だから、ボストンバックひとつでした。実家ですから。

ホームまで送ってくれました。新幹線のドアが閉まるまで、デッキで話しをしてました。
ドアが閉まりました。発車しました。娘が「パパ!バイバイ!」 って手をふりました。
彼も手を振ってました。

その日が、私たちの最後の日になるとは、夢にも思っていませんでした。

数日後、私は実家で、普通に過ごしていました。
三浦さんという、当時のマネージャーから実家の私に電話がはいりました。
「優子さん、東京へ、深大寺の家に帰らなくていいんですか!大変なことになってますよ!」
「どうしたの?」
「広島の、村下さんの御両親とお姉さんが、深大寺の家に引っ越してこられてて。
カーポートまで、荷物の山です。お義父さんの自動車も来てます!」
「まさか・・・・」
「優子さん、本当です。御存じなかったのですか!」

私は、信じられませんでした。

娘をつれて、私の弟の運転で、村下孝蔵の実家まで、すぐに行きました。
空っぽでした。カーテンも、表札も、植木鉢も・・・何もない・・空家になってました。

私の両親は、火のように怒りました。両家が戦争をはじめました。
里帰り中に、家に入りこまれたなんて・・・なんて、どう考えたら良いのかもわかりませんでした。
両家の争いは、すごかったです。

もう、帰ることはできませんでした。

ひどい事が、つぎつぎ起こり、心神喪失になりました。

200万の普通預金も、数日後には引き出されてて、通帳は0円になってました。

色々なことがありました。とても、かけません。
でも、皆さんに質問されて、答えられない事は何ひとつありません。
事実ですから、つじつまなど合わす必要ありませんから・・。
きちんと、答えられます。

年が明けて、離婚届が送られてきました。
義父の文字で、義父の印鑑でした。

荷物も送られてきました。段ボール6箱位。古いものばかりでした。
着るものと、娘のものに困ったので、深大寺の家に、しかたなく電話いれました。
電話には、義母がでました。
私は、 「荷物送ってください」 と言いました。
彼女は 「孝蔵と結婚してから買ったものは、孝蔵のものです。
     結婚前にアナタが買ったものだけが、アナタのものです」 と電話切られました。

だから、20代のものは、ほとんど何もありません。写真もありません。
娘の赤ちゃんから5歳までの写真も、私の22歳から29歳位までの写真もありません。
みんな深大寺の自宅に置いてました。今日まで、一枚も、送られてきていません
靴も、バックも下着も、化粧品も、娘の本も机も、お人形も・・・そして、青いスコップも。
送ってもらえませんでした。

何もありません。弁護士も、もちろんお願いしました。2人、お願いしました。
でも、だめでした。10年裁判になるといわれました。
相手が普通でないと・・変人で、手に負えないと・・。
私は、戦い疲れ、戦うのを放棄しました・・・・。
生活費も、、娘の養育費も、慰謝料も、1円も支払われることなく、今日まで生きてきました。
事実です。
誤解されないで下さい。
お金を請求するために、これを書いているのではありません。
お金の請求など、するつもりは、全くありません。


世の中で、村下孝蔵がヒットメーカーだった時代です。
街を歩きながら、日々・・私は、気がおかしくなっていきました。

84年11月末に、村下とは、一度だけ広島駅で会いました。
そして、その年の12月20日に、一度だけ、電話で話しました。

それで、終わりになってしまいました。

義父からの離婚届けが届いたのは、年が明けた85年でした。
彼の両親からのメッセージで、孫娘の親権は、ゆずると・・・引き取って欲しいと言われました。

すてられた・・・と、思います。お金もありませんでした。
2000万円、私が持ち逃げしてることになってました。
「優子さん、お金返しなさい」誰もが、仲人まで、そんな風に質問しました。
そんなこと、してません。
どんどん、私は、壊れて行きました。

