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オタク研究会は現在新入部員を募集していません。 作者:二三四五六七

第9章

9-5

「…………」

 スマートフォンを片手に呆然とその場に立ち尽くす僕。着信音の発信源から考えるに宝船はあのロッカーの中に入っているのだろう――って、いやいや、それ以前にどうしてあいつはあの中に入っているのだ。

 そんなことを考えながら、僕はロッカーの前まで足を運ぶ。

 ロッカーの扉を開ける僕。

 灰色の鉄製の扉の奥から現れたのは青いバケツを頭から被った状態でその場にしゃがみ込んでいる宝船の姿だった。

「……何やってんの、お前」

「……じ、実は」

「実は?」

「私……その、バケツマニアで」

「ほう、世の中にはそんな人種が」

「ええ、そうなのよ。だから、その、私は今こうしてバケツを被っている訳なの。バケツの良し悪しを判断するには、バケツを被るのが一番だから」

「なるほどな……ちょっと何言ってるか分からないな」

「うっ」

「てかお前って実は馬鹿だろ」

「なっ! だ、誰が馬鹿痛っ!」

 僕の罵りに反応して勢いよく立ち上がった宝船がバケツを被ったその頭をロッカーの天井で強打した。バケツの上から頭を押さえて再度その場にしゃがみ込む宝船。鉄製の天井と被っていたプラスチック製のバケツによって、彼女の痛みはもれなく2倍となっていた。

「……馬鹿と言うよりは間抜けだったか」

「あなたにだけは言われたくない台詞ね!」

 顔をこちらに向けて声を荒げる宝船。しかし、バケツを被ったままなので彼女がどのような表情をしているのか分からない。何より、そんな状態で怒っている宝船が滑稽で何だか面白かった。

「全くもう……」

 不満げに呟きつつ、頭からバケツを取りながら、宝船はその場に立ち上がる。

「あなたに『馬鹿』だとか『間抜け』だとか、そんな風に罵られるのは心外だわ。第一、中間テストの結果は私の方があなたよりも上位だったし、成績的にも私の方があなたよりも勝っていることはそこで証明されているのだから、あなたが私のことを馬鹿や間抜け呼ばわりするのは間違っているのよ。ええ、間違っているわ。あなたもそう思うでしょう?」

「……今言うべきことじゃないかもしれないけどさ」

「何よ、言いたいことがあるなら言ってみなさい」

「お前、鼻に埃付いてるぞ」

「どうして今言うのよ!」

 おそらくはバケツを被った際に付いてしまったであろう鼻の先にあった埃を急いで払い落とす宝船。寸前までドヤ顔で自分の方が頭が良いと語っていたせいもあるのか、彼女の顔は羞恥心で真っ赤であった。

「……と、取れた?」

 頬を赤らめたまま僕から視線を逸らしつつ宝船はそう問いかけてくる。

「ああ、取れたよ」

「嘘じゃないわよね」

「どうして嘘をつく必要があるんだよ」

「仮に嘘だったら校舎の屋上からあなたを吊るすから」

「何で!? 怖いよ!」

 嘘をつくだけで宝船から殺される可能性があろうとは。近々僕が死ぬようなことがあればそれは彼女が原因かもしれない。帰ったら今の内に遺書でも書くか。

「それで、萩嶺君」

「何だよ、バケツマニア」

 直後、僕は宝船から頭にバケツを被せられた。

「って何しやがる! 急に視界が真っ青になったからビックリしただろ!」

 バケツを頭から取りながら声を荒げる僕。

「あなたが私のことをバケツマニアとか訳の分からない呼び方をするからじゃない」

「お前がさっき自分で自分をそう呼称したんだろうが!」

「は? あなたは何を言っているの? 私がそんなことを言うはずがないじゃない。あれは私の黒歴史よ」

「やっぱり憶えてるじゃねえか!」

 それで?――と宝船は僕に背を向けるとロッカーを閉めながら再度問いかける。

「私に何か用でもあったの? 萩嶺君が私に電話をかけてくるなんて、それくらい急ぎの用事なのかしら」

「え? ああ、えっと……」

 情けないことに、先程まで僕の中でメラメラと燃え上がっていた『宝船に昨日のことについて聞く』という意欲は今のやり取りによってすっかり消え失せてしまっているのだった。

「何を言い淀んでいるのよ。何? ひょっとして萩嶺君ってコミュ障なの? ああ、ごめんなさい、コミュ障だったわね。失礼したわ」

「くっ……!」

 駄目だ、こいつとの会話を長引かせれば長引かせるほど毒舌によって僕のメンタルが抉られていく……!

「……えっと、だから、あれだよ」

「あれ? あれって何よ?」

「えっと…………アニメテオ、アニメテオに行かないか?」

 咄嗟に思い付いた言葉はそれだった。アニメテオに行って宝船のテンションが上がれば、昨日のこと――饗庭和泉との因縁を聞き出しやすくなるのではないかと僕は考えたのである。

「アニメテオって……急にどうしたのよ。ていうか、萩嶺君から私をアニメテオに誘うなんて、物凄く違和感があるのだけれど、一体何が目的?」

「いや、別に目的なんて――」

「ひょっとして私の体が目的なの? この変態」

「誰もそんなこと言ってねえだろ!」

「それにしても、本当にあなたが私を誘う理由が分からないわね。今は時期的にライトノベルの新刊は出ていないはずだし、漫画はあまり読まないから分からないけれど……ああ、駄目ね。相手が萩嶺君だから、萩嶺君が私に大して邪な感情を抱いているとしか考えられないわ」

「お前、普段僕を一体どういう風に見ているんだよ!」

「二次元三次元と女に見境のない変態」

「酷い! 思っていたよりも僕の印象酷いな!」

 ていうか、宝船は一体普段の僕のどこを見てそんな見方に至ったのだろう。分からん。

「……いや、あのな? 別に僕がお前をアニメテオに誘っているのは邪な感情を抱いているとかそういう訳ではなくて」

「ええ」

「ほら、お前今日朝から元気なかっただろ? 彩楓も心配していたし――だからその、アニメテオに行けば、普段のお前に戻るかなって考えた訳だよ」

 僕のその言葉に少し驚いたように目を見開いた宝船は「ふ、ふーん」と腕組みをし、頬を若干赤らめて、僕から視線を逸らした。

「は、萩嶺君の中にも案外まともな考えがあるのね。驚いたわ」

「だから、僕は普段の生活習慣があれなだけで案外常識人だって言っているだろ」

「普段の生活習慣があれな時点でそれを常識人とは言わないんじゃない?」

 ごもっともだった。ごもっともな意見であった。

 そうか、僕って常識人じゃなかったのか……他の人よりも若干オタクめいているだけで案外常識人だと思っていたのだが、それはどうやら気のせいだったようだ。

 要らない発見である。

 一生気付かなければ良かったよ。
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