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そして、そんなあからさまに呆然と魂が半分抜けてしまっている宝船の様子にどうやら彩楓も気付いたようで。
「……ねえ、何か宝船さん変じゃない?」
と、僕にそんな耳打ちをしてきた。
「そうだな。何かボーっとしてるな」
「だよねぇ……何だろう、朝ご飯食べ損ねたのかな」
「いや、お前じゃないんだから」
「し、失礼な! あたしが朝ご飯を食べ損ねたくらいで機嫌を損ねる訳が――あるんだけど」
「だろうな、知ってたよ」
ちなみに、これは余談だが彩楓は昔早起きが苦手だった。しかし、そんな彼女は中学に入るとほぼ同時にその苦手だった早起きを克服したのである。
中々に克服の難しい『早起き』という存在を如何にして彼女は乗り越えたのか――それは部活の朝練である。彩楓は、中学生になって入部した部活の朝練によって早起きを克服したのだ。
だが、それは決して部活の朝練に間に合うためという訳ではない。
あまり遅く起きてしまうと朝練の前に朝食を食べる時間が無くなってしまうから――それが、彼女が早起きを克服した真の要因である。
部活の朝練に間に合うためでなく、朝食のために早起きを克服したというところが実に彩楓らしいと言うか、馬鹿らしいと言うか。
「……なあ、彩楓」
「何? 直斗」
「お前、自分の命を捧げて、この世で最も美味しい食べ物を食べることができるって言われたら、命を捧げるか?」
「…………な、何言ってんの。捧げる訳ないじゃん」
「今の間は何だ」
お前の食事に対する異様な執着心は何なんだよ。怖いよ。
ていうか、その執着心を少しは勉学に回せよ。
「は? ま、間なんて空けてないし?」
「……まあ、命を捧げた時点でこの世の食べ物を食べることは出来ないから当然と言えば当然か」
「…………あっ、ホントだ」
「気付いてなかったのかよ」
「うっ……そっ、そんなことより今は宝船さんのことだよ! 宝船さんのことを気にしなきゃ! 地球温暖化よりも宝船さんだよ!」
「お前は地球環境よりも一人の人間の気分の方を優先すると言うのか」
ていうか、無駄に話題を壮大にしようとするな。話がややこしくなるだろ。
「何かあったのかな……あたし、ちょっと話しかけてみるね」
「お前、中々にチャレンジャーだな」
「だ、誰がショウガだし!」
「それを言うならジンジャーだ」
何だよ、その高度な勘違いの仕方は。
それから、自分の勘違いに頬を赤らめながらも「と、とりあえず行ってくる」と宝船の隣まで歩く彩楓。
「お、おはよっ、宝船さん」
その彩楓の言葉に机に頬杖をしていた宝船の顔がゆっくりと上を向いた。
「……おはよう、躑躅森さん」
「え、えっと……きょ、今日も良い天気だね!」
「そうね……週末辺りから雨が降るらしいけど」
「そ、そうなんだ……えっと、えと、きょ、今日の朝は何食べた?」
「今日は……ちょっと気分が優れなくて何も食べていないの」
「そ、そうなんだ……えっと……えっと、えと……ううっ」
涙目でこちらを振り向いて来る彩楓。話題のストック切れるの早過ぎだろ。まだ話し始めて1分も経ってないぞ。
「……全く」
我が幼馴染の行動に呆れて溜息をつきながら僕は彩楓の隣まで歩く。すると、近付いてくるこちらに気付いたのか話しかける前に宝船が僕の方を振り向いてきた。
「……おはよう、萩嶺君」
「ああ、おはよう」
「…………」
「…………」
「……それじゃあ、また」
「お、おう、それじゃあな」
そして、僕は歩き出し、宝船の前を通り過ぎ、机と机の間を縫って、自分の席に座る。
そこで僕は思った。
宝船との会話が1分どころか30秒も続かなかったことに。
「……彩楓よりも会話弾んでないじゃん、僕」
「もうっ、何やってるの直斗はっ」
僕が自分の為体に愕然としていると遅れてやってきた彩楓が僕の前で小声で、しかし、若干声を荒げながらこう言った。
「全然宝船さんと会話弾んでなかったじゃんっ。30秒も続かなかったじゃんっ。あたしよりも短かったじゃんっ」
「う、うるさいな。僕はお前と違ってコミュ障だから仕方ないんだよ」
「コミッショナー? 最高責任者と今の直斗の会話と何の接点があるのっ」
「コミュ障だよ! コミュニティー障害! 聞き間違いにも程があるぞ! てか、前から思ってたけどお前のその無駄な知識は何なんだよ!」
そして、それから朝のホームルームが始まるまで、会話のストックが無い者同士の醜き小さな言い争いは続くのだった。
◆ ◆ ◆
あっという間に時は流れて、放課後。僕は部室棟の奥にあるオタ研の部室に向かって歩みを進めていた。
今日一日、宝船はいつも通りに過ごしていた。
いつも通りに授業に積極的に参加し、いつも通りに真面目で、いつも通りに先生に指名された時は難なく問題に対する解答を述べ、いつも通りに昼になると昼食を食べて――いつも通りに、普段通りに彼女は今日一日を過ごしていた。
思えば、宝船が1人で席に着いて呆然としていることは今までにもあったような気がする。基本的に、彼女は1人でいることが多い。僕と違って成績も容姿も良く、いつでもどこでだって、どこかのグループの会話の輪に入ることは出来るのにあえて宝船は1人でいるのだ。
だから、今朝僕達が話しかけた時に違和感を覚えただけで、周囲の人間は宝船の異変に気付いてさえいないだろう。彼女は完璧な人間だから、周りの人間に自分の気分が優れないことを知られないために普段通りの自分を演じていたのかも知れない。いや、きっとそうだ。
でも、僕と彩楓は宝船の異変に気付くことが出来た。
それは普段プライベートで何度か会ったり話したりを繰り返したからだろうか――確たる理由は分からないけれど、とりあえず、僕と彩楓は気付いたのだ。
周囲の人間が気付いていない宝船の異変。別に、それに気付くことが出来たからと言って優越感に浸ろうとかそんなことは微塵にも思っていない――だが。
周囲が知っていないということは。
僕と彩楓だけが知っているということは。
今の宝船を救うことができるのは――僕達だけということになる。
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