2010年10月03日

帝国議会の内面
愚物多き  帝国議会の内面』
森蒼太郎
(大京堂書店:大正9年)
三五判、68頁、定価20銭

以前のエントリーで紹介した、戦前のルポライター、森蒼太郎の書籍を新たに数冊入手した。
今回紹介するのは〈密封叢書〉の1 冊で、この叢書はその名の通り、本をハトロン紙に密封した形で販売された。残念ながらその袋は付いてなかったので、左の写真は中身のみ。タイトルが無いのは、袋に書いてあったためだろうか?

この本が書かれた大正9 年はちょうど1920 年、後に 「ローリング・トゥエンティーズ」 と呼ばれることとなる、狂乱の時代の幕開けとなった年にあたる。
この年にどんなことが起きたかといえば、まず1 月に国際連盟が成立し、ヴェルサイユ条約により第一次世界大戦が終結。アメリカでは禁酒法が施行され、国内では第一次世界大戦の戦後恐慌が起きる。また、大正デモクラシーや平塚らいてうの女性民権運動が活発になり始め、世間を不穏な空気が覆いだしていた。

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5月には第14 回衆議院議員総選挙が行なわれ、与党の立憲政友会が勝利、引き続き原敬が内閣総理大臣に納まり、選挙後の第43 議会では、当時大衆の間で盛んに示威活動が行なわれていた普通選挙法について、野党三党(憲政会、立憲国民党、庚申倶楽部)で合同が取れるかが争点となっていた。

この『愚物多き 帝国議会の内面』では、そんな時代における、議会の様子を赤裸々に記録している。驚くのは、この当時の議会の姿が、現在の国会とほとんど変わらないことだ。


  • 汚い野次
国会中継を見ていると、あまりの野次の汚さに 「こいつらどんな育ち方をしているんだ」 と思ってしまうが、これは今に始まったものではない。古くから議員には、野次を飛ばすDNAが連綿と受け継がれている模様。

  試みに彼の彌次連が、幹部の意向に従って、得々として放ツ罵言(ばり)を見ると、多くが、路傍に腕を捲る車力人足と更に異らぬ。「馬鹿奴」 「糞」 等と突猪的に叫び上げるのは先づ小彌次の部類に入る輩であって、彼等には、顔を赤めて此一言を言ひ放ツのも精一杯である。
 「引込めえ!」 「眠たい」 「腹が減る」 など半泣きの彌次言葉は、稍々、場数を踏むだ中彌次に依って放たれる。「判ってる下れッ」 「厚顔無恥」 「速記者が泣くぞ」 「細君が聴いてるぞ」 等の半畳は、演説者がクド/\と不得要領にしゃべり続づけて居る時に、反対党から起って来る彌次で果ては、「議長彌次を取締りなさい」 等の警告を兼ねた彌次さえ出る。

この他にも、「横暴」 「穢多村」 「独探」 「ワイ/\連」 「非国民」 「御用党」 「貴様」 「コンミッション」 「オッチョコチョイ」 などの野次が議会を飛び交う。


  • 党利党略で議員は動く
政策ではなく政局によって動くのが、政党政治最大の病理と言える。国政よりも自党が大事。是々非々で政治を行なうのは不可能なのだろう。

  第一に、彼等は敵党に対しては、其如何なる場合たりと雖、主人に媚びる忠犬の如く、猛然立って一切を妨害する。
  第二には、其如何なる場合たりと雖、自党の擁護に任ずるの義務を有する。
  最近の議会に於ける各党の態度が、反対の為の反対に全力を挙げるに到ったのは、右の如き理由が預って力あり、其結果として其演説者が、如何に内容あり、誠意ある卓見を開陳して居やうとも、其反対党は、一声に立って彌次り倒さうとする。


  • 議員の知識の低さ
ひところ前、首相が漢字を読めない、と盛んにマスコミが煽っていたが、別に騒ぐほどのことでもない。今も昔も、知識に欠ける議員は珍しくなかった。

 「釜山」 のことを「カマヤマ」と呼び、「中仙道」 を 「チウセンダウ」 支那 「東京」 を 「トウキン」 と言い、甚だしいのになると、北京と書いて 「ホッキン」 と読み上げて得々としてゐる。或代議士の花見に招いた手紙中に、「時下交尾の候に御座候云々」 とあった等は、真面目に考へられぬ突飛さであるが、存外、生真面目に書く連中が多い。


  • 数合わせの陣笠議員
1 回生議員は右も左も分からぬまま、党の指示によって動く。これは当節の「〜チルドレン」も同じ。議会で発言も出来ず、党の指示で法案の可否に1 票入れる、そのためだけに存在する。最初は志を持って政界に臨んだ者も、これではすぐにスポイルされてしまう。

  幹部の指揮命令に非ざれば、賛否の発言を為す能はざるは勿論、起立着席すら自由でない。(中略)
  先づ議員総会で、党議会策の宣言決議を無言のまゝ承認し、本部及院内役員の選挙を幹部指名に一任して、最初の盲従屈従振りを教示されて、次第に骨抜きのデク人形(原書傍点)となる。
  次に陣笠は、議会に於て、勝手気儘に演説されない。法律案は無論のこと、建議案、質問書の提出さえも許されぬ。若し提出したい場合は、院内総務に相談して、院内総務から政務調査の承認を得て、夫れから院内幹事の手を経なければ提出なし得ない。
(中略)
  最後に、陣笠は、幹部を万遍なく歴訪して、御機嫌を取結ぶ苦労さがある。
  幹部なぞ云ふものは 「誰れは克(よ)く訊ねて来る。あの男は出世する」 とか誰れは何度来た? などゝ、党人の来訪度数などを調べるものだ。
  来訪度に按分して、御引立を蒙る陣笠が、狂奔して、幹部訪問の度数を殖す点は、同情されねでもない。


近年、政治改革が叫ばれ、政権交代がなされた。民主党は古い政治のあり方を変えることを旗印にしているが、まずもって不可能だと言わざるを得ない。民主党の力量不足もあるが、それだけではなく、政党政治そのものがもつ宿疾から抜け出すこと自体が容易に出来ないということだ。
『帝国議会の内面』に描かれた、大正9 年の議会から、まったく進歩していない現在の国会に、いったい何を期待できようか。

benirabou at 18:00│Comments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 文化 : 社会世相  人気ブログランキングへにほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ
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