信じられない出来事が、渦をまいてました。

85年の暮だったでしょうか、東京から、事務所の方がこられました。
広島市にあった、セントラルホテルのロビーで、大きな声で、怒鳴られました。
「村下さんの大切なギターを3本ぬすんでるだろう、受け取りに来た。
アンタなんか、死んでしまわないと、村下さんにつぐなえないぞ!」 事務所の方に怒鳴られました。
私は、心が本当に壊れてました。
でも、反論しました。私は、盗んでません。
「売り飛ばしたんだろう!」 と大声で言われ、ホテルのカフェでみんなにみつめられました。

確かに、広島でギターは8本ありました。
引っ越しのとき、大切だから自分の手でもっていきたいと、
8本あった中で、3本は私の実家にあずけてました。時間のとれる時に自分でもって帰ると。

私の父がまだ生きていました。
「本人が、なぜ、取りに来ない。ギターの方が、自分の娘より大事か」 話をすると、又怒りました。

一番辛いのは、彼が、私より、両親の言葉を信じて、私を疑ったまま、
・・・そのまま、死んでしまったことです。


彼は、私と娘を迎えに来ませんでした。一度も、娘のお誕生日とか、何もありませんでした。

あの日、新幹線のホームが最後です。
忘れたくありません。
幸せな、大切な、思い出です。


そして、再婚相手の裕子さんも、同じように、自宅を出されました。

彼女は亡くなりました。
私は・・・生きてしまってます。

真相に近いか、遠いか・・わかりません。証拠はありません。
でも、事実です。
書かせていただいたことは、公になって誠実な形で世の中に出てしまっている部分への、反論です。

書かせて頂いた事は、氷山の一角です。理不尽な出来事は、底なし沼のようにあります。
つい、最近も、同じような目にあいました。
戦いは、おしまいにしたいです。

言葉にもならない出来ごとの中で、生きていました。
私が再婚しても、再婚した家に電話をしてくるような村下家の方々です。
電話は2005年に2度。義母からでした。
すぐに、私は切りました。怒りからか・・・吐いてしまいました。
電話があったのは、私が深大寺の家に「荷物を送ってください」とお願いした日から、はじめてでした。20年です。
娘を、お金目当てで狙われている・・と直感しました。義母は猫なで声でした。


毎日ブログ書くつもりでした。
色目で見られることなく、不安なく、音楽をしたい・・と思う気持ちではじめたブログでした。

売名行為なんて・・・・そんな・・小さな熟語ではありません。
売名行為と言われはじめ、やはり・・・でも、辛くなりました。


元気になるまで、しばらく・・・おやすみします・・・。

長い文章を、個人的な出来事を、最後まできちんと読んでくださったこと
本当に感謝します。
ありがとうございました。

ゆうこ

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コメント一覧

SilverAge Eメール 2012年08月25日(土)22時13分 編集・削除

とてもとてもシリアス・・・
>・・・つい、最近も、同じような目にあいました。・・・
が気になりますが、ここまで大変なエネルギーを使われたんだと思います、
人間誰しもエネルギーが減ったら充電は必定、
しっかり元気を貯めて復活してください・・・ネ!・・・

さくら 2012年08月25日(土)22時13分 編集・削除

何度かアコーディオンコンサートを聞かせていただきました。
ブログ読んでて涙が出ました。
どんなにお辛かったことか・・
売名行為だなんて思いません。
信じます。
また、コンサートに行きたいと思ってます。
そのときは元気な演奏を聞かせてくださいね。

やすみ 2012年08月26日(日)00時01分 編集・削除

「初恋」直撃世代の40代半ばのものですが、村下さんのファンになったのは今年になってからの新参者です。
ゆうこさんの存在とこのブログを知り、チェックしていましたが、衝撃の内容で、びっくりしています。
私も村下孝蔵STORYを所有しておりますので娘さんのブログの写真から割り出し、この部分だろうと思っていましたが、ここまでのことがあったとは想像だにしませんでした。
しかし、村下さんの親族の方だけでなく事務所の方からもひどい言われようをしたとは・・・。悔しく、お辛かったでしょう。心中お察しします。
熱心なファンの中では村下さんは神格化されており、ネットではマンセー状態、youtubeでコピー演奏を誰かがアップすれば下手くそなどとボロクソに書かれ、私のようなファン歴の浅いものは違和感を感じていました。
(本人よりも親族の問題が大ですが・・・)人間である以上いろいろ至らない面や黒い部分もあると思います。でもそれを凌駕する歌の魅力が村下さんにはあったと思います。それで充分。なにも神様にしなくてもいいのにという思いが私にはあります。
ゆうこさんもこのブログでの告白で風当たりが強くなったかと思いますが、真実は一つです。負けずに頑張ってください。応援しています。
機会があればゆうこさんの演奏をぜひ聞きたいです。

