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オタク研究会は現在新入部員を募集していません。 作者:二三四五六七

第10章

10-4

「うわ、既に曇ってるな」

「どうやら私達が店内にいる間に雨雲がこちらに移動してきたようね……今にも降り出しそうだわ」

「そうだな。でもまあ、僕は折り畳み傘を持ってきているのだけれど」

「あら、そうなの。それじゃあ雨が降り出したら――って無理ね。有り得ないわ。私と萩嶺君が同じ傘の下に入ってしまったらそれは相合傘になってしまうし。気持ち悪いわ」

「お前、雨が降っても絶対に傘に入れてやらないからな」

 僕は宝船を睨み付ける。すると、彼女は「それなら雨が降る前に帰るまでよ」と言って人込みの中に足を踏み入れた。

 宝船の後に続いて僕も人込みの中を歩き出す。曇天の影響か、商店街を歩く人々の足はいつもより速く感じられた。

「そう言えばさ」

 前を歩く宝船に向かって僕は言う。人込みの足音に消されないように、若干声を張り上げながら言う。

「お前、どうして僕に今日栞を譲ってくれたんだ?」

「特に理由はないわ。萩嶺君に譲ろうと思ったから――とでも言っておきましょうか」

「……そうか」

「……何よ。どうしてそんなことを聞くの?」

 こちらを振り返らずに前を向いたまま宝船は僕に問いかけてきた。

「いや、何と言うかさ。意外だったなあ、って。そう思ったんだよ。普段のお前は僕に対して毒舌しか吐かないし、完全に僕を目のかたきにしているし」

「だって、萩嶺君は毒舌を吐いたり目の仇にしたり、そういうことをするに相応しい人だもの」

「その相応しさは要らねえよ」

 相も変わらず僕に対して毒舌を吐いてくる宝船。しかし、今日彼女が僕に対して『銀翼の祈祷師』の栞を譲ってくれた事実に変わりはない。

「だからまあ……お前は普段僕のことをそういう風に思ってはいるけどさ」

 そう。

 僕はこう思ったのだ。

「お前って案外良い奴なんだなって。そう思えたんだ」

 鞄の中の財布の中にある『銀翼の祈祷師』の栞の存在を感じながら僕は言う――そして。

「うわっ」

 いつの間にか立ち止まっていた宝船の背中にぶつかりそうになり、慌てて足を止めた。

「ど、どうしたんだ――」

 僕が最後まで言い切る前に宝船は再び歩き出した。首を傾げながら肩から提げている鞄を提げ直し、僕も再度歩みを開始する。

「…………よ」

「え?」

 宝船が何か言葉を紡いだのが聞こえた。しかし、その言葉は人込みの足音に掻き消されて聞き取れなかった。

「今、何か言ったか?」

 宝船との距離を出来るだけ詰めながら僕は問いかける。

 そして、彼女は再び言葉を紡いだ。

 次に紡がれたその言葉はちゃんと聞き取ることができた。

「全然、そんなことないわよ」

 宝船は言う。

「全然……そんなことないわ」

 真っ直ぐに前を見つめたまま、人込みの中で足を止めずに歩き続けながら。

 僕に向かって言う。

「私が良い人だなんて有り得ないわ。有り得ない……有り得てはならないのよ、そんなことは」

 思い詰めた様子の宝船。表情は確認できなかったが、その言葉の声色から彼女の心情を読み取ることができた。

「私は良い人なんかじゃないわ……むしろその逆」

 その言葉の直後、宝船が再び立ち止まるのが見えた。彼女の後ろで足を止める僕。すると、人込みの隙間から車が左右に走るのが見えた。どうやら、人込みの先には横断歩道があるらしい。

 視線を斜め上へと移動させる。おそらく、人込みの多い場を想定したものなのだろう――通常よりも高い位置に設置された歩行者用の信号機を僕は視界に捉えた。

 点滅を開始する赤信号。

 それと同時にこちらを振り返る宝船。

「――私はね、萩嶺君」

 自嘲的な笑みを浮かべた彼女は僕に向かってこう言った。

「あなたが思っているよりもずっと……ずっと、ずっと最低の人間なのよ」

 そう言って、宝船は僕に背を向けると前方に向かって歩き出した。

 周囲の人込みが前へと流れ始めたことに――信号の色が赤から青へと変わったことに気付いたのは宝船の発言から数秒後のことだった。

 宝船に追い付こうと小走りで横断歩道を駆け出す僕。

 あの自嘲的な笑みは何なのか。

 あの彼女の言葉の意味は何なのか。

 そんなことを考えながら走っていると、何か頬を打つものを感じて僕は思わず立ち止まった。

 横断歩道の真ん中で掌を空に向けながら曇天を仰ぐ。

 掌に落ちる一滴の滴。

 雨が、降り始めた。


 ◆ ◆ ◆


 商店街から駅まで歩き、電車を乗り継いで住み慣れた町へと舞い戻った僕は家に向かうべく帰路を歩いていた。

 無論、鞄の中に入っていた折り畳み傘を差して、である。

 あの後――商店街で雨が降り出した後、宝船に傘を渡して僕だけ濡れて帰ろうとしたが断れてしまった。それならせめて駅まで一緒の傘に入って行けと申し出たら、そこは渋々了解してくれた。僕と一緒の傘は嫌だとか言っていたような気もするけれど、そこを追求したら宝船は絶対に傘の下に入ってくれないのでそこはあえてスルーすることにする。

 そして、駅まで宝船を送り、僕はこうして1人家に向かっているという訳なのである。だから、駅の後宝船がどうなったのかは分からない。この雨だから、おそらく結構濡れて帰宅したことだろう。風邪でも引いてないといいが。

「……って、どうして僕があいつの心配を」

 眉間にしわを寄せ、自分の思考回路に後悔を感じていた頃、視界に我が家を捉えた。

 そして、我が家の隣の家から出てくる雨合羽の人物も視界に捉えた。

「あれは……」

 僕の隣の家は我が幼馴染の家である。雨でよく見えないが、この天気で雨合羽で出てくる人物であの背格好となると……。

「彩楓か?」

 雨音で掻き消されないように少し声を張り上げる僕。すると、雨合羽の主はこちらを振り返ってきた。どうやら正解だったらしい。幼馴染ともなると、雨の中幼馴染が雨合羽を着ていてもその背格好から判断することができるようだ。全く以ていらない能力である。
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