6-9
「彩楓はまだ戻って来ていないのか」
「そうみたいね。まあ、女の子には色々とあるものなのよ。憶えておいた方がいいわ」
「よく分からないけど分かったよ」
宝船にそう言葉を返しつつ、先程まで座っていたテーブルの一角に腰を下ろす僕。彩楓のいないリビングはやけに静まり返っているように感じた。静寂の中、やはり聞こえるのはシャープペンシルがノートを擦る音だけ――その静けさを徐に破ったのは宝船の言葉だった。
「……そう言えば、躑躅森さんがいない間に聞いておくけれど」
「な、何だよ」
宝船の真剣な口調に僕は思わず身構えてしまう。彩楓がいない間に聞きたいことというのは、つまり彼女には聞かせたくない事柄なのだろうか。ということは、先程のトイレでの一件に関することなのだろうか――。
「あの『魔導少女マジカル☆リオ』は一体何時からどこのチャンネルで放送されているの?」
「…………」
何と言うか、あれだ。
無駄に身構えた数秒前の僕を殴りたい。
「……衛星放送だよ。木曜日の深夜だから、実質放送されているのは金曜日の午前だな」
「なるほどね。了解したわ――ってどうしたの? 何だか呆れたような顔になっているけれど」
「何でもねえよ。僕が勝手に勘違いしただけだからな」
「?」
訳が分からないと言った風に宝船は首を傾げる。
「まあいいわ。衛星放送で木曜日の深夜ね……憶えておかないと」
「何だ? そんなに面白かったのか?」
「内容も王道だけどそこそこ良かったし、何と言っても戦闘の作画が神だったから普通に視聴継続なだけよ」
「そうか、それは良かった」
しかし、自分の好きなアニメが誰かに認められると妙に嬉しくなるのは何故だろう。別に僕が制作に関わった訳ではないのに……不思議なものである。
「それにしても」
宝船はリビングを見渡して言う。
「大きな家ね」
「そうか? 一軒家って大体こんなものだろ」
「そうかしら。……いや、そうなのかも知れないわね」
自嘲的な笑みを浮かべて、宝船はシャープペンシルを持ち直し、教科書のページを捲る。
「きっと、あなたの家は、勿論良い意味で一般的な大きさなのでしょうね。普段狭い我が家を見慣れているものだから、尚更大きく思えてしまったのだと思うわ」
「なるほど、そういうこと――」
と、そこまで言い掛けて僕は口を噤む。
それは、今の宝船の言葉に1つ引っ掛かるものを聞いたからだった。
「……なあ、お前――」
「時に」
僕の言葉を遮って、宝船はノートに問題を解きながら言う。
「ご家族の方は? まだ仕事から帰られていないの?」
「え? ああ、両親はそうだけど、姉は今大学に受かって一人暮らし中。家族が全員集まるのは夏休みみたいな長期休暇くらいかな」
「あら、そうだったの。姉がいて幼馴染までいるなんて、萩嶺君は勝ち組ね」
「何でもかんでも二次元の世界での価値観で語るのはどうかと思うぞ」
「萩嶺君には言われたくないわ」
そう言われてみればそうである。反省。
「出来れば妹が欲しかったところだけどな」
「なるほど、萩嶺君はシスコンと」
「待て待て違う。変な誤解をするな。山をも越えるような飛躍した解釈をするんじゃない」
「失礼したわ。萩嶺君はロリコンだったわね」
「僕はシスコンでもロリコンでもねえよ!」
とんだ濡れ衣である。人のことを簡単にシスコンやらロリコンやら変な扱いをするのは止めて欲しい。
「それにしても、萩嶺君はある意味で一人暮らしをしていたのね。食事とかはどうしているの?」
「朝と昼は自分で。夕飯は彩楓の家でお世話になってる」
「……ふーん」
間の空いた返事。シャープペンシルを動かす宝船の手が一瞬だけ止まったように見えたのは気のせいか。
「そう。隣の家が躑躅森さんの家で良かったわね」
「別に僕は冷凍食品とかでいいんだけどな。昔は働いているのは父さんだけだったんだけど、母さんも働き始めて、姉も一人暮らし初めてさ、彩楓のお母さんが、1人で食事をするのは寂しいでしょう?――って、僕を夕飯に誘ってくれたのが最初だったな」
「どうして萩嶺君のお母さんも働き始めたの?」
「元々、僕の母さんは結婚するまでバリバリのキャリアウーマンでさ。仕事をしている父さんを見て、多分昔仕事をしていた頃の気持ちがまた燃え上がったんだと思う」
「何と言うか、萩嶺君のご家族は色々な意味で面白そうね」
「そうか?」
「そうよ。一度会ってみたいくらいだわ」
笑みを浮かべながらそう言って宝船は教科書を捲る。すると、不意にリビングの扉が開き、そこから洗濯かごを持った彩楓が入ってきた。
「何かお母さんがお昼作ってくれた!」
「おお、マジか――って何で洗濯かごに入ってるんだよ」
「それには深い理由があるんだけど……話せばお昼を運ぶものがなかったってだけの話だよ」
「浅いな」
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