ゲームソフトを告知する「公式サイト」、始まったのはいつ?
回線の進歩とデバイスの普及により、今やいつでもどこでもインターネットにアクセスできる時代となりました。
メールや各種アプリでの手軽なコミュニケーションや、ニュースの閲覧に天気予報、夕食のレシピ検索と、生活に根ざした使われ方も浸透しており、もはや手放せないと言う人も多いことと思います。
また企業側にとっても、随時情報を提示しておける利便性や、情報提供という点においては実質的な距離を無視できる範囲の広さなど、費用対効果の面だけで考えてもネットでの活動は充分に魅力的と言えるでしょう。先日実施されたE3でも、様々に行った発表をインターネットでも生配信し、会場に足を運ばずとも多くのユーザーが最新情報をリアルタイムに共有しました。
日常的に使用している方からすれば、このような一例を挙げるまでもなく、インターネットが情報の伝達手段として身近になったことは実感していることでしょう。ゲームソフトに限っても、新作を発表すれば各種ニュースサイトが取り上げ、またその詳細を公式サイトで画像と共に公開し、個々のユーザーがそれぞれサイトをチェックする。その利便性は、雑誌での告知とは明らかに別の切り口と言えます。
今はもうゲームソフトの多くが公式サイトを持つ時代になりましたが、ではこの告知形態はいつ頃から始まったのでしょうか。その疑問を解消すべく検索したり老舗メーカーのサイトを調べたりしてみましたが、任天堂のスーパーファミコン関連のタイトルが今回の調査範囲ではもっとも古いサイトでした。
スーパーファミコンが発売したのは、1990年11月21日。その発売に合わせてリリースされた『スーパーマリオワールド』と『F-ZERO』のサイトがありました。ただしサイトと言っても、タイトルとパッケージの他には、小さめ画像が3枚と簡単な紹介文などがあるのみです。当時の回線環境を考慮し、出来るだけ負担の少ない構成を心がけた現れでしょうか。
このスタイルはしばらく続き、『マーヴェラス ~もうひとつの宝島~』で変化を見せます。「ゲーム紹介」と「キャラクター」をクリックすると、詳細が書かれたそれぞれ別のページに飛ぶことができます。なお『マーヴェラス ~もうひとつの宝島~』の発売は、『スーパーマリオワールド』から数えて約6年後となります。
そして1997年に発売された『糸井重里のバス釣りNo.1』では、これまで継承されていた基本的なフォーマットから一変し、イラストを全面に押し出したトップページが出迎えてくれます。ソフトごとの特色が、スタイルにも見られるようになった記念すべき一作と言えるかもしれません。
その後、NINTENDO POWER対応ソフトなどが中心になり、タイトルごとの個性が感じられる作りも増えてきました。『ファミコン探偵倶楽部PARTII うしろに立つ少女』や『メタルスレイダーグローリー ディレクターズカット』などが特に顕著です。
今回調査した範囲で最も古かったサイトが『スーパーマリオワールド』と『F-ZERO』だったため、そのままスーパーファミコン関連のサイト遍歴を追いかけてみましたが、その時代の経過に則して、他ハードにリリースされたソフトの公式サイトなども登場したことでしょう。それに、調査が及ばなかっただけで、『スーパーマリオワールド』よりも先に公式サイトを用意したソフトもあることと思います。もしよければ、貴方の知っている古いゲームの公式サイトを教えてください。コメント、お待ちしております。
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