花れん 2012年08月26日(日)09時16分 編集・削除

ゆうこさん、告白文読ませていただきました。
とてもショックな内容で茫然としてしまい、昨夜はあまり眠れませんでした。

それにしても、村下さんまでもが…ヒドすぎる!
先日勝手な思い込みを書いてしまった事、お詫びしますね。
まだあの歌が、贖罪であったと信じたいですが…。

でも、そんな理不尽な別れをさせられたのに、
村下さんとの良い思い出だけは、心の中で大切にされてきたゆうこさん、
とても素敵な方だと思いますよ。
ですから、もう「私だけが生きて…」などと悲しいこと、言わないでくださいね。

どうぞお元気で過ごされますように…。

酔いしれて五十路 2012年08月26日(日)13時39分 編集・削除

村下孝蔵さんの歌に、青春時代を費やしたオッサンです。東京新聞の記事を読み、非常に驚きました。最初は私も売名行為かと考えていましたが、
露菜さんやゆうこさんのHPやブログを拝見しているうちに、売名とは違うという事理解できました。私は村下孝蔵STORY本を持っていないのですが、この「」の会話文は誰の会話なのでしょうか。気になりました。同じコメントを露菜さんのブログにも書かせていただきました。この度の告白、非常に驚いております。

やすみ 2012年08月26日(日)14時43分 編集・削除

酔いしれて五十路さんへ
上でコメント書いたやすみというものです。私は村下孝蔵STORYをアマゾンで購入し所有しておりますので、ゆうこさんが精神的に疲れてブログ更新が出来ないかもしれないので僭越ながら代わりにお答えしたいと思います。
会話の主はギターの経田さんと思われます。ゆうこさんの文章によると時系列が本の内容と全く違ってきます。この本を読むと後妻の裕子さんの存在は確認できますが、ゆうこさんと露菜さんの存在はなくなっております。
私は読む前にネットなどで村下さんには売れる前に奥さんとお子さんがいたこと知っていましたので、本にする際に離婚歴があることが村下さんのイメージにそぐわないために割愛されたぐらいに考えていましたが、ここまでのことがあり、さらに後妻の方もすぐに家を出された(真相は不明ですが・・・)とは思いもよりませんでした。
でも村下さん自身のことを虚像だとは思いません。
ゆうこさんの文章からもわかるように子煩悩で優しい方だったと思います。肉親との板挟み、洗脳に近い状態で正確な判断ができないで時が過ぎ、もう引き返せなくなったのではと想像しております。こんな別れ方で二度とお子さんとも顔を合わせることなく若くして人生に幕を閉じた村下さんも無念だったと思います。

酔いしれて五十路 2012年08月26日(日)16時11分 編集・削除

やすみさん
コメントの質問に答えて頂き感謝します。「」の部分はギターの経田さんなんですね。親族か友人の方の誰かだろうと思っていましたが。村下孝蔵STORY本が気になりましたので、アマゾンや楽天ブックスで購入を試みましたが、現在取り扱っていないとの事でしたので、大型書店にでも注文してみようかと思っています。これまでネット上で色々なネタは拾っていたので、少々混乱しています。これで村下孝蔵さんを嫌いになるという事ではないですが、今まで村下さんの公式のHPでのプライベートな話題が厳禁だったというのは、村下さんが家族を守りたかったからだと思っていました。それだけではなかったのかというのが、むしろそれ以上の理由があったのかと思うと、何か胸が苦しいです。

「ねがい」&「おやすみ」 2012年08月26日(日)16時31分 編集・削除

30年来聴き続けている村下さんと同年代の者です。多くの方にとって村下さんの音楽のすばらしさに知るきっかけとなった「初恋」が実は村下さんご一家の崩壊とその後の苦悩につながったと知り、どうしようもない心苦しさを感じています。

売名行為とは思いません。
ご心痛の日々が続いたことも十分にお察しします。

しかし、1点だけどうしても気になります。
優子さんは本当に村下さんがお二人をすてて、優子さんを疑ったまま亡くなられたとお考えなのですか?

