9-1
宝船と繁華街を見回った日の翌日の朝、僕は一人学校へと向かっていた。
駅に辿り着き、改札口を潜り、電車に乗る。それから、目的の駅で電車を下りて、改札口を潜り、珠玖泉高校の最寄りの駅を後にする――気付けば、淡々と語るかのように普段の学校へと向かう道程は既に終わってしまっていた。
珠玖泉高校の校舎の正門を潜ったところで半分抜けてしまっていた意識が戻ってくる。よくもまあ、これだけ呆然と道を歩いていて車に轢かれなかったものだと感心する――と言うか、安堵する。
どうして上の空で道を歩いてしまうほどに僕が間の抜けた状態になっているのかと言えば――。
「おっはよーっ! 直斗!」
思考を遮って後ろからそんな声が聞こえたと思った瞬間、僕は背中に凄まじい衝撃を受けた。元々呆然としていたせいもあり、予想外の出来事に僕は受け身を満足に取ることができず、地面に倒れ込んでしまった。
「ってええっ!? ちょっ、直斗! 大丈夫!?」
何とか顔面を地上にぶつけることだけは回避したが、受け身を取った肩が痛みで熱くなっているのを感じる。僕の背中を叩いた犯人の焦る声が鼓膜を震わせる中、僕はその場に立ち上がった。
「……朝から何しやがる、彩楓」
振り返ってみれば、そこには申し訳無さそうな笑みを浮かべて後頭部に手を回している彩楓の姿があった。
「い、いやー、朝の挨拶をしようと思ってね?」
「朝の挨拶に背中の殴打は要らない」
ていうか、朝から何事だと正門を潜る生徒達が僕達のことを見ている。視線が物凄く痛いが、朝から転んでいる僕の方も悪いか。いや、一番悪いのはこの幼馴染だが。
「な、何か直斗が後ろから見た感じ元気がないように見えたからさ。シャキッとさせて上げようと思って背中を叩いた的な?」
「…………」
元気がない、か。
「……それはお前の気のせいだよ」
「ホント? ならいいんだけど」
「てか、お前どうしてここにいるんだよ。部活の朝練はどうしたんだ?」
「部活の朝練はもうとっくに終わってるんだけど、学校から少し出たところに自動販売機があって、それが売店のスポーツドリンクよりも安いから買いに行ってたの。ほら!」
言って、鞄からとあるスポーツドリンクのペットボトルを取り出して僕に見せ付ける彩楓。ペットボトルには教科書類が濡れないためなのかタオルが巻かれていて、それが更に輪ゴムで留められている。
「売店は150円なんだけど、外の自販機は130円なんだよね。安いでしょ!」
「何だ、たった20円の差か」
「こら直斗! たった20円と言っても馬鹿にしちゃ駄目だよ! 知ってる? 昔の偉い人が残した諺に『塵も積もればゴミとなる』というものがあってね」
「当たり前のことじゃねえか」
それを言うなら『塵も積もれば山となる』である。
「と、とにかく! あたしが何を言いたいのかというとだね」
「とりあえず教室行ってから話そうぜ」
諺を間違えたことで顔を真っ赤にしておいてなお、話を続けようとする彩楓を置いて僕は校舎へと歩き出す。
「あっ! ちょ、ちょっと直斗!」
すると、彩楓から呼び止められた。
「……だから、話の続きなら教室でだな」
そう言いながら僕は再度後ろを振り返る。
そこには、先程とは打って変わって心配そうな表情を見せる彩楓の姿があって。
「ねえ、直斗。本当に大丈夫なの?」
「…………」
彼女の表情に一度驚いてから、彩楓のその問いに若干顔を俯かせて、呟くようにこう答えた。
「……ああ、大丈夫だよ」
「……本当に?」
「ああ、本当だ」
「……そっか」
一つ間を置いて呟いた彩楓は「うん!」と納得したように頷いて笑顔を見せた。
「直斗がそう言うのなら、大丈夫だね」
「……そうだな」
「でも、何かあったらあたしにいつでも言ってね。あたしが出来ることなら、何だって力になるから」
「分かってるって。ほら、そろそろ教室行こうぜ。ホームルームが始まっちまうからな」
「あっ、待ってよ直斗!」
小走りで僕に追い付き、隣を歩き始める彩楓。
相変わらず彩楓は鋭い。ペットボトルにタオルを巻くのもそうだが、案外知恵が働いたり、洞察力が鋭いのにもかかわらず、テストの点数は毎回悪いというのは不思議なものである。まあ、きっと頭の良さとそういう本能的な力は別物なのだろう。ひょっとしたら、馬鹿な分、本能的な力が彩楓の場合は強いのかも知れない。
「へっくちっ! うう……誰かがあたしの噂でもしてるのかな」
「……か、風邪じゃないのか? お前って冬でもへそ出して寝ていそうだし」
「なっ! な、夏でもへそなんか出して寝ないし! 直斗のバーカ!」
……頬を赤らめてそう反論してくる彩楓はさておいて。
確かに今日の僕に少なからず元気がないのは本当だ。先程も言ったが、この幼馴染が僕のことになると本当に気付くのが速い。小学生の頃だって、まだほとんど症状を発していない段階で家族よりも先に僕の風邪に気付いたのは彩楓だった。
今日の僕には元気がない。
でも、大丈夫なのは本当だ。決して強がりなどではない。
僕は大丈夫。
大丈夫じゃないのは、僕ではなく――きっと。
◆ ◆ ◆
教室に辿り着くや否や、僕は机に頬杖を着いてただただ呆然と前方を見つめ続けている宝船の姿を発見した。ホームルームが始まるまでの間、教室を歩いたり、友達と話したり、勉強をしたりしている生徒達の中、宝船だけはまるで静止画のように動かない。まるで、彼女の時間だけが停止してしまっているかのようだ。
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