8-6
「萩嶺君はどちらに行きたい?」
おっと、スルーを決めていたら今度は名指しで問いかけられたか。これは答えても大丈夫だろう。というか、先程から僕はどうしてこんなに宝船との会話に対して慎重なのだろうか。
「えーっと……左、かな」
「その心は?」
「アニメテオがあるから」
「絶対的に理由になっていないけれど……まあ、右に行く理由も見当たらないし。そうね、左に行きましょうか」
おや、絶対に何か反論されると思っていたら特に何も言われなかったか。
何かしらの毒舌に対して身構えていたのにこれでは身構え損である。身構え損って何だ。
兎にも角にも、僕と宝船はアニメテオがある方角――左の方向へと大通りを歩き始めた。数多に行き交う人々の波の間をすり抜けながら僕達は前進していく。
「周囲に注意を払っておいてね、萩嶺君」
その言葉の通り、周囲を軽く見渡しながら宝船は言う。
「恐喝が行われるとしたら路地裏だと思うの……現に、ここで起こった時もそうだったし。だから、誰かが路地裏に連れ込まれているところを発見したら私に知らせて」
「あ、ああ、分かった」
「これだけ人込みが多いのだから無理かも知れないけれど……まあ、期待しない程度に期待しておくわ」
「期待しない程度って、それ最早期待されていないじゃないか」
その後、僕と宝船は特に会話をすることなく、人込みの中をキョロキョロと辺りを見渡しながら歩き続けた。そして、約1時間をかけて大通りの端まで辿り着いたが、見逃しているという可能性を排除するなら、僕達は恐喝の現場を発見することは出来なかった。
「結局見つからなかったな、恐喝の犯人」
「ここは大通りの端で、珠玖泉高校の生徒はここまで来ることは少ないだろうし……ここから先の見回りは省いてよさそうね」
両手を腰に当てて、大通りの出口の先に続く道を見ながら宝船は言う。
「よし、それじゃあ次は向かい側の道路に行くわよ」
「え? まだやるのか?」
「当たり前じゃない。歩行者用道路はこの大通りに2つあるのだから、片方だけじゃ見回ったことにならないでしょう?」
「まあ、それは確かにそうだけどさ」
「四の五の言っていないで行きましょう。早くしないと日が暮れてしまうわ」
そう言って宝船は横断歩道を渡り始める。確かに、薄暗くなり始めている空を仰いだ僕は溜息をつくと小走りで宝船の後を追った。
◆ ◆ ◆
人込みの中を先程と同じように周囲を見渡しながら僕は宝船の後に続いて足を進めていく。道路を渡ってから30分ほど経っただろうか――既に空のほとんどは夜の黒に染められていて、茜色の空は遥か彼方へと追いやられてしまっていた。
夜になれば人の数も少しは減ると思っていたが、どうやら逆だったようだ。これだけの大通りとなれば、居酒屋やスナックバーなど夜に営業を開始する店舗も多い。そういうお店がこの大通りの人口を更に増大させているようだ。
「下手したら夕方よりも人多いんじゃないか、これ……」
あまりの人の多さに酔いそうである。それに、これだけ人が多いと周囲を完全に警戒していたところで恐喝に気付くことは出来ないだろう。
人は恐喝事件の収束を願っているのに、その人のせいで事件に気付くことが出来ないとは中々皮肉なものである――まあ、ここにいる人々も邪魔がしたくてここにいる訳ではないのだろうが。
そして、それから更に30分後。僕と宝船は最初に出発したスタート地点の向かい側の道路のガードレールに腰を下ろしていた。
「……見つからなかったな」
「そうね。悔しいけれど、この人の多さじゃ仕方ないわ」
言って、宝船は小さく溜息をついた。どうやら、恐喝事件の現場を発見することが出来なかったことに対して本当に悔しさを感じているらしい。
しかしまあ、今宝船の言った通り、それは仕方のないことだ。
人の多さも関係しているけれど、今日この繁華街で恐喝事件が起きると決まっていた訳ではないのだ。
現実はそう甘くない。
当然の事ながら、現実と非現実は違う。
現実には次の行動を決める選択肢も、余計な苦労をしないためのセーブポイントも、事件を解決するためのキーワードやヒントも。
その何もかもが存在しないのだから。
僕の隣で宝船がガードレールに両手を着いて空を仰いだ。僕もそれに習って頭上を見上げる。
そこに広がったのは完全に夜の闇に支配された空の姿だった。黒く広大な天蓋には淡い光を放つ月が浮かんでいるが、繁華街の圧倒的な光に遮られて星々を確認することは出来なかった。
「……お腹空いたわね」
徐に宝船が呟く。僕が夜の空から宝船の方へと顔を向けると、彼女もいつの間にかこちらを向いていた。
「モクドナルドで少し何か食べない?」
言って、宝船は向かい側の道路を指差す。ここに来た時は人込みの分厚さで気付かなかったが、向かい側の道路にはモクドナルドの看板が明々と光を放っていた。
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