やすみさんも書かれているように村下さんがどうしてもお二人を迎えに行けなかった何か複雑な状況があったのではないでしょうか?

「ねがい」(86年)や「おやすみ」(89年)はさやかさんへの遠く離れた場所からの父としての語りかけのように響きます。

「駄目な男」が収録された「新日本紀行」のリリースは1991年4月。村下さんも優子さんも再婚された後だと思いますので、新しい家族とのそれぞれの旅立ちに向けて気持ちの区切りをつけ、優子さんへの最後のメッセージとしてこの作品を発表されたのではないでしょうか?広島でのコンサートでの出来事も承知しています。

当事者ではない者がコメントすべきではないのでしょうが、村下さんの音楽をこれまでと変わらずにいつまでも聴き続けたい多くの人たちのひとりとして、関係者の皆様が少しでも早く穏やかな気持ちを取り戻されるよう願っています。

メイ 2012年08月27日(月)13時31分 編集・削除

読んでいて涙がでました。
よくもこんな理不尽な扱いを受け、人権を侵され我慢しましたね・・・筆舌に表し難い屈辱です。
いろいろな見方がありますが、村下さんは余りにも親孝行すぎた息子だったのでしょうね・・・これが問題なのですが・・・

裕子さんのことも、事情は知らなくとも容易に想像できます。気の毒です・・・

ゆうこさんどんな横槍にも負けないでくださいね
今まで頑張ってきたのですから
又、ブログの再開待っています。
お体ご自愛ください。

鉄人28号 2012年08月27日(月)17時29分 編集・削除

あの村下さんからは想像できない内容に何も言葉が出ないのですが、
御息女のブログ文章を読ませて頂きました。とても真面目な印象を受けました。
大変御苦労の多い人生の中、しっかりと育てられたのだなと、
村下孝蔵を愛するファンの一人として、とても嬉しく思っております。
私が御礼を書くのもおかしな話しかと思いますが、どうもありがとうございます。
公表した勇気に対し、敬意を表したいと思います。どうぞ御自愛下さい。

「ねがい」&「おやすみ」 2012年08月31日(金)11時25分 編集・削除

今初めて「雪待月」を聴きました。繰り返し聴きました。そして、星空に包まれるようにステージで村下さんが歌う「青春の日々を」も繰り返し聴きました。

そして、1984年10月28日午後の東京駅新幹線ホームの光景と同11月末の広島駅での光景が「雪待月」の画像と「青春の日々に」の映像がオーバーラップしてきました。

優子さんとさやかさんはお二人のピアノとギターの伴奏で村下さんが歌い上げる「青春の日々を」をすぐ傍でお聴きになりたかったのではないか、音楽の中でだけでももう一度3人で一緒にいたいと思われているのではないか、そう自分を納得させていようと思います。

是非ライブで「雪待月」をお聞きしたいものです。機会を見つけて神戸にお伺いします。

じゃすみん 2012年08月31日(金)14時17分 編集・削除

すみません。
コメントなど書き込むことは、はじめてのもので、
一つ前のページに書き込んでしまいました。
消去もできずなので、すみません、
一つ前の記事コメントをみてください。

キモト 2012年09月04日(火)13時40分 編集・削除

ごろたんさんへ

ファン歴30年の者です。
1年で、村下孝蔵さんについてあなた何がわかるんですか?

