被爆体験の継承に悩み 長崎の語り部「来る意味考えて」 [長崎県]
長崎市を修学旅行で訪れた横浜市の中学生が被爆者に「死に損ない」と暴言を吐いた問題は、戦争や原爆の実相を伝えることの難しさを被爆地に投げ掛けた。「どうしたら子どもたちの心に響くだろうか」。戦後69年、被爆の語り部たちの悩みが深まっている。
「思い出すと悔しくて、悲しくて。心にとげが刺さったままでね…」。暴言を浴びた森口貢(みつぎ)さん(77)=長崎市=は12日、修学旅行生を案内しながら5月のあの出来事を思い返した。森口さんは無力感を覚え、1998年から続けている語り部の活動をやめようかとも考えた。
「戦争なんて遠い昔のことで、自分には関係ないと思っているんでしょうか。伝えていくことが本当に難しい」。ここ数年、特に中高生の聞く態度に真剣さが足りないと感じる。
長崎市では97年、被爆体験の一人芝居を演じる渡辺司さん(故人)に修学旅行生がやじを飛ばす問題が起きた。ナレーションをしていた妻渡辺妙子さん(79)は当時を振り返り、「修学旅行前の平和学習が大事」と指摘する。当時、生徒が感想文に「被爆者の舞台を見ることを知らなかった」と書いていたからだ。
横浜市の中学校は修学旅行の前に、原爆を描いた漫画「はだしのゲン」や原爆を投下した米兵のインタビュー番組などを使い、平和学習を3回重ねた。生徒たちは平和問題を啓発する壁新聞も作っていた。
校長は取材に「多くの生徒は森口さんたちの話に感銘を受けている」と話したが、「日常的に生徒の授業妨害があり、全ての子に戦争や平和を考えさせるのが難しかった」と明かした。渡辺さんは「なぜ被爆地に来るのか、被爆者の話を聞くのかを考えることが大事ではないか」と教育現場に共通する課題を提起する。
被爆者で語り部の山川剛さん(77)=長崎市=は「被爆者も聞き手も、相手の立場になって継承活動をしないと、こういう問題はまた起きる」と考える。「被爆者も、聞き手は知らないという前提で話さなければいけない時代になった。修学旅行生も、被爆者があの日から今日までどうやって生きてきたか、想像力を働かせてほしい」
暴言問題の後も長崎市には全国から修学旅行生が訪れ、被爆遺構を見学し、被爆者の話に耳を傾ける。森口さんは願っている。「暴言を吐いた横浜の生徒にもう一度来てほしい。被爆者の思いを伝えさせてほしい」と。
=2014/06/20付 西日本新聞朝刊=