ごろたん 2012年09月04日(火)15時11分 編集・削除

キモトさんへ
確かに無知故に批判めいたコメントになってしまったかと思います。
露菜さんの方にも書かせて頂きましたが、
感じたまま、思ったままの事を伝えたくて
正直に書かせて頂きました。

大山豊 Eメール 2012年10月18日(木)14時11分 編集・削除

ゆうこさんお辛いでしょうけど頑張って真実を語りつつけてください。私もぜんぜん知らないままでいるところでした。応援したいのにCDの売り上げはどこへ行くんだろうと思い検索し此方を見つけました。いろいろ大変でしたね。でもお二人の思い出は綺麗なままで残っててほしい。

jun1 Eメール 2013年11月15日(金)12時13分 編集・削除

お地蔵さんバンドには所属していたのでしょうか?

真相を見極める鍵 2013年11月25日(月)17時13分 編集・削除

賛否両論あるようですが、こちらに書かれている事自体は、すべて事実だと思います。
周りの人が、そういうつもりでなく言ったりやったりした事だったとしても、自分がそう受け止めそう感じた事は、この方からしたら紛れもなく事実ですから。
しかし逆に伏せてある事実もあるような気がするのです。
会話のやりとりの一語一句をみてもこれだけの具体的な表記、にも関わらず、肝心の、84年の11月末の広島駅や12月の村下氏との電話のやりとりに関しては詳しく書かれていないからです。
この方の才能や努力は素敵だと思います。が、内面は、村下氏にしか見せていない面があったとしたら。
その点が村下氏の手に余っていたとしたら。
私がこのように考える根拠は、歌詞の中にあります。
例えば「ネコ」
このネコは、おそらく当時のこの方を擬人化した物ではないでしょうか。
怒った時は爪を立て睨み付ける。
気が強そうだけど本当は臆病者な所に惹かれ合い暮らした。
でも気に入らない事があると出てってしまう。
一番顕著だと思ったのが「女優」で、
煙草を投げ捨て踏みつける。
手のグラス投げつける。
いい時とそうでない時の感情の起伏が激しい女性だったのではないか。
そして「君には勝てない」
欲しい物を聞かれ、買えない物、と答えた、頭の回転の速い女性、この方は後妻なのではないか。先妻なら、もっと現実的な物を答えるのではないか。
すべて憶測、こじつけで申し訳ないですが、今回の一連の騒動で、村下孝蔵好きなんだけどなぁ・・と混乱されてる方もいます。
私も「ゆうこ」は暫く聞けないなと思います。
他の曲に出てくる女性も、私の偏見で先妻の影がちらついてしまい、感情を乗せづらく聞き辛い。
「ネコ」ですらいろんな事を考えてしまうんですから。
村下孝蔵さんは私にとっても他に代わりなどいない、長年心の寄りどころとなってきたアーティストだったので、何か清流が、毒のような物に汚され侵食されていくような気がして何ともいえません。
村下氏の笑える思い出話、興味深く面白いだけに本当に複雑です。
このまま事の終息をじっと待つくらいなら、
何もできないままでまた今日が終わるくらいなら、
解決の糸口として、今年話題の現代文講師に読み解いてもらい、ご意見をお伺いしたいそんな心持ちです。

町上考臓 2013年11月26日(火)02時25分 編集・削除

>結婚してから買ったものは孝蔵のもの
>アナタが買ったモノはアナタのモノ

これ仕分けた人物は誰なんでしょうか?
義父、義母、姉は、いつ買ったのかまではわからないですよね。
これ困ったことに見分けられる人物がひとりだけいます。

村下孝蔵さんです。

村下さんは何を思いながら仕分けしたのでしょうか。
ここら辺のことが描かれないかぎり、アナタのことはまだ信用できません。

紙魚 2014年01月12日(日)16時33分 編集・削除

町上さま

(良し悪しは別として)
往々にして、殿方は嫁より親御さんを取るものでしょう。
そして舅姑・小姑にとって孫娘すら嫁の付属物だったんでしょう。

こういう騙し打ちとはいえ、心からゆうこさんときれいに別れたかったら
ゆうこさんが戻る用事すらないように荷物も送りつけてくるはず。

>結婚してから買ったものは孝蔵のもの

という言葉をそのまま取るなら、
本当に孝蔵さんが孝蔵さんのものにしたのでしょう。

孝蔵さんは何を思いながら…って何てことを仰る(失笑)。

こんなときの男ほど「駄目な男」はいませんよ。